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検索結果: 5949件

神や仏を信じない者がやっても良い?

見つけて下さり、ありがとうございます。 私は発症前までは、神や仏、ご先祖様や霊魂など、色んなことを信じていました。 母の教えで、特にご先祖様を大切にし、常に手を合わせていたと思います。 ところが発症後、何もかもが信じられなくなりました。 もしもそういったものがあるなら、兄弟姉妹の中で、1番ご先祖様を大事に思い、遠くのお墓にも毎年お参りしていた私が、何故こんなに苦しい思いをしなくちゃいけないのか? 同じ血の通う兄弟姉妹を、どうしてこんな形にしたのか?(プロフィール参照) そんな思いばかりになりました。 母の教えに対する反抗心ではなく、あまりにも酷いと思われる人間からの仕打ちや、物語の様な自身の病気に、あらゆる『人間に関すること』を、心から信じることができなくなったのです。 そうしている内に、ここを拝見し、何度かご質問させていただき、写経や座禅をしてみたい…という気持ちが湧いてきました。 こんな私が、そういったことをさせていただくのは、良いことなのでしょうか? また、それでも良いと言って下さるのなら、何に良いのか?、また、どこでどんな風に行えば良いのか? 教えていただきたく思います。 宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 71
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仏教における女性蔑視?はいつから?

毎度お世話になっております。 お坊さんと匿名でお話ができるというのがなかなかに楽しくてつい頻繁に利用してしまいます。 私は僧侶ではありませんが、仏教のことを、ちょこっとずつですが勉強するのが趣味なんです。この趣味がなかなか共感されないんですよ。 今回はちょっと学問的な質問を。 タイトル通りですが、仏教の教義では女性を蔑視、と言えるかどうかは分かりませんが、宗教的素質の低い存在であると見なしているということが、現在どうかはともかく、歴史上にあったことは間違いないと思います。 そのような考え方がいつから、どこから出てきたのかな?という質問です。 いわゆる初期仏教で既に宗教的素質に男女差はあったのでしょうか。 大乗仏教に入ってからなのでしょうか? 大乗からだとするとインドから? 中国から? そのあたりのことがちょっと知りたいです。 よく女性蔑視として挙げられる例として、たとえば五障とか変成男子とかいう言葉は、ウィキペディアを見る限りではお釈迦様の思想ではない、となっていますが、初期経典などに同じような考え方は全く見られないのでしょうか? 一応強調しておきますが、現在の仏教が女性差別に加担しているかどうかという話ではなく、また戒律の数や教団の違いといった現実的な差異ではなく、あくまで悟れるか悟れないのか、という宗教的な素質に関わるところの差が、どこからあったのかな? ということです。 詳しい方がいれば、ちょっとした参考でも教えてほしいです。

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身内の裏切り

祖父が認知症になり近くにいた妹が頻繁に祖父の家に行ってくれていました。 私も子供たちを連れて行ってましたが、妹は自分が祖父の家に一番行っている、面倒みているんだと意識が強く遠方にいる兄を長男だけど何もしないと批判的でした。 私も祖父の家にそんなに遠くはないので行ってました。 以前から妹の行動が怪しく祖父の家にいく度交通費と言って数千円お金をもらっていたようです、交通費もそこまでかからないのでは?と思ったし 私の考えはお金をもらうなんてありえませんでした 他にも妹は祖父から買い物を受けてお釣りを返さなかったり私の中で許せないものがあり、妹に聞くとヒステリックになり全く話し合いにはならず、金銭的に大変なんだ姉ちゃんに言われる筋合いはない!と怒鳴られまともには会話出来なくなるほどでした 私も白黒つけたい性格なのと、祖父は今までお世話になったし私の母親、祖父にとっては娘は精神病で早くに亡くなり父親も浮気や借金私が小さい頃に離婚しており、祖父が苦労してきたのは見てきたので、これ以上苦労をかけたくないのです 本題はここからですが、祖父が認知症が酷くなり、詐欺にあい詐欺した会社を兄が問い詰めたら認め謝罪してもらい今までの契約のお金を返金するということになり祖父の通帳が必用になり、発覚したのですが、妹が祖父の認知症を利用し、印鑑や暗証番号などを変え総額1900万を騙しとってました 1500万は同じ銀行に通帳を作り祖父にはなんて言って騙しかは分かりませんがそこに送金していました、残り400万はちょこちょこ下ろして使ってたみたいです。 銀行に警察にいきましたが、身内の問題は刑事で扱えない、罪にはならない、民事で戦うしかないと言われました。 祖父は全く覚えていないし、認知症になる前の祖父ならあり得ません 祖父の大切な財産を利用した妹が許せません。 妹は父親くらいの年の方と結婚していて、その方の仕事がうまくいかす金銭的に厳しいのは耳に挟んだ事はありましたが、まさかそんな事をするなんてショックです。 兄は弁護士つけて返還請求すると言ってました。 妹とは全く連絡が取れません。 額が大きいだけに現実離れしすぎてショックで悪い夢をみてる様で 妹がこんな恐ろしい事をするなんて悲しいしお世話になった祖父にそんな仕打ちをするなんて許せません どうかアドバイス頂けたら有り難いです

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夫の突然死、生きているのが辛い

5/17に夫が亡くなりました。 29才でした。 持病もなく、本当に直前まで、ご飯をおかわりするくらい元気でした。 普通におやすみと言って、一緒に寝ました。 私も今29才です。生後5ヶ月の息子がいます。 なにが辛いか分からないくらい、全てが辛いです。 誰かに助けてほしいのに、なにをどう助けてほしいのか分かりません。 思いつく限りの辛いことを以下に書いてみました。 ・彼に会いたい ・毎朝起きて絶望するのが辛い ・なんでも彼との思い出があり、辛い ・夜中に目が覚めて、彼の様子が変だと思ったが、救急車を呼ぶか迷ってしまった。心臓マッサージよりも先に自分の着替えをした ・救急隊員が忘れ物をしたので、部屋に取りに帰る時、息子をだっこしていたので、エレベーターに乗ってしまった ・最初障害が残ったり植物状態になるかもと言われた時、育児に介護とそんな献身的な妻になれないなと思ってしまった ・息子が産まれてから小さいことで彼に怒ってばかりだった ・いつも彼をからかってバカにしてばかりだった ・最後の夕飯がよりにもよって1番手抜きだった。私だけ生き残って、彼の好きな食べ物を食べるのが辛い ・彼のために家事や育児を頑張っていた。毎日やることがなくて辛い ・子どもが好きなのは彼だった。いつもニコニコしてるのは彼だった。私だけだと息子が変になってしまうと思うと辛い ・彼がみんなに伝えたいことはなんとなくわかったので、伝えられた。けど、彼が私に何を言いたかったか分からないのが辛い ・なぜ彼だったのか、なぜ私ばかりこんな目にあうのか、答えがなくて辛い ・病院の先生にストレス等誰のせいでもない、運だと言われた。責める場所がなくて辛い ・死にたいと言うと、みんなに生きろ!死ぬな!と言われる。彼はそんなこと望んでない、逆の立場だったらどう思うと言われる。正論ばかり言われるのが辛い ・人が亡くなったニュースや不幸な話を聞くと笑っている。そんな私が息子を育てることが辛い。 ・息子が5ヶ月になった、寝返りができた、彼の知らない息子になるのが辛く、喜べないことが辛い ・彼がいないのが辛い ・実家に帰っているが、両親という夫婦を見ながら生活するのが辛い ・生きているだけで偉いはずなのに、段々外に出ろ、笑えと周りからの要求が増えるのが辛い。 ほんの一部です。 助けてください。

有り難し有り難し 196
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2022/02/15

この世で生きる苦しみは学びでしょうか

いつもたくさんの相談と回答を読ませていただき、学ぶことや気づくが多くありがく感じています。 今回2度目の相談です。 前回娘が亡くなったあとの心の持ち方についてご教示いただき、それまで苦しみで澱みきっていた心が浄化されました。ありがとうございました。 あれからも娘のことを思わない日はなく、 でもあちらの世で仏様のお導きのもと、生前抱えていた深い苦しみや悲しみがない在り方(過ごすや暮らすという表現は違うと思いこのように表しました)をしているものと考え、娘の肉体はなくなったけれど存在は私にとって永遠のものになったと感じられるようになりました。 いろいろ考える中で思ったのが、人はこちらの世界で様々な煩悩や苦しみを抱えながら生きていますが、それは学びであって、亡くなった後あちらの世界で仏様になり、生きている人たちの心のよりどころ(?)救いとなるための修行のようなものなのではないかということです。つまり、生きることは決して楽ではないけれど、その経験が輪廻転生の中のどこかで人を救う力になるのではないか…そんなことを考えました。 仏教のことは深く学んだことはなく詳しくわかりません。感じたままのことですが、お坊様方のお考えや仏教の正しい教えをお聞かせいたたければ嬉しいです。

有り難し有り難し 13
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感情と感性の違いとは?

先日、知人と議論になりました。 私は、「好き・嫌い・やりたい・やりたくないとかは、関係なく、やるべきことをきっちりとやりたい」って感じなので、どちらかと言えば、「感情排除・感情不要」だと思っています。 知人は、「何ごとも気分良くやりたいから、感情は大切だし、排除できるはずが無い」と言います。 そんな話をした帰り道、「わぁ、この置物、良いね~」「あ、梅が咲いてる」と周囲のいろんなものに反応しているのは私の方でした。 その時に、知人から「そんなにワーキャー言うのが、感情じゃないの?」って言われました。 そこで、質問です。 私のイメージする「感情と感性の違い」は・・・・。 好き嫌いなどの感情で気分が上下していると、落ち込んでいる時は風景を楽しむ余裕も無いだろうし、ウキウキしすぎて周囲が見えないのでは無いのかと思います。 気分が上下するような感情を排除することで、いつでも、同じように冷静に周囲を見渡して、いろんなものを感じることが出来る「感性」があるのではないかと思っています。 感情の波に翻弄されて、大嵐の海のように上下に揺れ動いていては何も見えないように。 穏やかな湖の上であれば、空も鳥も風ものんびりと感じることが出来るように。 感情を排除することで、より豊かな感性を磨くことが出来る。 感情を重視すると、感情だけに囚われてしまい感性を磨く余裕が無くなる。 感情に囚われない方が、いろんなことを楽しめると思うのですが、知人は「感情が大事。嫌なことは言わないで、伝えないで、見せないで、アドバイスなんて余計なお世話」と拒絶されてしまいます・・・。 感情と感性。この違いは何なのでしょうか? 私の考え方は、どうなのでしょうか? よろしくお願いします。

有り難し有り難し 18
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人間はなぜ修行しなければ悟れないのか?

ご質問させて頂きますハルソラと申します。 私は禅の思想に感銘を受け、座禅修行を念頭に日々の生活を送っております。 多数の書物やお話から理屈では「なるほど悟りとはこのようなものか」と理解しつつも、お坊さまはご存知の通り、頭の理解でどうにかなるものではなく悪戦苦闘の日々です。 そこで私はふと思いました。なぜ人間はこんなに修行しなければ悟れないのか?…と。 昔、文鳥を飼っていた事がありますが、文鳥は悟っていると思いました。 すべての行動が「作為なく自然体で、ありのまま」なのです。 例えば、指で突っつくと怒るのですが、次の瞬間に手のひらを差し出すと、怒っていた事はすっかり忘れて手のひらに乗って機嫌良くしているし、 晩年は羽の力も衰えて全く飛べなくなりましたが、そんな事を気にしたり落ち込んだりする様子もなく、シャカシャカと素早く走りいつも通りのご機嫌なのです。 動物植物などはそのように「ありのまま」生きている(…と思う私の推測ですが)のに何故に人間は長い間たくさんの修行をしてやっと悟れるか、あるいはそれでも悟れない、という言わば面倒な存在なのでしょうか? お坊さま方もお忙しい中まことに恐縮ですが、ご教授よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 42
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