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検索結果: 302件
2021/10/15

知りたくないのに、どんどん自分を苦しめる

自分は、心療内科に通っている先生にこう言われたわけではないんですが、 (言われたかもしれないし、言われてないのかもしれないので自信はないです) 強迫性障害だと思われる症状に悩んでいます。 この強迫性障害(であってると思います;自信なくてすみません)のせいで、自分はかなり苦しめられています。 ここ最近の自分なのですが、断るごとに死後の世界の事を 知りたくないのに、不安を抑えられるず調べしまい どんどん自分を苦しめています。本当に辛いです。 普通に考えたら、死んだ後のことを考えるよりも 今を大事に生きる事が大切だとは、お坊さんの方々も言われるかもしれません。 死後の世界は、どうなっているかなんてわかりません。 本当にあるのかもしれない、ないのかもしれない。 それは、その時になればわかる事ですが・・・、 それでも、自分は頭に死後の世界の言葉やらあれこれ・・。 頭に浮かび、知りたくもないのに調べては自分の首を絞めています。 不安を解消するために。本当にあるかどうかは定かですが・・・。 もう、何も知りたくないんです。知っていい事と知らなくていい事って 世の中にたくさんあると思います。 自分も知りたくない事を知って怖くなって、苦しんでいます。 正直もう辛くて仕方ありません。助けてください。 もうこれ以上自分を苦しめたくありません。 なんでもかんでも過敏になったり敏感に反応する自分が辛くて仕方ありません。 辛くても泣けないので、本当に辛いですし、しんどいです。 生きるのも、しんどいのかなって・・思います。

有り難し有り難し 9
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死ぬのが怖い、身近な人にも相談できない 辛い

現在、大学4回生です 中学生の時、突然に「死んだらどうなるんだ?」ということに気が付いて恐怖のあまり嗚咽が止まらなくなったのを覚えています。親に相談しようにも、タブーに触れるようで出来ませんでした。 その時は考えに考えて結局わからないということで放置していたのですが、ここ最近になってまたその考えがまたやってきました。 地元の信仰が浄土真宗本願寺派だったのでその考えに基づき、死生観を考えていたのですが、納得できませんでした。 納得というか、信じきれてないというのが現状なのかもしれません。 真に信仰が出来ていたらそもそもこの質問が出ないことになりますから。 どうしても考え方に疑いを持ってしまうのです。「ホンマかいな」と。この「ホンマかいな」自体が信仰に対する冒涜、罪なんでしょうか。 化学に詳しいわけではないのですが、どうもその前提に結び付けてしまします。(無知なのは重々承知しています)生きている状態なのになぜ人の死後が説けるのか?とか。脳がないのに意識は死後存在し続けるのか?、お浄土は本当にあるの?などです 臨死体験も結局は死に切れてないですし、死後の見解が地域、信仰、人によってそれぞれ違うのも疑問です かといって「死後は無なんだよ」「意識はただの脳内の電気信号なんだよ」と言われればとんでもないくらいの恐怖にのたうち回ります。死後、体も感覚も思考も、自分自身も消えてなくなり、二度と目覚めることはない。そんな状態が永遠に続くと思うと... 様々な文献、記事を読み漁っても「そういう考え方もあるのか」程度にしかとれず合点がいきません。 今を生きることこそが大切、もっと他にすることがあるんじゃないの?と言われそうですが、そうではないんです。死後が知りたいのです。 利己的な見解ばかりで申し訳ありません 自分自身でも、どう質問してよいか漠然としててわからないのです 僕以上に、もっとつらい思いをしている人がいる中で... ここまでの人生、たった21年の短い人生ですが、何不自由なく生かされてきました。両親、祖父母そして周りの人々には感謝しきれません。これから、家族やお世話になる人達にいっぱい自分の受けたモノをお返ししていきたいです。 故に死の恐怖にここから先の人生を邪魔されたくありません。 どうか僕に納得できるようなお考えを教えてください。

有り難し有り難し 66
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私の信仰について

今回は非常に個人的な悩みとなります。 私は最近、仏教について調べたり、考えたりして、一種の信仰心を持つようになりました。(他人には一切信仰を公言してません)他人が悲惨な目にあったニュースを見聞きしたり、電車の人身事故があった時などは、心の中で南無阿弥陀と唱えるようにしてます。(宗派とかはよくわからないので、とにかく心で唱えるようにしてます)ただ、この教えはどの宗派かはわかりませんが、南無阿弥陀を唱えると、仏様が極楽浄土へ連れて行ってくれるという話を聞いたので、正直、他人のためではなく、唱えることにより自分が死後、安らかな場所に行けるように唱えていると考えてしまいます。 そこで2つ質問があります。 1 心の中で南無阿弥陀と唱えるだけでも良いことですか?また、他人に亡くなった方に対して唱えることは良いことなのでしょうか? 2前述したように、南無阿弥陀と唱えることは、自分が死後安らかに過ごせるようになるためであり、それは他人の為ではないという考えが少なからず自分の中にあります。純粋に他人の為に仏教に信仰心を持つにはどうすれば良いのでしょうか? この先は質問と関係無く、ただhasunohaのお坊さんへの感謝と自身の信仰に関する話です。 いつも悩みを聴いてくださり本当にありがとうございます。1人では考えきれない事を今までお坊さん方は真剣にアドバイスしてくださり、以前あった私の死にたいという気持ちも随分と楽になりました。本当にありがとうございます。また、このサイトがきっかけで、宗教とは非常に遠かった私の中に信仰心が生まれました。正直、極楽浄土や地獄、仏様など、目に見えない世界に関しては半信半疑です。しかし、過去の仏陀やお坊さん、そして現在のお坊さんなどが人々の為に幸せや平穏を願った。そして今も願っているという事実は変わりません。そしてその事実が現実に対して言いようのない不安に駆られていた私にとって光です。誰かの幸せの願う心の存在こそ私の救いです。皆さんの考える仏教への信仰とは全く違う形かもしれませんが、私は仏教をこのように信仰してます。 そしてこれからも、お坊さんのように誰かの幸せを願う人でありたいです。質問とは関係はありませんが、この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。

有り難し有り難し 21
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自死者は、本当に成仏するのか?

最近、ネットが普及し、自死者に関することで色々と閲覧することができる。こちらのサイトのお坊さんは、自死遺族の気持ちを察して頂き自死者も必ず成仏するとご回答を頂きます。 しかし、他のサイトで真言宗の修行僧と称する者が、自死者は永遠に苦しむと書き込んでいます。同じ仏教徒でこんなに違うのでしょうか?本当に可笑しく思います。あるスピリチュアルでは、自死者は反省の部屋に入り、自分で納得すればガイドに従って成仏できると言っています。テレビで出ていた江原は違いますが  私は、なんとなくこのスピチュアルが主張する自死者の死後のあり様が自然に受け入れることができます。 要は、誰もが死んだ経験がありません。死後の世界なんかわかる訳がないと思います。昔は自死者は、地獄で永遠に苦しむと言われていましたが、ここ最近は自死遺族の苦悩を和らげるためか、成仏できるとお答えを頂きます。僧侶によっては、地縛霊のことは教えられていないと言っている者もいます。 キリスト教なんかは最悪です。よくもここまで豹変できるのかと思います。  こちらの僧侶の方は、本当に心の優しい方だと思います。カルトの様な馬鹿な話は信じません。しかし、本当のところはどうなのでしょうか?自死した者の霊は、安らかに成仏できるのか?  本当は、人間世界で何十年、何百年と苦しむのか?噓を言われて心を和ませたくありません。本当は、自死者が、一人で永遠に苦しむのであれば私が自死をして、妻を救いに行きます。私の魂は、あくまでも妻を救出のため。自身の我儘で自死するのとは違います。  イスラム教で言えば聖戦です。自死者の魂の行先は、僧侶や所謂霊能者と言われる人によっては行き先が二分されていると思います。地獄か極楽浄土へ行くか・・・  言われていることがおかしいです?お釈迦様は、自死について良いとも悪いとも言っていないと今は言われているというか無理にその様に解釈をしているのでしょうが、本当はどうなんですか?  慰めで極楽浄土へ行くと言われると心が少し和みますが、自死遺族のために止むを得ず真実と違うことを言われるのは、返って罪なことだと思います。実際に真言宗の僧侶が永遠の地獄に行くとネットに平然と書いている。本当のことが私は知りたいのです。永遠の地獄に行くというのであれば私は、自死(救出のため)して地獄から妻を救い出す覚悟です。お答えをお願い致します。

有り難し有り難し 133
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50年前に他界した預けたままの父の遺骨について

父は50年前に他界し、その遺骨をお寺に預けたままになっています。 父は次男なので、先祖代々のお墓に入ることはできず、またお墓を 作るお金がなかったので、お墓はないままです。 父の死後10年~20年くらいはお坊さんに読経に来ていただいたり お彼岸やお盆にはお寺に足を運んでいましたが その後お寺まで遠いということと、幼い私たち兄弟を連れて行くには 不便な場所で車酔いするということもあり、出向くことがなくなってしまいました。 お盆などには「お布施」として現金書留を送っていたようです。 母は当時のお坊さんに「ここまで来るには大変なので、遺骨を近くの 一心寺(宗派の関係なく遺骨を預けられるお寺)に預けたい。 遺骨を返してもらえないだろうか」と頼みました。 しかし「あなたもいずれはこのお寺のお世話になるのだから」と言われ 返してもらうことができませんでした。 また、返してもらえたとしてもいくらかのお金を包まねばならず 知り合いに聞いたところ200万円くらいは必要と言われたようで そのままになっています。 母に父の遺骨はどうするのか?と以前聞いたところ「しばらくは保留」という返事でしたが、昨年手術をきっかけに認知症になってしまいました。 母は自分の死後、その一心寺に入りたいと常々言っており その際は父の遺骨を一緒に預けたいのですが 遺骨を返してもらうには一体いくらくらい包めばいいのでしょうか? 母には貯金が全くありません。 当時のお坊さんもお亡くなりになり、今はその息子さんが跡を継いで おられます。 何十年もそのままになっているので、遺骨自体がどうなっているのかも わかりません。 お寺さんからの連絡も一切ありません。 この場合、どのようにしたらいいのか教えていただけないでしょうか? よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 16
回答数回答 1

浄土真宗の教えについての質問

浄土真宗の教えについて質問があります。 悟りの反対が迷いだとして、迷った時に阿弥陀様のお力を心底信頼し、私は大丈夫なんだ!と思う事ができたら迷いがなくなる。それは最早悟りで極楽である。という理解でよろしいでしょうか? 仮にその様に考えると、悪人正機説で親鸞様が仰りたかった事は、「迷いの多い人の方が南無阿弥陀はよく効きます。」という事で、善良な市民や、悟っているお坊さんを批判したかった訳ではなく、犯罪者を特別庇った訳でもない。という風に考えられます。 ところが、浄土真宗のお坊さんのお話によりますと、「現在、この世は末法の世界のため親鸞様は生きている間に悟られる事はなかった。」とお聞きしました。 そう考えますと、私が今、いくら南無阿弥陀と唱えようとも悟る事はなく、この世では楽にはなれない。苦しいまま。という事にならないでしょうか? 私は阿弥陀様の本願、お力を心底信頼し、南無阿弥陀と唱えた時の心のあり様が悟りで、極楽浄土ではないかと思うのです。 それとも、極楽浄土という別世界が西のどこかにあって、生きている間は苦しいままですが、死後苦しみのない極楽浄土へ行くのでしょうか? だとしたらそこには何が行くのでしょうか?魂でしょうか?肉体でしょうか?心なのでしょうか? お手数ですが、回答頂けましたら幸いです。

有り難し有り難し 27
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死について

このタイトルの質問は多くたくさんは拝見するのですが、少し私は考えが違うかもしれませんので、投稿させていただきます。長文御容赦ください。 私は死について考え出したのは小学6年生の時でした。 そのときは、死んでしまうともうこの世には帰ってこれないし、今楽しいと思うことはもう二度とできない。といったものでした。 そして、考え方は年々変化しました。 今は以下のことを考え、夜になると吐き気をもよおすこともあります。 ・死んだらどんな姿になるのか ・姿が変わっても親や妻、夫に会えるのか、また後から来る人にも会えるのか ・生まれ変わるというが、今実際前世何かだったという記憶も多分ありません… ・あの世でも老化ということがあるのか?あればどのくらい前の人まで会えるのか?なければ老けない姿でどうやって会いたい人を探すのか? ・なんといっても向こうでも働くのか?食べるのか?ずっと活動するのか? といったことがこれでも一部ですが、考えてしまいます… 誰も死に逢ったことはないし、わからないものです。 ですが、かといってこういうふうな捉え方をするなと言われてもできそうにはありません… ありがたきお言葉をお待ちしております……

有り難し有り難し 34
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ご先祖様について

初めて質問させて頂きます。 先日、知り合いの葬儀に参列して、お坊さんのお話を聞かせて頂きました。心にしみる良いお話だなと感動したのですが、ふと一つの疑問が生まれました。そのお坊さんは「49日まで生まれ変わりを繰り返し、そしてご先祖様として私達を見守ってくれる存在になります。ご供養をかかさないようにしましょう。」とおっしゃっていました。『ご先祖様』という存在は今まで何の疑問もなく受け入れてきましたが、興味本位で色々な仏教書を読んでおりますと「人は生前の行いにより、亡くなった後何に生まれ変わるか決まる」といった輪廻という考えがある事を知りました。 もし生まれ変わり、新たな命としてこの世に存在するのならば、ご先祖様は存在しなくなるのでは?という疑問が生じて、先祖供養やお墓参りの時に誰に手を合わせているのだろう??と考えてしまいます。 「ご先祖様」はその姿形で私達の近くにいて、守ってくれているという存在だと思っていましたが、生まれ変わるのならば、何か姿形を変えて違う生命として私達の近くにいるという事なのでしょうか? 長々とまとまらない文章で質問させて頂き恐縮ですが、よろしくお願いします。

有り難し有り難し 85
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