「心を込めた行動」とは?
最近、知人と議論しているのですが、結論が出ませんのでご意見お願いします。
毎朝のお勤めとして、「仏壇にご飯・お茶・お経をあげています。
それは母の代わりであり、ご先祖様への感謝とかの心を込めての行動ではなく、義務的なことです。
知人いわく、
「心が入っていない義務的な行動ならば、悪縁を結ぶことになり、やらない方が良い」と言います。
何かの法話で、
「多くの寄付もしているし、これだけ信心深い私には、どれだけのご利益があるのか?」と質問した人に対して、お坊さんは「無い」と応えた。
と聞いたことがあります。
私としては、その法話も納得だし、義務的なお勤めに何かのご利益とか功徳とかを期待もしていないし、望んでもいません。
ただ単に、「母がやりたいけど出来ずにいるストレス」を軽減するためだけです。「今日もちゃんと仏壇にお供えしたよ」って言うためだけの行動です。
しかし、利益・功徳などのプラス効果は期待していませんが、「悪縁を結ぶ」「罰が当たる」などのマイナス効果になるとまで言われると、気になります。
理想的なのは、「心を込めた行動」でしょうが、「行動しない」よりは、「心が入っていない行動」が良いと思うのは、間違いなのでしょうか?
有り難し 30
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