大変お忙しい中失礼いたします。 今はまだ現実的な話にはなってないのですが、将来自分が結婚せず生涯を終える場合、父方の家が持つお墓ではなく、母方の家が持つお墓に入りたいと考えています。 父方はあまり檀家付き合いなどをせず、祖母が亡くなった時に以前から祖母が霊園を区画を買っていた曹洞宗のお寺様のお墓を家のお墓としています。なので私も曹洞宗ということになるとおもうのですが、私にとって子供の頃から慣れ親しみ、手を合わせてきたのは母方の臨済宗のお寺様なんです。 母方の家が檀家になっているお寺様のご住職様は、小学校の教員であった母方の祖母の元教え子さんで、祖母のお葬式の時に「恩師にお経をあげるなんて…」と祖母の死を悼んでくださり、心からのお経を上げていただきました。 大好きだった祖母の生涯は本当に立派なものだったと感じることのできる素敵なお葬式で、一周忌が終わる頃には、私も嫁ぐことがなければ、できるなら母方のお寺様にお世話になりたいと自然に思うようになりました。 この場合、私が個人的にその臨済宗のお寺様の檀家になれば、母方のお墓に入ることは可能なのでしょうか?それとも、父方のお墓を選ぶべきなのでしょうか? 度々の質問、申し訳ございません。
1ヶ月前に仏教の学び方を質問させて頂きました。 その後、兼ねてから計画していた地元の寺院巡りを、 ネット頼りですがまずは近場を探し、行って来ました。 ※プロフィールにも記載してますが、 父方菩提寺は、すぐ近くのお寺さん(浄土真宗)ですが 私は真言宗のお経を読むので、 悩んだ末に、 まずは真言宗のお寺巡りとしました。 3軒目は偶然にも住職さんが駐車場にいらして、 「お参りしたくて来ました」と話すと、 本堂に案内して下さり、 お参り後、私の仏教に関する疑問などを尋ね、 わかりやすく説明して頂きました。 何のお経を読むのかなども聞かれたり。 秋季大祭の護摩法要が間近にあることを知り、 参加させて頂きました。 法要後のお話で、 ペット火葬〜永代供養を始めたばかりと。 私にも3種11羽のインコが居て、 今年、病気で2羽の旅立ち後、 畜生道の馬頭観音さんを知り、 真言を毎日欠かさず唱えています。 新たに馬頭観音さんも安置、 護摩法要と言い、 これって、ホントに縁ではないかと。 次の大祭は2月ですが、 その間、 お寺さんへ行って、 いろんな話を聞いたり質問したいので、 事前にアポをと思っていますが、 檀家さんでもないのに、ご迷惑でないですか? 護摩法要の際、思う所もあり、 このお寺さんと縁が続けば、と思っています。
こんにちは、お世話になります。 私からのアプローチで付き合う事になった仕事関係で知り合った6歳年下の彼と色々ありましたが結婚の話がやっとでるようになりました。 それはとても嬉しかったのですがここにきて彼が新興宗教を信仰していることを聞いてとてもとまどっています。 彼の母親の家系が信者で、彼の父親も結婚を機に入信したようです。 彼には弟がいますが、彼と共に物心つく頃にはもう入信していたようですが特に何も考えた事がないそうです。 活動内容は朝にお経を唱える・集会に参加してお経を唱え、教えを聴く・伊勢神宮に団体でお参りする等で他にも色々と細かい事はもっとあるかもしれません。 初めは勧誘しないと聞いていたのですが、今更結婚の条件に入信する事と言われ大きな不安ととまどいに毎日悩んでいます。 彼が信仰している事に関しては理解をして受け入れるつもりですが、それを私に強要されるとなると信仰の自由などもありますし疑問を感じます。 そもそも信じていない宗教に入信して信じられないながら活動に参加するのもどうかと思います。 でも彼の事は好きですし、知り合ってから5年程経ちますので出来れば一生一緒に居たいという気持ちも大きいです。 自分の家族にはまだ話せていません。 自分がどうしたいのか、どうすればいいのかも纏まりません。 結婚してうまく暮らしていく事はやはり難しいでしょうか? このような状況にある私に意見をいただけると嬉しいです。
イスラム教はキリスト教の派生と思われますので、キリスト教に集約して考えます。 キリスト教の原理は「神との契約を破り、禁断の木の実を食べたアダムとイブ」で、原罪としてエデンの園から地球に追放され、以降我々も同じ罪を犯していると懺悔します。 即ち「生」が罪としています。 釈尊の仏教について金剛般若経の初めの箇所に次のような記述があります。 「右のような逆説に満ちた教えを信ずるものがありえようか」という題で 「スプーティよ、そのように『そもそも将来、のちの世、のちの時代--正しい教えが滅びるようなのちの五百年代ーになったとき、これらの経典のことばがこのように説かれたばあい、それを真実だと理解しうるものがだれかいるでしょうか』などと語ってはならない。(後略)」 この中の「正しい教えが滅びるようなのちの五百年代」と語っている部分から想像すると,釈尊の没後500年後には「正しい教え」が滅びているという未来が「天眼明」によって確認されていることになります。 この滅びた「正しい教え」が何であるか確定しなければなりませんが、滅びる原因が多分「自己否定」だと思われますので、「阿含経」ではないかと思います。 即ち「生」が否定されていますので、キリスト教と同じ原理となります。 三大宗教が共に「生」を罪とするならば、社会的には、現在生きている人間はすべて欲深い「悪人」の集まりです。生きる為には大部分の人が動物の殺生を余儀なくされています。食用は勿論、蚊や蠅迄。 また常識とは逆に人口の減少(少子化)が好ましく、同性婚が奨励されるという珍妙な判断となります。
三面大黒天様を自宅にお祀りするようになりましたが、日々の生活の疲れから自分に甘え、毎日の礼拝を怠ってしまっていました。 これでは失礼にあたると思い、礼拝を怠ってしまったことの謝罪と、日々無事に過ごせていること、食べるに困らない生活の糧を頂いていることの感謝の気持ちを述べ、般若心経と大黒天経、大黒天様と毘沙門天様、弁財天様のご真言を唱えておりました。 日々の礼拝を怠っていたあたりから仕事やプライベートなどでもあまり良くないことが続いておりました。 礼拝をまた再開して少しすると、仕事面での収入も増え、その日は今日を無事に過ごせたこと、糧を頂いたことの感謝をご挨拶に留め、翌朝お経を唱えさせていただこうと思っていた矢先、 早朝に、体調を崩し入院していて少しばかり回復したかと思った祖母が突然亡くなってしまいました。 その日の前日、祖母の体調回復をお願いしたばかりでございました。 偶然なのか、それとも大黒天様に不敬を働いてしまったことをお許し下さらなかったのでしょうか。 私はそもそも三面大黒天様をお祀りするべきではなかったのでしょうか。 お怒りを鎮める方法はございませんか? 大黒天様をお祀りしているお寺にお仏像を納め、供養して頂いた方がよろしいのでしょうか? どうかアドバイスをお願いいたします。
4年前 大学卒業間近の息子を事故で亡くしました。あまりにも突然の死を受け入れ事は出来ず、未だに涙する日々ですが、毎朝、お仏壇にお花、ご飯、コーヒーをお供えしお線香を上げて、「我が家に生まれてきてくれてありがとう。亅と語りかけています。友達も多かったので 帰省の折には、必ず我が家にお参りに来て下さり、お線香を上げ息子を偲び、私の体調を心配してくれます。 優しいお友達に恵まれて、本当に幸せな21年間だったのだなあと思います。 お坊様にお聞きしたい事は、月命日に 来て下さるお坊様が、お供えしてある お土産や本、手紙などを、当たり前のように、手に取って、中をみたり読んだりされるのが嫌で、辞めて頂きたいという相談です。 お茶を出すために、席を外し戻ってきたら、遺品の財布を開けられている事もありました。お坊様だから勝手に触る権利はないですよね。その方個人のモラルだと思うのですが、お坊様が来られる日は、お仏壇の周りには、何も置かないようにしています。 ところが、先日お茶を持って部屋に戻ってきたら、息子のパスポートを見ながら 「あちこちの国に行かれたのですね。」 とー 床の間の端に置いてあったパスポートや 本を離れている場所から持ってきたようで、パラパラめくっている所でした。 悪意はなく、ただ興味本位でされている様ですが、不快でたまりません。 実はお経を上げている時も、珍しいものがないかと、首がぐるぐる回ってあちこち見ているのが、後ろに座っていてもわかります。世間話でも、自分の息子の話をされているので、配慮のない方だなと悲しくなります。 主人の家が長くお世話になっているお寺ですが、月命日の日が本当に憂鬱です。 主人は、私以上に悲しみの底にいて 未だに、お墓にも行けず、お仏壇にもお線香を上げる事はできない状態ですので、相談もできません。 私が、神経質なのでしょうか? 出来れば、月命日に来られる方も、他のお坊様に変えて頂きたく思っています。 どうか、良いアドバイスをお願いします。 長文読んで頂き、ありがとうございました。
先日、父が亡くなり親族葬を行いました。 突然の死でしたので残された家族と共にバタバタしながらも、父や列席していただいた方々に失礼のないよう努めてまいったつもりです。 そんな中、お通夜のお焼香の時に一人ずつ順番に出て行ったところ、お坊さんのお経の方が早く終わってしまい席を立たれてしまいました。さすがに退場されることはありませんでしたが、その時にお坊さんが「もっと早く出てこなあかん!お焼香は喋るとこちゃうよ!」とお怒りになられました。 喋るというのは恐らく、親族の方々が順番が来て前後の方と「どうぞ」「ありがとうございます」とやり取りされてたことだと思います(狭い会場でしたがそれ以外に会話は聞こえませんでした)。 たしかにお焼香は一人ずつ席を立たず前の方の後ろに並んで途切れることなくすべきだったのかもしれません。お葬式に不慣れとは言え、お坊さんにとっては無作法で失礼に値することだったのかと反省するところはあります。 しかしながらお通夜にも関わらず高齢の親族へ声を荒げられたお坊さんに対し、憤りを感じてしまったのも事実です。 故人である父はこういう場面だと「皆さん足元気ぃ付けておいでください。」と親族を気遣うような人です。その父に背を向け親族を怒ったことが許せませんし、父の通夜を、列席していただいた皆様の思いを侮辱されたような気分です。 何より喪主である母が「こんなことになってお父さんに申し訳ない」と落ち込んでいるのが辛いです。 いまだに気にしてしまっていること自体、父に失礼なような気もしますし、それよりも父を思う気持ちが大事だということは分かってはいますが、この出来事がなかなか頭から離れません。 我が家はお坊さんのお寺の檀家で、これまでも長く付き合いがあり、これからも顔を合わせることはあると思います。 どうやったら落ち込む母を励まし、またこの出来事を乗り越えて、今後もお坊さんとわだかまりなく付き合えるのでしょうか。
はじめまして。 一昨年年末、昨年年始と立て続けに母方の祖父母がなくなりました。 祖父母は信じている宗教が特別ないようでしたが、毎晩必ずお仏壇に手を合わせている人だったのでお仏壇から宗教を特定し(浄土真宗 西本願寺派でした)、お坊様の派遣サイトでそちらのお坊様を探して来ていただきお式を祖父母宅近くの神奈川であげました。 その際、お墓(祖父が建てたものです)が九州と遠方だったことと母がしばらくここに置いておきたいと言った為、本日までお骨を自宅に保管し手を合わせてきました。(すぐ納骨しなかったのはマナー違反かもしれませんが…) しかし先月で祖父母ともに一周忌を迎え、そろそろ納骨しに行こうか、となりました。 そこでお聞きしたいことが2点あります。 1、お骨の運び方はどうしたら一番ベターでしょうか 納骨には私(20代)と母で行きますが、母は足が悪く、私が2人分持つことになると思います。これがなかなか大変そうなのです。 ゆうパックで送ることができるらしく、正直気持ちに抵抗があるのですが母の事や私ひとりだと丁寧に運べないことを考えるとそちらの方がいいのかな?とも思います。 また必ず今のままの大きさの骨壷で運ばなければならないのでしょうか? 2、納骨の際はお坊様にお経をあげてもらわなければなりませんか 派遣でお呼びしたお坊様は神奈川県内に住まれている方で九州までお呼びするのは難しそうです。 お坊様は必ず納骨の際はいらっしゃらなければならないでしょうか。 お墓のある霊園は市営のもので、私は九州に縁のあるお寺様はいらっしゃいません。 不勉強なもので、言葉づかい等誤用があるかもしれませんが、本当に困っておりまして、お知恵を授かれますと嬉しいです。
真言宗の僧侶になりたいと強く思っている方がおります。 元々幼い頃から仏の道に触れ、家に神棚があり御大師さまなどを祀っていたり、お経を唱えたりなどされている方です。 ですが、身体の一部に刺青(獅子)が入っているため僧侶になれないのではないかと、心配しております。 刺青があっても本気で仏道を進みたいと思っていれば師を取らせて頂き、仏道を学び僧侶になることは可能なのでしょうか? 回答よろしくお願い致します。
私はお坊さんのお葬式でお経を唱えたり仏様の前で修業したり、滝業、座禅をしているイメージです。これを毎日している事でしょうか? 1、お坊さんは運動はするのでしょうか? 2、お坊さんは暇な時はゴロゴロしているのでしょうか? 3、お坊さんはスーパーやコンビニ等で買い物はするのでしょうか? 4、お坊さんは車の免許は持っているのでしょうか? 5、料理は自分で作ってるのでしょうか? 色々と気になるので質問しました。
最近気がついてびっくりした事があります 私のお家は曹洞宗で 毎朝うちのばあちゃんは お仏壇に手を合わせ般若心経を唱えてます。 ふと、お世話になってるお寺って どこなのかと思いばあちゃんに聞き そこのお寺を調べたところ 檀家になっているお寺さんが 違う宗派の浄土真宗でした 法要の時もお経が違うだろうに これって良いのか…?と思ってしまいました。 問題無いのですか?
家は代々浄土真宗の信仰をしておりました。しかし、 祖母の代で新興宗教に騙されて入信してしまいました。 それから30年ほど信仰しているようです。 元々、仏壇にあった浄土真宗のものは全て取り払われ 今では新興宗教のものだけになっております。また、 私もその新興宗教に強制的に連れて行かれています。 私は家の信仰を浄土真宗に戻したいと思っているのですが、 そんな私にできることは何でしょうか? お知恵を拝借できれば幸いです。また、毎日隠れながらですが 正信偈と阿弥陀経と念仏を自分の部屋で唱えさせていただいて おります。
仏教の世界観について調べていてWikipediaの三界のページを読んだのですが、そこに書いてあった游空天(游虚空天)の日月星宿天というのが気になって調べてみたのですが、情報が見つからず質問しました。 ちなみにWikipediaの出典には『正法念処経(中国語版)』卷第二十二、『三界安立圖』、『阿毘達磨大毘婆沙論』ほか。と書いてありました。 これらの解説本などご存知でしたら教えていただけると有り難いです。
高校生です。 最近、具体的な進路として、僧侶になることを志望しています。仏教系の大学に進学したいと考えています。 僕は、般若心経の教えに感動し、観音経には苦しかったときに救われました。みんなが幸せになれるようこの仏教の教えを広めたい!と考え、僧侶を目指しています。 そこで質問なのですが、僧侶のあるべき姿はどのようなものが挙げられるでしょうか。 上記の質問以外にも、いろいろ教えていただけるとありがたいです。
東京もしくは埼玉でお墓を作りたいと思っております。 先祖と育ての叔母の遺骨です。 (以前あった墓を管理していた寺院がヤクザ関係者の運営になり、墓じまいしてから実家にて遺骨を管理しています) きちんと定期的にお経をあげてくださり、維持・管理費が良心的な寺院を探しています。 宗派への拘りはありませんが、心の広い、真摯にご自身の信仰に向き合っておられるご住職が居られるお寺を希望します。 良きアドバイス、情報をよろしくお願いします。
娘を亡くし、もうすぐ1年です。 今は朝と夜に仏壇に手を合わせて、仏様に「娘をお願いします」と伝え、娘にお話をしています。 仏壇には綺麗なお花とお供え物をいつも欠かさないようにしています。 仏壇のお手入れも小まめにやっています。 そして月命日にはお坊様にお経を読んでいただいてます。 遺骨はまだ手放せず、お墓には入れていません。 いつでも娘の顔を見れるように、家のすべての部屋に娘の写真を飾っています。 他に私が娘のためにできることはありますか?
父が亡くなり葬儀社の紹介で、あるお寺の僧侶にお任せすることになりました。 四十九日も、一周忌も供養をしていただきましたが、高齢のためか(90歳近い?)お経も休憩を入れながら長時間にわたり、その後の法話(お説教)も同じことを何度も繰り返し、世間への愚痴や他の宗教への悪口を言われるので、聞くのがいやなのです。 途中でお断りして帰ったらいけませんか?早く二代目の僧侶に代わらないかと願っているのですが。
お寺の小僧さんの生活について教えてください。 得度前の小僧さんは、どのような生活をされているのでしょうか。 下座行とはお掃除以外にもありますか。 朝の勤行などお坊さんのお勤めは、得度してからですか? ごはんの前にお経を唱えたりとか、夜もまたお勤めしたりとかあるのでしょうか。 得度前、あるいは得度後(一人前になる前)の小僧さんの暮らしについて知りたいです。 どうぞよろしくおねがいします。
68歳男性です。お墓と仏壇を新調しました。両親は亡くなり、墓と仏壇は亡兄の妻(私にとっては義姉)が世話をしています。 このたび、自分の墓と仏壇を新調するあたり、近くのお寺(日蓮宗)に開眼をしていただきました。 これからは、お盆の棚経と新年の御札をお願いしてあります。 お尋ねしたいのは、お布施をおいくらぐらいすればいいのかということです。 因みに、開眼は、それぞれ30,000円ずつでした。 どう決めていいのかわからないので困っています。よろしくお願いいたします。 以上です。
宮城県仙台市に住んでおります。 普段、、写経、写仏、読経をします。 読経は真言宗、曹洞宗門で唱えるお経が中心です。 以前、東京に住んでまして、あるお寺で朝と夕に勤行をする際に一般の方も気軽に参加してくださいという寺があり、時間が許す時、参加していました。 今回、転勤で仙台に来ました。 近くのお寺で読経する会がありましたら、参加したいと思います。 宜しくお願いします。