昨日老人ホームでお世話になってる祖母が入院したと実家から連絡がきました。 医者の話では肺炎と心不全があり、1週間くらいだろと言われたらしいのです。 本来であれば参列したいのですが、この状況下無理との事でした。田舎なものでオンライン葬儀なるものもまだ普及していません。 そこで行けなくともできることはできますか? 今私が考えておりますのは、宗派は違えど近所、または景色の良いお寺をお参りして回るということを考えておりますが、大丈夫でしょうか?もちろん密を避けて自動車移動ですが、 何かいい方法があったら教えてください。
郊外の一軒家から、市内のマンションに移り住みました。これまでのお仏壇から、小型のマンション向けお仏壇に替えようと思います。 これまでのお仏壇はいかが致したら宜しいか、それにつきまして、ご教示頂ければ幸いに存じます。 菩提寺はございません。 宗派は、曹洞宗かと思います。 ご本尊は、お釈迦様です。 位牌は3基です。祖母と父、母です。 それに経緯は分かりませんが、仮位牌が2つございます。 どうぞ宜しくお願い申し上げます。
最近両親と話をしていて、その時が来たら樹木葬にしてくれと話がありました。 一般的にお墓というと、墓石があって家族が皆同じ墓に入るというイメージがあるのですが、樹木葬というのは宗派にもよるとは思いますが仏教的には問題はないものなのでしょうか? また近年位牌のみを建物内に預けて、お墓参り?のような時に、位牌が部屋の中に運ばれてくるという形を取る事もあるようなのですが、そういう形は亡くなった方に対して失礼にはならないのでしょうか?
既にあるお仏壇に、お軸を後からご安置するのですが、 詳しい場所を教えてください。 ご本尊は阿弥陀如来様の仏像です。 左右両脇の二枚のお軸は、仏様と並行にご安置しますか? もしくは説明が難しいのですが、 仏壇の左右の壁面でしょうか? お仏壇を購入した際に宗派によって違うように聞いたのですが、 ネットではなかなかご安置の仕方まで見つからず、 どうぞよろしくお願いします。
去年の1、5月に母父親が亡くなりました。生活保護世帯且つコロナ禍だったのでお経も無しの焼くだけのものだったので一周忌位はお経をあげさせたいと考えております。 が、私には親戚、身内もいないのでお墓も仏壇もなくお骨だけ箪笥の上に置いてたまに好きだったどら焼きやお団子を供える程度です。なので来てもらっても誰も居ないので母の一周忌と父も兼ねてお経だけでいいのでお寺であげて頂きたいのです。 こんな事可能でしょうか?宗派も何もわかりません。何卒アドバイスをお願い致します。
父が亡くなり、49日の法要と納骨まで済ませました。宗派は曹洞宗です。 その後遺品整理をした際に生前に付けていただいたと思われる戒名を二つも発見しました。 これらは別の曹洞宗のお寺に無料で授けて頂いたようです。 その事は全く知らず、亡くなった際に葬儀、納骨式をお願いしたお寺で戒名も付けていただき、位牌もあります。 つまり父一人に戒名が三つもある状態ですが、 後から知った二つの戒名はどのようにしたら良いのでしょうか?(そのままで良いのか、お焚き上げ等の供養をして頂くなど) よろしくお願いいたします。
臨済宗で、修行の途中です。 師僧から、自分の修行の方向は自分で決めなさいと、言われています。 そこで、日本の臨済について色々と調べてみたところ、開祖の栄西師は、比叡山で天台教学を学んでいたことを知りました。日本仏教の母とも言われているそうですね。 わたしも臨済の座禅を学びつつ、天台教学を学んでみたいのですが、この方向性で、間違っていないですよね。 ラッキーなことに天台の尼さんになりたい人のお勉強会を聴講してもよいことになりそうです。 他宗派を学んだため、破門!と、言うことはないですよね。 ちょっとビクビクしています。
どうか、カテゴリーに、“寺族”を、お願い出来ないでしょうか… 各宗派や地域などで様々な呼称や事情で、一括には出来ないとは思いますが… 寺院へ嫁がれる一般家庭出身の方の質問も拝見しました。 裏仕事の立場や事情にも御興味頂きたいですが、公の立場としての見解にも興味があります。 時代の流れか口伝で伝わり難くなった寺院経営の糧として… どうかよろしくお願い致します。
順観と逆観について調べていると、逆観について二種類の解釈の仕方が有って非常に混乱します。 一つは、「無明が滅すれば、行が滅する...生が滅すれば、老死が滅する」という上から下へ降る否定の形式です。 もう一つが「老死が滅すれば、生が滅する...行が滅すれば、無明が滅する」といった逆に下から上に昇る否定の形式です。 これらの解釈は宗派によって分かれているものなのでしょうか? また、二つの言い回しの違いは、それぞれどのような意味が有るのでしょうか? 何卒お坊さま方の智慧をお借りしたく存じ上げます。
本来は四十九日法要は四十九日前に行うことだと思いますが、過ぎて行うということはあり得ないことですよね? 祖母の四十九日法要を、四十九日を過ぎた日にちで連絡が来ました。 叔父がきめたようですが、本来はダメなんじゃないかと悶々としております。 四十九日を過ぎて行う場合の注意点と何か他にやらなくてはいけないこととかありましたら教えて下さい。 宗派は、浄土真宗です。
いつもご相談にのって頂きましてありがとうございます。 母親の仏壇にお供えするお水なんですが、兄が二リットルの美味しい水を買ってきて器にいれて供えてます。 わざわざ買ってきてまで、水道の水で充分だと喧嘩したんですけど、正直飲む訳でもなくお供えの為にだけに買ってきてます。 水道の水で充分ですよね。 いや、美味しい水の方が故人様も喜んでらっしゃいますよ❗とかありますか? ちなみに宗派は浄土宗です。
5戒 十善戒を 守り 悪を反省し 善を行うことを 心がけ 生きることを目指す。自分をしり 人を救う知恵や 正しい正しさをしる。 そのために 宗派を変えたら お祖師様は 罰をあたえますか? 退転者 破戒 謗法は 地獄だという題目を送られているということに しばらく がまんすれば 慣れるし 無視できますよね。 それに 相手も 他に 折伏にいってくれますよね。時々 思い出しても 大丈夫ですよね。 お祖師様や お釈迦様は 罰は あたえませんよね。
認識不足でお恥ずかしいのですが、よろしくお願いいたします。 豊川稲荷にて「身代わり地蔵尊」の小さな仏像の購入を検討しています。 購入するにあたっての注意点や、自宅でのお祀りの仕方、拝み方の作法などをお教えていただけないでしょうか。 自宅に仏壇はありますが、宗派も違いますし、できれば自室にお祀りして、毎日拝みたいと考えています。 しかし部屋が狭いためあまりスペースがとれません。 枕元の棚に布を敷き、仏像だけ置くというのは、お地蔵様に対して失礼でしょうか。 また、インターネットで「開眼法要」という儀式を知りましたが、お守りなどと一緒に販売されている、小さな仏像の場合も必ず必要になるのでしょうか?
最近、仏教に興味が湧き、手始めに仏教関連で気になった言葉などを調べています。宗派などの考え方の差異にはまだ触れられてません。 仏教関連の言葉を調べている中で度々目にする「涅槃」と「浄土」、どちらも煩悩から解き放たれた悟りの先のように捉えているのですが、その2つにもそれぞれ種類があって意味が違うという話を耳にしてなんだかわからなくなってきました。涅槃と浄土が意味合い的に少し違うことは何となく理解しているのですが...。 涅槃と浄土にはどういった違いがあるのでしょうか?また、浄土に行くことと解脱するのことはイコールで結ばれないのでしょうか?
母の仏壇を閉眼供養する事になりました。 宗派は真宗大谷派 東本願寺です。 用意するものは、お花、お供え物、線香、ロウソク、のみでしょうか? ごはん、お餅などは用意しなくてもよいでしょうか? 閉眼供養の際、お坊さんがお経を唱えている間何を祈りながら聞いていればよいのでしょうか。 母が今幸せに過ごしていてほしいのでそう思いながら拝めば良いでしょうか? よろしくお願いいたします。
こんにちは。お坊さんの妻帯について質問です。 よく日本のお坊さんの妻帯が「堕落」として批判されることが ありますが、妻帯は堕落と言えるほどの問題なのでしょうか? 日本仏教に限らず韓国やチベット、ネパールにもお坊さんの 妻帯を認める宗派はありますし、 タイでは「男性は一生に一度は出家する」という慣習に従って、 既婚者でも出家することが少なくないそうなので、 「妻帯」=「堕落」としてしまうのは早計ではないかと思います。
ご縁がありまして、毘沙門様のお札を頂きました。 私は浄土宗の檀家なので、天部尊のお札は仏壇とは別に、隣の大黒様の祭壇に一緒にお祀りしております。 そこのお札は主に、真言宗や天台宗、曹洞宗のお札なのですが、そこに日蓮宗のお札も一緒にお祀りして問題は無いでしょうか? 「毘沙門様の視点から見れば、宗派の違いは無い」との解釈で問題無いでしょうか? お坊さまがたのご意見を伺えましたら幸いです。
できれば全ての宗派のお坊さんに聞きたいのですが、仏教ではどんな人が地獄に落ちるとかんがえられているのでしょうか? 以前の質問を見ていただきたいのですが、私は自転車で危険な運転をしたり、父を突き倒したりしたわけで、その時「相手が死んでしまってもいいや」と考えていたかもしれないわけですから、自分のことを人殺しかもしれないと思っています。 そんな私はやはり地獄行きなのでしょうか? また、地獄へ行くのを回避するにはどんなことをすれば良いのでしょうか?
私は将来、浄土宗のお坊さんになりたいと思っています。勿論、“修行”する覚悟は有ります。 しかし、浄土宗では、修行はどの位の厳しさなのかは分かりません。禅宗や日蓮宗よりは厳しくないと聞いた事は有るのですが、やはり、仏教は修行有りきなので、浄土宗も厳しいとは思うのですが、どの程度の厳しさなのでしょうか。他宗派の様に、滝行や施餓鬼等もするのでしょうか。 これを御覧になって下さっているお坊様、教えて下さい。どうか、宜しくお願い致します。
今、金曜ロードショーでゲド戦記を見てるんですが、その中で出てくる『テルーの唄』は心がテーマなのかなと思いました。 そこでふと思ったのですが、心といえば仏教、主に禅宗系が特に扱っている概念だなぁと思いました。そこで、この歌を仏教的に解釈するとどうなるのかなと思いまして、皆様の智慧をお借りしたいと思い、質問しました。 禅宗の方に限らず、様々な宗派の方々からの沢山のご見解をお願いしたい次第です。よろしくお願いいたします。