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問答一覧
検索結果: 6919件

どうしてお坊さまになったのですか?

相談ではなく、単純な質問ですみません。 しかしとても気になります。 私は現在職を探して3ヶ月になろうとしている20代です。 履歴書や面接の準備のときに必ず用意するものの中で、「志望動機」というものがありますが、 私はこの「志望動機」が苦手で、つまずいて応募も躊躇してしまうこともあります。 その為、この3ヶ月は道行く働いてる人へ 「ねえ、あなたはどうしてその会社に入ったの。なんて理由で応募したの。」 心の中でめちゃめちゃ問いかける毎日です。 半分くらいは知識欲なのですが… そんな時、「お坊さん」という、あまり私の身近にはいない方々に質問相談ができるというこちらのサイトを見つけました。 しかも真摯に、丁寧に、おそらく正直に回答してくださっているご様子。 私、今、喜んで質問させていただきます。 「なぜ、『お坊さん』という道を選んだのですか?」 欲張りで申し訳ありませんが、もし差し支えなければ、 「お坊さんになる前はどんな事をしていましたか?」 という疑問にも答えていただけると嬉しいです。 まとまりのない文章で、他の誰かの為にもならなさそうな質問で大変申し訳ありませんが、どうかこの個人的な疑問にお答えください。 よろしくお願いします。

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回答でとても傷ついてしまいました

以前愛猫が立て続けに亡くなって思いの丈をhasunohaにぶつけさせていただきました。 心救われるような回答もいただきましたが、心を抉るような回答もいただきました。 私が悼むという意味を知らないから、あの子達は化け猫の類になってしまうとか、 猫は畜生で知能が低いから事故に会いやすいのだとか。 私のせいで、あの子達は化け猫にまで堕ちてしまうのでしょうか。 あの子達の命は畜生だと軽んじられてしまうのでしょうか。 私のせいで、私のせいで、私のせいで。 私のせいであの子達は化け猫になってしまう。 猫に産まれたばかりに畜生だと軽んじられてしまう。 とても悲しいです。悔しいです。虚しいです。 釈尊は全ての生き物は幸せであれと説かれたのに。 仏様、優しかったあの子達を化け猫などにしないでください。どうかお救いください。私の全ての幸福と引き換えでも構いません。 全ては私が悪いのです。私が愚かなばかりに、あの子達を物の怪の類になどしないでください。 どうかお救いください。どうか。どうか。 仏様、どうかあの子達が畜生だからとお見捨てにならないでください。どうかあの子達を極楽にお導きください。それだけが私の願いです。どうかお導きください。お見捨てにならないでください。 しかしどれだけ祈っても私の耳には仏様のお声は聞こえません。 こんな事を考える時は涙が止まりません。

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法要の際に法話をしていただけない

主人が亡くなり2年が過ぎました。 それまでお寺とはご縁が無かった上、いきなりの事で選択する余裕など無かった為、紹介されたお寺の檀家となりました。 葬儀を引き受けていただく際に檀家になる事が条件で、断れない状況でした。 今まで親戚や知人の葬儀に参列した事が何度もあり、通や・葬儀・初七日法要・初盆など、必ずお経の後、ひと言ふた事有難いお話をしてくださり、心が和んだものでした。 しかしながら、主人の通やから、三回忌法要まで、一度も法話らしきものがなく、お経が終わるとサッサと帰られます。 私ひとりの時は構わないのですが、沢山参列してもらった時には、違和感を感じております。 40代のご住職なので、お若いわけではありませんし、お布施も少し大目にしているつもりです。 臨済宗ですが、全く法話をしない宗派があるのでしょうか。 また先日の三回忌に、数珠なしでお経を唱えておられる事に気付きました。 大事な法要ですのに、ショックです。 聞くのは遠慮しましたが、きちんと供養になったのか心配です。 今までの立ち振る舞いや葬儀社からの印象など、仏に仕えている立派なイメージがなく、尊敬できません。 主人にも申し訳なく、檀家をやめたいくらいですが、簡単にいかないでしょうし悩んでおります。

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仏教の今後

仏教は日本人の死生観に深く根を下ろして文化として素晴らしいものがあると思います。 しかし、こんな歳になるまで不勉強で恥ずかしいのですが、大乗非仏説を初めて知りました。 そして原始仏教と日本の仏教はかなり異なる事、律蔵があまり重視されなかったので、日本の僧侶は在家と変わらない事を知りました。 よく、キリスト教徒が進化論や地動説を信じないのを不思議に思ってきましたが、日本の仏教は実は(全てではないでしょうが)偽経だったと分かってどのように折り合いをつけているんでしょうか? 釈尊は口伝でしか伝えなかったから、全ての経蔵は直説でないとか、全て仏の御心から方便として出た物だとか、あまりに苦しい言い訳に見えます。また鰯の頭も信心からと言いますが、信心とは受け容れる事から始まるから信心はそこを問題にしないと言うのもそこに身を捧げる者としては辛い選択ではないでしょうか。 大乗非仏説は新しい概念ではないですが、時代を経るに従って消えることもないでしょう。今後、このまま伝統を重んじて変わらない事を良しとしていくのか、それとも時代と共に新しい研究成果を反映して変化していくのか、どのように考えられてますか?

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