いつもの事なのですが不安を吐き出させてください。 今、隣国の語学を趣味として勉強しています。楽しく勉強していたのですが、インターネットで調べていくうちにその国の怖い部分というか、闇の部分が検索に上がってしまい、見ているうちにその国を怖いと思うようになってしまいました。その国の人達は日本にたくさんいますし、軍事力を強化していて領土を広るとも公言していますし、今の日本の政治力を見ていても、この先の未来が怖くなってしまってしまいました。 その国のすべての人がそうじゃないし、他の国も関わってくるので、心配し過ぎだと思うのですが、その国の人に日本は遅れている、平和ボケをしてると言われて、とても不安になってしまいました。 戦争にならなくても、その国の人達がたくさん日本に来ればこの国が荒れてしまう気がします。 不安が強くなっています。どうしたら気持ちをなだめて、冷静になれますか? よろしくお願いします。
私の家は浄土宗の檀家です。 浄土宗(浄土真宗も同じだと思います)では、「ただ南無阿弥陀仏を唱えれば、臨終に際して阿弥陀様が現れて浄土に連れて行ってくださり、そこで悟りをひらいて救われる」という思想だと理解しております。 しかし、どうしても心の中にもやもやが残ってしまいます。 といいますのは、「南無阿弥陀仏を唱えれば浄土に連れて行ってもらえ、悟りをひらける(=救われる)」というのを裏を返せば、「南無阿弥陀仏を唱えない人は悟りをひらけない(=救われない)」ということになってしまわないかと思うのです。 「自分に帰依しないもの、信じないものは救わない」などと、阿弥陀様はおっしゃるようには思えないのです。そんな心の狭い方ではないと思うのです。 おそらく「信じるものは救われる、でも信じてない人も救ってあげるよ」とおっしゃると思うのですが、ではそうなると「南無阿弥陀仏」をお唱えするのに果たして意味があるのかどうか、唱えても唱えなくても救われるのであれば、なぜ「南無阿弥陀仏を唱えると良い」とされているのかという疑問がわいてきます。 つまり 「南無阿弥陀仏を唱えないと救われない」→阿弥陀様はそんな心の狭い方だろうか? 「南無阿弥陀仏を唱えなくても救われる」→じゃあなぜ南無阿弥陀仏を唱える必要があるのか? という板ばさみといいますか、ジレンマに陥った気分になるのです。 これについて、お坊さんの見解をお聞きしたく、よろしくお願いします。