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hasunoha 問答検索結果 : 「 生きる 死にたい」
検索結果: 9983件

何か一つ人に誇れる事・自分らしさ

私は今までなんとなく生きてきました。なんとなく生きてきても何も思いませんでした。 しかし、最近(といっても半年前ですが)こんな人生でいいのかと感じるようになりました。 私は音楽が好きで、聞くのも、演奏するのもすきなのですが、ある日音楽を聴いていると、何か一つでもだれにも負けないものを持っておけ、といったような歌詞がありました。 私は今まで、なんとなく生きてきて、そんな事一つも考えた事がありませんでした。 大学の願書にも自分の特技を書く欄があり、その時は「楽器を演奏すること」、と書きました。しかし、大学に入り、より広い社会に出ると、やはり楽器を演奏することに対し、上には上がいて、どうしても越えられない壁がありました。その度に私は自信をなくし、本当に自分の特技なのか、人より誇れる事なのかと思ってしまうのです。 そう考えてしまうと、どんどん悪い方にばかり考えてしまい、自信がなくなります。 楽器を演奏することを生業としたいわけではないです。ただ、何か特技があっても上には上がいてそれを特技と呼べなくなってしまうのではないかと考えてしまう事にとても悲しくなってしまいます。 他の人にすごい人がいるから自分は必要とされないんだ、と思ってしまいます。 自分らしさってなんでしょうか、それが例えば何か一つ人に誇れるものであったならば、それを見つけるためにはどのようなことに気をつけていけばいいでしょうか?また、どのような考え方をしたら良いのでしょうか?教えてください。

有り難し有り難し 72
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命に不公平さが生じる理由が知りたいです

はじめて投稿します。 僕は世の中の理不尽さが心底嫌で仕方ありません。 子供に対する虐待のニュースを見るたびに、本来ならその子にあるべき楽しみや訪れたはずの幸せを、なぜ奪われて中には命まで奪われなくてはならないのかと悲しいです。 動物の殺処分や虐待もです。この世に生まれてきた…ただそれだけの事なのに殺されたり、人と仲良くしたがるあの子たちに対して虐待する。 人間の子供も動物たちも「なんでそんな事するの?いじめないで」と、たとえ一瞬でもそんな悲しい気持ちになったのかと想像しただけで、泣くほど悲しいです。 なのに自分も含め、救えるのに救わない、世の中を変える努力も特にしない、きっとそんな人が大半を占めていて、一部では悪事を働き私服を肥やし思うままに生きています。 同じ命なのに、どうしてこの様な不公平が起こるのでしょうか?単なる運でしょうか? あるいは幸せになる為に生まれた者と、一方前世のツケか何かで苦行の為に生まれて者との違いとか、そういう事なのでしょうか? 特に自殺願望などありませんが、この命と引き換えに子供や動物が助かればどんなに良いかと思っています。

有り難し有り難し 59
回答数回答 3

お礼を言わせてください。

以前2回に渡り質問させていただいた者です。簡単に過去の質問を振り返ると「たくさんの人に迷惑をかけてしまったり傷つけたりしてしまったことへの罪悪感に捉われたりしてしまう」という内容でした。 返答でいただいた「今、どうあるかが大事。過ちを犯したことのない人はいない。そこから何を学ぶか」という言葉に救われた気がしたのです。 正直今でも本当に自分が今の仕事や周りの素敵な人たちとの関わりを続けていいのか、悩む時もあります。「こんな自分が」とよぎる瞬間もあります。 それでも、結果として今自分はここにいて、自分の人生を生きている。 であるなら、過去の過ちを反省し二度としないと心に誓いながら目の前の人たちに誠心誠意向き合っていくしかないのかなと考えるようになりました。迷惑をかけた方や傷つけてしまった方からしたら開き直りに聞こえるかもしれませんが、「あの経験から学び反省して今がある」と思えるようになりたいです。 これもまた自分の気休めに過ぎないかもしれませんが、毎朝両親がかつて購入してくれたお守りを握り「今日一日正しい行いができますように。私の過ちで迷惑をかけてしまったり傷つけたりしてしまった方が少しでも幸せになりますように」と祈る習慣を続けています。 こちらのサイトに勇気を出して書き込んだおかげで大切なことを学び、そして少しずつ自分と向き合えるようになった気がします。時間が戻らない以上、これからの数十年の人生を通じてたくさんの人の為になることをしたいと思います。 手前勝手ですが、もしよろしければこんな未熟者の私の背中を押し、何かアドバイス等があればお言葉を賜りたいです。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 11
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『ウエルパス』を飲む

速乾性擦式手指消毒剤『ウエルパス』。 多くの病院で使用されている強力な消毒剤「(一般的に言うと)消毒用アルコール」の1つです。 数年前、私は、その『ウエルパス』無意識なのか意識的になのか不明ですが、ゴクンゴクンと飲んでしまいました。睡眠薬を服用して、ちょっと意識が朦朧としている時でした。 あまりの強刺激に、脳がパーンと弾け、また喉が焼けるような感覚で目が覚めました。 たくさんの精神科の薬を服用していましたので、掛かり付けの「薬剤師」に電話し、「どうしたら良いでしょうか」と訊ねると、「息が出来なくなるかも知れないので、まずはご両親を起こして、直ぐに病院に行って下さい」とのこと。 言われた通り、両親を起こし、引き受けてくれる病院を探しましたが…状況が状況だけに「うちでは無理です」と何度も断られました。そのうち、ある1つの病院だけが、「こちらまで来られますか?」と言ってくれました。日本一「断らない救急」でとても有名な病院です。 到着して直ぐに検査等が始まり、検査結果が出るまでの待ち時間に、診察して下さった救急医に呼ばれました。「自殺ですか?誤飲ですか?」と聞かれ…「分かりません」と言うと、「誤飲なら事故なので、体調診て帰ってもらえますが、自殺なら事件なので家には帰れません」と言われましたので…「確かに、睡眠薬を飲む前は、自殺したいと頭が混乱していました。でも、寝よう!と思って睡眠薬を飲んで起きたことなので、誤飲と思いたいです」と答えました。 まぁまぁ、診察開始から時間が経つにつれ、奇跡的に徐々に体調が回復してきましたし、「誤飲」だと答えたこと、あと、掛かり付けの精神科を必ず受診することを条件に、家に帰してもらいました。 普通の、飲むアルコール(お酒)は、アルコール度数が低いですし、高いウオッカ等でも、精々50%ほど。私が飲んだ医療用の消毒用アルコールは、100%ではありませんが、90%越えの「強烈なアルコール」です。 治療のお陰で体調が回復してきて、家に帰る頃には、ただの「酔っぱらい」になっていました。 それ以降、『ウエルパス』の部屋への持ち込みは禁止しています。「誤飲」も「自殺」も防ぐ為にです。 普段は、努めて元気にポジティブに振る舞っていますが、私にも「闇」があります。皆それぞれに「闇」を抱えて生きているのではないでしょうか? お坊さまの心の中にも「闇」はありますか?

有り難し有り難し 29
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自由葬で送った父への供養の仕方

つい先日、父が心不全で突然亡くなりました。 最後に会ったのは5年前で、あるきっかけで父のことを遠ざけてしまい、会うことも、電話で会話することもなく、LINEがきても無視したり、こちらの用件のみ連絡するだけでした。 父のことを許せなかった気持ちと、本当は大好きだった気持ちが入り混じりとても辛いです。 葬儀に関してですが、父の経済状況が良くなかったので、母が最低限の事で良いと決めてしまい、親戚も呼ばず家族だけで火葬のみで、お坊さんにお経を読んでもらう事もなく骨になりました。 49日後は地元大阪にある一心寺に納骨をするようです。永代供養はしないとのことです。色々と調べてはいますが何が正しいかわかりません。 小さい頃はお父さんが死ぬ事が1番こわかったので父に伝えると、人は死んだら天女様と蓮に乗ったお釈迦様が迎えにきてくれるという話や輪廻転生の話を何度も聞きました。(うろ覚えなので間違っていたらすみません。) 母に確認すると父に宗派は無いと言っているので、どのように供養して良いかわかりません。家族はしなくても私は私なりに父の為に何かしてあげたいのですが、宗派がわからない為、どのようなお経を読んであげればいいのか分からないし、いくつ線香を立てるのかも分からないし、私の心の整理のためにもお坊さんの説法を聞きたいのですが、どこに行けばいいかもわかりません。 骨になってから一度も線香もあげずロウソクも炊いていないし、父が可哀想でずっと泣けてきます。 仏教のことや供養の仕方が分からず、どのように過ごせばいいのかわかりません。 取り乱した文章ですみません。何か教えていただけたらうれしいです。

有り難し有り難し 21
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介護終了後の道を見つけた気がします

先月は半分くらい寝込んでおりました。よくもこれだけ眠れるな、と自分でも思いましたが、「それだけ疲れて心身が眠りを必要としているんですよ」と看護師さんに言われて、安心して(?)眠りました。 わずかずつですが、起きていられる時間も長くなりました。 実は夏以来、天涯孤独で一人暮らしである方の相談相手をさせていただいています。遠方の方なので、メールと電話が主になりますが。その方が体調を崩されて、いろいろ困っておられたので、そのこともあって、私でわかる範囲のことをお伝えしたり調べたりもしました。 伊達に長く介護や持病と付き合っているわけではなくて、公的制度や医療的なことには多少詳しくなってしまいました。 私にできることはわずかですが、それでも「死にたい=助けて」というSOSに少しは対処ができたと思います。そして他人をサポートすることに懸命になっていると、自分のしんどさや辛さを忘れるのです。 思えば両親もよく人のために行動した人たちでした。二人が積んでくれた徳は今でも私を守ってくれています。ありがたいことです。 私は高校生の頃から30年以上長くパニック障害に悩まされていて、しかしながら、両親や弟のために走り回っているうちにパニックが治ってしまった経験があります。 母の介護を覚悟して決意した途端、病室で瞬時にして五十肩が治ってしまったこともあります。見えない誰かにとても応援されている気がします。 人のために行動することは巡り巡って帰ってくるという「恩送り」は本当だな、と思います。いつかは自分や子孫のためにも現在ご縁がある人たちのためにできる限りのことをしたいと思います。きっとそれは両親の本意であって、今後の課題だと思います。 自分のためには死ぬまで絵を描きたいという目標があるので、そちらも大切にしたいと思います。自利利他のバランスが取れるように、これからも充実した人生を全うできるように過したいと願います。 こちらでいただいたご好意はとても嬉しかったので、ひとことでもお礼を申し上げたいと思って投稿させていただきました。 本当にどうもありがとうございました。

有り難し有り難し 16
回答数回答 2