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hasunoha 問答検索結果 : 「 生きる どうしたらいい」
検索結果: 13606件

吃音症。自殺したいです。

高校二年生の庄子と申します。 私は生まれつき吃音症と言う障がいを持っています。 障がいと言っても以前までは少し言いにくい言葉があるだけでほとんど健常者と同じように話せていました。 しかし、半年前やっていたアルバイトで「いらっしゃいませ」と言えなくなったことにより話すことが異常に怖くなりました。 時間がたてば良くなるかと思っていましたが日に日に不安は悪化していて、最近は見ているアニメの台詞まで「この言葉は言いにくい」とか思ったり、自己紹介の場面でドキッとするようになってしまいました。 コンビニに行くだけでもレジで言葉がちゃんと出るかと毎回考えてしまいます。 映画館や博物館などに行くときも受付で喋らなくてはならないため、私はもう一生それらの施設に行けない気がします。 ですが、これから生きていく中で「自己紹介」をする機会は多くあると思います。 もし自分の名前が言えなかったら周りの人が不審に思う。周囲の視線、怪訝な顔、すべてが怖いです。 何をしてても言葉が出なくなる不安が付きまといます。 顔を洗っているとき、シャワーを浴びているとき、その上この前はみんなの前で言葉が出なくなる夢を見ました。 このまま一生吃音の不安が付きまとうならいっそ死んだ方がマシなんじゃないかと思います。進学しても就職しても吃音で自己紹介さえできないのでは生きていても仕方ない気がします。 これから先の私の人生、うまくいく気もまったくしません。 将来になんの希望もありません。 死にたいのに「死ぬのが怖い」「まだ10代なのに」という気持ちがどこかにあります。 かといって生きたくもないため、ただ不安を紛らわすために毎日のように自傷行為をしています。 病院には親が許してくれないため絶対に行けません。相談できる相手も一人もおらず八方塞がりです。 長文・乱文失礼しました。 お坊様の考えを教えていただきたいです。 回答よろしくお願いいたします。

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「蜘蛛の糸」について

私は、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」という作品が、昔からいろいろに解釈できて、ずっと不思議に思っていました。 最初に読んだとき(子どものとき)は、 ①カンダタは莫迦だなあ、自分ならきっと、みんなと力を合わせて、みんなで極楽にたどり着くのに と思った ちょっと時間がたって(思春期) ②どうせ私もカンダタと同じだろう、きっと誰でもエゴが勝ってチャンスをだめにしてしまうに違いない と思った またしばらくして(反抗期) ③お釈迦様って何様なんだ!(お釈迦様だけど。)教養もなく悪人として生きてきたカンダタを、カンダタが成功しそうにない極限状況で試すなんて。助ける気なんかもともとないじゃないか、この話に正解も救いもないじゃないか と思った また少しして(青年期) ④カンダタが蜘蛛の糸を見ても登ろうと思わないくらい達観していたら、もしくは落語の江戸っ子のように、「一度地獄に落ちた身分の自分が、いまさら蜘蛛の糸などにすがってたまるか」と居直っていたら、お釈迦様は確実にカンダタを助けていたのかも と思った そして今(中年期) ⑤芥川が絵本として子供向けに書いた以上、一周回って、①の子どもらしい慢心(カンダタを通した戒め)が作者の意図した一番素直な読ませ方なのでは とも思う そこで質問です。 カンダタが確実に極楽に上がるためには、どうすればよかったのでしょう。 回答者陣のお坊様方は、自分の仏教に関するすべての見識や体験をふまえたならば、助かりたいカンダタに何とアドバイスしますか? それともこれは、カンダタはどうやっても助からないというお話なのでしょうか? その他、この作品に対してどう解釈しますか?

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