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問答一覧
検索結果: 302件

死が怖いです。

死への恐怖について。 こんにちわ現在中学3年生の男子です。 まだまだ人生経験が浅いのに対してこんな事を言うのもあれなんですが、、、 いずれ自分にも必ず訪れる「死」がとても怖いのです。 この恐怖については色々なタイプな恐怖があるそうですが、自分の場合は「自我の喪失」など「永遠の無」への恐怖です。 まだまだ何も分からないのですが本来仏教では浄土も輪廻も釈迦は無記と称していると耳にしたことがあります。 とは言ってもまだ何の証明もされていないので死後がある可能性も0%ではないと思います。 まだこのように思い今後の人生を生きていけたら良いのですが、 「何時か科学で死後は永遠の無だと証明されてしまったらどうしよう。もしそうなってしまったのなら僕はもう生きていけない。」 と思うことがあります。 この原因は自分自身にあります。 死が怖いと言って、心の中だけで留めておいたら良かったもののネットで色々(科学や哲学など)調べてしまったりしたので、余計こういった恐怖が煽られてしまったのかもしれません。 つまり簡潔にまとめると ・永遠の無、自我の消失への恐怖 ・いつか科学などで死後が永遠の無だと証明されてしまうかもしれない恐怖 ・生きる意味がみつからない です。 長い文章になってしまって大変申し訳ございません。 そして質問はどうしたらこの恐怖を取り除くことができますか?です。 ご回答よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 66
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因果応報でしょうか。

こんばんは。お忙しい中お目を通していただき有り難う御座います。 自分の気持ちが分からず何度か質問をし消し、を繰り返してしまいました。見てくださったお坊さんがいらっしゃいましたら申し訳ありません。 ひとつ悩みを聞いていただけたらと思います。 もうすぐ30歳になる私ですが、幼少期なんの苦労もせずに生きてきました。それなり悩むこともありましたが今となっては笑い話です。 特に両親に恵まれておりました。両親が亡くなったら私も死のうと思っていたくらい両親が私の生きる意味でした。 しかし今年初めて両親よりも大切な人ができその人が寂しくないように長生きしようと生きる意味ができました。死後もその人と一緒にいたいと思える人です。すごくすごく素敵な人です。 その素敵な人の横にいて初めて今まで犯してきた罪がわかるようになりました。 私は家族や周囲の人に甘えすぎていました。犯罪になる罪も数え切れないほど犯してきました。そのことを振り返ると心が痛くて、いつか捕まるのではないかと不安にもなり、今後どんな因果応報が待っているのか怖くて消えたくなります。 しかし両親や彼は私が消えることは望んでいませんので、両親や彼が天寿を全うするまで両親や彼を私が幸せにすることが今、彼らにできる恩返しだと思っています。 また、振り返った際の心の痛みや、死後は彼らと一緒にいられないという辛さ等は私が受けるべき地獄だと思って受け止めながら生きていきます。 そして、今この地獄を受け止め、懺悔し、私にできる善を探し行っていくことで未来は変えられるのではないかと前向きに生きていきたいと考えていますが、犯罪者が前向きな考えを持つこともおこがましいことでしょうか? また、30歳にしてこんな当たり前のことに気付いてもやり直しはきかないのでしょうか?いまさら懺悔をしても過去傷つけてしまった人たちにはなにも届かないのでしょうか? 乱文失礼しました。 お時間のあるときにお返事をいただけたら幸いです。

有り難し有り難し 20
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葬式をあげてほしくない

死後の事についてご相談があります。 私は宗教という考え方やそれに基づいた慣習、イベント自体は好きですが、私自身が何かの宗教に属することは避けたいと思っています。 私の知る上では各々の宗教の考え方と私自身の観念が合うことが少ないからです。 ただし、宗教のパロディである空飛ぶスパゲッティ・モンスター教には共感いたしておりますので、自称するときはパスタファリアンを名乗っています。 そこで、私が死んだ後、葬式をあげてほしくないと思っています。 特に仏教式の葬式です。 なぜなら、戒名をいただいた時点で、仏教徒になってしまい、仏教という枠に囚われてしまうからです。 悟りも輪廻も御免被りたいです。 衛生的な観点からは火葬自体はしても構わないのですが、法律が許しませんが、できればその後はゴミ箱にでも捨ててもらって処分してもらいたいと思っています。 家族にそのことを話すと、死んだら終わりだから死後の事など心配するなと言われるのですが、そうではなく、私がそのくくりにとらわれてしまうことを決定づけられることが不服なのです。 死後の世界云々は信じておりませんが、生きているうちはそのことが囚われであり、心配であります。 ただ、信じずとも無いことの証明は極めて難しい以上、ある可能性は0ではないというのが論理であり、公理です。 (論理、公理とは数学上の意味です。) ですから、その0ではない可能性で、仏教の枠に入ることで、悟れなければ輪廻を繰り返してしまうという観念に囚われてしまっているのです。 ただし、重ねて申し上げますが、悟り自体は御免被ります。 渇愛は人間の人間たる、また、人間の動物たる所以と思います。 私は人間らしさを捨てたくはありません。 仏教に従事していらっしゃるお坊さま方には相容れない考え方かも知れませんが、これが私の中の公理です。 さて、これは私の考え方を変える努力をして見たほうが良いのでしょうか? それとも、家族を説得するようにしてみたほうが良いのでしょうか? 相談する相手を間違っているような気もしますが、意見を伺えるかもしれない機会を捨てることはないと思い、ご相談差し上げます。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 411
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13回忌について

兄がなくなり、13回忌の時期が迫っています。 兄は長患いの末、なくなりとても私の悲しみが深く、まさか亡くなるとは思っていませんでしたので、両親も未だに悲嘆にくれております。 今、段取りを組んでいるのですが、今までのようには、わけあって自宅でできず、法要する場所とお坊さんを探しています。 お坊さん探しもさることながら、段取りも場所が自宅でないのならどうして良いかわからす、困っております。 永年供養出来るよう、兄の死後、父の一家とは別に、自宅近くで急遽お寺さんに墓地、墓碑をつくり、3回忌、7回忌早く自宅でおこなっていました。 しかし、そのお寺の住職さんは3回忌では、従姉妹にアルバイトを持ちかけ、7回忌に至っては日にちを忘れてしまい、慌ててくるという始末で、その方にはもう二度と頼みたくないというのが私たち家族の本音です。 悲しみを理解してくれ、きちんと心を込めたお経をあげていただきたいのですが、法要だけを行う葬儀社は少なく、ましてお坊さんをどう探せば良いかわからず、非常に困っています。 具体的な提案と共に、どう考えれば良いでしょうか。兄の知り合い、親戚もの方も、少人数ながら来ていただきたいのです。 長々失礼いたしました🙇

有り難し有り難し 8
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長男からの質問です

ここ最近、7歳の長男が死や死後の世界、そして生まれ変わりについて聞いてきます。 僕はいつ死ぬの?ママは僕より先に死んじゃうの? 死にたくないなぁ。ママが死ぬのは嫌だ。 僕は死んだら地獄に行くの?地獄は針山とかマグマとかあって苦しいんだよね? どうしたら地獄に行かずにすむの? 僕は誰かの生まれ変わりなのかな? 僕になる前は別の人で、死んだら僕に生まれ変わって、でも前の事は覚えてない。どうしてだろう? 僕も死んだら別の人に生まれ変わるの? じゃあ幽霊は何でいるの? などです。 私はこういった事に詳しくないので、想像や人から聞いたなんとなくの記憶を繋ぎあわせて答えていますが、長男の疑問は解決しないようです。 長男が生まれた時、寝たきりだった長男の曾祖母に無事生まれた事を伝えた翌朝、曾祖母は亡くなりました。 不思議な事に次男の誕生日が曾祖母と曾祖父が同じということもあり、命のバトンの様なものはあるのではないかと思っています。 なのでみんな誰かの生まれ変わり、その前の記憶を持っていないのは今の自分の人生を生きるためだよ、警察に捕まるような悪い事をしなければ地獄には連れて行かれないから大丈夫、いつ死ぬかは誰にも分からないから死ぬのを考えるのはやめて楽しい事を考えよう、と話しているのですが間違っていますでしょうか? 長男にどのように伝えてあげたらよいでしょうか? それと、それでも気になるならお寺に行ってお坊さんに聞いてみようか!お坊さんはこういう事をよく知っているからきっと色々教えてくれるよ!と話したのですが、直接お寺さんに行って相談したことがなかったり、参拝目的ではなく相談目的でお寺さんに行くのは気が引けてしまったり、どこのお寺さんに行けばいいのか分からなかったりと、ハードルが高いです。 どういった手順をふめばお坊さんに会ってお話させて頂けるのでしょうか? 世間知らずで恥ずかしいのですが、教えて頂けたら幸いです。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 15
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地獄が怖くて仕方ないです

また、ご質問すいません。 前にアドバイスされた通り、祖父母の仏壇にお線香を供え、子供の頃のやらかしや失敗などを手を合わせながら「ごめんなさい」と謝ったりしました。 だけど、また自分の嫌な所ばかり思い出し今度は自分の死後の心配をするようになってきました。 まだ、二十代の小娘ですが、正直に言って地獄が怖いです。 子供の頃に子供特有の残酷さと好奇心で生き物を死なせたり世話をしないで死なせてしまった貰い物のカブト虫の事を思い出したり、謝れなかった事、嘘を付いたり間違いを犯したり人を馬鹿にしたり傷つけたり、悪口や心の中で悪態をつたいり、とんでもない事を考えたり、借りた物を返さなかったりと本当に悪い事をしてきたと思うようになったりしました こっぴどく叱られたり、私自身も嫌な思いをしたり物を返してもらえなかった事もありますし、人の役に立とうとしたり良い事もした事もあると思います。 でも、自分の悪い所を思い出しその後に地獄を思い出して怖くなってきました。 昔絵や絵本で見た地獄を本当に怖がり悪い事をしたら地獄に落とされるという事に怯えていた記憶があったと思うのに、でも、大きくなってそういった感覚が薄れていき人の死に対して無関心な部分が出てきたり地獄を題材としてを扱った漫画やアニメを見てもフィクションだと思って受け流す事もありましたが地獄に行った人が鬼に身体を斬られたり責め具を受けているのを見て怖くなって目を背けた事もあります。 それらを思い出し、また罪悪感が蘇り私が死んだ後に地獄に行く事になったら・・と考えたらとても怖くなり、しかも、本やネットでは相当長い年月を罰で苦しむと書かれていたので本当に怖いです。 正直に言って地獄に行きたくありません。むしろ幽霊になってずっと現世に留まっていた方がいいんじゃ・・でも、それはそれでどうなんだ?と思考がぐるぐるとまわりました。 自分勝手だと思いますが、生前の罪を償う為とはいえ死後も痛い思いや苦しい思いをするのが嫌でたまりません。 違う事も考えようとしましたが、結局また思い出して時に心の中で絶叫したり誰か助けてと思う事もありました。 楽しいと思える事も怖く感じる時もありこの思考を止めるには一体どうすればいいでしょうか?これらの事を思い出すのは何か意味があるのでしょうか? 地獄に落ちないようにするにはどうすればいいでしょうか?

有り難し有り難し 399
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