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検索結果: 3315件

無性に死にたくなります

はじめてこちらで質問をさせていただきます。 わたしは12歳の頃から死というものをよく意識するようになり、定期的に虚無感や死に対して憧れるようになり、今年29歳の年になりました。 両親健在で今の今まで不自由なく育てていただきました。社会人になり、一般的な生活は自身の給与で送れています。友人はとても少ないですし、恋人といえる人もいませんが、不自由はなく生きています。 ただ、無性に死にたくなります。 何故だか涙が出てくることが多々あります。 何故、人に嫌われ、迷惑をかけてまで働いて、生きていかなくてはならないのでしょうか。 何故、老後の生活を心配してまで、今お金を稼がなくてはならないのでしょうか。 何のために生きてるのでしょうか。 人並みなしあわせは感じられています。 でも、死んではいけない理由ではないと思います。 わたしが死ぬと悲しむ両親の顔は想像できます。が、わたしが死ぬことはいけないことなのでしょうか。両親には悲しんで欲しくないですが、わたしは消えてしまいたいです。 何故こんなに死に憧れるのかわかりません。 ただ、生きる意味というのがそもそもない気がしてなりません。 両親が亡くなったらすぐに死ねるのに、とさえ思うこともあります。 何故、生きているのか。 何故、死ぬことは悲しまれるのか。 何故、死んではいけないのか。 何故、死は魅力的なのか。 お考えを教えていただきたいです。

有り難し有り難し 9
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家族の死、自分の死が怖いです。

私は人は死んだら無になると思っています。しかし無になるということを考えるだけで怖いです。私たちに生まれる前の記憶がないように、その頃の状態になるのかな?などと考えてしまいます。 私がまだ幼稚園か小学生低学年だった頃、NHKのニュースを見ていて「北朝鮮と日本がいつか戦争になるかも。そしたら自分も家族も死んでしまうかも。」などと幼いながらに考えてしまい、死が怖くなって、夜な夜な布団の中で泣いてしまい怖くて朝まで眠れなくなってしまったことがありました。それから月日が経ち、死を考えすぎてしまうことは無くなりました。 しかし最近夜になると死を考えて泣いてしまい眠れなくなってしまうことが再び増えてきました。1度考え出すと怖くて3時間は泣いてしまい気づくと眠れないまま朝を迎えています。 輪廻転生という考え方が好きで、その言葉を支えにしたいのですが、輪廻転生も所詮は生きている人が考えた言葉にすぎない。死んだら思考回路すら無くなるんだから、輪廻転生して再び自我が目覚めたとしても、それは新しい自分であって、昔の自分は消えてなくなる。結局人は無になるんだ。という結論にたどり着いてしまいます。 私の父は69歳、母は63歳、祖母は91歳。比較的高齢の家族ですが凄く元気です。ですがふと、この家族で過ごせる幸せな時間は永遠ではないんだと考え「あと何年?」と考え辛くなります。 最近は高齢な家族故に両親と過ごせる時間より、両親がいなくなった後の時間の方が長いのかもと考えて泣いてしまいます。私は両親のことが大好きなので、2人がいつかいなくなってしまう。「無」になってしまう。そんな日がくるのがとても怖いです。 そして今見ている景色、大切にしている物、現世で学んだ知識、死ぬ時は全て手放さなくてはならない、私も死んだら無になる、家族と家族だったことも無くなる、もうこの家族には会えない…どこまでもそのように突き詰めていってしまいます。 よく「(死を考えるくらいなら)今を楽しく生きよう」という言葉を聞きますが、そのような考え方に自分が対応できず、ただ死が怖いです。 本当に最近このような考え方に陥って泣いて眠れなくなることが多くて困っています。 何か少しでも心が軽くなるお言葉、そして仏教では「死」に対してどのような考え方を持っているのか、お話を聞かせていただきたいです。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 70
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死ぬことを受け入れたい

度々いろんなお坊様のいろんなご意見を読んでは参考にさせていただいています。 一つ最初に私はあまり信心深くなく、こんな時だけお坊様や仏様の慈悲にすがる浅ましさをお許しください。 かれこれ15年、「死ぬのが怖い」発作に苦しんでいます。 きっかけは祖母の死でした。 当時中学生になりたての絶賛反抗期で、親ともうまくいかず、勉強もうまくできず、何をやってもむなしい、いいことも何もないし死にたいと思っている最中の出来事でした。 自分がいかに死を簡単に考えていたかを身に沁みて理解しました。 悲しみよりもずっと大きく、死んだらどうなるのかという恐怖と、自分が自分でなくなり消えていく恐怖が襲いました。 悲しみよりも我が身の可愛さが先に来た自分が情けなく思いましたが、その恐怖は今もなお私を苦しめます。 必死にその恐怖を押し込めて、忘れ去ろうとすることしかできません。 親には相談できませんでした。 当時の憔悴しきった様子から、自分が何か心配をかけるような真似はできないと思いました。反抗する回数も少し減ったと思います。 その時に適切に恐怖心を処理しなかった代償か、今もふとした瞬間に目の前が真っ暗になり、足元からさーっと冷気が這い上がるような恐怖で吐き気がすることがあります。 お風呂に入っているときが一番その発作が起こりやすく、全くお風呂が安らげる場ではなくなってしまいました。 かといって人間皆いずれは死ぬのに、怖がっていることが恥ずかしく、心療内科の先生(以前適応障害を患い通っていました)にもカウンセリングの先生にもうまく伝えることができませんでした。 とにかく自分が自分でなくなり、何もわからない世界に行ってしまうことが怖くてたまりません。 そして私がいなくなった後も永遠に時間が続き、地球が滅び、宇宙が滅んでいくと考えると、手足の先が氷のように冷たくなって正気を保てなくなります。 お坊様達のご意見が聞きたいです。 お坊様達の世界の捉え方、仏様の世界を知れば、この恐怖から解放され、無事に死んでいけるのでしょうか。 親(二人とも60前後でまだ元気ですが、)が死ぬことも最近は毎日のように頭をよぎり、人間が物言わぬモノになっていくことが悲しく苦しくてたまりません。 身勝手な相談で申し訳ありませんが、どうか少しでも死ぬまでに心やすらかに人生を送れるようなヒントを頂けますと幸いです。

有り難し有り難し 73
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死にたくなるけど...

漠然と死にたいと思うことが最近増えてきました。生きる意味が見いだせないというのか、先の希望が見えないというかそんな感じで過ごしています。 自死はいけないことであるということは理解しています。しかし、自分が死んだらみんなはどのような反応をするのかが気になる自分もいます。家族はや友人は悲しんでくれるのだろうか?と疑問に思います。恐らく心の中では周りに心配されたいのだと思います。ただそのように思っている自分が気持ち悪く感じます。ただ相手にされたいだけなのではないだろうか、自分の存在する意味を周りの反応で見出そうとしているのではないだろうか、こんなことでいいのだろうかと不安になります。 別に暮らしにも困っていないですし、素晴らしい家族の元で過ごせてきたと思いますし、友人にも恵まれているのに死にたいと思うなど精神がおかしいのではないかと思います。 私はこれから何を目標に生きていけばいいのかが全くわかりません。自分で見つけないといけないことは分かっているのですが、もう限界に近いです。 私はどうしたいのでしょうか、自分が分からなくなってきました。助けて頂きたいです。 拙い文章で申し訳ありません。

有り難し有り難し 20
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死にたくて死にたくて仕方ないのに

前にも相談しましたが、死にたくて死にたくて仕方がありません。 原因は上司のモラハラ気質な言動と寮の先輩です。 なぜ私だけ親の職を侮辱されなければならないのか、なぜ私だけ嫌みったらしい言い方をされるのか…実に耐え難いです。 先輩はあれこれと言ってくるくせに自分は全くやらないし、潔癖の押し付けで毎日毎日何かと小言を言ってきてストレスゲージが振り切れそうです。 辛いことから逃れたいから死にたいのではなく、自殺してこの2人を社会的に潰してやりたいのです。苦しみから逃れたい思いも3割くらいあるかもしれません。 誰か身近な人間に相談しろと思われるでしょうが、職場の人間以外に周りには知り合いもおりません。 親に死にたいなんて言っても親は「何言ってんの笑」と笑い飛ばすタイプで真剣な相談なんて出来ないし、職場の上司は死にたい原因の一つで相談できません。その上の上司に相談したら直近の上司は指揮系統に従わなかったことに対して今まで以上に嫌味を言ってくるのが目に見えています。それに上にバレると過保護なので病院に連れていかれてしまいますし、そこで診断なんてつきようものなら、そこから人並みの昇任コースから外されてしまう職場なのでそれは避けたいです。先輩に相談しても死なれたら処理が嫌だからやめてよ〜の一言です。 2人は潰してやりたいけれど、職場や親に迷惑を掛けるのは嫌でどうしても踏み切れません。転職なんてめんどくさいし、泣き寝入りと同じで嫌だし、生きるのも辛いし、2人を堕としてやりたいし手っ取り早く死んでしまいたいです。病気の人とかには申し訳ないですが本当に死にたくてたまりません。なのに昇任の勉強とかして先を考えている自分もいてもうどうしたらいいか分かりません。生きていきたいわけでもないのに先の事を考えて行動してる自分も死にたい自分もいてもう自分がよく分かりません。どうしたらいいでしょうか。 支離滅裂で読み辛い文章ですみません。

有り難し有り難し 13
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死について

おはようございます(⁎⁍̴̆Ɛ⁍̴̆⁎) 私くしも 病気がちだし 毎日仕事が苦しいし 考えたら お金はいるけれど 限られた命の中で そこまで 仕事仕事で生きていくのが 正直辛い 特に この世に執着が無かったんです。子供は って言うと 私に特に求めるものはなくて 私の姉や 私の母 父に求めているみたいなので いつ 命が尽きても 悔いはないそう思ってましたら ある日 脇あたりに シコリがあるのを見つけて 一人 癌だと思って 泣くわ ショックだわ 一気に 生きたいと思う心が 湧きました 普段 命の先がみえないから 死にたいと思うけど いざ もしかしたら って事があったら 人って やっぱり生きたくなるものです。 慌てて病院へ いったら リンパ節が腫れてるだけだと 言われ ホッとしました。ただ 寿命がきたら 受け入れるうつわを 持ってなきゃなとも 思いました。 それをふまえて 病に苦しむ方の心も 学べた気がします。とてもではないけど 生きた心地がしなかったし 記憶も ボーっと ひたすら 亡くなったらどうしよう 子供は とか考えました。 なので 私自身も 少しでも ご病気に方の苦しみに 寄り添えます様 いま剃髪をし 生きてます。 私も 皆様に寄り添いますので 皆様のご病気が一日も早く治りますよう。 病気や 老い 孤独 、、、、 生きてる限り 悩みは 尽きません お坊様方は 仏様と向き合い どう この世の闇を 照らされましょうか

有り難し有り難し 12
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死は存在しない

もう10年以上も前になりますが、母の命日が近付くと、色々と考えます。 不治の病を宣告された母。いわゆる「手かざし系宗教」の信者である叔母(母の妹)から勧誘され、藁にもすがる思いで行った本山で「あなたには助からない相が出ている」などと訳知り顔で告げられた母。 同行した父親も勧誘されましたが、断ったとの事。 (父も母も、元々は徹底した無宗教、無神論の人でした) 母は闘病中も死の間際も、「私が死んだら○○を宜しく」 なんて言葉は一言も言いませんでした。 私は、人の思考は死を思う為には出来ていないと考えます。 脳はあくまで、身体を効率よく動かし合理的に生き延びる為に、進化の過程で生物が獲得した器官であり、「死」なんて抽象的な思考を弄ぶ為のものではないと思うんです。 死んで肉体の機能が停止すれば、感覚器官(眼や耳、肌など)も停止し、仮に死後が存在するにしても、想像を絶する世界を見て、感じるはずです。軽々と「死後の世界」なんて言えるはずが無いです。 生物の脳も身体も、ひたすら生きる為に作られています。死ぬためにつくられてる訳じゃないです。だからこの脳、この身体で死について考えること自体ナンセンスで、飛ぶ為に作られていない私の手で、鳥のように空を飛ぼうとするようなものです。 お釈迦さまが死後を無記とした真意は… 私は、死後が浄土であれ輪廻であれ、あるいは本当に恐ろしい事ですが正真正銘の「無」であっても、仏教の救いに変わりはないと言う事ではないかと考えます。 人は死なないです。死の間際でも、風邪をひいたように、一晩明ければケロリと治ってると心の奥底では信じて最後の日まで生き続けるのではないでしょうか。 母は死の間際まで死を考えませんでした。少なくとも、口には全く出しませんでした。何かを悟っていたのか、一片の悟りもなく生にしがみついていたのか今では分かりません。 ただ、母の姿を思うと私も生の続く限り全力で生きたいと思うばかりです。 「生きてる時は死んでいない、死んだら生は無い、だから死は存在しない。死を恐れず、生を全うせよ」と言ったギリシアの哲人に、私は賛成です。 こーゆー考えもまた、妄想でしょうか? 「これだけ問答を重ねて、君はまだ何も分かってない」とお叱りは覚悟の上です。 日々、人の死と向き合っているお坊様方の実感を聞かせて頂ければ嬉しいです。

有り難し有り難し 12
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