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hasunoha 問答検索結果 : 「私 生きる 」
検索結果: 28001件

浮世(憂き世)

 昭和初期の演歌というか流行歌の歌詞には浮世(または憂き世)と言う言葉が頻繫に使われました。  輪廻転生が真実となれば、この言葉は重要な意味を持ちます。  輪廻転生即ち心が永久に生き続けるということは、この世に死がある限り心は現世と来世(後生)の二つの環境を持つことになります。  到達が極めて困難な涅槃に依る智慧の完成を除けば、心は二つの環境のどちらが真実の住処であるかと言うことを考える必要があります。  当然死を伴う現世より来世が真実であることは明確です。  そこで現世に憂き世と言う言葉が使われるのだろうと思います。  現実に現世を生きることは大変です。  空気と水は兎も角、食料は殺生を伴うものが大部分です。  五戒にある如く殺生は悪の根源です。悪人でなければ生きることはできません。  しかし生きる為の必要悪ですから、ここから弱肉強食の世界が広がります。  現在の世界情勢の表れもこれが根源でしょう。  死ねば殺生は無くなりますが、心がそのままでは、再び転生が繰り返され、殺生を余儀なくされます。  現世では来世に留まるべく心の修行が必要になります。  これが仏教ではないでしょうか?

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一人の孤独と未来の展望がありません

失敗続きの人生でした。もうすぐ30歳になります。 これまで受験、就職、経済的な面、恋愛すらうまくいかず満たされない心ばかりで孤独と不満の時間が多い人生でした。 負け組。どうせもう今さら人並みに幸せにはなれないと比べてばかり、表情も暗く、挑戦することすら自分の心がストップをかけていることが心の癖のようになりました。 そうすると暇になり、休みの日も寝てばかり、魂も元気も空っぽで無為に時間が流れるだけです。 転職して収入が減り税金が苦しく、とても苦しく何のために生きているのかわかりません。親に援助してもらっているくらいです。 本当は自分が援助しなければならないのに。 お金がないと何も動けないという現状です。 心情的には死にたいなんて毎日思っています。 最近はもう私は社会の奴隷なのではないかとすら思います。 陰鬱とした表情の自分から少しでも増しになるにはどうすれば良いでしょうか? お金はもう全くありませんが、時間だけはあります。 小学校6年生から(人生に疲れた)と思い、15年、人間の意味とかを考えて来ています。今思えば転校して環境が変わったことが引き金かなと思います。 そんなことのせいで行動より考える、得にもならない思索や物思いに耽るようになったのかなと思います。一方、廻りをみるとすでに、それなりの会社に就職し、年収もあり、結婚もしています。 いつまでも、なぜ生きるのか?とか考えている自分は相対的に遅れてヤバいことに気付かない不思議ちゃんなのかなと思います。 もう、そういうのも20歳を過ぎたら表に出さなくなりましたが、根底にそういう考えがあります。。 神仏については否定しませんが、私が神仏ならもっと勧善徴悪をしていますので、そこは疑問です。干渉しないのが神仏なのでしょうか? 何か良いことないかなといつも心のなかではため息です。それと同じく、こんなもんなのかな、人間なんて結局、生まれで人生決まるなんて金持ちに生まれていればその人間のいかに羨ましいことかと思ったりしますが、意味がないことをわかっています。 気休めにタバコとジュースで、空いた時間を寝ることにしていますが(そうしないと時間がつぶれない)来月の少ない生活費の中から資格の本でも買って取得に励むか、転職のための資金にするか考えていますがいかがでしょうか?ただ、人生に喜びと彩りがほしいだけなのです。

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大切な人を失くしました

10年前 私が20代半ばの頃です。約2年半程 交際していた方が自ら命を絶ちました。当時は 悲嘆に暮れ 絶望感と今までに経験したことのない喪失感でいっぱいでした。 私の言動や行動が 彼を追いつめたのではないかと思い自責の念にも苛まれました。 彼に対して 『何故、どうして?』という気持ちがいっぱいで溢れそうになり 時にはそれが『なぜ私をこんなに悲しませるの』と、怒りになることもありました。 彼がいなくなってからも 私の日常は変わらずにあり 泣いてばかりもいられませんでした。半年も経てば 彼がいない生活にも慣れてしまいました。亡くなってからの一年間は 周りに心配をかけまいと 必死に毎日を過ごしていたように思います。楽しいことがあれば普通に笑えたし、その一方では 死にたいと考えてしまう自分がいたり。今思えば、 常に両極端な緊張感の中にいるようでした。結果 糸がプッつり切れてしまい休職するに至りました。 『時間が経てば癒される』と よく言いますが、三回忌を過ぎた頃からは 彼がいないことに対して寂しくて泣くことは少なくなりました。あんなに毎日の様に彼のことを考えていたのに 自分のやるべきことに追われ忙しい日常にいると すっかり彼のことは忘れていましたし、それでいいのだとも思っていました。しかし そう簡単に割り切れる訳もなく、 少し疲れていたりすると 決まって彼のことを思い出しては悔やんでいる自分がいたのも確かです。 七回忌が終わった頃には 私自身も 歳を重ね 彼の自殺の原因を考えるより 彼が亡くなった意味に想いを巡らせる様になりました。 歳月が流れて 私の気持ちにも沢山の変化がありました。時間はかかってしまいましたが 私なりには彼の自死を消化してきたつもりです。しかし、10年が経とうという今でも あの当時の喪失感だけは拭えません。新しい誰かと未だに向き合えない自分がいます。 また、物にも あまり執着しないようになり、とにかく身軽でいたいと年々 思うようになりました。彼以外にも この数年に大切な家族を立て続けに亡くしたことも かなり堪えています。 すっかり 自分の進むべき道を見失ってしまいました。生きることに執着がない自分自身にも とても不安になります。何か新しく手に入れたり 出会いが生まれれば、そこから貪欲になれるのでしょうか?

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孤独感や寂しさを感じる

30後半独身女です。仕事も順調だった20代後半に途中身体障害を体においそこから再起しました。自分のかねてからの夢であった仕事を叶えいよいよ人生の順調な波がきたのだと思っていました。 そんな折、障害を抱えた身、ひとりでいきていく覚悟をしていた中、ひと   りの男性と出会い、出ていた結婚の話を信じていたころ、その男性は態度を急変させ私の元から去って行きました。同時期に、仕事で障害による配慮を理解されないことで、数名の上司から怒りや暴言をぶつけられるなど、パワハラに遭い続け、心の健康を保てなくなり悔しかったけど打ちかてないまま休職にはいりました。 20代後半から色んな事がありましたが、前向きに生きていこうと決め自分なりに努力をしてきたつもりでしたが、度重なる人生の試練に少し疲れた自分がいます。 いまは、もう1度、仕事復帰をし、せっかく叶った夢である仕事で生きていきたいとまで思えるようになり、復職に向け日々心身の健康回復維持につとめています。 しかし、時々、本来なら働いているであろう時間など、ぽつんと心に穴があいたようになります。特に週末や祝日など、孤独感や寂しい気持ちがおそいます。これまでストレス解消であったフィットネスを休会している等、コロナの影響も多少はあると思います。まわりは家庭持ちの友人ばかりで、同じように一生懸命生きてきたはずなのに何が自分とは違うんだろう、とか、比較してもしょうもないことはわかっているのに考えてしまい悲しくなります。自分を見失いそうになるときの心の持ち方など助言いただけたらと思い相談させていただきました。

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死ぬのが怖い

30代女です。 小さい頃に母を病気で亡くし、そこから死に対しての恐怖心が生まれました。小学生の時に死ぬのが怖いと感じるようになり、死ぬのは嫌だと泣いたことがありました。 そこから中学高校大学、仕事と、小学生のときのように泣くほど怖がったことはないですがうっすら漠然と死ぬのは怖いなと考えることもありました。色々と忙しかったこともあり、考える時間も少なくなってきていました。 しかし、30代になり、ずっと続けていた仕事を人間関係で揉めて、中途半端な時期に辞めました。辞めたことに後悔はなく、ずっと続いていた人間関係でのストレスも一気になくなり、最初は楽しく考えていました。しかし、暇でずっとゲームをする日々、そして自分が30代という年齢に突入したこと、周りの人は結婚をして落ち着いている中恋人もいない、次の仕事もまだ探し中、親も父のみ、そして一般的な私の年代の親よりも歳をとっていますので、父の死についても考えるようになり、父が死んだあと自分は生きていけないという考えからまた、小学生の時のような自分が死ぬことへの恐怖心が再び芽生えました。 ネットで色々調べましたがタナトフォビアだと思います、身近な人が死ぬのも恐怖ですが、自分が死ぬことへの怖さ、無になることへの恐怖が強く、突然発作のように発症し、過呼吸になったり涙が出たりととてもしんどい思いをしています。生きたくないとは思いません。死にたくないのです。しかし、不老不死のように永遠に生き続けるのも怖いです。矛盾していますが...。1度考え出すと恐怖が止まらず、夜も眠れません。今の自分の状況がこの先不安でしかなく、30代にもなってこのタイミングで結婚もしないまま死んでいくという考えしかできず、ずっと怖いです。タナトフォビアの克服など検索しましたが、読むだけで怖いです。助けてください。

有り難し有り難し 57
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年が明けたら自殺しようと思っています

24歳・女です。 タイトルの通りなのですが、これといって悩みがあるわけではありません。 周りの人にはすごく恵まれていますし自分のことを尊重してくれていると実感しています。俗に言う毒親というのとも無縁で、家族との会話もあり、関係も良好です。 過去にトラウマ等もありません。体もとても健康です。 ただ、小さい頃からとても無気力で日常のすべてが面倒くさく自殺を考えはじめてから10年以上になります。未遂は過去に2度ほどあります。(1度目はODで発見されてしまい、2度目は車内練炭で警察に保護されてしまいました) 何にも興味が持てず、趣味も行きたいところもやりたいこともありません。将来の夢を持ったことも一度もありませんでした。なので学歴は中卒、仕事も自分で希望して選んだものは特になく知人から「働いてほしい」と言って頂いた職になんとなく就き、それ以外は適当に風俗で働いてきました。 私が死んだら家族が悲しむ、周りに迷惑をかけるからという一点だけで今日までどうにか生きてきました。 でもそれももうどうでもいいかなと思い始めてしまい、今の仕事を年内に退職することを決め、身辺整理をしたりエンディングノートを準備している最中です。 少々他人の輪に入ることが苦手で他人と比べて感情をコントロールすることが下手だなと感じる場面はありますが、友人もいますし、外に出ることが苦ではないので心の病等ではなく性格的なものだと思っています。 残された人のことを考えれば死なない方がいいに決まっていることはわかっています。 だけど、もうやり過ごすのは飽きたし何より生きていてもつまらないのです。 毎日つまらないなーと言うと、生きていれば楽しいことは起こる、新しいことに挑戦しろ、海外に行ってみたら?、無気力なのは疲れてる証拠だから休め、そんなものは甘えだ、ゆとり世代の特徴だ、などといろんな人にいろんなことを言われてきましたが何も響きませんでした。別に悪いことが起きたわけじゃないしパスポート作るのだるいし疲れてないし世代ってそれもうどうしようもなくない?という感じです。 前述の通り親が悲しむので出来ればやる気を出したいのですが、死にたいと考えてしまう要因が「めんどくさい」「どうでもいい」のみの場合、解決もなにもないような気がしてどうしたらいいのかわかりません。

有り難し有り難し 41
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