私たちはなぜ存在しているのでしょうか。もっと言うと、この世界はなぜ存在しているのでしょうか。「無」ではいけない理由が分かれば教えてください。 中には、私たちのいるこの世界は魂の修行と言う方もいます。 そもそも、何のために魂は作られて、未完成だからと修行を強いられているのでしょうか。修行の先の目的が分かりません。 よりよい力を身につけて世の中の辛い悲しみを抱えた魂を救うために修行しているのでしょうか。 それならなおさら魂がある意味が分かりません。最終的にどこに行きついたらよいのでしょうか。もっというと、意図して私たちの魂が存在するなら、世界が「無」ではない意味を教えてください。全てが「無」ならいけないのでしょうか。 時間も、空間も、何もかもが「無」ではない理由です。 それとも、目的とか関係なしに魂というのがなんかの拍子に偶然世界にできてしまったから精一杯生きるんでしょうか。それなら解りますが、意図があるなら教えてください。 よろしくお願いいたします。 このあたりの事は仏教とは関係ないのでしょうか。
では回答率99.9パーセントのお坊様に質問です 前回の質問の答えに大慈様が言われた内容ですが 仏教では世界の始まりは「わからない」、「無始」、「無記」であると これって原因である始まりを無視して結果であるこの世界だけを見てる 因を無視した果の法則ですよね そして「蕎麦のレシピばかり論じる(原因)蕎麦がのびる(結果)とっとと食え(対策)」 「頭の中でこねくりまわすから(原因)迷いが続く(結果)頭の中でこねくりまわすのを止めましょう(対策)」 この対策こそが瞑想で悟りを開くことですよね お釈迦様は生まれた時から瞑想すれば悟りを開けるなんて知らないですよね ではお釈迦様に瞑想を教えた人は誰ですか?そしてその人にも教えたのは?そしてその人にも教えたのは? 仏教→バラモン→ヒンドゥー→ゾロアスターと土着信仰の融合→メソポタミア こうやってどんどんどん突き止めると悟りを開く瞑想を教えたのは因を無視した果の法則ですよ 因を無視した果の法則が悟りの瞑想法を作り因果関係のシルクロードを渡って我々に瞑想を教えたというのに 瞑想で悟りを開けばこの因果関係や因を無視した果の法則からも解脱できるってぶっ飛びすぎてないですか 悟りの境地の空間ですら先に因を無視した果の法則が始まる前から終わった状態での結果として作られたと思うんです そうすると煩悩と悟りは最初から二つの性質が同時に存在する量子力学みたいに共存してると思うんですが? あと諸行無常の教えで全てのものは変化するなら 善業も悟りも幸せも形を変えただけの煩悩ではないんですか? 涅槃の境地で夜に眠り煩悩で朝に起きて 涅槃の境地で瞑想してて煩悩で仕事行かなきゃいけなくて 涅槃の境地のお釈迦様は煩悩の梵天に娑婆の世界行かされた様に 悟りと煩悩は共存してると思うんです もしくは形を変えただけか 良文様が言われたヴィトゲンシュタイン様の形而上学的な疑問は言葉で説明できないという話 最初から量子力学としてある言葉に出来る世界と言葉に出来ない世界 その言葉に出来ない世界のような概念のないような形而上学の世界に神ならまだしも人間がいけると思いますか? たった6年の修行で・・・この6と言う数字・・・666 お釈迦様が実はフリーメーソンのメンバーで仏教をある理由で作ったとか思ったことないですか? 物事を理屈で考えさせない政治的プロパガンダのためとか
質問をお読みいただきありがとうございます。 私は特にどこかの宗教に入信しているわけではありません。しかし神社やお寺が好きです。仏教について知ることも好きです。辛い時仏教の本を読んでとても楽になりました。 しかしずっと小さい頃から気になっていることがあります。それは神や仏をどうやって信じたらいいのかということです。 諸行無常や瞑想、四苦八苦、縁など心の働きや実際に起こる現象に関することは納得することができるのですが、極楽浄土や地獄、阿弥陀様など目に見えないものはどうやって信じたらいいのでしょうか。 神様や、非人間的な仏様を「存在しない」とは思いたくないです。いつも神様や阿弥陀様が見守ってくださると思うから今日も安心して過ごすことができました。ですが「じゃあ証拠はどこにあるのか。」「誰か会ったことはあるのか?」と疑問に思ってしまいます。 僧侶の皆様は、神仏をどのように解釈していますか。
こんばんは。 私の家庭環境は荒れています。 今も現在進行形で母が怒鳴り声をあげています。 両親の中が非常に悪く、毎日喧嘩していて怖いです。 頭がおかしくなりそうです。 ことの始まりはこうでした。 私の母は、私が生まれる前から不倫していたそうです。 そんなこともあってか、私の両親の仲は険悪なのが当たり前でした。 最近は諸事情あって険悪な仲が余計にひどくなっています。 両親は毎日大声で口論する様になりました。 私は部屋のドアを閉めても聞こえて、夜寝れないこともあります。 両親は私と姉にも当たるようになりました。 父は一日中不機嫌で、母は少しのことで怒鳴ってくるようになりました。 私の家族には日常会話などありません。 全員がお互いのことを嫌い、口を開く機会は怒鳴る時だけです。 毎日家に帰るのが辛いです。 愚痴を書いてしまって申し訳ございません。 今このような状況なのは私に罰が当たっているのだと思います。 私は今までたくさん罪を犯してきましたので。 それでもこの試練を乗り越えられるようなお言葉をいただきたいと思ってしまいます。 贅沢を申してしまってごめんなさい。 どうかご返信お待ちしています。
こんにちは。質問を見てくださってありがとうございます。 本日質問させて頂きたいのは、「容姿が整っていないことは罪なのか」ということに関してです。 実際私は全く綺麗な顔立ちではありません。 学生時代はそれで虐められたこともありますし、社会人になってからも明らかな周りの反応の差を感じます。 学生時代の頃のように直接的に何か言われることはありませんが、暗にブスだと言われること、態度で示されることは何度もあります。 社会的にも、ブスになら何をしても良い。何かあったらとりあえずブスが悪いことにしよう。 そんな空気を感じます。 頭ではもう仕方のないことと割り切っていますが、やはり辛いです。 何も悪いことなどしていないのに、何故当然のように差別されるのか。 人種差別問題や女性差別問題は大きく取り上げられ、差別を無くす運動が盛んに行われているのに、 ブス差別は毎日当然のように行われています。 そのため、人と接するのが未だに怖いですし、相手が無意識にしているであろうブス差別に敏感に反応してしまいます。 とても生きづらいです。 こんな時、どう考えるのが良いでしょうか。 助言を頂けますと嬉しいです。
漠然とした質問で 申し訳ありません。 私が今生きてる 意味が分からないのです。 今は夫と2人暮らしですが 夫も寛解こそしているものの再発が心配だし 私自身も色々病気持ち もし夫が先に居なくなってしまう事を思うと 不安で一杯になってしまいます。 こんな気持ちで 過ごしたくないのに こんな話ですみません。 よろしくお願い致します。
こんばんは、般若心経について質問させて頂きます。 幾つかの本や、ネットで般若心経の意味を調べました。この世の全ては「実体がない」という事は分かりました。しかしその「実体がない」という事が何なのかが、どうしても分かり切る事ができないのです。私達が見ているもの感じているもの、そして私達自身、世の中のあらゆるもの、実体がないとはいえここに私の身体はあります。 「実体がない」とはどういう事なのでしょうか?このような疑問も実体がないのでしょうが、どうか教えて頂きたいと思います。よろしくお願い申し上げます。
毎度お世話になっております。 お坊さんと匿名でお話ができるというのがなかなかに楽しくてつい頻繁に利用してしまいます。 私は僧侶ではありませんが、仏教のことを、ちょこっとずつですが勉強するのが趣味なんです。この趣味がなかなか共感されないんですよ。 今回はちょっと学問的な質問を。 タイトル通りですが、仏教の教義では女性を蔑視、と言えるかどうかは分かりませんが、宗教的素質の低い存在であると見なしているということが、現在どうかはともかく、歴史上にあったことは間違いないと思います。 そのような考え方がいつから、どこから出てきたのかな?という質問です。 いわゆる初期仏教で既に宗教的素質に男女差はあったのでしょうか。 大乗仏教に入ってからなのでしょうか? 大乗からだとするとインドから? 中国から? そのあたりのことがちょっと知りたいです。 よく女性蔑視として挙げられる例として、たとえば五障とか変成男子とかいう言葉は、ウィキペディアを見る限りではお釈迦様の思想ではない、となっていますが、初期経典などに同じような考え方は全く見られないのでしょうか? 一応強調しておきますが、現在の仏教が女性差別に加担しているかどうかという話ではなく、また戒律の数や教団の違いといった現実的な差異ではなく、あくまで悟れるか悟れないのか、という宗教的な素質に関わるところの差が、どこからあったのかな? ということです。 詳しい方がいれば、ちょっとした参考でも教えてほしいです。
先月母が亡くなりました。 父から葬儀の事に関して、丸投げされていたので、私が葬儀屋さんに電話し、喪主を勤めました。 葬儀屋さんと打ち合わせ中に、お寺のお坊さんがいつ葬儀に来てくれるか電話するように言われました。 お坊さんに電話したら、“枕行に行きたい“と言われました。 今朝母が亡くなった事で気持ちが動転していて、葬儀屋さんとプランの話し中だったことで、また後で電話すると言って電話を切りましたが、私は電話をするのをすっかり忘れていました。 それから2〜3時間後にお坊さんから連絡があり、お坊さんを怒らせてしまいました。 母の戒名を考えるために明日、寺に来るのかと言われましたが、私は逆ギレしてしまい、上から目線だとお坊さんに言ってしまいました。 うちにはお金も無いと伝えました。 私のほうからお坊さんに用事があって電話したのに、逆ギレしてしまうほど、まともでは無く、冷静ではありませんした。 葬儀の日に待合室で、“待てど暮らせど電話がなかった。自分から連絡してきて、あの態度は何だ。枕行をやらなかったのは初めてだ。“ともっともな事を言っていました。 今日は母の49日でした。 お経を詠んでもらい、お話しを聞いていましたが、お坊さんは私とは目を合わせませんでした。 お話が終わると、お坊さんさんは烈火の如く怒り始めました。 “何故遺骨を持ってこない?こんな事は初めてだ。“ “何故49日の打ち合わせに来ない?今日は来ないかと思っていた“ “枕行をやらなかったのは初めてだ“ “お父さんは萎縮してしまって、あなたに何も言えない“ “自分のやりたい事だけをやって、周りに迷惑をかけている“ “枕行しに行きましょうかと言った日は、もっと若い女性が悩んでいるのかと思ったら、36歳だったなんて!“ “あなたがした事で、お父さんは謝っているのを知っているか?“ “葬儀の時にお布施5万、御膳料5千円、御車代5千円の6万だったけど、0が一個足りねぇよ“ と親族の目の前で言われました。 お坊さんの大きな声で何故何故といわれて私は何も言い返すことができませんでした。 私の実家はこの先墓じまいになります。 母の遺骨はそこには入れたくありません。 お骨は私の家にあります。 来年の一周忌、3回忌、七回忌…毎回このお坊さんに会うと考えると気が重くなります。
自殺したら地獄に行くのですか? たとえば、癌になったとして、治療を拒否したらそれは自殺ですか? 私は生きているのが申し訳ないです。
平成30年4月24日、夫が急死しました(享年42歳) 12日後に誕生日を迎えるはずでした。 前日は普段通りに生活していました。 朝起こしに行った時に布団の上でうつ伏せになって動きませんでした。 心肺停止で病院に搬送され、その後死亡確認。死因が特定出来ない為に病理解剖をしました。結果、死因は虚血性心疾患。 家に帰って来た夫は体と頭が包帯でグルグル。でも顔は寝ているように安らかでした。 普段から、もっと気をつけてあげていれば… 解剖なんて承諾しなければ良かった… 本当に後悔ばかりで申し訳なく思います。 悲しみでいっぱいの時に、夫の親族から酷い仕打ちを受け、亡くなった夫の事を悪く言われました。 私は姻族関係終了届を出しました。 なので、夫の遺骨は夫の祖父と父親が眠るお墓には埋葬せずに、お寺で預かってもらっています。 今すぐには無理だけど、私が夫のお墓を建てて埋葬するつもりです。 私の大切な夫であり、子供達にとって大切な父親です。親族から悪く言われるのを我慢してまで付き合っていく事は出来ません。 祖父、父親と同じお墓に埋葬しない、親族関係を終了した等… 私が勝手に決断してしまった事で夫が成仏出来なくなりますか? 又、 まだまだこれからって言う時の急死、夫は後悔の気持ちだけを持ったままなのでしょうか?
失礼な内容です、すみません。 元々無宗教ですが、最近、般若心経を覚えてみようと思い少しずつ覚えようとしています。 これまでお坊さんやお友だちなどが言ってるのを聞いたことはあるけれど、興味もなくなんとなく聞き流していました。 でも今回いざ般若心経を覚えようと思うとまず読みにくいしじゃあ意味付けて覚えようとしてもそれもかなり難しく、私には無理かもと思えてくることもあります。 それでも、「いつまでに覚えなくてはならないというのがあるわけではないのだから、ぼちぼち取り組める時に取り組めばいいから」と一応続けています。 そうしてるうちに、般若心経はお経で一番短いことを知り、「えっ!これで一番短いの?」ってか、覚えて言えるようになるのもなかなかできないのに、そういえばお坊さんってこれ何も見ずに書けるのかな?これより長いお経も?! と思い、それはさすがに無理か?さすがのお坊さんもそんなことはできないのかな?と疑問に思いました。 そんなことお坊さんはできるのですか? できるとしたら、どうやってできるようになるのですか?ひたすら反復練習ですか? また、ゴールはあるのですか? ばかばかしい質問ですみません。
こんばんは、高校生です。 最近、父と、私の死が怖くてたまりません。 現在、両親と離れて生活していますが、たまに私の様子を見に来てくれます。しかし、運転する父は大変忙しい職業柄で、時々目に大きなくまを作ったりしながら車で遠い私の家まで来ます。 「様子見に行こうかな」と言われると、途端に交通事故で死んだらどうしよう、、等考えてしまいます。 私は私のせいで親が死ぬのが嫌なのでしょうか? また、私は暗闇も極端に嫌いになり誰かいるのでは無いか? 物音がしたら、殺される!と、パニックになる事が多々あります。 病気なのでしょうか? よろしくお願いします。
日頃、宗教や哲学について、ネットあさりしています。 最近は仏教、特に原始仏教と呼ばれるものに興味を持っていますが、十二因縁(縁起)について、府に落ちたイメージを持つことができません。 そこで、難しい言葉や理論を使わず、現代でもわかりやすい具体的な例えを挙げていただきたいと思い、こちらに質問してみました。 なお、こういった知識(智恵でしょうか?)は、一言では語り難いものでしょうし、また言葉だけでわかったつもりになってはいけないとも思っています。でも、こうもイメージが湧かないと、日頃に意識することも難しい。 ぜひ、「なるほど💡 そんな感じなのね!」と感触を得られ、日常の中でさらに感触を深めていけるような例えを、いただきたいと思っています。 ちなみに、これまで私が掴んだ感触・知識は次の通りです。間違いや不足もあると思いますが、その部分こそ、例えで払拭したり補足したりしていただきたいです。 十二因縁(縁起)とは、 無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死の12個 「無明によって行が生じる」のように、前の物が次の因になる。 最後の「生、老死」については、「生まれることで、老いがあり死がある」ということ? では、「無明→行」「行→識」「識→名色」「名色→六処」「六処→触」「触→受」「受→愛」「愛→取」「取→有」「有→生」「老死→無明」はそれぞれ、どのような因果なのか。 現代でもわかりやすい例をあげるとすれば、どういう例が考えられるか。 仏教に疎い者でもわかりやすい例を、ぜひよろしくお願いしますm(_ _)m
仏教が好きで学んでいるものです。 単純な疑問があるので教えて下さい。 仏教は出家をして修行し仏になる教えだと学んでいます。 一般生活をしている私には遠い存在です。 しかし、現代の僧侶は結婚してお酒も飲んで在家の生活をしていますよね? それでは全く修行ができないと思うのですが、何を根拠に結婚しているのでしょう? 何かのお経のご文を論拠にしているのでしょうか? もしくは既に仏道修行は諦めたということでしょうか? もし結婚をしていいのならば、何故一時的にだけ出家(修行)するのでしょうか? 各宗派の考え方を教えて下さい。
近年、量子力学等の学問での研究に目覚しい進歩が見られます。 量子力学や精神系分野で輪廻転生の研究の話題が盛り上がっています。 量子力学では遂に死後の世界について【量子もつれ】と呼ばれる現象で論文を発表したり輪廻転生の研究をしていらっしゃる学者さんもいますし少し前ですが精神系分野では著名なアメリカのジム・タッカー博士は輪廻転生をしたと思われる2500人の子供達に関して発表しました。 この子供達の実例を見る限り明らかに例えばAという死んだ人物とは関係ないBの少年又は少女がAの生前の記憶を持って生まれてきている事があるようです。 それでも脳の錯覚だとして懐疑的な学者さんが多い中、現在進行形でこの分野の研究は着実に前へと前進しています。 ちなみに、私は死後の世界も輪廻転生も存在すると考えています。 そこで、今回は輪廻転生についてお聞きしたいです。 お坊さんは輪廻転生とはどのようなものだとお考えなのでしょうか? 輪廻転生の仏教的解釈やお坊さん個人のお考えをお聞かせください。
こんにちは。 よく夏になると心霊番組をやっています。 そういう番組がやっていることを考えると日本人は霊魂を信じている人が多いのだと思います。 しかし私は霊魂について疑問を持っています。 ほとんどの宗教では霊魂の存在を認め、人は誰でも死ねば不変不滅の霊魂になると言われています。 しかしそうなるとこの世は霊魂だらけになってしまいます。 一方、仏教では不変不滅の霊魂については否定し、あらゆるものが輪廻すると説いています。 仏教では輪廻するものに魂が宿り、霊魂単体では存在できないという考え方なのでしょうか? だとすると霊魂は体に依存した物質的な存在という事になります。 また解脱した場合は無になるとお釈迦様は仰っています。 無になるとは具体的にどういう状況ですか? 寝ているときのような意識がない状態を指すのでしょうか。 あるいは別の次元に行くことなのでしょうか。 疑問に思ったので教えていただきたいです。
はじめまして。 7月末に祖母が亡くなりました。 初七日まで祖母宅で過ごし、その後自宅に戻りました。(自宅は埼玉、祖母宅は岩手です) 帰宅したその日、夕方にいきなりリビングの証明が消えました。 今までこのような事はありません… リモコンもない為、間違えて消したわけではありません。 また数日後、今度は勝手に消えて、すぐにつきました。 体温計もひとりでに動き出し、35,5度と体温をはかりだしました。 こういう事が1ヶ月間ずっと続いています…。 今のマンションにも3年住んでますが、このような事はありませんでした。 祖母が亡くなってからです。 祖母が何か伝えたい事があるのか… それとも、違う霊が着いてきたのか… 自宅では、ホワイトセージを焚いたり盛り塩をしたり、知り合いから教えて貰ったことは実践しました。水晶や黒水晶も購入しました。 ですが、状況は変わらず…むしろ最近頻度が増えてきています… やはり、こういう事が起こると怖いです。 もうどうしたらいいのか分かりません… お祓いなどして頂いて、落ち着きますか? 又、お通夜のあたりから、ずっと私にだけ白い煙のような物が見えていたり、床に置いたバックがズズズッ…と動いたり、不思議な現象に見舞われています。 証明が消えたり、体温計が動いたりするのも私だけです。 なぜ、私だけこのような現象に見舞われているのでしょうか… ずっと続くのかと思うと、やはり怖いです…。
もともと、姑が過干渉で嫁いびりが酷かったですが、夫と姑が全てを決めて振り回されてきました。 義両親とは別居前提で結婚しましたが、結婚して1年程したある日、突然同居と言われ、拒否すると暴言・暴力を振るわれました。夫は勝手に実家に帰り、私は怪我で日常生活が不自由なため、実家で療養しています。 同居の理由は車で20分程の通勤ができないの一点張りで、寺だからとのことでした。また、夫は寺務が忙しいと2ヶ月程音信不通になり、その後離婚して欲しいという手紙が送られてきました。事件後から今まで、私と実家の誰が連絡しても返事がなく、怪我の心配などもありませんでした。 話し合いもなく一方的に手紙で別れ話をする夫と義実家に誠意を感じません。 そこまでして寺族は寺に住まないといけないのでしょうか? また、彼らは僧侶として教義に反する部分はあるのでしょうか?
悟りとは何でしょうか?