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hasunoha 問答検索結果 : 「私 生きる 」
検索結果: 28002件

何もする気がしない、死ぬ勇気もない

独りで過ごすのが寂しくて仕方ありません。特に休みの日はひどいです。外に出て気晴らしでもするのが良いのは分かってるんですが、何をする気も湧いて来ず動く事もできず、ただ死にたいです。でもその勇気も気力もなく。外に出ると幸せそうな人を目にして、落ち込んでしまうだけです。親しい友達も家族もいません。友達も所詮他人なのか、私の寂しい気持ちなど打ち明けても鬱陶しく思われるのか返事に困るのか、嫌がられてしまいます。家にいてもテレビなど見る気もおこらず、集中もできず雑音でうるさいとしか思えないので、いつもテレビもつけてません。これといった趣味や好きな物もありません。なにか食べたい物もとくにはありません。ただ倒れたら人に迷惑をかけるので、何かは口にしている感じです。 何も考えたくないので、寝ようと思って昼間から睡眠薬を飲むんですが、全く寝れません。時間がなかなか経ちません。辛いです。 死にたいです。誰か殺してくれたらと思ってます。 病気などでもっと生きたいと思っている方は沢山いるのは分かっております。自分の両親がそうだったので。 両親の分まで生きないとと思う事もあったんですが、もう疲れました。 四方八方全て塞がってしまいました。 辛いです。ただただ辛いです。 支離滅裂な文章ですいません。

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仲良くしていたおじいさんが亡くなりました

仕事の関係で知り合って、プライベートでも仲良くしていたおじいさんが亡くなっていた事が、最近判明しました。享年93歳でした。 私は旅行の添乗員をしていて、ツアーでご案内したあるおじいさんと、仲良くなり、プライベートでも食事に行ったりしていました。 おじいさんも私の事を気に入ってくれ「3か月に一回は会いましょう」と言ってくれ、自分では入れないような高級レストランに何度もつれて行ってくれました。 そんな感じでしたが、2012年に入ってからは連絡の間隔があき、何度か携帯電話に着信があったけれども、こちらも仕事で忙しく、そのまま折り返しするのを忘れたりしたこともありました。 おじいさんから年賀状をもらったりもしましたが、私は旅行業従事者で、年末年始が年で一番の繁忙期のため、つい年賀状を送るのをさぼったりもしていました。 2013年の5月、なぜだかどうしてもおじいさんと連絡を取らないといけないような気がして、遅すぎる年賀状の返事を出しました(年賀状と言えないですね・汗) ハガキを出したらおじいさんから電話がありました。でも何だかとても様子がおかしかったので、大丈夫かな、とは思ったんです。(通話履歴を確認したところ、2013年の5月18日でした) その後連絡がなく、心配だったので、忙しかったけれど、今年は頑張って元日につくように年賀状を出したのですが、返事がありませんでした。 そしてつい昨日、夢におじいさんが出てきたのでもしかして…と思い現役時代に勤務されていた新聞社の会報の訃報欄を調べてみたら… 2013年の5月24日に亡くなっていました。 こうなると色々考えてしまいます。いくら繁忙期だって、一枚くらい年賀状を書けたんじゃないか、何度か着信があったのに、折り返しを忘れてしまったこと、もう少し積極的にこちらから連絡しても良かったんじゃないか…などなど。大変失礼ながら、知り合った時点で高齢だったので、いつ亡くなってもおかしくないと分かっていたのに、行動に移さなかった自分に後悔です。今となっては遅いですが… 私はこれからどう気持ちを持っていったらいいでしょうか?アドバイス願います

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中絶の後悔

誰にも相談出来ず悩んでいます。 生きるのがこわいです。 私には中絶した過去があります。 中絶するのが良くないことは分かっていましたが、産むことを選べなかった自分が悔しくてたまりません。 それから数年経ち、今年の夏に出産。 同じ命なのに産めなかったことを妊娠中から後悔し、今後は後悔しないような人生を送りたいと思っていました。 それなのに生まれた子の名付けにも後悔。 令和元年に産まれたことから、名前に「令」の字を使っていますが、漢字の意味がいいつける、命ずるといった意味であり気に入らないこと、画数が良くなく、いかにも流行にのった名前にしてしまったことを悔やんでいます。 改名についても考えてみたものの、戸籍にも残ってしまい子供に罪悪感があるので、私の性格上、改名したとしても後悔すると思い、勇気もなく、誰にも相談していません。 また上手く表現出来ませんが、2人目の卒園、平成の終わり、20代の終わりが重なったことにより、今までと生活が大きく変わってしまい心に穴があいたような感じで、令和の響きに慣れず、平成や20代にやり残したことへの後悔が大きくなってしまいます。 出来ることならあのとき産んであげていればという想いが強いです。 ちなみに上の子2人は私の連れ子、3人目は今の夫との子供です。 私自身が気に入っている響きでもない令和の字を名付けに使ったこと、どうしても後悔してしまいます。 そして何か後悔するごとに、中絶したせいだ、中絶したからこんな人生を歩むことになったんだと、何でも中絶のせいにしてしまう自分がおり、自分に嫌気がします。 子供は授かりものなのに、授かったのに私が殺してしまったからだと強く思い、辛くなり何事をするのもやる気がありません。 後悔のない人生を送ることは難しいのは分かっていますが、私は自分である決めたことに責任をもてないので、今後の人生においても何か重大なことを決断する勇気が持てません。 子供の名前も気に入ってたくさん呼んであげたいです。 前向きに生きたいと思います。 今後の人生において何かを決断する時に心がけること、中絶との向き合い方について、何かお言葉をいただきたいです。

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