「永遠の幸せ」の価値
現実を近づけていくひとつの理想と目標として「すべての存在が永遠に幸せである」という「永遠の幸せ」が挙げられると思います。そこでは、その時を幸せと感じながら、より多くの幸せを求めることができるとします。
また、それは「悪」も苦しまず幸せであり、必要に応じて「善」に変わるべきだという考えも含めます。
それを社会のルールとして適応するとしたら、罪や罰は、できるだけ皆が幸せであるという治安状態を維持する為に必要な最小限であるべきだと考えます。
一方、すべての存在は一定の基準の基に裁かれたり、幸せや苦しみの程度が制限されたり運命づけられるべきという考え方もあります。しばしば、そこでは「悪」は苦しめられ、時には消滅されるべき、すべての人は定められた以上の幸せは求めるべきではない、より幸せになってはいけない、とされるのかもしれません。
さらには、ルール(人がどう扱われ、裁かれるのか)の内容は、幸せや愛に基づくものではなく、勝手気ままに決めるという考え方もあると思います。
こうした状況に直面して、仏教は「永遠の幸せ」にどのような価値があると考えますか?
あるいはもっと良い理想や目標がございますでしょうか?
他の二つの考え方との比較などを交えてご回答頂ければ幸いです。よろしくお願いいたします。
有り難し 6
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