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hasunoha 問答検索結果 : 「�%B」
検索結果: 1098件

教えて下さい。

今年2月に父が急死しました。父と言っても母の再婚相手で養子縁組などしておらず、戸籍上では他人です。 父は高校卒業後、進学・就職の為家を離れて現在の場所を終の棲家とし、生家よりお仏壇を移動しておりましたが、母には仏事全般に関わらせてなく(再婚した時はお互い50代でご先祖さまは何年も前にお亡くなりになっており、母の性格上自分が関わりたくないことを強く拒絶する傾向にある為) 生前、「お前には迷惑や面倒をかけないから」と良く母に言ってたそうです。 きっと聡明な父は、1人で抱えてやってきたんだと思います。 今までもお仏壇にはお水を供えてお花や果物を供えてはいたようですが、 私が「ご飯やお茶は?」と尋ねると、「今までお水だけでいい!って言われてたから、しなくていい」と言います。 この度、母と一緒に暮すようになった為、今後は出来る限りきちんとしていきたいので、足らない仏具は買い足し、毎朝ご飯とお茶をお供えするようにしました。 私の育った環境が宗教とはほぼ無縁だった為知らないことばかりで、今ネットで調べたりしながら勉強中です。 ご先祖様のお墓も遠方で(車で3時間程の隣県)私は数回お参りに行った程度です。菩提寺には行ったことはありません。母も無いと思います。 父の葬儀も同じ宗派の近くのお寺を探してお願いしました。 今後、父のお墓はどうするか?ご先祖さまのことはどうするか?いろいろありますのでその都度相談させて頂きたいのですが とりあえず、毎日のお供えやお勤めはどうすればよいのでしょか? 調べてみますと、ご飯とお茶とお水の両方という意見もありますし、お茶かお水のどちらかとの意見もあります。 お経本はお寺さんより頂きましたが、今まで触れる機会がなかったので どこをどう唱えればよいかもわかりません。お寺さんに尋ねることを母が嫌がります。(きっと、年齢的にも何も知らないと思われることが嫌なんだと思います) 父を亡くして日も浅いので、母に意見するつもりはありません。母の自尊心を傷付けないようにしながら、私が出来ることからやっていきたいのです。 父方の親戚付き合いもあまり無いので尋ねる事も出来ません。 宗派は真言宗です。 お世話になった父の為これからいろいろ勉強していきたいので、よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 17
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先進国で消費社会を生きていくという、業

私は日本の都会の街のベッドタウンに住んでいます。 電化製品もプラスチックも普通に使う、ごく一般的な先進国の生活だと思います。 仕事は、電化製品にまつわる仕事です。 文明に乗っかってのうのうと生きています。ここでネットで質問が出来るのも、その証拠でしょう。 しかし、そのことにたまに吐き気を覚えるのです。 (反吐が出る・怒りを覚えるというよりは、このままで良いのかと申し訳なくて胃が痛むといいますか……些か蛇足ですが、現在進行形で考え過ぎでお腹を下しております) 食べ物を食べれば家畜の福祉問題が気になり、買い物をすればプラスチックの廃棄物問題やらレアメタルにまつわる紛争やらが気になり……。普通に日本で生きていて何か大量消費社会の歪み、社会問題に関係しないことがあるのでしょうか。 かといって、私は環境問題の活動家になりたいわけでも、自給自足で生きていきたいわけでもないのです。病気や障害を持った人など、現代の社会であるから生きられるような人もたくさんいるでしょうし、文明が発達し教育が行き届いているからこそ、女性である私が自由な生活を手にできるのでしょうし。 現代文明の有り難みも罪も、両方ある程度承知しております。 もっとあけすけに言うのなら、そういうことをさして気にせずに、このまま文明社会で無知に能天気に生きていきたいのです。せいぜいスーパーの袋を断って、物を大切にするくらいで、楽しく生きていきたいのです。 お坊様は、この消費社会・現代文明で生きていくということの業……といいますか……について、どう考えられますでしょうか。

有り難し有り難し 27
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死産二回、私の人生について。

これまで3回妊娠・出産しました。 1人目の子は、何の問題もなく産まれましたが、2人目・3人目をこの一年の間に二度亡くしました。事情や過程は違いますが、流産ではなく死産です。いずれも偶然起きた事であり、運が悪かった、不運が重なったという事です。 だから今度こそという思いもあり、また妊娠をしたいという思い半分、また流産死産になるかもしれない思い半分、30代半ばで年齢的な問題、1人目の子との年の差を考えても、次の妊娠を考えるべきか、悩んでいます。 子供に兄弟姉妹を作ってあげたい、それが一番の理由です。 私がお聞きしたいのは、何故私ばかりがこんな残酷な思いをしなければならないのでしょうか? 誰かに恨まれるような事もしていない、真面目に生きてきたつもりです。いつも真剣に努力して生きているのに、報われない事ばかりです。 持病があったり、予め私に問題があっての事なら仕方がないかもしれません。でも、二回とも医師は「運が悪かった」というのです。 運が悪いではもはや納得ができないのです。 私は宗教とかお祓いとか占いとか信じてませんでした。でもこの数年で死産とその他にも事故や身内の病気、悪い事が重なり、何か悪いものに取り憑かれている、呪われてる、今そんな感覚があり、気持ちの整理のためにお祓いをしてもらおうかと考えてまいます。 お祓い、子宝祈願、何をすべきでしょうか? お祓いをすると周りに厄がいくというのを聞きますが、厄除けの方が良いのでしょうか。 こんな私はどこのお寺にいくのが良いのでしょうか? 不運だというのなら、運が良くなるための導きを教えてください。

有り難し有り難し 41
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生き続ける意味がわからないです

私は来年フリーのクリエイターになります。 前々からクリエイターとして仕事はしてたので、そこまで非現実的な選択ではないと思っています。 そしてありがたいことに周りの人は生きていくための色んなアドバイスを教えてくださいました。 ですが正直なところ好きな事をできているしもうのたれ死んでも良いと思っています。 作品を作るのは大好きですし、作りたいものはまだあります。夢にみた仕事にまでできて端くれではありますが、クリエイターとしてしっかり生きています。 嬉しいし夢を叶えられるなんてとても幸運で恵まれています。 でも、ながく生き続けたいと思わないのです。このまま作品を作って、今まで貯めたお金がつきるまで自由に生きて、つきたらそのままのたれ死んで。 作品が未完成に終わったとしてもそれはそういった運命で良いと思うのです。 それで良いと思うのです。 皆生き続ける事を前提に話します。でも、別に生き続けなくても良いのでは? 皆の生き続けるという意識がよくわからないです。 この疑問は周りには言わず心の中にしまっていますが、ずっともやもやしたままです。 どうすれば良いかわからないです。私が変なんでしょうか。 よろしければ相談にのっていただけると嬉しいです。

有り難し有り難し 12
回答数回答 2

地獄に落ちかけたのでしょうか

初めて質問をさせていただきます。 私はよく印象的な夢を見ます。 ほとんどがその時の自分の気持ちや実際の出来事を反映していることが多いので、 自分なりに解釈し、現実世界の行動に反映するようにしていますが最近見た夢で納得が言っていないものがあります。 その解釈をお坊さんの視点でいただけないでしょうか? ========== 私は切り立った岩山に囲まれた峠に居ます。 そこには温泉施設があります。私は番頭さんに声をかけて温泉に向かいます。 温泉は階段を深く深く下ったところにありました。 暖簾には「男」「女」ではなく「嘘つき」「炎」と書いてあります。 変わった風呂屋だなあ、はて、どちらが女湯だろうと迷います。 なんとなく「炎」ではない気がして「嘘つき」の暖簾をくぐりました。 脱衣所は広く、そこには女性だけではなく、男性もいました。 混浴だったか、ではもう一方を見てみようと荷物を置いて「炎」の暖簾をくぐりますが、靴置きに並んだ草履がすべて大層大きいものだったので、やっぱりここは男湯かと思い「嘘つき」へ戻ります。 暖簾をくぐると、私の荷物が漁られているところでした。 ========== そこで夢は終りました。 夢なので大したことはない、思い過ごしだと思われるかもしれませんが私にとってはなんだか気がかりなのです。 シチュエーションとして、夢で見たのは地獄の入り口だったのでは? 炎の暖簾の向こうの草履は、鬼のものでは? 温泉ではなく、釜茹でにされるところだったのでは? もしかしたら何かしらの悪行を積んでいるのではないかと。 ポイントは、私は普段自分のことを嘘つきだとは思っていないこと。 こんな夢をみるきっかけになった出来事に心当たりがないことです。 自分が気付いていないだけで、悪い行いをしているのであれば改めたいですが無意識にやっていることにどう気付きを得ればよいのか方法を知りません。 お坊さんはこの夢をどう解釈しますか? また、無意識に悪行を積んでしまっていたとして、無意識下の行動を改めるにはどうすればよいのでしょうか。

有り難し有り難し 31
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老いに対する恐怖

こんにちは。現在中学3年生の者です。 タイトル通り、自分は老いが怖いです。 よく、老いることと一緒に質問される「死」についてはあまり怖くありません。 もし生まれ変わりというものがあるならば、そのまま悪行を行わないようにして、また生まれ変わり、一方でもしないのであればそれを認識する術もないわけですから、特に恐怖というものは出てきません。 しかし、老いることだけはどうしても怖いんです。 僕は2004年生まれなので、もし80歳まで生きれるとしたら その時は2084年です。僕はその時、おそらくこの時代の中学生や高校生の「若さ」を羨望するでしょう。 一つ目の質問ですが、皆さんは10年前,20年前の自分、もしくはその年齢の人を「若さ」で羨むことはあるのでしょうか。 そして、二つ目の質問に関してですが、1年前、国語の授業で 「無常観」について習いました。 自然を対象とした無常観というのは、非常に美しく素晴らしい考え方だと思いました。しかし、人間関係や自分の老いに関する無常観は「儚い」という一言で表せると思ったのですが、 その「儚い」が怖いんです。 例えば、今は両親や祖父母が生きていますが、いずれ、どの順番かはわかりませんが、亡くなり、お別れが来ます。 また、今自分は「若い」という部類に入り、体力もある時期なので基本いろんなことができます。しかし、そんな自分もいつかは衰え、できることが少なくなると思うとどうしてもなんともいえない気持ちになります。 二つ目の質問なのですが、皆さんはこの「老い」についてどう思いますか、またはどう考えますか。そして、もし仏教にそれに関する教えがあるのでしたら、教えてくださると幸いです。  

有り難し有り難し 38
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