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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 好き」
検索結果: 999件

人生の意味

生きる意味を教えてください! 別に自殺を考えたり、リストカットしているわけではありませんが生きている意味がイマイチよくわかりません。 100年後には確実に今生きている人のほとんどが死んでいます。たしかに生きていると悲しい事も楽しい事もあります。しかしこの世にはテロや残酷な殺人事件、強盗、DV、痴漢、いじめなど人生を狂わせることがあります。私は幸運にもそういう事件や事故には巻き込まれていませんがそういう方は多くいますし、見聞きするだけでもとても嫌な気分になります。全ての人が嫌な奴とは思いません。しかし人の人生を平気で壊すような人が大勢いる腐った世の中で生きていくのにはいったい何の意味があるのですか?血のにじむ努力して頑張ってる人にとって、平凡に静かに暮らしている人にとっては理不尽だらけです。さらにいえば貧困やエイズ、戦争、病気で若くして亡くなる人にとってはもっと理不尽です。悪いことをした人に罰は与えられないのですか?反省すれば許されるのですか?何も悪いことをしてないのに被害に遭う人に幸せはくるのでしょうか?毎日毎日学校に通い、手伝いをし、ボランティアや習い事、部活をしている自分が生きている意味がよくわからなくなります。

有り難し有り難し 66
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愛犬を失った悲しみと後悔がとまりません。

数日前、私の一番の宝物だった愛犬(プードル)が亡くなってしまいました。まだ5歳でした。 死因は、父の運転する車にひかれてしまったことです。決してわざとではなく、単純な確認ミスでした。 そして母はその一部始終を見てしまいました。プードルちゃんの小さい体が車の下敷きになる直前の表情からその体が下敷きになって、やがて冷たくなっていくまで、ずっと。 私はその時現場におらず、一報を聞いて急いで帰宅し、遺体を見て触れ、その事実を知りました。 私を虚無感と深い悲しみが襲いましたが、その事実を知り、両親の苦しみを思うと気持ちはさらに混乱しました。 私は少し憤っているのかもしれませんし、自分がその現場にいれば違っていたかもという後悔もあります。 しかし自分より苦しみが深いであろう両親には絶対に気持ちは言えませんし、両親の苦しみがあまりにも深いため、自分が満足に心ゆくまで悲しむことが出来ずにいるような気もするのです。 両親は自分たちが殺してしまったのだとずっと苦しんでおり、その苦しみは計り知れません。 大きな後悔と深い悲しみと少しの憤り、これらを私はどうしたら良いのでしょうか。 そして、なにをしてあげたら亡き愛犬の魂は楽に、幸せになるのでしょうか。 皆さま、教えてください。 よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 94
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私は物事を考えすぎているのでしょうか?

はじめまして。 私は長い間、それこそ中学生の頃から、生きる事について自分なりに考えて参りました。 幼い頃は、生きるとは正しく(簡単にいうと道徳で習うような基本的なこと)在るよう努め、幸せになる事と思っておりました。 しかし、今までを振り返ると、正しさは私の人生において、幸せになる事とは異なる存在でした。 なぜ嘘をつくのか、なぜ陰口をいうのか、なぜ優しくしないのか、なぜ相手の立場に立って話をしないのか、なぜ傷付け傷つけられるのか… これらのある種意味のない疑問を持ち考え続けたことで、大切な人達にも息苦しい思いや悲しい思いをさせてきことがあると思います。実際に、そこまで正しく生きれない、お前を見てると辛いと言われてしまったことがあります… また、私自身も、正しさに執着し過ぎている為か、怒り悲しみを抑え込み、何よりも叶えたい強い望みも、他者の悲しみの上でしか成立しないと思うと何もできず、消化出来ない感情や気持ちとの矛盾で頭と心が度々悲鳴をあげます。 (勿論、抑えきれないない時もあります。その時は自己嫌悪で悲鳴をあげております…) そんな時にであったのが「人は苦しむためにこの世を生きる。現世で苦しみカルマをかることで、生まれ変わりの輪から抜け出すために人は生きている。」という一文でした。 おかしな話ですが、とても救われたきがしました。幸せにならなくて良い、正しさを求め苦しむことは、間違いではない、と言われた気が致しました。 ただ(だいぶ長い前説となってしまいましたが…)本当に根本的な事なのですが、正直、ここまで考えて生きる必要があるのか、疑問に思う自身もおります。 身近な人たちにこの様な話をすると、そこ迄考えなくて良いと言われてしまいます。 私は…考えすぎなのでしょうか? もう少し気楽に、幸せを求める方が健全なのでしょうか… (ただ、私は現在も決して不幸ではなく、むしろ感謝がつきない日々を送っておりますので、幸せと言う言葉には少し語弊があるかもしれませんが…) 長文の割りにあまり意図が伝わりにくい内容となってしまい申し訳ありません。なるべく素直に頭の中の言葉を書き出させて頂きました。 ご意見をお聞かせ頂けましたら幸いです。 どうぞよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 46
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なぜ今を生きなければいけないか

いつだったか、SF小説を読んで人間という生き物はとてもちっぽけでくだらない生き物だと感じたことがあります。 その思いは今でも私の根底にあり、私は人間が命を繋いでいく意味、私という人間が今を生きていかなければならない意味が分かりません。 ただ、弱くて不器用で、これから何も成し得ないだろう自分に対するあてつけや逃げの発想だろうとも思います。 いっそのことなにか精神的な病気にでもなってしまえればと何度も考えましたが、身体だけは健康体な私はメンタルにおいても中途半端なところで行ったり来たりを繰り返すだけで、結局何者にもなれないんだと惨めな気持ちになります。 彼氏にも、出来ることなら早めに死んでしまいたい、と言ったことはありますがどうしてそんなこと言うの、と窘められましが私にはそうやってたしなめる彼の気持ちが分かりません。 痛いことは想像するだけで心が苦しくなるので、自殺はすることはないと思います。 痛みもなく死ねるよ、と言われたら喜んで飛びついてしまうかもしれませんが。そんな状況はきっと妄想か漫画の世界だけでしょう。 私には気分の波があり、沈んでいるときは上記のようなことを永遠と繰り返し答えの出ないことで生きる理由を見失い虚無感に涙をながしています。 浮いている時も一時悩みもなくなり浮ついた心になりますが、沈んでいるときの落差からほんとうに今の自分は正しいのか、またすぐ沈んでしまうのではないか、そして改めて自分には何もない、自分は何者でもない、何者にもなれないことを認識してしまい自分は何をやっているのだろうなと物悲しくなります。 どう意識を切り替えていけば、少しは生きることに対して光を見出せるでしょうか。 どう方向を定めていけば、自分に対して前向きに向き合っていけるでしょうか。 長々と申し訳ありません。どうかご回答の程宜しくお願い致します。

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もし、あのとき、別の選択をしていたら

お坊さま、お正月をお忙しく過ごされていることと思います。 このメールをお読みいただき有難うございます。 寂しい、です。 自分が選択してきた道が、うまくゆきませんでした。 もし、あのとき、別の選択をしていたら・・・と百万回くらい悔みました。 だいぶ落ち着いてきたところだったのですが、 このお正月の休みで、またグルグルと考えが回ってしまいそうです。 過去は変えられないと、何人もの方々から言われました。 ごもっともです。 ですが、だからこそ、つらいのです。 受け止めきれていないのでしょうね。 失ったものより、もっているものに目を向けましょう。 これも、頭では分かっています。 でも、すぱっとは切り替えられないものですね。 時が薬になる、とも聞きます。 そうかもしれません。 2年前にくらべれば、少しよくなりました。 気持ちが沈まないように、することを見つけて工夫もしているのですが、気が付けば、過去に自分がした選択を悔いる気持ちに占領されます。 自分が選択した道が、生き甲斐だったのです。 でも、うまくゆかずに、生き甲斐を失いました。 心に穴が開き、ぽつんとしております。 私に残ったものは、なんだったのでしょう。 読んでくださってありがとうございます。

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死後の世界観

 初めまして。  私は、横浜で会社員をしている伊藤と申します。先日、テレビでこちらのサイトが紹介されていまして、仏教の教理に関して長年疑問に思っていたことがありましたので、質問させて頂こうと思い書き込みを致しました。  私は、大学生のころから仏教に興味を持っておりまして、仏教に関する本をいくつか読み、修行の真似事もさせて頂いたことがあります。仏教との出会いは、私の人生の中で非常に貴重なものでした。これからも、修行を重ねていきたいと思っています。  ただ、その中で未だに釈然としないことがあります。それは仏教の説く「死後の世界観」がなぜ宗派によってここまで大きく異なるのか、ということです。  仏教では、もともと「輪廻からの解脱」が一番の目的であったと聞いています。それが、現代の仏教では死後の世界観について「極楽浄土で仏弟子となる」といった立場や、「死後のことなど考えず、今を生きる」といった立場など、様々に分かれています。  私は、どうしても理屈っぽいので、このように死後の考え方が異なっていることに疑問を感じてしまいます。例えば、「極楽浄土に行けるなら、今は努力せず楽をしていた方が良いではないか。」と思うこともありますし、「死後の輪廻転生を否定するなら、そもそも修行する必要さえないのではないか」と思うこともあります。  先日、上座部仏教のお坊さんの著書を拝読して、私の考えに近いことが書いてあって共感を覚えました。そのお坊さんは、「死んですぐ極楽浄土に行けるのなら、どうして早く自殺しないのでしょうか。」といったことや、「輪廻転生が無いなら、どうして修行する必要があるのでしょう」といったことを述べておられました。  もし、輪廻転生があるのであれば、私もなるべく善行をしようと努力すると思います。逆に、輪廻転生がないと考えると、やる気を削がれ厭世的な気分になってしまいます。  人間がこのような気分になることを見越して、お釈迦様は死後の輪廻を説かれたのかもしれません。しかし、今の私にはそれ抜きで前向きに生きる心構えを持つこともまた難しいです。また、死後の輪廻を否定するならば、自殺を否定することもまた難しくなるのではないでしょうか。  こういった点を、お坊さんはどう考えているのか、どうしても気になったので質問させて頂きました。失礼なことを伺ってしまい申し訳ありません。

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死ぬと地獄行き

すいません。後から気づいたのですが2回同じ質問してしまってました。 こっちが本当です。 私の学校は仏教の学校です。 学校でのお坊さんの教えでは生きてるうちに良い行いをすれば極楽浄土へ行けるといったものでした。 私はそれを信じて今までちょっとした発言や行いで人を傷つけてしまったことを悔いてそのことを今一度悔いて謝ろうとも思っていましたし、少しでも人のためになるような良い行いをしていこうと心がけどのようにすれば良い人間になれるのだろうや一度罪を犯してしまうとその人は救われないのかなどいろいろ調べていると、たまたま見た記事に日本人はみな地獄行きというのがあり怖くなりついつい見てしまったのです。 するとそこには虫などを殺すと地獄行き、お酒を飲めばもっと怖い地獄行きなど他にも地獄レベルが書いてあるのがありました。 それはお坊さんが知ってることなどが書かれていたのです 私は、最近では虫を殺すのは悪いことだと思い今では蚊すら殺してなかったのですが今までは殺してしまったりしてました。 私達は、今までは罪を悔いて良い行いをしていれば人に好かれる人間にもなれるし極楽浄土へ行けると信じてきましたし地獄は殺人や人を傷つけても平然と後悔することなく生きている人間が反省するための場所と思っていました。 なのにそんな事実をつきつけられ私は、どうすればよいのでしょう。 1日1日を良いことをしても、どうあがいても逃れられない地獄へ行く恐怖をもちながら生きていかねばならないのでしょうか? 今まで学校で教わった教えはなんだったのでしょうか? すぐ泣いてしまう私なのにショックと信じられないという思いですぎて涙もでません

有り難し有り難し 1145
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