祖父母が浄土真宗です。叔父叔母も浄土真宗です。 昨年末祖父が亡くなりました。亡くなった理由に結構な影響を与えたと思われる人物が叔父、叔母です。 先日100か日法要が終わり、納骨堂に行きました。 そのお寺では線香に火をつける為にマッチとライターが置かれて居ますが、ライターが点火しませんでした。 マッチの燃えカス入れは無く、叔母が点火させたマッチの燃えカスをどうしようか叔父に話していた所、火をつけた線香を横に並べる器に入れればと言っていました。 お経の本の焼香の所は「を」が「お」になって居たり、納骨堂の仏像に御仏飯が備えられているのですが、明らかに乾燥しまくっている物でした。 浄土真宗では御仏飯はその日ごとに変えなくて良い物なのでしょうか? また、叔父がやろうとした燃えカスの件は浄土真宗では妥当なのですか? 私は燃えカスは完全に水に浸してから可燃物として処理しました。
(編集部より、規約により投稿の一部を変更しています) 表題の件について質問させてください。 この質問をさせていただいたのは、ある団体が配布した夫婦別姓反対、同性婚反対、LGBTQに対する差別表現が記載された冊子の存在です。 その団体は神社包括団体の神社本庁と繋がりが深く、その意向が名だたる神社にまで影響を与えていることを知りました。 [とあるLGBTQ団体が参拝者数の多い32社の神社に上記の内容(性的マイノリティに関する理解・取り組み、家族制度)に関してのアンケートを取ったところ、回答があったのは1社(回答しないとの返答)、回答なし31社とのことでした。] 自分の産土神社もアンケート送付先神社に含まれており、LGBTQの当事者である自分には、その結果に悲しみと共に喪失感を覚えました(それ以前にも、神社本庁の内部抗争に疑問を呈しこちらにて質問させていただきました)。 その上で気になったには、仏教側(特に宗派ごと)はLGBTQに対してどのように感じておられるのかを率直にお伺いしたく質問させていただきました。 自己満足ですが、広く皆様のお話をお伺いできれば幸いです。 よろしくお願いいたします。
嫁ぎ先の父が亡くなり、お葬式をするにあたって本家から浄土真宗本願寺派である事を教えてもらいました。私は今まで特定の宗教を信じたことはありませんが、父が阿弥陀様の後光の一部となり、苦しみなくいられるのであればそれに勝る事はないと思っています。 さて、タイトルについての質問です。 ご縁があったのか偶然なのか、不動明王様と倶利伽羅龍王について知る機会がありました。不動明王様、その化身である倶利伽羅龍王には全ての煩悩や怒りを鎮め、消滅させる力があるという所まで調べることができました。 お不動さんという単語には耳馴染みがあります。真言宗や天台宗等幅広く信仰されているらしい所まで分かりましたが、浄土真宗の教えとは大きく異なる印象を受けました。 父の死をきっかけに、浄土真宗本願寺派の菩提寺とのご縁を結んで頂きましたが、現在、私が抱えている(幼少時から続いた虐待、高卒で就職後も続いた人格否定やコントロールに)怒り、悔しさ、悲しみ、苦しさ、等々が薄れません。 自分が被虐児であった事実を飲み下し、せめて炊事洗濯だけでもできるようになりたいと(現在も取りかかろうとすると体が竦み、パニック状態になります)精神科の先生や主人と話し合い『出来る事を出来る時に出来る分だけ』等を目標に掲げて日々を過ごしています。 治療の開始から、10年近くが経ちました。先生や主人に支えられながら手探りで進み、戻り、日常の精神状態もフラットでいられる日も多くなりました。 しかし凪いだ日が続くと、あの地獄のような頃が夢に出てきます。二度と会う事も声を聞く必要もなくなったというのに。 目覚めた時からフラッシュバックに苛まれ、怒りの感情が暴走します。幸い自分以外を傷つける事はありませんが、のたうち回る苦しみは言葉で言い表せません。 先述の通り、我が家の菩提寺は浄土真宗です。しかし私は自分の身の内にある怒りや悲しみ、悔しさ等々を消化していきたいのです。 月参りに来て下さっている菩提寺様とは異なる宗派へ、救いを求めていいのでしょうか?双方へ失礼ではないのでしょうか?
いつも丁寧にご教授頂きありがとうございます。 今回は仏壇のお参り作法について質問させて頂きます。 私の家は日蓮宗で、朝夕のお勤めをしています。 妻の実家は浄土真宗の家で宗派が異なっています。 私の家ではいつも勧請、開経偈、方便品、寿量品、唱題、回向、(一部省略)と、一般的な日蓮宗の流れに沿ってお勤めしておりますが、妻の実家では宗派も違うため仏壇に手を合わせるだけの簡単なものになっています。 皆様は異なる宗派の家などでは、どのようにされているのでしょうか。例えばこの場合、般若心経などをお唱えしているのでしょうか。
この度、結婚が決まりました。 結婚前は日蓮正宗でしたが、嫁ぎ先は天理教です。 その場合、何か必要な手続き?のようなものはあるのでしょうか。 と言うのも、実母は信仰を強く重んじており、私が天理教の宗派のもとに嫁ぐことを良く思っていません。 反対を押し切って結婚を決意しておりますが、少しでも母の気持ちを楽にさせてあげられるような儀式のようなものがあれば、行いたいと思います。 私自身は宗派が変わることに抵抗はありません。 ぜひ、ご返答いただけましたら幸いです。
私は仏教徒ではないかなと思い始めて、でも宗派はわかりません。 私は酉年の生まれで不動明王が私の化身ではないかと思えるほど厚く信仰したい対象です。 身近なお経は般若心経。小3から絵心経を持って、ときどき唱えてます。 そして、大学の先生から「宗教戦争を起こしてないのは仏教だけ」と聞いたので、世界平和を祈る私にとって一番ベターな宗教ではないかと思うのですが、どの宗派が合うのでしょうか、教えていただければ幸いです。
僕は今、浄土宗の御念珠は持っております。 そこで質問をさせていただきたいんですが、 父方の家の宗派が曹洞宗で、母方の家の宗派が浄土宗です。 こういう場合は、曹洞宗と浄土宗、両方の本式御数珠を持っていなければならないものなんですか? 昨年、2017年の母の日に母方の祖母が亡くなりました。 この機会に浄土宗の本式御数珠を購入いたしました。 毎日お経を唱える時に思うことが、 父方のほうの本式御数珠も持っていた方がいいんかな、とういうことです。 父方の実家は遠く離れているのでお参りをすることが少ないので、 略式御念珠で済ましています。 やっぱり父方のほうの曹洞宗の本式御数珠も購入すべきでしょうか。 御回答、よろしくお願いいたします。
昨年、門前市にて お不動様の銅像を購入しました。 一年ほどネットなどを参考にしながら、お祈りさせていただいておりましたが、中古であることが気になっており、真言宗寺院にて開眼供養をしていただきました。 その中で、ご住職が先祖代々に関する事も祈られて下さったように記憶しているのですが、主人の実家は浄土宗であることを失念しておりました。 主人は次男で、特に宗派にこだわりがある様子でもなく、諸々の引継ぎは義兄が行う予定です。 後で気が付き、ご先祖様に失礼な行為ではなかったか、ご住職にも大変なご迷惑をかけてしまったかもしれないと悩んでいます。 私自身は、お不動様の寺院にお参りをすることを習慣としており、実家との宗派の違いの中で、どのように ご先祖様へのご供養をしていったらいいのか(般若心経などを唱えたりしても大丈夫でしょうか?)分からずにいます。 今後の参考にご教示いただければ幸いです。
(こちらの質問は編集部により一部編集しています) 婚家の宗教に、一度はなじもうとサイトを開いてみた。 しかし禁忌項目についていけません。般若心経はダメとのことですが私は 小学3年から読んできているお経。神棚もダメともことですがしっかりありま す。小学3年から敬神崇祖の教えを基本に生きてきましたが、神も祖先も 大事にしたい。他にも禁忌項目があるけどついていけず寝込んでしまいました。 主人に改宗を依頼してもいいでしょうか。お寺参りも趣味で主人が定年に なればいろいろ廻りたいですがそれもダメなようです・・・。実家は曹洞宗です。
今日は新暦での涅槃会ですが、 涅槃経を読誦する宗派・寺院はありますか? その涅槃経はどの漢訳のを使用するのでしょうか? また、涅槃経の全文を読誦するのでしょうか? それとも一部でしょうか?
お世話になります。 先日、叔母が他界し、先祖代々曹洞宗の檀家でした。 しかし、叔母の喪主の長男が、本人の金銭的な理由により、依頼した葬儀社から真言宗の僧侶が派遣され、葬儀を執り行いました。戒名も真言宗の形式になってしまいました。 菩提寺とお墓が遠方のため、49日法要も真言宗の形式で執り行う予定です。 納骨の際、菩提寺にはどのような手続きを進めていけばよろしいのでしょうか。 よろしくお願いいたします。
私の父方の家系は浄土宗を菩提寺としております。 一方、母方の家系は臨済宗の檀家です。 私自身は長男ということもあり、父方の家系である浄土宗との縁を続けていくことになります(それ自体に不満はありません。むしろ積極的に阿弥陀経を覚えようとしております)。 以上を踏まえまして、お伺いしたいのは以下の点です。 先日母方の家の法事に参加した折、いらっしゃったお坊様は当然ながら臨済宗の方であり、法事も臨済宗のやり方に則って行われました。 このように、自家の宗派と異なる法事や葬儀に参加した場合においては、自家の宗派のやりなれた作方で良いのでしょうか、それとも先方の家の宗派の作法を聞いて合わせるほうが良いのでしょうか。 例えばお念珠一つ取っても、形も違えば手を合わせるときに指にかける場所も違う。焼香を火の上に乗せる作法も違う。称名も、浄土宗は南無阿弥陀仏ですが、臨済宗では南無釈迦牟尼仏です。 お経はお坊さんがお唱えなさっているものを一緒にお勤めすればよいと思うのですが、それ以外のお作法は進行をスムーズに行うために慣れた方法を用いるので良いのか、それとも親族一同で作法を合わせることで統一感のある供養をするほうがよいのか、ふと疑問に思いましたのでお伺いしたい次第です。 なんともつまらぬ悩みではありますが、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 私の家は浄土宗ですが子供の頃から正月や受験の時など真言宗のお寺で護摩祈祷を受けていました。もちろん氏子として近くの神社にもお世話になり、私自身も巫女のアルバイトもしました。 亡き父は趣味の幅が広く空海の本も多く読んでいました。この数年は母は菩提寺と別の真言宗豊山派のお寺で観音講や御詠歌でお世話になっています。母は信仰というより老人会の延長のような感じと言っています。ちなみに母の実家は神道です。 私は数年前に京都東寺の講堂で心の安心を得てから仏教や弘法大師の勉強を始めました。大学や、お寺の公開講座を受けたりお寺を巡る中で自身には真言宗がしっくりくると感じています。私は一人っ子なのでお墓や仏壇を将来どうしたら良いかまだ漠然とですが悩みます。 菩提寺の住職様は父が生前、娘はお大師さまの勉強をしてる、と話した時に とても良いことですね とおっしゃっていたようです。もし私が真言宗のお寺にお世話になりたいと思う場合はどうなるのでしょうか。どうしたらよいのでしょうか教えていただきたくお願いいたします。
埼玉県在住の母86歳から墓守を頼まれています。私はバツイチ独身で実家の墓は静岡です(自分も静岡在住) 私はこれまでに何度も墓についての話を求めてきたのですが母からは具体的な説明が全くありません。 母は信心深いとは言えない人です。自分が死んだ時のことを想像したくない様子がありお墓のことも話したくないのかもしれません。 実家のお墓の住職は布施の要求が高額だったり檀家の悪口を言うなど評判もよくありません。 この住職を尊敬信頼できないため私が墓守をするなら自分の好きなお寺に移転したい、と思うのですが。 その場合、今のお寺から高額な請求や嫌がらせをされないか、とかお墓の移転、改宗など大それたことのように思う気持ちもあります。 ちなみに私は無宗教ですが現在臨済宗のお寺で坐禅をさせていただいています。 そのお寺や住職の人柄が好きで尊敬信頼しています。 できましたら自分が好きなお寺にお墓を、、という思いが強くなって参りました。 お墓の移転など注意すべき点などありましたら教えていただけますでしょうか。 よろしくお願いします
初めて質問を投稿いたします。 るると申します。 私は学生時代うつ病を患い、生きていくことのつらさ苦しさと死への恐怖に悩み、救いとなる教えを求めて父方の宗派のお寺である東本願寺へ参りました。 そこで、どのような人間であってもすくい取ってくださる阿弥陀様の教えを聞き、何があっても必ず助けてくださる存在があるということに強い安心安堵感を得ることができ、その後は真宗の教えを聞く機会を定期的に作り心の支えとしてきました。 数年後、大学は無事卒業し就職すると私は非常に忙しい部署に配属され、激務と過労で再びうつ病の兆候が出てきて頭の中があらゆる雑音でいっぱいになっているような感覚に陥りました。 その時心の支えとなる教えをまた求めてお寺に行こうと決心したのですが、何故か今回はいつもとは異なる直感のような感覚で母方の宗派のお寺である永平寺に参りました。 永平寺で禅の一端を体験し、その後禅に関する本を読む中で、あるがままを冷静に見つめ自らの内の欲や煩悩を統御する教えを学び深く感動し、禅の教えをこれから生きていく中で実践したいと思いました。 前置きが大変長くなりましたが、二つの宗派の教えと出会いわたしは今どちらを信じたら良いのか迷っております。 煩悩を否定せず阿弥陀様が必ず救うとする真宗か、煩悩を統御し坐禅を通して自ら悟りを目指す禅宗か、全く異なる教えに触れどちらも捨てられないと悩んでいます。 両方を信じる道もあるのでしょうか。 拙い文章になりましたが、僧侶の皆様から何か教えをいただけたらと思います。 何卒よろしくお願いいたします。
お世話になります 叔母が亡くなってしまいました、病死です 私は不自由な心身なので医師の許可や人の手を借り、なんとかお見舞へいけました。 自分の思いと感謝は、意識のない叔母に伝わったと信じるしかないですよね。お見舞の翌朝逝ってしまった…悲しいです悲しいです お通夜告別式への参列は、医師の許可がでません…母が参列です。 そこで教えていただきたいのです 叔母は浄土真宗とのこと、母は禅宗との違い(マナーや作法•初七日や四十九日)を心配しております。教えてくださいお願いします
仏教でもキリスト教でもイスラム教でも、宗教は対立し得ないと思っています。現実に起こっている戦争は、宗教を大義名分にした、個人的な諍いに過ぎないと思います。 さて、宗教に関心はあるのですが、法華経を読んでも、聖書を読んでも、古事記を読んでも、自分が特定の立場をとる根拠が分かりません。 どのような基準で特定の宗教に入るのでしょうか? 「親が○○教だったから自分も」というのは、宗教性と何ら関係がないことだと思います。 みなさまは、なぜ仏教を選び、その宗派を選んだのでしょうか? また、他の宗教についてどう思いますか?
初めて質問させて頂きます。 私は昔から仏教に関心があり、最近になって本格的に信仰していきたいと思い立ち我が家の宗派を尋ねたところ、祖父(存命)の菩提寺が浄土真宗だと言われました。 浄土真宗について調べた結果自分に合っていると感じたので信仰させて頂こうと決意し、近隣のお寺を探したり浄土真宗のお坊様がいらっしゃる学習講座に申し込んだりしました。 しかし先日、何気無く祖母の仏壇の掛軸を見たら大日如来様が描かれていることに気付きました。 祖母は特に信仰を持っていた人ではなく(正確には他宗教に“所属だけ”していました)菩提寺も無かったので、言い方は良くありませんが親戚に任せて急拵えで葬儀を行ったそうです。 私以外の家族全員宗教に疎く、祖母が実質的に真言宗式で祀られていることを把握していませんでした。 そして祖父の菩提寺について調べたところ、浄土真宗ではなく真言宗であったと発覚しました。このことも私が調べるまで誰も把握していなかったので祖母が真言宗式で祀られたのは偶然だったようです。 一連のことは大変ショックでしたが、真言宗や大日如来様に関して決して嫌な感情は抱いておらず、私が元々曼荼羅図が好きだったこともあり不思議な御縁を感じてしまいました。 しかし私にとって阿弥陀如来様や浄土真宗の教えは大きな心の支えとなっており今更鞍替えすることは考えられませんが、真言宗との御縁を無視してしまうのも辛く悩んでいます。 浅学の上とりとめもない質問で恥ずかしく思いますが、お坊様方のお考えを宗派問わずお聞かせ頂ければ幸いです。
お坊様方が違う宗教、宗派の故人へのお参りをする際の方法について質問です。 職業柄、多くのご遺体と接してきました。 自分の仕事を全うし、最後には手を合わせ 「安らかにおやすみください」 と心の中で思っていました。 外国の方で熱心なキリスト教徒の方が亡くなった場合は手を合わせる仏教的なことは控えた方が良いのでしょうか。 私は一番大切なのは故人に敬意を払い、ご遺族に配慮することであると思っています。 見よう見まねでその宗教の作法に従うか、慣れている作法で行うべきなのか。 お坊様方が他宗教他宗派の方の葬儀に参加される際はどのようにされていらっしゃるのでしょうか。
以前に質問させて頂いた者ですが、仏教を学ぶ中、従来の信仰宗派とは別宗派の教えに魅力を感じるようになりました。改宗ということも可能な世の中ではありますが、大事になることは重々承知であり、現段階では実行せずにと思うのです。そんな中、自分自身その別宗派が重んじている教えに心を打たれた訳なのですが、現在の宗派に属しながらも個人として別宗派の教えにあやかると言うのは善として捉えても良いのでしょうか?勿論ご先祖様の供養について無礼なく従来通りで供養に努めて参りますが。また改宗についてもし何かアドバイスが頂けるとしたならば有難いです。よろしくお願いします。