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検索結果: 1255件

どうすれば自信がつきますか?

こんにちは。 さっそくですが、本題です。 わたしは自分に自信がありません。 自信がないからこそ常に周りの人間と自分を比べて、 Aさんには〇〇で私のほうが秀でている Bさんには△△で私のほうが勝っている と無意識のうちに考えてしまっています。 自分が優っている点が無い相手に対しては 近づきたくない、と思ってしまいます。 (本当に何においても優ってないかどうかではなく、自らが自分の方が優っている点を認められるかどうかが問題です。) 自分に自信が無いことで気持ちが沈んでしまったり、 交友関係が狭まってしまっていると感じたり、ということに悩んでいます。 常に自信があるフリ、堂々としていて怖いものなど何もないフリをするのに疲れてしまう時があります。 自分にも弱さがあると認めること、それを他人にさらけ出すことが恐いのです。 「強いわたし」という仮面が剥がれたらみんなが離れていってしまうような、 離れていった何人かは自分の「敵」にさえなってしまうのではないか、 というような強迫観念、自信の無さから 自分は強い、自分は他人より優っている、と強く思わないとやっていけません。 (この辺は小学生の頃にイジメにあい、4~6年生の間に転入先の小学校でクラス替えがない学級の中、たった独りで耐えなければならなかったことの影響かと思います) もっと肩の力を抜いて人を信用し、 自分を認め、本当の意味での自信をつけるにはどうしたらよいのでしょうか?

有り難し有り難し 204
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2022/02/07

心が壊れてしまう

混沌とした世の中で暮らしていくのが辛く苦しい、この閉塞感の中で平和でもない中オリンピックなど開催しウイグル地区の人達への人権侵害で政府関係者のボイコットなどしても何の意味もなく国の威信をかけての見せかけの平和の祭典に連日お祭りのように報道するマスコミにもコロナ禍とし場当たり的な対応する政府にも嘘が見え隠れし心を保って生活するのが難しく感じています。  ミャンマーのロヒンギャ難民の人達の悲惨さも軍事政権の横暴さにも胸が痛くなります。ミャンマーの人達の解放のためにNPO法人などで助けになろうとされている知人もいます。私も自分の出来ることはと寄付や募金などしていますが、出来ることは少なく苦しい思いです。自分が今あるところで自分の出来ることをして日々生活していくしかないと思いますが、理不尽なことがいつまでまかり通るのかと心が壊れそうです。 都市部は情報が多く心が惑わされることが多いのかもしれません、都市部で働いて都市部で生活するのに疲れました。都市部から離れて自然と共に生活して自給自足までは難しいとしても自然の営みの中での生活をしたいと思います。報道番組はなるべく見ないようにしていますが、連日のコロナ騒動の話題が辛いです。自分の与えられている環境に家族もいて仕事もあることに感謝はしていますが、心のざわめきが抑えられません。どうしたら心を整えて生活していくことが出来るでしょうか、このままでは心が壊れてしまいそうです。

有り難し有り難し 52
回答数回答 4

一生治らない病。まだ苦しむなら今すぐ死にたい

現在、心身の不調により幾つかの病院に通い続けておりますが、どの病院でどんな治療をしても、全く良くなっておりません。 むしろ悪化しております。 幼少期より、あらゆる箇所に不調が現れ、その頃から手探りで病院に行っておりました。 高校生の頃から、幾つかの病院へ本格的に通うようになりました。 それでも どんどん悪化し、今は20代前半ですが、ほとんど動けず、寝たきりに近い状態です。 安静にしていても、いじめ等、過去の辛い記憶が頭を支配して非常に辛いです。 かなり前より希死念慮はありましたが、年々強くなっております。 検査で明らかな異常が出るわけでもないためか、お医者さんは未だに病名を断定しにくいようです。 心と体の両面を、行政にも相談しましたが(電話や対面で医療相談が出来るもの)、とても面倒くさそうで、適当な返答をされるだけでした。 検査で明らかな異常も出ないため、周囲にも理解されず、ただ怠けていると思われているようです。 (動きたいときに動ける方から見れば、そう思えても当然かと思いますが、やはりショックです…) 何をしても改善されないため、この病気が治るのか以前から疑問に思い、何度か医師に聞きましたが、あまり相手にされませんでした。 しかし先日改めて聞くと、 「こちらも困ってるんですよ」「あなたはもう治らない」「一生病院に通って薬を飲むしかない」 とのことでした。 覚悟はしていましたが、この状態が自然死するまで続くとわかると、今すぐ終わりを選びたいと、更に強く思います。 仕事も出来ず、話し相手もおらず、1日中 家の中で孤独に横になる生活が何十年も続くのならば、今すぐ死を選びたいです。 誰かに殺されるのでも構いません。 日本にも安楽死の制度があれば良かった。

有り難し有り難し 53
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個性を磨く。

お久振りです。いつもお世話になっております。ユーリです。 今回は、個性を磨くということについて質問いたします。 教育現場では、良く「個性を磨く」といった文言が使われ、「生きる力」と共に、二大教育用語になりつつあると、私は考えております。 さて、個性というと、広義にはその人の特性・性質ですが、それを磨くというと、どういった意味なのでしょうか? 私個人の見解を述べますと、やはり、短所のない人間はいないわけで、また、自分と同じ人間もまたいないわけであります。 自分を追及し(今頑張っています。)、自分をより深めることで、自分にしか出せない味を出す。それによって、噛めば噛むほど味が出てくる。噛めば噛む程、噛んだ傍から味が出るような。そんな人間を目指すのが、「個性を伸ばす」だと感じてならないわけであります。 私は、部活の野球はベンチ外。勉強は、論外の外。顔は、圏外の外。 喋らせたら、うるさいとよく言われ…。そんな人間です。 ですが、人に誇れるものというととくにありませんが、この喋りというのは、自分の中で好きな部分ではあります。 アホなこと言って、「自分ってあほやなー」と、振り替えってにやにやしてしまう。そんな自分が大好きです。 元々、芸人になりたい私ですから、そう感じるのかもしれません。 「よく喋る・デブ・ちび・くそメガネ・頭悪い・送りバントが得意」これが私の個性です。 ですが、「よくしゃべるなー・・・」と周りに言われるということから、それを不快に思う人もいるかもしれないわけです。 自分は誇らしく思っても、そんな一面を磨いてどうするのかと思うわけです。 「個性」には、対個人、対社会にプラスのもの、マイナスなものがあるわけで。 マイナスなものだとしても、それを伸ばせ、ってことなんでしょうか?

有り難し有り難し 20
回答数回答 4
2021/11/13

助けてください

 こんばんは。お世話になっております。  僕は現在、東京に住んでいます。およそ半年前までは青森に住んでいました。少し複雑なお話ですが、2018年頃に青森に住んでいた親が東京に仕事の事情で転勤になりました。僕は当時高校生で、高校を変えたくないという理由で祖父母の家に3年間お世話になることになりました。そして半年前高校を卒業し両親が住んでいる東京に就職し、今は実家暮らしです。  今、祖母が大変な事になっています。身動きが取れず、どうにもできない状態です。祖母は現在うつ病のような症状があります。うつ病だけでなく、歩けないほどの足の痛み、内臓が下がる病まで発症しています。  それに加えて、1年半程前に祖父が脳梗塞で倒れ、脳梗塞の後遺症が原因で今は祖母が面倒を見ている状況です。しかし、祖母もとても祖父の面倒を見ながら暮らしていける状態ではありません。  祖母は息子、(僕から見たら母の弟)や親族の人にも病院に連れて行ってもらったりしていましたが、息子や親族の人達は嫌気がさしたのか祖母に何もしなくなってしまいました。うつ病は症状が外に表れないため、親族の人達は病気じゃないだの一人で頑張れだのといって全く理解してくれません。  僕の母もなんとかしてやりたいとは言っていますが、東京に住んでいるためにそう簡単には行けません。  いくら祖母が具合が悪いといっても近くにいる人は病院にも連れて行ってくれないので、今日はついに自ら救急車を呼んで病院に行ったそうです。  しかし、その後息子も病院に来て一緒に診察を受けて、息子が医者に足の痛みの症状だけを伝えて肝心のうつ病のような症状には触れずに病院から帰ってきたそうです。  母の話だとおそらく、もしもうつ病や精神病の診断が出れば後々面倒事(祖父母の介護など)になりそうだからとわざと伝えなかったのではないかと言っています。  近くにいるはずの人達は頼りにならず、どうにもなりません。僕の脳裏に浮かぶのは、このままだと祖母が自殺してしまうんじゃないかという不安です。僕にとっては3年間お世話になった第2の母のような存在で、何もせず最悪な結果になって後悔するよりは、僕が青森に帰ってなんとかしようかとも考えましたが、こんな状況にも関わらずそれをやる勇気がありません。本当に無力です。  この状況を打破できるような解決策はありませんか?回答お願いします。

有り難し有り難し 35
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祖母のお骨についてアドバイスお願いします。

昨年祖母が亡くなりました。 葬儀は密葬で行い、お寺を通さなかったので祖父や曾祖父母が入っているお墓に納骨しておりません。 当方は結婚して実家を出ている為、このお墓に今後入る予定はないのですが実の両親はこのお墓に入りたくないので祖母のお骨も入れていません。 両親がこのお墓に入りたくない理由としては祖父が他界した時(約20年前)このお寺から戒名代もかなりな高額で、その時の住職さんやお寺関係者の態度も傲慢だったのが父には我慢出来なかったそうです。 その後、事あるごとに実家にとって高額なお布施やとうば代を要求するお寺のやり方についていけないのもあり、お寺の方針を受け入れられないのです。 その為両親はお寺に不満が溜まり、祖母と話し合った結果、祖母のお骨は手元に置いておくという約束を生前の祖母としたみたいです。(当方は祖母から実際にこの話を聞いていないので両親が本音で話しているかは不明ですが…) しかしこの決断を受け入れられない叔父や親戚から「祖母をきちんとお墓に入れるべき・お金の問題ではない・祖母が可哀想」と言ってきます。 父は断固として叔父や親戚の意見を受け入れずにいます。 私は嫁に出た立場なので何も言えませんが、故人のお骨で家族や親戚がいざこざ起こすのは祖母が一番悲しむと思います。 私は今後どのようにしたら良いでしょうか? 私は祖母の意思を尊重してあげたいとも思うし、交友があった親戚が祖母をお参りしたい気持ちも分かります。 ただ喪主である父の意思が固すぎるので何を言っても父は受け入れてくれません。 

有り難し有り難し 60
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2023/02/03

輪廻転生の考え方について

質問が2つあります ①仏教では輪廻転生と言う考え方で生まれ変わると言われていますが 人口の増減についてはどう考えているのでしょうか? 今の日本の人口は1億人を超えていますが 奈良時代 大宝律令ができたころは310万人~320万人ほどだったようです。 日本史の教科書では 昭和初期の満州事変が始まった頃のことを 日本は中国人4億5千万人を敵に回すことになった と書かれていますが 今は中国の人口は軽く10億人を超えています 同じ国籍だけに輪廻転生するとは限らない 世界規模で考えるべきとしても 現在世界の人口は70億人程度いるようですが 1世紀に前に比べても数倍になっています もっと言うなら 数万年前の ~~原人 とかいたころはどうなのか? とか いろいろ説明がつかないことばかりです。 昔の 江原啓之さんが出てくるような心霊番組はテレビでやらなくなりましたが (便乗した霊感商法 悪徳商法がはびこるようになるとか、輪廻転生を信じた人が人生をやり直すために自殺するケースが出たなどの理由で弁護士などがテレビ局に抗議したそうですが) 当時の番組では江原さんは輪廻転生を言っていて 「あなたの前世は~」と言う話になると 全て人間であり、他の動物だったケースは見たことがありません。 しかし 全ての人間が また人間に輪廻転生をするとすると 個体数の関係で辻褄が合わないことになります。 これは仏教ではどう考えているのでしょうか? ②私は亡くなったら全て「無」に帰す 霊魂も輪廻転生もないインチキだ と言う考え方は好きではありません。 それは 大切な肉親を亡くし時点で「永遠の絶縁」を意味するからです。 死ぬことは怖いとは思いませんが、肉親と未来永劫絶縁になると想像するほうが怖いです。 霊魂や輪廻転生を完全否定する宗教家の方もいるようですが、肉親を亡くしたら情なんて捨てろ と考えているのでしょうか?

有り難し有り難し 34
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諦めることと小欲知足

私は回転寿司に頻繁にご飯を食べに行きます。 大体、週に1日くらい行ってます。 そこで気が付いたことに対しての質問です。 回転寿司ではほぼ毎回、お皿22枚(44貫)と青さの味噌汁1杯食べたところでお腹がはちきれんばかりになります。 今日はお皿18枚(36貫)と青さの味噌汁1杯でお腹がはちきれんばかりになり帰ってきました。 ここで普段30皿(60貫)と青さの味噌汁2杯食べる人が、 『その程度の食事で諦めるな(放棄するな)。もっと記録を目指せ』 と言ってきたとします。 自分の中では満足しており別に上を目指す気もない場合は、『諦めている(放棄している)』とはみなしていないです。 また、自分の心の声で、 『普段はもっと食べているんだから諦めず(放棄せず)に普段の記録まで持っていけ』 とあったとしても、今はお腹いっぱいなのでやっぱり『諦めている(放棄している)』とはみなしていないと思っています。 それどころか、満腹でお腹が苦しいという事は、食べ過ぎており、諦めていない(明らかに見ていない=邪見)であるから、次回からはよく心を観察して、今回より減らして食べよう、そしてそれが苦しまずに足りているか確認し、多いようならまたその次は減らそう。 ただし、明らかに少ない皿数(1皿2貫or青さの味噌汁1杯)だけを食べて帰るという真似は足りてないからやめよう、と考えております。 前置きが長くまり申し訳ありません。 ここで質問です。 1.出家者にしろ在家者にしろ、明らかに見た(諦めた)結果の小欲知足は、人によって基準が違うのでは。だからやり方は教えれるけど答えは人によって違うのではないか。 2.ブッディズムでいうところの『気付き』は、特別な場所や時だけのものではなく、いつでもどこにでも転がってお普段から注意深く観察しておれば、誰でもできる『行』となるのではないか。 3.なぜ自分は毎回食べる前からわかっているのに、苦しくなるまで食べ過ぎて苦しんでしまうのか、、それはあれもこれも食べなければ(しなければ)ならないという思い込み、つまり正思惟の逆のことをやっているからでしょうか。 最後は、それでも毎回やめないのは、今現在苦しくても時間がたてば苦しみも治まる(諸行無常である)。それどころか生きてる実感があると高をくくっているところがありますが。 アドバイスをお願い致します。

有り難し有り難し 36
回答数回答 4

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