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検索結果: 1796件

疲れと怒りで心が悲しい

疲れと怒りで自分の心をコントロールできなくなりました。 最近では「今から僧侶になったら仕事はありますか?」と俗人として尋ねたとき 「僧侶は職業ではなく、仏様を拠り所として生きる生き方です」 と立派な返答がありました。 しかしその方自身は寺を生業に豊かに生活し、立派な返答とは異なる子育て話や美容室代はどこから?と思うほど綺麗に飾っていました。 仏教でビジネスをなさっての言葉で、説得力がありません。 不審感が爆発しそうに感じました。 人の心は小さなきっかけで歪みが生じてしまいますが、半分救われ改善しては半分傷ついてしまう。心が転んでしまう。 苦しんで生きていても人の幸せは喜べます。 しかし僧侶で結婚しても良いけれど、子育てママアピールをしながら、普通の人より派手な生活をしつつ人に説法をする僧侶は苦手です。 違和感があって近づきたくありません。 反対にその浄土真宗は、先進的な経営を全面に自ら堂々と公表して多くの信者の心を獲得しました。 その方が清々しく爽やかで好きです。 他宗派ですが、宗派を変えようと一瞬でも思うほど新しいビジネスモデルの素晴らしさを尊敬しています。正直、先進的な考えを受け入れて時代に発信した僧侶の方々を大好きになりました。 どこも生き残りをかけて頑張っているのなら、中途が僧侶になっても仕事はない可能性が高い点は綺麗な言葉ではなく正直に言えばよいと思いました。 「僧侶は職業ではなく、仏様を拠り所として生きる生き方です」と僧侶を仕事にして豊かな生活をしている方が言うと、檀家離れが起きる気がします。 自分は僧侶を職業とするだけでなく、ママアピールし、YouTube発信で広告を出し、他の質問者にヤフー知恵袋並みのタメ口で近所のおばさんレベルのアドバイスで自分を宣伝する人からの一言ゆえに、人間とは何か、また僧侶の個々人の違いを感じ、墓と先祖を持つ俗人は不安を感じました。私は病気のため死が隣にあります。 苦しんでいるからこそ、悲しいのです。

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お世話になった方の死から立ち直れません

誰に相談したら良いのかわからず、死について色々調べていたところこちらのサイトを見つけました。 昨年、3年ほどお世話になっていた美容師さんが急逝されました。 特別親しかったというわけではないのですが、友人にも話せないような深いことを打ち明けられる唯一の存在で、私にとって大きな心の支えとなっていた方でした。 接客業独特の愛想笑いなどもせず、ご自身の率直な意見を忖度なしにズバッと言ってくださる一方、押し付けがましくないさりげない気遣いをいつもしてくださる方で、人間としても非常に尊敬していました。 私の人生に沢山の影響を与えてくださった、本当に素敵な方です。 お店で訃報を聞いたときは、衝撃で頭が真っ白になりました。 同年代かつ日頃お世話になっている人の突然の死を経験したのが初めてで、これまでに感じたことのないような物凄いショックと悲しみでいっぱいになりました。 亡くなってからまもなく1年が経ちますが、悔しさと悲しさが溢れ出して、いまだに心の整理がついていません。 今でも声を上げて泣くことがあります。 昨年末、ご遺族へお手紙や追悼の品をお送りさせていただけないか店長さんに一度ご相談したことがあったのですが、ご両親は普通の生活を送るのもままならず、息子さんの死も受け入れられていない状態とのことで断られてしまいました。 美容師さんに対して何もすることができず、ずっとモヤモヤしています。 まとまりのない、拙い文章で申し訳ございません。 長くなりましたが、ご相談したいのは下記の2点です。 ・本来であればご実家の仏壇やお墓までお参りをしたいぐらいですが、ご遺族のことを考えるとなかなか難しそうなので、自分でもできる供養の仕方を教えていただければと思います。 また、命日付近に美容院に行こうと思うのですが、何かお店に対してできることはありますか? ・今も悲しさでなかなか立ち直ることができません。 親族や友人が亡くなった場合と異なり、その人のことを知っているのが自分しかおらず、悲しみを周囲の人と共有できないのも辛いです。 自分の気持ちを話しても、「なんで他人の死にそんなに悲しむの?」みたいな反応をされてしまい悲しくなります。 また、写真を持っているわけでもないので、いつかはその人の顔や声を忘れてしまいそうなのがとても怖いです。 今後どのような心持ちでいればよろしいのでしょうか?

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急逝した母へ謝りたい

先週、遠く離れた一人暮らし母がお風呂で脳内出血のため亡くなりました。 亡くなる3時間前に電話があり、人を2時間待っていた間、草取りをしながら待っていたら具合が悪くなり寒気がする、頭も痛いんだよねーと言うから、私は風邪かと思い、 『早くうちに帰って、お風呂入って温っためてから寝てね』 と言ったら、 『入るの?入った方がいいかなー』 と母が。今思うと入りたくないぐらい具合悪かったんだなーと思うけど、いつも足が冷えて寝れないと言ってたから、入れるなら入った方がいいんじゃない?と言ってしまった。 そんな私の言葉を信じてお風呂に入った母。そして脳内出血。。。 そんなこと言った私なのに、その夜も電話せず、次の日も用事もなく日曜日だから家にいたのに、母から電話がないなと思いながらも具合悪くて寝てるかなと思い電話をしなかった私。 そして、翌日朝お墓参りのため迎えに行った兄が、カギのチェーンロックがかかった家から返事もないから、救急を呼んで開けてもらったらお風呂に浸かっていた母を発見。1日半お風呂に浸かっていたようです。 私の責任です。お風呂に入ればと言ってしまった。お母さんは風邪じゃなく熱中症だったのでは?熱中症ならお風呂に入ってはいけなかったのでは?と周りの人に言われました。しかも、1日半もお風呂に浸からせてしまったから、遺体も死後硬直して顔も腫れてしまいました。苦しかったんだろうなと。だから、老いても毎日きちんと化粧してた母なのに、死化粧もしてあげれず、みんなにお別れするのにも顔を見てもらえず、申し訳ない気持ちでいっぱいです。 普段から“トンコロリと死にたい”と言っていた母。みんなに迷惑かけるのが嫌だと言っていた母。外傷はなかったと言っていたから一瞬で亡くなったのでは?と 周りの人は言ってくれるけど、 お風呂をすすめたこと、 電話しなかったこと、 後悔で、自責の念に駆られています。 また、私は結婚で家を出ているため仏壇やお墓は兄がみていくことになりますが、兄嫁はお墓参りもあまり行かない人なのでお供え物とかもしてくれるのか、不安でなりません。兄もそれをとがめる人でもないので母もそれをとても心配していました。お願いはしてみましたが、本当にやってくれるかは微妙です。 仕方がないので、私は自分の家で写真の前にお供えをしようと思っていますが、それでも供養になりますか?

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母の死と祖母の遺骨

初めての投稿で至らない事があると思いますが宜しくお願いします。 今月の頭に母が末期癌で73歳で永眠しました。 八月の家族旅行から帰宅した数日後に調子が悪いと病院へ行ったところ大きい病院を紹介され検査入院し10月に癌と診断されてからあっと言う間でした。 もっと親孝行したかったのに、、でも母自身が一番、悔し思いをしてしてるのではと後悔ばかりで毎日、涙が流れてしまいます。 恥ずかしながら母の死を迎えるまでは初詣以外、宗教に触れる事が有りませんでした。 しかし、故人の供養、心の拠り所として必要なんだという事がわかりました。 でも、泣いてばかりでは前に進めないので初七日過ぎてから思い出とともに母の部屋を掃除していたところ、風呂敷に包まれた遺骨と遺品がクローゼットから出てきました。遺品から母の母(私の祖母)もののようです。母は結婚する際、実家から勘当されうちは短命家系の為、おばあちゃんは亡くなっていると子供頃に聞かされておりました。 しかし遺品を見た限り、14、5年前までは存命しており施設で生活していたようで写真もありました。私は一度もあった事はなく、顔も写真で初めて拝見しました。 母は何も話してくれず逝ってしまった事に自分が頼りにならなかったのか信頼されていなかったのかと悲し気持ちにもなり、また祖母のお骨がクローゼットにずっとあったかと思うと寂しかったのではとか成仏できてるのかと可哀想になってしまいました。 なので母と祖母を一緒に供養してあげたいのです。 ただ、祖母がいつ亡くなったのかわからないので、来月、母の49日を迎えるのでその際に一緒に供養して頂いて大丈夫なのでしょうか? 祖母はお骨だけで位牌はありませんでした。物心ついた時からお大師様へ毎年初詣の際に護摩札祈祷して頂いていた為、兄と相談して母は真言宗で戒名を頂きました。 今は母のお骨の横に祖母のお骨を置いて毎日、お線香をあげています。 祖母も戒名を頂いて位牌を作った方が良いですか? お墓は経済的に直ぐに用意出来ませんが出来れば母と祖母を一緒に納骨してあげたいと思います。 取り留めのない文章になりましたが、母と祖母の供養についてお知恵をお貸し願います。

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愛猫の供養について教えてください

愛猫が亡くなり、もうすぐ4カ月が経とうとしています。 私が離れがたいのと、納骨について迷っていたために、四十九日も百カ日も納骨せぬまま今に至ります。 まず、以前何かで「いつまでも死んだ猫の骨を手元に置いたり、寂しいとか思っていると成仏できずに化け猫になってしまう」という文章を見たことがあるのですが、本当でしょうか。 今でもつい「もっとこうしていれば、今も生きてくれていたかも」と後悔したり、「●●ちゃんがいなくなって寂しいね。天国から会いに来てくれるかな」と息子と話したりしてしまいます。 離れがたくて納骨していないと言っておきながら、死後しばらく経ってからはお参りもお供えも毎日はしておらず、たまにお線香をあげて手を合わせたり、食べ物や花をお供えしたりするだけです。 供養という面では、人間が仏壇にご飯やお茶をお供えするのと同じようにするほうがよいのでしょうか。 缶詰をお皿に盛って置くこともありますが「仏さんに肉や魚というのもどうなんだろう」と考えたり、もう死んでしまったのにあげても仕方ないなと虚しく感じたりしてしまいます。 私の願いは、愛猫が次生まれ変わる時まで天国でのびのびと幸せに過ごしてほしいということ。そしてもし望んでくれるならば、生まれ変わったらまた私たちとともに、今度はもっと長く幸せに暮らしてほしいということです。 ペット供養をなさっているお寺は、近くに3軒ほどあります。合同のお墓に毎日お経をあげてくださったりはしないのかもしれませんが、それでも民間業者の霊園よりはよい気がしています。 ただ、最初から合祀のみだったり、数年間個別で納骨した後に合祀だったりで、結局合祀されることに抵抗があります。 最近は人間も樹木葬などがあり、自分自身が選択するのは全然よいと思うのですが、いざ愛猫のこととなると、他の動物たちの骨とごちゃ混ぜにされるというのが受け入れがたいのです。 また、うちには幼な子がいるのですが、合祀の場合、家族でお墓参りに行った時に、元の飼い主さんにお参りしてもらえず寂しい思いをしている動物の霊たちが、子どもたちについてこないか心配です。 どのように供養するのが、愛猫にとってベストなのでしょうか。 個別でも合祀でも死んだ側には関係ないのでしょうか。 ちなみに我が家はマンションですので、埋められません。実家は庭がありますがとても離れています。

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【ド長文】私の祖父は本当に菩薩になった?

 いつもお世話になっております。以前に恩を受けた人から今度は 洗脳に遭いそうになった、と質問しましたが実は続きがあります。  ちょうど1年経ったのでいつもの祈願寺でお札を受け直しました。 数珠と輪袈裟を外して帰ろうとすると、参道から鳶の行列が 纏を振りながら高らかな声で木遣りを歌いながら歩いて来ました。  私の家は代々鳶職を営んでおり、祖父の代でやめてしまいました が、何かお寺等で行事のあるごとに祖父も赤い模様の入った 印半纏(わかります…?)を来てお勤めに出ていました。  ちなみにやはり頭でした。  前夜、私はショックのあまり布団の中で 「クソジジイがとっとと阿弥陀様の腕引っ張って迎えに来いよ、 バーカ!!」と泣き叫んでいたので、本当に心配して見に来て くれたのかと思って輪袈裟と数珠を引っ張り出して着け、 纏に手を合わせて泣きました。  思えば、祖父は祖母の歪んだ教育に真っ向から反論してくれて いました。私が誰かを指差して囁けば、ぶっ飛ばされました。  病院の帰りにレストランでご飯を食べ、夏休みは必ず外へ 連れ出されました。  「ばあちゃんは間違ってる、間違いなく俺より先に逝くから、 そしたら一緒に色々な所に行こう」と言っていました。  ある夏の日、珍しく自分の管理しているマンションの掃除を 手伝わされてから、祖父は差別的な事を一切言わなくなりました。  それも思い出して仕事中に雑巾絞りながら泣きました。  くそ坊主とその一家が怖くて墓参りもできません。  祈願寺は宗派こそ違いますが、お墓に行けない人のために 「供養小塔婆」なるものがあります。月命日等には祈願寺で それを上げ、自分で念仏で回向しようと思っています。 問題ないでしょうか?  最近は、「会いたい、声が聞きたい」とすら思います。  ご意見をお待ちしております。

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祖父のお骨と四十九日について

先日私の祖父が亡くなりました。 もともと祖父は関西の人で、娘(私の母)は関西におり、3年前まで私の母は祖父と暮らしていました。 その後母が怪我で入院したのをきっかけに、祖父は関東に住む息子(叔父)の所へ移り、叔父の自宅近くの老人ホームで暮らしており、そのまま関西に戻ることなく亡くなりました。 現在祖父のお骨は叔父のところにあるのですがお墓は関西にあり、納骨を四十九日に一緒にするのか、それなら四十九日はいつどこでやるのかなどを母と叔父とで相談しているようなのですが中々まとまりません。 叔父は「集まれる人だけで関西で四十九日と納骨を一度に済ませればいい。オジイも関西に帰りたかったろうから早くしてあげたらいい」と思っているようですが、それだと叔父は来れても叔父の家族と、東京にいるもう一人の叔父及び叔父一家が皆揃わない可能性があります。 かたや母は皆揃って供養するのが当たり前と思っており、関東で皆が揃う日にやればいいと主張しています。 この話を母から聞いた時に「なら関東で四十九日をやってお骨を連れ帰り母が納骨してあげてはどうか?」と私は母に伝えましたが、ふと気になることが… 私の実家には父方の仏壇があるのに、納骨するまでの間とはいえ、母方の祖父のお骨があるのっておかしくないかと… また、安易に「母が納骨すれば」と考えたものの、納骨もお嫁に行った母が一人でするのもおかしくないかと… うちのようなケースであれば、どうするのが丸く収まるのでしょうか? また、母は叔父が「集まれる人だけで」と言った事にひどくショックを受け、かなり感情的になっているので、このままでは祖父の今後を巡って姉弟で揉めてしまわないか気がかりです。 孫の私が口を出すのもよくないかと思うのですが、何か母に冷静に考えられるアドバイスが出来ればと思っています。 まとまりのない長文で申し訳ありませんが、どうかお知恵を貸してください。宜しくお願いします。

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主人の死の意味

主人が医療ミスにより亡くなりました。 私の唯一の愛する人でした。 私は幼い頃から家族に恵まれていなく、父の借金で本当にテレビで見るような借金取りに追われ隠れて暮らしていました。6才の頃に離婚し父と離れましたが、母もアルコール依存症で育児放棄。小学生の頃は祖母にほとんど育てて貰いました。 親の愛情は感じませんでしたが、母の鬱病やてんかんなどの病があったので、一緒に暮らしていました。 その間、幼い頃から祖母に教えて貰った『いつも仏様は見てる。いざというときは助けてくれるから』の言葉を信じて、墓の掃除や供養、母が亡くなっても祖母が亡くなっても尽くしてきたつもりです。 『いつも見守ってくださりありがとうございます』と手を合わせてきていました。 やがて私にも愛する人ができ、子供が出来てやっと家族が持てました。やっと心を落ち着かせて愛情を感じることが出来たのに、夫を医療ミスで亡くなりました。 どうして仏様はこんな事をしたんでしょう。 私には、愛する人を持つなと言っているんでしょうか? ひとりで生きていきなさい。と言っているんでしょうか? 祖母の言葉を信じ、困っている方がいたら手を差し伸べたり、寄付もしてきました。私の出来ることはなるべくしてきたつもりです。 何もかも私の願いを叶えてほしいとは思っていません。 ただ唯一の私の大事な家族だけは失いたくなかったです。そんな願いもきいてくれないんでしょうか? 小さい頃から辛い思い、寂しい思いをしてきましたが我慢してきました。自分で家族を作る為に。それを失った私はこれからどうしたらいいのかわかりません。 信頼していた仏様を信じることが出来なくなりました。また、亡くなった母や祖母にも『あんなに尽くしてきたのに、どうして助けてくれなかった!」という思いも消えなくつらいです。

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生まれてこれなかった父の兄弟(いわゆる水子)

見つけてくださってありがとうございます。 私の父には,生まれてこれなかった兄弟が5人います。 私は人に見えないものが見えてしまう性質があり,小さい頃から父の生まれてこれなかった兄弟を祖父母の家に行った時に見ていました。 私が小さな時は,彼らに不思議で話しかけもせず,見て見ぬ振りをしていました。 しかし,私が高2のとき,色々あり,彼らと話し,初めて彼らの法要を行いました。 その当時,彼らは「いただきます」も言わずにお菓子を食べ,色々な悪さもしていましたが,今ではにこっとした笑顔でお菓子を食べています。(「いただきます」はできるようになりましたが,たまに忘れてそのまま食べてます) しかし,彼らには悩みがあります。 彼らには固有の名前がないことです。 水子に名前をつけると天国で両親を思い出して悲しくなってしまうから名前をつけない,という風習?みたいなものがあり,祖父母は名前をつけていないようです。さらに,水子はこの世に生まれていないからお墓にいれていない,仏壇にも入れていないらしいです。そのため,私が高2のときまで,ずっと放置のような状態でした。 彼ら曰く「名前を呼ばれるのが羨ましい」とのことです。法要の時に紙位牌(私の家には仏壇がないことと,祖父母が彼らにあまり関心がない)を作ってもらい,「@@家水子」と一括りにされています。ですが,彼らは「〜君(ちゃん)」と呼ばれたいそうです。(最近ですが床に大の字に寝そべってバタバタ暴れ,泣きながら訴えてました) 私が名前をつけてしまったら,彼らは私に縛られてしまうような気もしますし,人に名前をつける重みから私は彼らに名前を付けられません。 また,父方の祖父母は彼らの存在(水子の有無)を認めながらも,彼らが見えないことと認知症のために,名前をつけるのは難しそうです。 どうすれば良いでしょうか。 彼ら自身,今まで無視され続けてきたため,寂しがっていて,「ぼくらを忘れてないよね!?」と目に見える形で我々に色々してほしいようにも感じます。 私自身も「彼ら」や「君」と言っているのにも違和感を感じます。 彼ら自身,悪い子ではないんです…。 私や家族を助けてくれたり(母と父が喧嘩した時には,彼らは「こいつ(父)は悪くない!」と父の加勢をしています),友達との楽しい話を聞かせてくれたりしてくれましたので…。

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亡き祖母への執着心を捨てるには。

初めて質問させて頂きます。  8年前(享年94歳)をこの1か月寝ても覚めても思い出し、泣く日々を送っています。  また、今になって、既に無い祖母の着物や洋服を触ってぬくもりを感じたいとまで思ってしまっています。 私のこの気持ちは異常でしょうか?  私が、20歳まで一緒に住んで、働く両親と一緒に私たちの子育てをしてくれた、大好きな祖母でした。  私はこの20数年海外に住んでおり、祖母が亡くなった際にお葬式には間に合ったものの、他の家族のように最後を見届けられなかった事に今更後悔をしています。  また、5年ほど前に、祖母も死ぬまで住んでいた家を売却することになり、その際に、私が実家に置いてきた、私の思い出の品は全て取っておいてもらうよう父にお願いし、全てあるのですが、その際には私が気が回らず、祖母の物を取っておいてほしいとお願いしなかった為、祖母の物はほぼ処分されてしまいました。 アルバムはあります。 今更ながら祖母のぬくもりを感じたいと思い、着物や洋服など処分した、父を恨み、自分自身を攻めています。  また、1冊のアルバムがどうしても見つからないことの後悔をしています。私は、去年まで20数年間香港に住んでいたのですが、私の生活がある程度落ち着いた頃には、祖母は既に80歳半ばになっていた為、香港に呼ぶ事が出来ませんでした。 ただ祖母が40数年前に香港を旅行しており、その時のアルバムを、一緒に見ることが私たちの唯一の共通の話題に出来る物でした。 それだけが、今見つからず、自分を攻め続けています。  家の売却の際に、帰らなかった自分を攻め続けていますが、主人に言わせれば、子供もまだ一番下は乳飲み子で、仕事にも復帰し、とても帰れる状況ではなかったと。 また兄弟も、物がある方が切なくなるので、無いほうが良い。 お墓に行けば祖母の残像が残っている気がすると、年に数回はお墓参りに行っています。 今大事なのは、今の家族で、常に家族には明るくて、前向きな母親、妻でいたいと思っているのに。 今のこの気持ちを何とか忘れる、過去の状況を納得する。 物への執着心を捨てるには。  どうぞ、お力をお貸しください。 

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このままでいいのか?

何度か祖母のことについて質問させてもらってます。 また祖母へのことについて聞いてください。 祖母はお盆休み前(8月)と年末前(12月)に必ずといっていいほど1~2週間入院します。理由も頭が痛いとか、便秘気味とか…年齢も年齢なので病院側もすぐ入院させちゃうのかな?と思います。 退院した後は必ず親戚を呼び、集めます。 今回も先週から入院してます。 毎日監視され、嫌がらせされたり、ストレスばかりの毎日から解放されて平和な毎日を過ごしています。 ただ…もし、このまま祖母が亡くなってしまったとしたら私は後悔しないのか?と自問自答をしています。 今、入院中で居ないからそう思えるのかもしれませんが… 前回も言いましたが、私たちはもう修復出来ないくらい関係は悪化してます。 例えば今、祖母に修復したいことを伝えたとしても翌日には忘れてしまっていると思います。 もう私のことは“憎たらしい”と思い続けて、亡くなる時までそう思ってると思います。 私も修復したいとは正直思えません。 でも、お互い“憎い、憎い”と思ってお別れすることがいいことなのか? 母は祖母とだけはお墓は別々にしてほしいと願ってました。 父は長男であり、親戚にも反対されてしまったのでそれは叶えてあげることは出来ませんでした。 あの世の世界で母と祖母が会ってしまって、亡くなってまで 母を苦しめないか? 私が祖母と憎しみあっていたら、結果的に母を苦しめてしまわないか? 祖母は年明け前には帰ってくる予定です。 また悪夢のような毎日が待っているのは間違えないですが… 自問自答している答えは出ずにいます。 祖母が亡くなるまで家を出よう。と話し合いを始めようとした矢先の入院で、距離をおくことがまだうやむやになっていますが… どうするのが正しいのか? 祖母と今後どう向き合って行けばいいのか? 結局、祖母がいてもいなくてもモヤモヤずっとしていて、考えてしまいます。 めちゃくちゃな文になってしまい、すみません。

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20年越し。執念ありすぎな宗教の勧誘が怖いです。

20年ぶりに勧誘されたことに動揺しています。 20年前に宗教に勧誘されました。 お札を置いて、毎日朝夕にお水を替えてあげて拝めば、 夫婦両家のご先祖様の供養が出来る。というもの。 確か、月に2000円程度の会費?みたいなものがありました。 先祖のお墓が遠方にあり、仏壇なども特にない私は、 家でご先祖や祖父母の供養ができるのならと受入れて拝んでいたのですが、 数日後、私にお札を進めた方が知らない人をつれて来訪し、 内容としては、私にも入信者?を増やせというもの。 そうするとご先祖の供養となり、負の因縁みたいなものが消えていくが、 そうしないと、子孫に代々その負の因縁が降りかかり不幸になると。 例としては、子供が病気になるだとか、非行に走るだとか。 私はそういう勧誘のしかたがあまり好きではなく、 その宗教?みたいなものにも魅力を全く感じなくなってしまい、 お札を返したいと伝えたのですが、聞き入れてはもらえず、  来訪しては数時間帰ってくれないという事が何度もありました。 強引に説得されるので、半ば喧嘩のようになりながらも、 どうしても諦めてもらえなかったので、 本部を探して電話にて問合せましたところ、 「会費を入金しなければ自動的に脱退になる」との事だったので、そのようにさせて頂き、 来訪されていた方々は以後、家に入れないという事で対処しました。 その後、何度か忘れた頃に来訪される事はあったのですが、 玄関先で断っていました。 それから20年が経って、突然その方たちが再度訪問をされました。 入信する気は全くありません。 が、20年も経って何故? という気持ちが沸いてきて、ざわつく気持ちに困っています。 何故私を思い出したのだろう。 嫌な予感でもしたのだろうか。 などです。 以前、私にとって一大事があった直後に来た事があり、「ほらね、そんな気がしたのよ」と言われました。 (言わなきゃいいのに誘導尋問に乗って教えました。当時は別に偶然でしょうと思っていましたが。) 今回の来訪では 「あなたの不幸を予言しました!」なんて事は言われていません。 勝手に不安な気持ちになってしまいます。 気持ちが悪いのです。 私はこの出来事をどう受け止め考えたらよいのでしょうか。 気持ちを強く持てる考え方はありませんでしょうか。 長くなりましたがよろしくお願いします。

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★親族以外の墓参りについて

先月の6月後半に母が亡くなりました 今現在、付き合ってる男性に亡くなった事を話すと、私の地元に行って線香をあげたいと言われました 私の家では、身内以外が実家の仏壇や墓参りする事はないような家柄で 常識的というか世間的にも婚約者でもない恋人を墓参りに連れて行くのはどうかと思い 気持ちだけ受け取ろうと思ったのですが その辺が彼には分かっていないようで遠慮する様子もなく どうしても行きたい気持ちが強いようなので そこまで行きたいと言うのに頑なに断るのもな・・と思い、墓参りだけ行ったばかりなんですが 本来ならば、やはり結婚するのも分からないような相手を お墓という場所に連れて行くべきではなかったんでしょうか? 仏教的には、どうなのでしょうか? 例え・・今後、彼と別れたりして、結婚するような相手でなくても こうして親に会いたいと言ってくれて わざわざ遠くから墓参りに来てくれた相手は貴重で有難いな・・と思う気持ちもありますが その反面で やはり今回、自分がした事、私自身は日に日に なんで彼を連れてったんだろう・・という後悔が大きくなっています 自分も強く断れば良かったのですが、行きたいと頑なだった彼を責めてしまいそうにもなりますし 要は一時の感情で思い立った人を連れてった訳ですし 到底、身内には言えないです・・ 葬儀というような事が事なので、家柄や世間的な考えが無視できないでいます 8月初めに、49日として身内と早めの墓参りをする予定があるのですが その際に、墓前に謝った方がいいのでしょうか? 49日も近いので母が成仏する事を願う気持ちが大事だと思いますが、自分の気持ちに整理がつかず悩みます 回答、よろしくお願いします

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父方の先祖にも感謝したい。

父方の先祖に感謝ができず悩んでいます。 私は生まれてこのかた25年ずっと山口県の母方の実家近くに住んできました。 なので、ずっと今は亡き母方の祖父母と近しく過ごしてきました。 父は実家の宮崎県の住居を出、山口県に住んでいたところを母と出会い一緒になったそうです。 小さい頃は父の長期休暇のときに宮崎県に遊びに行きお世話になったことがあります。 ちなみに父方母方両方の祖父母全員鬼門です。 彼岸の墓参りなどはもっぱら母方の墓に手をあわせる事、また一時期は母方の実家に住まわせて頂いてた事(私はいま一人暮らしで、母と父はまだそこに住んでいます)などがあり、先祖に感謝や先祖供養というと母方のご先祖様にだけ意識が向きがちです。 あと私は父方の姓を名乗っているのですが、その苗字が好きではありません。 理由は、父と母が結婚する当初は父が婿養子になり私は母方の姓を貰う予定で姓名判断のできる人に名前をつけてもらったのですが、父が土壇場で婿養子を拒否し、なのに名前はそのままでつけられたため姓名判断的によくない名前になってしまったからです。父が婿養子を拒否したのは性格から察するにプライドを保つ為です。 別に姓名判断で運命が決まるとは思っていませんが、ネットなどで母方の姓で姓名判断すると本当にいい運勢で、父方の姓で占うと悪運に書かれているのを見ると父のつまらないプライドのせいでと腸が煮えくり返ります。 母方の苗字、あるいは他の苗字に変えたいと思っています(残念ながら結婚の予定は無い) あと、単純に父親が嫌いなこともあり、私を護ってくれているのは母方のご先祖様なのだと思ってしまいます。 多分、父方の先祖に感謝ができない理由の大半は父親が嫌いだからなんだと思います。 あと、父方の実家はいわゆる田舎で、そこの周りの人間の保守的な感じも嫌いです。 父にまつわるほとんどのものが嫌いです。おそらく誰に何を言われてもされても一生嫌いなのかもしれません。 でもご先祖様には感謝の気持ちを持ちたいです。どういった心掛けをすればよいでしょうか?

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仏教と神道

 こんばんは。先日は私の質問に真摯にご回答下さりまして、誠にありがとうございました。こちらで質問させていただいて、お坊さま方の回答から今後の生活のヒントになることを沢山学ぶことができました。本日は、さらに質問したいことがございますので、ご迷惑かとは存じますがご回答頂けますと幸いです。  私は、仏教について勉強していく中で、日本では仏教と神道が結びついて独自の文化を形成してきたということを学びました。それは、ヨーロッパのような激しい宗教対立ではなく、大乗仏教の柔軟な教えがあったがゆえに土着の信仰を包摂できた結果生まれたものであり、世界の中でも珍しい信仰体系であると思います。  しかし、仏教の教えと神道の教えは相容れない所があるようにも思い、そこが自分の中で考えの整理がつかない点でもあります。例えば、先祖崇拝はもともと仏教の教えには無かったと学びましたし、神道の荒魂・和魂といった概念も仏教の教えとは異なるもののように感じます。この両者の教えの違いをお坊さまはどう整理されているのでしょうか。  なぜ、このようなことを申し上げたかと言いますと、私の実家の信仰と上記の問題が関連しているためです。私の実家の宗旨は浄土真宗なのですが、仏壇の他に神棚もありますし、両親は仏壇の他にも調理場や庭石などにお供えをしています。また、お寺にも神社にもお参りに行きますし、お墓へもお参りに行きます。これまではこれらを当たり前のこととして受け取っていたのですが、仏教を勉強していくうちにこれらの習俗に対して疑問が湧いてきてしまいました。  浄土真宗を信仰する家庭では、神棚は基本的には置かないと伺っております。また、死んだら即成仏という考え方であるため、位牌も必要ないと聞いております。しかし、私の実家には神棚もありますし、黒塗りの位牌もあります。この両者の間の矛盾をどう整理すれば良いのでしょうか。菩提寺の住職様に質問はしてみたのですが、曖昧な答えで納得のいくものではありませんでした。私は、人生を生きていく上で道標となるものを得たいと思い、仏教の勉強をしてきたのですが、現実の生活に活かせるように整理しようとすると、矛盾点が多く悩みはむしろ以前に比べて増えてしまっているような気がします。  お忙しいと思いますが、お坊さま方のご意見を伺えましたら幸いです。よろしくお願いします。

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祖母のことが憎いです。

私の父方の祖母について御相談があります。 家は別々ですが同じ敷地内にあり、廊下でつながってるので簡単に行き来出来る状態なのでほぼ同居状態です。 母が3年前に病気で亡くなり、遺品整理時、日記帳を見つけました。そこには『義母が言ったことは一生傷、忘れない』、『祖母とお墓を別にしてほしい』と書かれていました。 何を言われたかは書かれていませんでした。 母は病気であることを父、私、弟、母方の祖母、母の姉弟にしか話していませんでした。 父方の祖母には亡くなるまで何も言わず隠していました。 理由は祖母が騒いで親戚、近所の人にあることないこと話してしまう為。 母の葬儀が終わり、すぐに、『お母さんに預けてあったお金はどうした?返せ』と… 今?言う話?母が亡くなったことよりお金のこと?と思い…不信感を持ち始めました。 お金は祖父が亡くなった時に葬儀、法事などですべて使いきっています。祖母に渡すと使ってしまうために叔母に預かっていました。 思えば母が亡くなった時、泣きもせず、母が自分(祖母)に病気のことを言わなかったことを根に持っていて会うたびに嫌味言を言い、高齢だからという理由で通夜、葬儀にも出ずにいた祖母。当たり前のように1周忌、3回忌も参加していません。 自分のことが1番で、他人のことを平気で傷つける人なんだと…私は祖母を嫌いになりました。 私にとって“母”は尊敬する人であり、目標にしてる母親でした。 いまだに母を亡くしたことはショックで、生きていることが辛いと思うことが多々あります。 母が亡くなり、毎日のように母に対する嫌味を聞かされ…最初は何も言わずグっと我慢していましたが、私に対しても祖母は『散々面倒見てやったのにかわいくない、憎たらしい』など言うことが増え… まだ私のことなら我慢出来ましたが、亡くなってまで母を傷つけるのかと私もついに頭に来てしまい…『お母さんのこともこうやって傷つけて、長い間ストレスを与え続けて、最後は病気にした、おまえが殺したんだ』と…言ってしまいました。 ドアに付いてるガラスが割れるんじゃないのか?と思うぐらいまでドンドン叩かれ、大声で『居ねえのか、開けろ』と叫ばれ…私の子供はその音でびっくりして泣き出します。 もう毎日がストレスでおかしくなってしまいそうです。 祖母はこれからも自分の言いたいことだけを言って傷つけます。私はどうしたら…

有り難し有り難し 43
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菩提寺に不信感。寄付って何?

私には先祖代々の菩提寺があり、いつかそれを継いで行くんだなと漠然とした想いがありました。 でも最近の菩提寺のやり方?経営に疑問を持つようになりました。 事の発端は住職さんが代わってからお盆の供養で自宅に住職さんが来て私達に話したことから始まります。 その時は祖父から孫の代までみんな集まり住職さんにご先祖様達を供養して頂きました。 供養が終わり、ありがたいお話を頂けるのかと思ったらなぜが、ずっと本堂以外にある小さな観音堂の建て替えをするための寄付金が足りないと言う話をされ続けました。 私は目が点になりました。 供養の場でそんな寄付金の話ばかりされるとも思わなかったですし、ここ数年で、永代供養用のとても大きく豪華な大仏や建物が建てられたり、お寺の中やお墓が整備されていたからです。 その時は寄付金を集めたりはしていませんでした。 それなのになぜそれだけ多くの事にお金を使っておきながら、わざわざ寄付金を集めて観音堂を建て直さなければならないのか。 それならあと数年まって、年会費を貯めて建て直したり、あんな豪華な永代供養大仏を建てるならそこの費用を削って観音堂にまわすなど出来たと思うのです。 あまりの経営の雑さ、そして寄付金が一口〇万円以上でないといけない、観音堂を建て直すにあたり観音堂(本堂以外とは言っても人が10人は入れる大きさです。)をあけてみたらお飾りもボロボロになっていたので全て新しくしようと思うなど、普通、寄付なら1円からでも寄付であってその人の心なのに、仏に使える人が〇万円以上でないと寄付金でないと言ったり、普通時々でも観音堂の仏様にお経をあげていたり、掃除していたりしたら前々から少しずつ修理したり出来たと思うし、本堂がものすごい豪華なので、そこの費用を抑えて観音堂にまわせたりもすると思うのです。 こうゆうやり方や、はお寺としては普通なのでしょうか? なんだか檀家を都合の良いATMのように見てるとしか思えなくなってしまいます、、

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2022/06/30

菩提寺の住職がどうしても苦手です。

50代後半、墓守予定の独身です。 * 菩提寺には父の両親・父・そして子供のいなかった母の妹夫婦がお世話になり 母はとてもお寺とのつきあいを大事にしています。 ここで、母が高齢の為施設入所となりいよいよ自分が管理と自覚し、兼ねてより悩んでいた件をご相談したく存じます。 * 住職は自分と同年代の人ですが、あまりに気遣いがなく本当に事務的な方で、いつも残念な思いをしていました。私は直接やり取りがないため我慢をしていたというか。 一般社会にいたら、このような態度ではとても付き合えないタイプの人だなあと。 * 現在、お盆も近いですし、ここで卒塔婆の申し込みが遅くなったが、お願いします、とお電話したところ、開口一番 「なんですか!?」「なんの用ですか!」 ときつい口調。 母が介護入院したといっても「お大事に」の一言もなく、「はいはい!」と事務的なことで電話は終わりました。 電話を切り痛感しましたが、最も尊敬できない件、彼は、生活感がすごいというか、正直、お金のことしか考えていないのだろうな、といつもいつも感じていたのです。 * 今回の電話で今後この方とやり取りはとても無理と痛感しました。 とはいえ、母は超高齢なので、今のお寺をすぐにたたむなどは無理で、すぐに縁も切れません。 母は、墓じまいなどは私に任せると言っているのですが、正直経済的な余裕はございません。 * 私は心底無宗教ではありますが、それゆえに宗教家にはとても理想があります。 もう少し、自分が僧侶であるという意識を持てないのだろうか。 * 長くなりました、自分のわがままも重々承知ですが、 「気持ちのない住職と、これからの付き合い方 自分がどういう気持ちで墓守をしていけば心が軽くなるでしょうか。」 ということをおうかがいしたく。 * 長文乱文ですが、何卒よろしくお願いいたします。

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2023/03/25

実際に死とどう向き合っていますか?

以前より、死の恐怖について相談をさせていただいており、大変お世話になっております。 たくさんの方から頂いたご回答はどれも暖かく、そして勉強になっております。ありがとうございます。 問答の中で、自分の弱い点や、認知や考え方の歪みがわかり、この方法で恐怖を緩和していこうという方向性は見えつつあるのですが、恐怖緩和に対するどの方法を行うにしろ、習得や納得(体でわかるまでやる、なども含め)には多くの時間を要します。死は人生の命題ですので、一年やそこらで恐怖が激減し、納得することはできないと考えます。 私は方向性としては、禅などの「体で納得」を目指したいと考えていますが、これこそ一朝一夕で身につくものではないですし、仕事等による時間の制約もあり、納得に至るには長年の修行が必要だと感じています。 そんな風に時間をかけてゆっくりと学びを深めてはおりますが、もちろんその間にも死への強い恐怖感は消えません。特に、楽しいことがあった日の帰り道や夜には、必ず「この思い出も自分の存在もいつか消える」という思いで気が狂いそうになり、パニック症状が出ます。 それを、娯楽へ走ったり、禅と宗派は異なりますがお念仏に頼ったり、お墓やお寺に行ったりと、一時凌ぎでやり過ごしているのが現状です。このように、最近は「いつか死ぬ」ということがいつも恐怖で気掛かりで、楽しい・嬉しいなどのポジティブな場面が心から楽しめないような感覚になっています。 前置きが長くなりましたが、 お坊さん方の中に、今に至るまでに修行をなされている間に私のように気持ちが揺れたり、恐怖でパニックになったりしたご経験をなされている方がいらっしゃいましたら、「ご自分が一旦、その問題(私で言うところの死の恐怖)への納得感を得られるまで」に、どのような心持ちや行動で過ごされていたのかをお聞きしたいです。 また、現在も私は死の恐怖緩和についての対処を学んでいる最中ですので、もし同じ問題に悩み、納得した方法や考え方があれば、併せて教えて頂けると嬉しいです。 お時間ある時で構いません。様々なご回答を聞きたいです。お手数をおかけ致しますが、ご回答頂けますと幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。

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2021/04/28

先延ばしになる母の海洋葬、一周忌

去年の春に大好きな母がガンで亡くなりました。数少ない母の遺言は死んだら海洋葬にして欲しいということです(母は海の近くの生まれでした)。 実家の近くに海はなく、コロナもあるためネットで海洋葬をしてくれる所を探しました。しかし父に提案しても「まだいいよ」「コロナが落ち着くまで待とう」の一点張り。一周忌にしても、今年から私が関西に転勤になり、コロナもあって帰れないが父と姉で一周忌をして欲しいと言っても父は「家族3人そろってやろう」「コロナがもう少し落ち着かないと、歳をとっている住職に頼むのは申し訳ない」と言って何も出来ませんでした。そして今度のゴールデンウィークは私が帰省できるので今度こそ一周忌をやろうと言ったのに、「お姉ちゃんの仕事が忙しくて唯一の休みの日も半日は仕事。休ませてやろう」「また次に3人揃った時にやろう」と。今度私が帰省できるのは早くても8月のお盆です。 葬送も一周忌も、所詮は私の自己満足だということは分かっているんです。何も出来なくても心から祈ればいいとは思います。でも母の遺言である海洋葬も出来ず、一周忌さえ先延ばし。このことに対して、というよりそれでよしとする父にどうしようもない憤りを感じてしまうんです。海洋葬に関しては、お骨を海に撒いてしまうという、母の形を成していたものをお墓として一つの場所に納めるのとは違うことに、躊躇いやどうしようもない寂しさを私も感じてはいるので、父もまだ踏ん切りがつかないのかなと思うところはあります。 しかしせめて一周忌はちゃんとやりたいと思うのです。私と父の2人でお寺に行ってお経をあげてもらうのはだめなのかと聞いても、やはり「3人揃ってやろう」と言うのです。 こんなことにこだわって父に怒りを覚えるのは、母が生きている時も亡くなった後も、私自身が母に対して母のためになるようなことをろくにしてこなかったから、今更後ろめたく思って躍起になっているのかなとも思います。 頭ではそう思っても、父に対する憤りがどうしようもなくわいてきてしまいます。この感情を静めたいです。どうしたらいいのでしょうか。

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