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検索結果: 221件
2023/10/13

「運」って何ですか?

初めまして。疑問に思っていることがあります。 「運」という言葉は現代人は皆当たり前のように使う言葉です。「ギャンブルで勝ったから運がいい。」「ソシャゲのガチャで狙いが全然当たらず運が悪い」といった感じに。 このように「過去に起こった出来事」に対して運がよかった、悪かったということに対しては特に疑問はありません。 しかし、「今の俺は運がいいから次も勝てる」「私は運が悪いから何をやってもうまくいかない」といったように、あたかも「運」を自分の才能や能力のように語ることに疑問を感じます。 どんなに過去の結果がよかったとしても、これから振るサイコロの目が出る確率は変わることはないはずです。しかし人は「運」で確率が変わるかのように信じ、験担ぎをしたり神社にお参りに行ったりします。 私の中で「運」という物は以下のどれかかなと思います。 1:「運」は人が持つ才能や能力の一つであり、良い行いをすることで鍛えることができるもの。 2:「運」は天上の存在が与えるチャンスであり、良い行いをすると巡り合いやすくなる。 3:「運」なんて存在しない。全ては過去の結果であり、行いで変化するものでもない。 私は「運」を信用していない人なので3だと思っています。 お坊さんの方々は「運」というものを何だと考えるか知りたいです。

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後厄さんの本気?

ご無沙汰しております。最近気にかかることが増えてきたので、是非回答願いたいとこうして筆を執らせて頂きました。 今年、わたしは後厄年にあたるのですが、これはもうこのせいなのでは?と思うほど、いままでにない不運に見舞われています。 たとえば偏頭痛が突然悪化したり、職場のごたごたにおける巻き込まれ具合とか、まだ壊れる段階ではなかったはずのものが突如壊れたり。 こういうことが起こったとき、一日を振り返るとやはり運がないとただ一言では片づけられず、そういうときに限って「あ、そういえば今年後厄だったわ」と気づくのです。 盆に墓参りをした際、ご先祖さまに厄からお守り頂けるようお願いはしてきたので、そのおかげでこの程度で済んでいるのではと思えてしまうほど。 これはもう後厄さんが本気を出してきているのでは?と思い、これから年末に向かってその威力がさらに増える可能性に気付き怯えております。 いっそのこと、元旦を待たず毎年お世話になっております神社さんにてお祓いを受けたほうがよいのかと考えてしまっているのが現状です。 そこで、お坊さんがたに質問です。 わたしは「厄年」とは、ただ単に運が一番悪くなる年であると認識しているのですが、その認識で間違いはないのでしょうか?また、三種類ある厄年とはどういった意味があるのかも教えていただけないでしょうか。 それから、個人でお祓いを受けようとした場合は、ひとりでも執り行ってもらえるものなのでしょうか?こういったことは元旦の一斉祈願のときにしかやってもらったことがないので、どういった感じになるのかまったく想像がつきません。やることはあまり変わらないのでしょうか?また、その際にかかる平均的な金額も教えて頂けると幸いです。 お忙しいでしょうが、お手すきの際にでも回答願えればと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

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昔人を呪い、今悪霊にとりつかれています

こんにちは。 中学だったか高校の時、人間関係の苦しみから人を呪い、自分の幸せを願いました。 その人は私の願ったとおり怪我をしたり部活が変わったりしました。 私は今夫もいて、いろいろあって彼を好きだけど愛せずにはいます、 しかし、物質的には幸せで、困ることはありません。ある意味幸せをつかみました。 ただ、自分の願ったとおり幸せになったので、怖くなり人に見てもらったところ 低級霊の悪霊と契約してしまっているといわれました。多分神社仏閣などのお祓いでは祓えないといわれました。 もし、カルマをなくしたいなら、ボランティアとか寄付などして見ると少しは軽減されるかもしれないともいわれました。 悪霊は、私の健康と寿命を引き換えに契約したそうで、確かに今私は精神的病と糖尿病を患っており、思い当たるふしがあります。 今はもう呪いもしていませんが、契約は続いているそうです。 どうしたら、この状況を打破できるでしょうか? 一応寄付などはしていますが、ボランティアをやる気力が今はなく落ち込んでいます。 何かそういったものを取り除くお経や方法などありますでしょうか? 呪いをしてしまったこと今とても反省しています。 どうかご教授ください

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仏教の教義の違い について 

私は 以前 お不動さん、観音巡りもしたことがあります。五戒をおこさないようにと思い 写経をしたりもありました。 日蓮聖人の教えを弘教している人達に 会うことが 多くなり 仏教の教義 謗法について 回想することになりました。その時から 幻聴が始まりました。 救いや懺悔を 日蓮聖人のご本尊にすればよかったのでしょうが 攻められているようで 他の宗教や念仏に救いを求めてしまいました。    キリスト教の本を読んだりして 教会に行ってみたり 新興宗教から日本神話を読んでみたり 神社に行ったり しましたが 原因になった仏教が気になりました。    日蓮聖人は 法然さんを 立正安国論で 謗法といい 布施までやめるように 国に論じてました。法華経を捨ておき 念仏を信心しなさいと言われたから法華経に対する謗法だということでした。法然さんは 他のお坊さんからも意見が多かったようですが。法然さんは 他は 気にしないで 念仏をしなさいといっています。 法然さんの教義では 念仏以外を謗法とは言わず 雑行と言われてますが 気になります。 法然さんは 法華経を学ばれた上で 念仏を選びとられたのだと思いますが 私は 自分が救われるのかが不安です。かといって 日蓮聖人の教義に没頭するには 不動巡りや 法然さんに 執着があったのだと思いました。 お寺にいってもお坊さんには 聞きづらく またどういって伝えたらいいのかもわかりませんでした。 幻聴があることでの死への恐怖があります。克服したくて 介護の勉強 カウセリングの勉強をしています。 幻聴がなくなり 仕事として 役立てたいのです。が 幻聴があることで自信がありません。 幻聴は大分落ち着いたのですが 仏教を正しく学ぶことで 良くなることを願ってます。 メールで お話しできることが 救いです。 祈祷を頼むのもいいのかなぁと思ったこともありましたが 思いも定まってなく 内容も深そうで 迷惑かなぁとも思いました。 お墓は 宗派問わずとありますが 質問も宗派問わずでいいですか? 法華経と 念仏は 敵対してるのですか? 私は 宗派より 心が整理できて 赦され 勉強している介護やカウセリングが 人に役にたつ仕事が できるようになりたいのです。 よい方法はないでしょうか?

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死後の世界と霊能者

はじめまして、中学生のにいなと申します。 とあるサイトで霊能者「名前は伏せます」の方が転生についてこんなことを言っていました。 ーーーーーーー 転載について 多少の個人差はありますが、私が現在拝見するご相談者さま方の一つ前の前世は、1800年代前後の方が一番多いように感じます。 今から約150年〜200年前くらいです。 また、そのへんでよく見かける幽霊は、現代人から古い方でもだいたい100年くらい前までの方が多いので、よほどの想いを残している方で無い限り、おおよそ数年から100年程度以内で成仏するんだと思われます。 そしてよく見る前世の時期の平均からして、成仏という状態からおおよそ100年〜150年後くらいに転生するのではないかと思われます。 ですから、次の転生にかかる時間は「魂の位によって」というよりも 「早く成仏するか、霊としてこの世に長く留まるか」によって変わってくる様子です。 今世の自分に影響を与えているのは一つ前の前世だけでは無く、その前の前世である場合もありますし、前世の影響がほとんど無い方もいらっしゃいます。 また前世が動物だった人や、前世のない新しい魂の方もいらっしゃいます。 転生は前世でクリアできなかったことの再チャレンジや、一つ上級課題へのチャレンジのようなものです。 ですから、今世での悩みやつまづきが、前世から引き継がれた「克服すべき再チャレンジ課題」や「次の課題」である場合もあります。 ーーーーーーーーーー この方はとても霊感が強いらしく、お笑い芸人が肝試しに行く某テレビ番組でも廃神社で神様が見えるとか寺の跡地で修行僧の霊が見えると言っていました。 正直眉唾な感じがすごくします。 また死後の世界についてこのサイトで色々とお坊さん達の回答を見させてもらったところ、死後の世界や霊についてお釈迦様はあまり語られなかったようで、宗教にもよりますが霊感やあの世に関してはある程度のタブー?バイアス、があるように思えます、それをこの人がズバズバと言ってのけるので怪しさ全開ですね…。 その霊能者の回答についてのお坊さん的見解を是非聞きたいです、また死後の世界とはやはりどういうものなのか耳学である私にわかりやすく説いてはもらえないでしょうか。

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2023/05/04

知人の病気平癒の祈り方を教えて下さい

はじめまして。   今回は知人が病に倒れてしまい、快復を祈るためお参りをしたいと考えているのですが 恥ずかしながら神仏やお参りなどの作法に詳しくなく、どうすれば良いのかが分からずご相談させていただこうと思った次第です。   今回お参りをしようと思い至った経緯としては、職場で私が一番信頼をしている友人が急性の心不全を起こしてしまい入院してしまっている状態です。   本人の所へ直接お見舞いに行ければと思うのですが 職場の同僚という関係性だけですので、ご実家とお付き合いがあるなどの仲ではなく また、本人と連絡がまだ取れない状態にあり上司を通してもご家族からの連絡内容は個人情報として開示が難しいという事です。   私のエゴではあると思うのですが、何とか私に出来る事が無いかと思い 病院平癒などにご利益がある神社やお寺への参拝をと思い至った次第です。   今回お伺いしたいのは、その参拝の仕方です。   友人の出身都道府県に病気平癒にご利益があるという神社を見つけ、次の休日を利用して伺おうと思うのですが3点お伺いしたい事がございます。   まず、参拝に関して服装などの作法はございますでしょうか。   またお守りを1体授かりたいのですが、前述の通り本人へ直接渡せない状況にありますので 友人への病気平癒を祈るお守りを私が身に付けても良いものでしょうか。 その際身につけ方などもあればご教示頂けますと幸いです。   最後に、快復するまでに断酒をしたり禁煙をしたりと何かを「断つ」事をされる方もいらっしゃると伺った事があるのですが そういったお祈りの仕方もあるのでしょうか。   普段から信心深くお参りに行っている様な敬虔な人間であれば、こういった作法も分かるのでしょうが 有事の際にだけ頼ってしまう様な人間で申し訳ありません。 不躾に質問したばかりで申し訳ありませんが、何卒ご回答いただけますととてもありがたいです。 どうかよろしくお願いいたします。

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生きるとは?

いつもお世話になっております。 今週も、新しい経験ができ、新たな自分を見つけることができ、ありがたいなあと感じています。その中で、「なぜ生きるのか」についてある考えに至りました。 生きている理由は、ご先祖様からの課題を解決するためだと考えます。これは、兄弟間でも異なるのではないかと思います。課題解決のために、身体と能力を与えられたと考えます。解決方法は、行動実験してみて、五感で自分がどう感じるかということを実証することだと思います。自分の内面を見つめることだと思います。 例えば、坐禅、書道、神社参拝、寺院参拝、コーラス参加、仕事をする、家事をする、テニスをする、など日常生活すべてを行動実験にすることができるのではないかと思います。この行動実験が修行なのかと思います。 だから、いろいろなことをやってみるというのは大事なことで、これが自分に与えられた課題を解決していく近道だと思います。 とはいっても、課題が何なのかと認識したり、五感を使いこなしたりというのは、自分のことなのに難しいですよね。これらがよくわからないから、苦しむのかなと思います。 生きるとはどのように考えますか?

有り難し有り難し 35
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仏教と神道

 こんばんは。先日は私の質問に真摯にご回答下さりまして、誠にありがとうございました。こちらで質問させていただいて、お坊さま方の回答から今後の生活のヒントになることを沢山学ぶことができました。本日は、さらに質問したいことがございますので、ご迷惑かとは存じますがご回答頂けますと幸いです。  私は、仏教について勉強していく中で、日本では仏教と神道が結びついて独自の文化を形成してきたということを学びました。それは、ヨーロッパのような激しい宗教対立ではなく、大乗仏教の柔軟な教えがあったがゆえに土着の信仰を包摂できた結果生まれたものであり、世界の中でも珍しい信仰体系であると思います。  しかし、仏教の教えと神道の教えは相容れない所があるようにも思い、そこが自分の中で考えの整理がつかない点でもあります。例えば、先祖崇拝はもともと仏教の教えには無かったと学びましたし、神道の荒魂・和魂といった概念も仏教の教えとは異なるもののように感じます。この両者の教えの違いをお坊さまはどう整理されているのでしょうか。  なぜ、このようなことを申し上げたかと言いますと、私の実家の信仰と上記の問題が関連しているためです。私の実家の宗旨は浄土真宗なのですが、仏壇の他に神棚もありますし、両親は仏壇の他にも調理場や庭石などにお供えをしています。また、お寺にも神社にもお参りに行きますし、お墓へもお参りに行きます。これまではこれらを当たり前のこととして受け取っていたのですが、仏教を勉強していくうちにこれらの習俗に対して疑問が湧いてきてしまいました。  浄土真宗を信仰する家庭では、神棚は基本的には置かないと伺っております。また、死んだら即成仏という考え方であるため、位牌も必要ないと聞いております。しかし、私の実家には神棚もありますし、黒塗りの位牌もあります。この両者の間の矛盾をどう整理すれば良いのでしょうか。菩提寺の住職様に質問はしてみたのですが、曖昧な答えで納得のいくものではありませんでした。私は、人生を生きていく上で道標となるものを得たいと思い、仏教の勉強をしてきたのですが、現実の生活に活かせるように整理しようとすると、矛盾点が多く悩みはむしろ以前に比べて増えてしまっているような気がします。  お忙しいと思いますが、お坊さま方のご意見を伺えましたら幸いです。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 47
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先祖供養の方法について

新年明けましておめでとうございます。昨年はお世話になりました。 先祖供養した方がいいなと思って、質問しました。 あまり、先祖に対して、いいイメージはありませんが、 それでも、自分の肉体や無意識の領域にあるものは、父や母から上の世代から受け継いだもので、 ご先祖様がいなければ今の自分はいないと思っています。 動物や植物からいただいている命や周りの人の感謝する気持ちを持ち、 自分の目標を宣言するために、神社にお参りし、今年神棚を設置しました。 神棚を含む住環境を整えているところです。 年賀状や手紙でも、少しずつ感謝の気持ちを伝えていけたらと思い、少しずつ実行しています。 先祖に対して供養できていないし、方法が分かりません。 父の実家とは、10年前ごろから不仲になって、お墓参りにも行けていません。 親は、「自分達がしっかり供養するから」と言っています。 しかし、「これでいいのだろうか?」と思っています。 実家が遠いところで状況は分かりませんが、これまでの状況から供養をやっているとは思えないのです。 そもそも、供養というものを理解していないのではないかとさえ感じます。 私も理解していません。なので、教えていただきたいと思っています。 供養とは「先祖の苦しみや怒り、悲しみなどを理解し、受け入れ、ゆるすこと」だと、私は考えています。 私たちは、胎内にいるときから、親戚を中心とする周囲の人の教えを受け、脳の無意識の領域に記憶していると考えています。 その教えは、家系の中で代々受け継がれていると思います。ただ、無意識なので、なぜそのような行動をするのか理解できていないのですが。 供養をするということは、最終的には自分自身を認めることになると思うのです。 だから、先祖供養が大切だと思いますが、どのようにやっていけばいいのでしょうか? 分かりづらい文章で申し訳ありません。宜しくお願いします。

有り難し有り難し 12
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暗剣殺、引っ越しの方位について

初めて質問させていただきます。 先月とあるお寺に行ったところ「今年は八白土星は暗剣殺。特に注意が必要」と書いてありました。 私は普段は成田山と、その他にお付き合いのあるお寺にお参りに行っていますが、暗剣殺というのは聞いたことがありませんでした。 帰ってからネットで調べたところ「今年、暗剣殺と本命殺が重なっている八白土星は気をつけないといけない。新しいことを始めるのも良くない。引っ越しもしてはいけない」等々、心配になる事ばかり書かれています。 また「暗剣殺でなくても引っ越す場合は必ず吉方位へ動かなければいけない。お寺や神社も吉方位にあるところへ行く。」という事も書かれていました。 私は八白土星ですが、就職して1人暮らしをしている息子も八白土星です。 息子は今、会社の寮にいますが会社の決まりで今年中に寮を出なくてはいけない事になっています。 息子はまったく気にしていませんが、私は気になって仕方ありません。 あのお寺に行かなければ知らずに済んでいたのに…とまで思ってしまう自分がいます。 息子は私に相談する事なく自分で引っ越し先を決めると思いますし、方位も気にしないと思います。 でも、そこが悪い方位だったらどうしよう。まして今年引っ越していいのか…と、今から心配です。 「暗剣殺や引っ越しの凶方位等は絶対に犯してはならない」とも書かれていましたが、そういうものなのでしょうか。 息子可愛さの親バカな質問だとは思いますが、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 24
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本当の自分は何処を探してもいない。自分って何なんですか?

自分って何なのだろうとよく考えます。 私が思うに自分というものは親の遺伝的要素と生まれた後の家庭環境、時代背景、人間関係、たまたま目にした事、経験した事の蓄積から自分が構築されてきたのだと思います。 私一個人の事をとっても、私は格闘技をやり仏教神道を学びますが、何故でしょうか? 自己分析するならば、私は生まれながらに身体が細く弱かったのでそのコンプレックスを克服するために格闘技が必要でした。 生まれながらに身体がでかく強ければ格闘技はやらなかったでしょう。 私の親は子供に愛情を注いだり、智慧を貸したりはしませんでした。 だから自身で智慧を学ぶ必要がありました。日本にはお寺神社があり、本屋には関連書籍が並んでいたので、それを学ぶ事に意義を見出しました。 もし私の親が愛情深く、智慧のある親だったら仏教神道を学ぶ事はなかったでしょう。 最近、新幹線で無差別殺人をした男性がいましたね。彼は家族関係が悪く、家出をして思い詰めての犯行だったようです。 彼を擁護するつもりはありませんが、彼の親が愛情深い親だったら、もし信頼できる親友や先生がいたら、一人でも理解してくれる人がいたら、雇用が安定した社会だったら…彼はそんな犯行は犯さなかったかも知れません。 これを閲覧して下さっているお坊さまも実家がお寺だから継いだという方も多いかと思います。 もし実家がお寺じゃなかったらお坊さんしてると言えますか? このように確固たる私というものが何処にも見当たらないのです。自分では何も選んではいない、まるで環境に流される自分がいるだけのようです。 そういった中でも社会に出れば、私というものの価値がすべて私の自己責任のように言われ辛い目に合う事も多々あります。 仏教では「仏性」という善なる心があると諭しますよね。それは知っています。 そしてはっきり言って私は生きてるのが辛いのです。こういう自分でいたくなかった。 それなら死ぬのも成り行きであり…という事にならなそうなのが人生ですよね(苦笑;) 人生って、自分ってホント何なのでしょうね?結局は運ですか!?

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