仕事柄毎日お経を聞いています。 色々な宗派のお経がありますが、どれひとつとして意味(内容)が判りません。 お経は誰に対して唱えているものなのでしょうか。 残された人に対してなら、誰一人として意味を理解していないと思います。 故人に対してであれば、個人は意味を理解できているのでしょうか。 毎日聞いているせいか、唱えるのに意味があるのかという不信感が芽生えてきました。 お経を唱える意味を教えて頂ければと存じます。 宜しくお願いします。
以前に母に愛玩される妹と依存され搾取される自分との悩みについて書いた者です もうすぐ入籍ですが母からの攻撃はもっとひどくなっています 最低限のやり取りしかしていませんが、それでも言葉に思いやりがないというか、こう言われて相手はどう思うかという配慮が一切ありません 例えば、夫の実家に挨拶に行く際の差し入れを私に手配させようとしたりします 昨夏、結婚が決まったときも同じように私に冷たく当たり散らし、生前の経父にも伝わるほどで父とふたりでどうにかしようとしたし、結局父がいうことだからと引き下がってくれた部分もありました でもその父は癌で亡くなってもうこの世にいません 母を止められる人間が誰もいなくなってしまったのです だからこそ父が恋しくてしかたありません 生きていてくれたら母を説得してくれただろうに 生きていてくれたらふたりでまたどうにかできたのに 死んだ人間を頼っても仕方がないのはわかっています でも父に会いたいです 話を聞いて欲しいです 涙を拭いて欲しいのです 夜空に向かって独り言で父と会話することもありますが、勿論返事は返ってきません 今も泣いています どうしたら亡き父を頼らずに 追いすがる母からの攻撃をかわすことが できるのでしょうか 距離をとっても向こうから連絡してきます
日々忙しく過ごしており、そんな中でも、静かに、心穏やかに、過ごす時間を作りたいと思っております。 実家は無宗教で、もちろん仏壇などありません。 今は独身で、独り暮らしではありますが、小さな小さな仏壇でよいので準備をして、お経を唱える環境を整えて、静かな時間をつくりたいと考えております。 身内に亡くなった人もおらず、先祖からの決まった宗派はわかりません。 私自身は真言宗への傾倒があり、自分なりに学びを深めてきました。 このような状況で、お経を唱えるというのは、不謹慎なことなのでしょうか。 アドバイスいただけたらと思います。 よろしくお願いいたします。
はじめまして 御朱印のいただき方について お尋ねします。 この8月に義母の33回忌の法要を控えております。 その際 十三仏の掛け軸を掛けようと思って 巡礼を始めました。 西国三十三所は一巡してるのですが 納経帳で巡っていたため お軸の扱いが分からず。。。 第一霊場で お軸を授かった時には そのまま巻いた状態で出してよいとの事で、書いていただいた後 綺麗に巻いて返して下さいました。 次の霊場でも 同じようにして返していただいたので 素人がヘタに巻くと せっかくの御朱印がずれてしまうからなのかと 勝手に思っていたんですが 次の霊場で は ご住職が忙しいとの事で 御朱印は頂けたものの 当て紙だけして頂いた状態で返されたので自分で巻きました。 次の霊場で 御朱印を頂く時「自分で巻いたので うまく巻けずにずれてるかもしれません」と言ったら 窓口の方に、いきなり「何が言いたいんですか?!巻き直してくれと言いたいんですか?!」と大きな声で言われてしまいました。そんなつもりなかったんですが、びっくりしてしまって何て言えばいいかわからなくなってしまって「いえ、書いていただく時にずれてたら。。と思って」窓口のお坊さん「僕は何をすればいいんですか?!御朱印を書けばいいんですか?!軸を巻き直せばいいんですか?!」怖くて泣きそうになりました 無事 御朱印は書いて頂けたものの 。。。 今まで たくさんのお寺にお参りしてきましたが あんな大声で怒られたことなかったです。 これから あと9霊場 お軸をもって回らないといけないと思うとどうしたらいいのか 不安になってしまいました そこまで怒られたのは わたしの作法に問題があったからだろうとは思うのですが 今後どのように御朱印をお願いしたらいいですか 注意点など教えて下さい よろしくおねがいします 長文失礼しまいた
皆様がこの不安な世の中を生きるために苦しい胸の内をご相談されているなか、このような質問をするのは忍びないですが、是非ともお教え願いたいです。 最近、神社やお寺をお参りしていて、四国に住んでいるのもあり、四国霊場のお寺を順番は関係ないですが行ける時に行ける範囲の所へ足を運んでいます。 昨日、子供たちを旦那が見ていてくれるというので、少し距離はありましたが香川のお寺にお参りにいきました。 14時を少し過ぎて到着し、御朱印帳を用意して納経所へ行ったのですが誰もいらっしゃらず、インターホンがあったので鳴らしました。 次にお寺に行った時はお線香をあげさせてもらいたいな、と思っていたので、初めてだし質問してみようかなとワクワクしながら待っていました。 すると別の建物から若め?のお坊さんが出てきてくれたのですが、あからさまにめんどくさそうな顔をされ、会釈をしても、お願いしますと声に出して言ってみても無視され、御朱印帳もぱっと取られ、お釣りの小銭も御朱印帳の上に置いて返されました。 お礼はなんとか言えたのですが、内心すごくショックで、お線香のことも聞くに聞けずでした。 自分なりに大事にしている御朱印帳なので、小銭置きにされたのは正直腹が立ちましたし、それなりの時間をかけて子供たちも旦那に預けてお参りに行っていたので本当に残念でなりませんでした。 しかし家に帰る途中、ひょっとすると神社とお寺の御朱印を一緒にしていたのがいけなかったのかな、それとも緊急事態宣言が解除されたとはいえ、このご時世の中来ないでほしかったのかな、と頭によぎりました。 今まで行ったお寺では、特に何を言われるでもなく、ようお参りくださいました、とまで言ってくれる方もいたので、謎です。 もしかして、14時くらいからお坊さんのお昼ご飯は始まるのでしょうか。 なにか私に悪いところがあれば、納得もいきますので、どうかお教え頂きたいです。
家で祀ってる観音様やお寺のお堂で、般若心経を唱えると楽しい気分になって笑いたくなることが何度かありました。 良い事なのでしょうか?
最近、疑問に思っていることがあり各ご僧侶様のご意見を頂きたく質問させて頂きました。 まだ小学校低学年の頃から、30年以上前に亡くなった曾祖父に会いたがったり、誰に教わるでもなく仏像をねんどで作ったり絵に描き起こしたり何かと仏教とご縁のある身なのだなとありがたく思っております。 大学でも仏教学部に在籍していたこともあり学問的な仏教にも大変興味があります。 この1か月間で無量寿経、薬師経、阿弥陀経、般若心経等、10以上の真言、経典を読んでいました。 釈尊の言葉をまとめたものがお経なのであれば、なぜ葬式や法事であげるか少し理解できずにおります。教えを書き起こしたもの(学校でたとえるならば教科書でしょうか)を故人にあげる意味とはどういうことなのでしょうか? ある本には六道の中で人間界でしか仏教を聞く事ができないと書いてありました。 人の思う天国も六道では天界というところだそうですが、苦しみもあるとのことでした。 葬式や法事等であげるお経は人間界でしか学べぬ仏教を、故人にもその教えをお経として聞かせ参列している人もまた教えを一緒に聞く、という意味合いなのかなと解釈しております。。 菩薩や天部のエピソードは多少脚色されたものもあるのかもしれないなと物語として楽しく学んでおります。 また各浄土にいらっしゃる仏様それぞれが得意とする分野をお持ちですが(薬師如来なら無病息災や病気治癒など)、病気になった時はお薬師様、強い心を持ちたい時はお不動様などそれぞれの仏様に拝んでもよいのでしょうか? 全ての仏様のお師匠様が阿弥陀様ということを本で見かけましたので基本的に元をたどれば一つであると考えればどの仏様にお祈りをしてもよいのかなと、、 仏様のご利益は願って叶うものではなく、願ったのち自身が前を向き努力した時にそっと後押しをしてくれる存在と最近は思います。 ご僧侶様のご回答ご意見を、宗派関係なくお聞かせください。 ※曾祖父時代は浄土真宗、現在は真言宗ですが私自身はどの宗派も元をたどればおおかた同じと思っておりますので気に入った仏様や宗派を勉強しているようなかたちです。
生後2週間で長男を亡くしました。 旦那の実家は宗教にこだわりがなく、お仏壇もありません。 私の実家にはお仏壇があり、月参りで浄土真宗の御僧侶さんがおいでになっているのでそちらで初七日までお参りしていただきました。 そこでご質問です。 私たちはまた子供を授かりたいと思い、子授け地蔵様のおいでるお寺にお参りに行きました。 そちらのお寺では水子供養や先祖供養も行なっていたため、息子にもお経をあげてもらいました。 その際、浄土真宗のため戒名ではなく、法名を記入しました。 何も知らずに違う宗派のお寺でお経をあげてもらったことになります。 これは良くないことでしょうか? もし子供を授かった場合、そのお寺へのお礼参りも考えております。 その際、亡くなった我が子への供養と報告のためそのお寺でお経をあげて頂くのは良くない事でしょうか?
親戚が相次いで亡くなり、浄土宗・浄土真宗のお坊さんが葬式でお経を上げてくれました。 その時に、ある部分で何故か「アメリカ アメリカ」と聞こえてしまう箇所があり…。初めて耳に入った時は、絶対に笑ってはいけない場面であるにもかかわらず思わず噴き出しそうになりました。確か、両方共初七日法要のお経の部分だったと思います。 他の親戚も複数の人が同じことを言っているので、果たして本当は何と言っているのかが、どうしても気になってしょうがありません。 変な質問で申し訳ありませんが、分かる方がいらっしゃったら教えてくれませんでしょうか。
家族が亡くなりました。 直葬を行い お坊さんにお経を上げてもらうこともせず、 寝ずの番もしませんでした。 良いのでしょうか。 ちゃんと供養をするにはどうするべきだったのでしょうか。
いつもお世話になっております。 お坊さま方にたくさんのありがたい助言をいただき、常に懺悔の気持ちを持ちながらも少しずつ前向きに生きております。 hasunohaに出会ったおかげで仏教に興味を持ち、お経を練習するようになりました。 先日とある合同法要がありました。 そこでちょうど、練習している仏説阿弥陀経をお坊さま方が唱えられました。 そこで私は愚かにも、つい一緒に唱えてしまいました。 修業もなにもしていない身で、しかもうろ覚えのくせにです。 いまになってとても後悔しています。 合同法要なので他にも沢山の方がいて、お坊さまも数人おられました。 ただの一般人の私が、しかもろくに覚えてもいないのに…。 これは仏様やお坊さま、他の方々に対して失礼なことだったでしょうか。 またそうであればどう償えば良いでしょうか。 お忙しいなか申し訳ありませんが、ご教示ください。
般若心経のCDを持っています。 般若心経の意味はインターネットで数回見たことはありますが、深くは分からないですし読み上げる事も出来ません。 ですが、お経独特のテンポと低い声が重なる感じは聞いていてとても心地がいいので何でも無い時でも聴きたいなーと思うことがあります。 でもそんな事をしても大丈夫なのでしょうか?バチが当たったりしないでしょうか? こんな質問で申し訳ありませんが、お教え頂ければと思います。よろしくお願いします。
妙法蓮華経の天台宗での読誦についての質問があります。 日蓮宗諸派では、方便品、如来寿量品、如来神力品、普門品を主に唱えて、他の品も時には読誦するようですが、 天台宗では方便品、如来寿量品、如来神力品、普門品以外で 読誦することがある品は何があるでしょうか? また、妙法蓮華経を理解するには、どの品が一番重要でしょうか? 二番目の質問では天台宗諸派や日蓮宗諸派の僧侶にもできればお聞きしたいです。 大きな質問になってしまいましたが、申し訳ありません。
自殺した彼の供養のために、お経をあげたいと思っています。自分の部屋で彼の写真の前で。 自殺だったのできっとあの世で辛い思いをするのではないかと心配しています。彼が穏やかに過ごして行けるように祈りたいのです。 49日までは続けたいと思っていますが、どんなお経が相応しいのか分からないのでどうぞ教えて頂きたいです。それと、やはりお経は朝の時間がいいのでしょうか? 曹洞宗です。 よろしくお願いいたします。
毎朝、般若心経と祝詞をあげています。 ところで、 ・お世話になった人(感謝) ・迷惑をかけた人(懺悔) 一人一人のためにもお経を読ませていただきたいのです。 一人一人の名前を紙に書いて、名前を読み上げ、祈り、読経するには、どのような文面を用いれば良いでしょうか?
聞こえないと、折角の有難いお経もお説法も分かりません。 手話とまでは言いませんが、リアルタイムで文字で伝えて頂けたらどんなにか充実した時間を頂けることでしょう。 そういうご配慮をして頂けるお坊さまがいらっしゃるお寺がございましたら、教えて頂けると嬉しいです。 どうかよろしくお願いいたします。
いつもお世話になっております。私が最近通い始めた法座(読経会)の お寺の住職先生が、法話や説法を邪道とみなしているようです。 法座が終了し、私がノートを片手にお経について聞きに伺うと、 「本当のことを知っているのはお釈迦様しかいないから、説いてはいけない」 「僕のいったことも参考程度に耳に挟んでおいてね」 「説いちゃいけないって書いてあるから(確かに法華経にはそんな文言が あったと思いますが)」 「もしそれを説いて、その人の言ったことを信じてしまったら、変な新興宗教 ができちゃうよ」 「お経を直接読んで、自己解釈するように」(逆にそちらの方が危険な気が… 例:理趣経。それに漢文や中国語の文法が理解できない人はどうするの でしょうか)などと言い、教えていただくことができません。それどころか、 最後の文言のように、かえって危険な事態を招きかねないことを言われます。 法句経ーダンマパダには「教えさとせ」という文言があったような 気がします。対機説法という概念もあったと思います。 それに、積極的に法話会を開いている先生方もいらっしゃいます。 この先生のおっしゃることは、信頼しても良いのでしょうか? 私個人的には「う〜ん…」といったところです。
長女は25年間頭蓋咽頭腫という脳腫瘍と向き合ってきました。過去12回、脳内で成長する腫瘍が各種の障害を起こさないための手術を受けました。ところが結果として、手術自体が、失明、癲癇、半身不随を引き起こす原因になってきたというのが現実です。また腫瘍摘出に伴い脳下垂体を切除しましたので、ホルモン分泌を補うためにホルモン剤を飲み続けています。右眼失明は13歳時の手術の失敗、癲癇と半身麻痺は度重なる手術による脳へのダメージによるものなのです。また、最近は腫瘍再発のスピードが速くなり、この1年間に2度開頭手術を受けました。ますます脳が疲弊していくのは明らかです。 実はここ1ヶ月の間に、左眼が重度の弱視となり、全盲となる瀬戸際となっております。そのため近々に13回目の手術が予定されています。また、今回の手術では腫瘍摘出の邪魔になる右前頭葉を取り去ることになると医師から説明がありました。右利きの人間は左前頭葉を主に使うので右前頭葉は除去しても影響はあまり出ないと言います。しかし、前頭葉摘出は人格を変えるかもしれません。今の医学にはまだ解明されていない領域が沢山あります。脳の機能はその最たるものでしょう。腫瘍を切除するために、人格を変えてしまうかもしれないことを承知で脳を切除する。日本随一の大学病院でのこの判断が、私にはどうしても腑に落ちません。しかし、放置するとさらに深刻な障害を招く恐れがあるのも事実です。端的に言えば、もはや腫瘍摘出自体が目的になり、障害を出さないためという発病当初の手術の目的は置き忘れてきたように見えます。癲癇、半身不随、失明はすべて手術の結果生じてきたのです。親としてこの事態をどう受け止めるべきか、私には分かりません。観音経を唱えて奇跡を起こせるなら、何万回でも唱えようと妻と話しています。 どうか私どもに心のよりどころをお与えください。 もう一つ教えてください。毎朝毎夕妻と延命十句観音経を唱えています。願いは長女の失明回避ですが、観音経を唱える前後の願意の唱え方がわかりません。ご教示くださいませ。
日蓮宗の信徒です。 幼少期より、朝夕の父の仏壇のお勤めを見て、方便品第二や寿量品第十六など自然と覚えておりました。 一昨年父が他界し、今は私が仏壇へのお勤めをしております。 その後、二十一、二十六、二十五、十二と徐々に読めるようになり、更に今まで知らなかった内容(意味)についてもYoutubeなどを見始めております。 二十八品全ての道のりは長いですが、敢えて順番を付けるとすると、次やその次とどのように勉強していけば良いのか、ご意見を頂けますと幸いです。 また、具体的に、次の時にはどの品を読まれているのかもご教授頂けますと幸いです。 今後、菩提寺様や久遠寺など、行事に参加する機会を増やしていきたく、その際にお上人様とご一緒に唱えられるものを増やしていければと思っています。 ・*周忌法要 ・御施餓鬼 ・立教開宗会 ・祥月命日 ・お葬式 ・その他、重要な行事 よろしくお願い申し上げます。
私は数ヶ月前まで専修学院尼僧部に通っていました。 修行は自分の心を軽くしてくれ、余計なことを考えずにひたすら読経の練習や仏器磨きに勤しんでいました。 私は加行をしていて、辛すぎる! と思ったことはありませんでしたが、 知らない人と行動を共に、私語は慎む、家族とは連絡が取れないという不安と心労、そしてご飯の量が多かったのも加え毎日トイレで吐いていました。 吐く事が辛いし親に会いたい家に帰りたいと、泣きながら修行に取り組んでいました。 見かねた幹事先生が親に電話して、停学といった形で家に帰らしてくれました。 専修学院の皆様や家族、檀家さんにはすごく感謝と申し訳なさが残っています。 家に帰ると親の仕事をついて回り、朝のお勤め、梵字の練習などをしていました。 加行を中断して帰ってきたのにも関わらず、親は変わらず優しくしてくれました。 父は癌を患っていて、何年にもわたって再発し続けています。 そのことをわかっていながら、私は家を飛び出してしまいました。 私は婚約者がいることを父に打ち明け、家を出て行くことを告げたのですが… 同じ日に再発がわかったことを父から告げられ、そこから婚約者を紹介し辛くなり、そのまま家を出てきてしまいました… 1ヶ月に1度程度は連絡が来ますが、返信すると父からの返信はきません。 私は父への申し訳なさ、とんでもない事をしてしまったという気持ちでストレスがつのり、ストレスが原因の病気を発症しました。 夢にも毎晩父が出てきます。 夢自体は様々で、前みたいに色んな場所をドライブしたり、朝のお勤めをしていたり、また怒っていたり… 父と喧嘩をしているわけではないのですが、仲直りと言いますか… 前みたいな仲に戻りたいです。 また一緒に読経をしたいです。 でも勇気がでないんです。 どうしたらいいですか? 私は、自分の精神状態よりも、修行を終えることを優先した方がよかったのでしょうか… 拙く長い文章となってしまい、申し訳ございません。