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検索結果: 1521件

「喜怒哀楽」から抜け落ちた「怒」

私は、今でこそ生き抜く為の知恵の1つとして、「怒」も必要ではないかと思っています。がしかし、昔の私は「あなたには喜怒哀楽の怒が抜け落ちているのではないか?」と言われ続けてきました。一番分かり易い例を上げますと、中学生の頃、私は酷い「イジメ」を受けていました。体も心も、いつも傷だらけ。精神的な苦痛だけでなく、肉体的な苦痛も味わう毎日。具体的に申しますと、グロテスクな内容になりますので、控えさせていただきます。でも、私はいつもいつも笑っていました。親にも先生にも相談することが出来ないまま…。卒業式が近付いてくると、先生方から、いろいろな言葉が書かれたカードのようなものをいただくようになりました。書き出しは、どの先生方も同じ言葉がおどります。「笑顔の素敵なトラスさんへ」「smile & intelligentなトラスさんへ」。まだまだ情報化社会でもない、スマホ等の媒体もない、SNS等の伝達手段もない時代。その時代に、1人、ひたすら「自殺」を考える日々を送っていた私には、その「笑顔」の「裏」にある苦悩を全く気づかれなかった、また、私自身、伝える、助けを求めることが出来なかった、結果、先生方はイジメに気付けなかったのだなと痛感した記憶があります。しかし、何とか卒業式の日を迎え、帰り道、ある友達が、別れ際に、こう言いました、「みんなでゲームしてたんだよ!誰がトラスさんを怒らせれるかゲーム!」と。唖然としましたね、「え?ゲーム?何それ?」と。子どもにとって、「イジメ」は「ゲーム」の1つなのです。 最近、よく児童・生徒等の子どもの自殺問題が注目を浴びています。多くの尊い命が失われています。「怒」の無かった私は、中学時代、辛い毎日を過ごしていた当初から、「イジメ=殺人」だと思っていました。大人になった今、私は問いたい!!!『イジメ=ゲーム→殺人』、この流れ、お坊さまの皆様はどのようにお感じになられますでしょうか? 今でこそ「怒」の必要性を痛感した経験から、時には「怒る」ことも大切だと思えるようになった私ですが、今思うのは、『イジメ=ゲーム→殺人』、そういう事象は、子どもの社会でも大人の社会でも残念ながら存在し、消えることなく存在し続けるのではないかということです。ちゃんと「喜怒哀楽」の感情表現あってこそ人間であり、どの感情も大切にしていかなければならないと、私は思っています。

有り難し有り難し 17
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故人との付き合い方について

世界で一番大事な人を一週間前に亡くしました。 最期を看取り、通夜、葬儀に参列し、肉体を失うまで見てきました。 ですが、いまだに実感がわかずにいます。ただ、涙はずっと出ています。 まだ、過去形で故人を語ることが出来ません。 そこで質問です。 (1)故人へのこの思いは、故人を現世にとどめてしまうことになってしまうでしょうか? (2)故人の写真を持ち歩いたり、生前頂いたものを身に着けてもよいのでしょうか? (3)生前通り、ついついメールをしてしまいます。(いつもそうしていたので)また、生前頂いた大事なぬいぐるみにも毎日話しかけてしまいます。これも良くないことなのでしょうか。 (4)故人とした会話や行事での音声を毎日聞いてしまいます。これも良くないことでしょうか? (5)故人の匂いや気配を感じると、そちらを向いて話しかけてしまいます。これも良くないことなのでしょうか? (6)この哀しい気持ちを引きずってしまうのは、いつまでしても良いのでしょうか? 故人には解放され、自由になってほしいと思っています。 自分も前を向いていきたいと思っているのです。故人は私が哀しんでいるとへこむと生前仰っていましたし、いろんな思いを私に託してくれたので、それらを糧に頑張りたいと思っています。

有り難し有り難し 59
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お空に還った子どもに聞きたい。

昨年の秋に第一子を出産しました。妊娠していた頃から、いくつもの心疾患を抱えているとこが分かり、お腹の中で亡くなる可能性、産まれてすぐ亡くなる可能性もあると言われていましたが、 エコー越しで手を振り「ぼくはここにいるよ。」と存在を示す姿や主治医からの乳児期に適切な手術を乗り越えれれば生きれるとの言葉を聞き、私たち家族は、育てていく決意を固めました。 トツキトオカ、お腹の中で無事に育ってくれ、やっと会うことができました。 しかし、生まれてから翌週に手術、なかなか身体に血液循環が馴染まず、再度手術と39日間の間に4回の手術をしました。4回目の手術で、少し良くなり経過観察をしていました。翌週に、レントゲンを撮り、改善できる箇所が見つかり、追加で処置を受けようとした日に心不全で亡くなりました。 身体を拭いている時に沢山の頑張った証があり、寝ている状態が長かったので筋肉も硬くなり、沢山頑張らせすぎてしまったと、胸が苦しかったです。 生まれてから生きるために何度も手術を頑張ってもらいましたが、39日間、何本もの点滴、機械に繋がれ、毎日処置してもらう子どもは幸せでしたでしょうか? ある本で子どもは自分の命の期間、人生をわかった上で、ママとパパを選び、生まれてきてくれると書いてありました。 ひとつの人生を全うした息子は、また、私たちを探して会いにきてくれますでしょうか? 私たちが会いにいくと、のどの奥を鳴らして、挨拶とかではなく、何か必死に伝えようとしてくれていました。思うように動けず、痛みも沢山感じているはずなのに、笑顔をよく浮かべていました。 私たちにどんなメッセージを送っていてくれたのでしょうか? そして、亡くなった今、まだ、生きる術はあったのだろうかと、調べてしまいます。 ある日は、本当に私たちのもとに生まれてきてくれたのだろうか。夢だったんじゃないかとも思います。 毎日涙があふれます、息子は、哀しむ姿は望んでいないと思いますが、哀しくて仕方ありません。どんな姿であろうと、家族で支えていきたいと思っていました。生きてて欲しかった願うばかりです。 幸せだったか、何を伝えようとしていたのか、また会いにきてくれるのか、教えて頂きたいです。宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 29
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2022/03/17

余命宣告をされた彼女

初めて質問させて頂きます。 私には、歳上の同性の恋人が、さっきまでいました。つい先程、別れを告げられてしまいました。 彼女は、内臓の病気を患っています。先々月、お医者様から余命半年を告げられたようです。 その頃はまだ、交際関係に発展しておりませんでした。 しかし、私が相当依存しておりましたから、見かねた彼女から「私が居なくなっても苦しまないように、今から離れるリハビリをするか、辛くなること覚悟で最期まで恋人として隣に居るか、どっちがいい?」と、余命宣告をされた時、私に聞きました。 私には 大好きな彼女と離れる という選択肢がなかったので「短いかもしれないけど、貴方の恋人として隣に居たい。」と伝えました。 そこから一ヶ月間は、毎日とても幸せでした。連絡をまめに取り、彼女の愛情をひしひしと感じて過ごしておりました。 しかしある日、彼女のお母様が亡くなられました。彼女と全く同じ、内臓の病気と闘っていたお母様でした。 それから彼女とは、10日ほど連絡が取れませんでした。お母様の訃報は、彼女のお父様を通じて知りました。 そして先程、彼女から久しぶりの連絡がありました。 「私は母親を亡くしてとても寂しかったし、辛かった。私が死ぬことによって、貴方を私と同じ気持ちにさせることはできない。」と、言われました。 付き合い始めてから一ヶ月の間に、わたしは彼女に沢山幸せにしてもらいました。 中でも忘れられないのが、ある言葉です。 「私は貴方を、世界一幸せにできる自信がある。捨てたりしない。」 このような言葉です。 言ってることとやってることが違うよと、言いたいのですが、彼女もきっと、私のためを思って別れる判断をしたのだと思います。 ですが、涙が止まらないのが現実です。 こういう場合、私は、無理矢理でもそばに居た方が良かったのでしょうか。

有り難し有り難し 22
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今後は何をすればいいか

先月、副住職をしていた彼が自ら命をたちました。父親がお坊さんを志して住職になったものの、彼はその道を嫌がり後を継がなければ、勘当される。海外にバックパッカーをして自由に生きるか、寺に戻るかの選択を迫られて昨年に副住職についたようです。彼の性格は自己肯定感が低く、今までは鬱が入るとパーティーと呼ばれるクラブの様な場所で大麻を吸って気持ちを盛り上げる事もしていました。私と付き合ってからはそれに関わる人間関係さえも禁止にしました。亡くなる前は鬱がはいり耐えられないから安定剤をのんでいました。遠距離恋愛なので長電話でつらい、幸せにできない、薬のんだ、が始まったので私は電話に出ない拒否をしました。今までにも何度かこのような事はありましたが励まし、ぶつかり、会って回復するの繰り返しでした。話を聞いてくれ、薬も誤解なんだ、と30分前にも着信がありましたが5時半だったこともあり寝てしまいました。最後に追い詰めたのは私です。彼は本当にいい人なのでいつも感謝の気持ちを話し、LINEで届いた遺書も感謝、ずっと好きです。でした。彼のいないお盆は大変とのことで寺の手伝いにいきます、養女としてお父さんの寺を守りたい。とも思います。何かしたいけども相手の気持ちも考えず、今後も家に行くこと、連絡をとることはどうなのかと思います。そして私自身、9月の納骨までは目標を持っていますがそのあとは生きていく希望がありません。あちらの家と縁を切ることも辛いのです。心の中で南無阿弥陀物を唱え続ければ楽になるのか、苦しいことが苦しいと思わない智恵が沢山しりたいです。言葉とか

有り難し有り難し 12
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赤ちゃんの行き先は誰が決めるのですか?

赤ちゃんが「あのお家に行こう」と選ぶというのは本当ですか? それとも神様・仏様が「あのお家に行きなさい」と決めるのですか? 私は不妊治療もしましたがなかなか授かれず、一度だけ妊娠したものの早いうちに成長が止まり流産となりました。 子どもが好きで保育士をしていますし、何よりも全く性格の違う夫と私の間にどのような子どもが生まれてくるのか、どうしても会ってみたくて諦められず、待ち続けています。 だから、虐待や殺害のニュースを見るたびに「我が家に来てくれていれば…」「待ち望んでいるお家に行ってくれていれば…」と思わずにはいられません。 「行き先が違っていたら幸せになれた命が沢山あるはず」と思わずにはいられないのです。 最近も28歳娘と義父の元に生まれた赤ちゃんが殺害されたニュースがありました。(その娘さん自身も被害者なのかもしれない事は知っています) 赤ちゃんがそこに行きたいと選んだのでしょうか? 神様・仏様が決めたのでしょうか? 親に傷つけられたり、殺されるために…。 そんな酷い事があっていいのでしょうか? 私たちが「たった1人でもいいから」と望んでいる間に、よそには2人目、3人目と生まれたりしています。 何の意地悪なのか…、そもそも神様も仏様もいないのでしょうか? 「信じる者の中に存在する」と聞き、ずっと信じて生きてきましたが…。 身も蓋もない言い方になってしまいますが、結局のところは身体的に全く問題がなく受精・着床…と進めば、人としてどうかとか、神仏云々関係なく授かることができるんですよね。 頭ではわかっていても心がモヤモヤしてしまい、こんな事ばかり考えてしまいます。 「今度は間違えないで私たちの家に来るんだよ」と諦められず待ってしまいます。

有り難し有り難し 77
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私のこれからの人生

私は、半年前に銀行員になりました。元々目指していた職業は、容姿が必要なものでした。私はそのためにダイエットに取り組みました。でもそのダイエットは長くは続かず、自傷行為に走るほど苦しみました。そこまで頑張ってなるものではないと思い、適当に銀行を受けたら、難なく通りました。銀行員など、さらさらなる予定もなく、適当に入行したために、半年経った今は、朝ため息が止まらず、業務中に涙を流すほどです。毎日が楽しくないのです、、、土日がくることだけは楽しみですが、銀行の業務がびっくりするほどやりがいを感じず、ノルマに追われ、本当に参ってます。こんな仕事を一生すると思うだけで、自殺が頭をよぎります。ストレスでどんどん太っていく自分も惨めです。。。そこでいつも考えてしまうのが留学です。でも、学生時代に諦めたことを社会人になって、するのは馬鹿なことだと思います。親に相談しても、帰国してどうするの?以外なにも言われません。(=反対しかしない)私自身、帰国後にキャリアアップしたいなどと思ってるのではなく、今は単なる逃げだと思ってます。元々、そんなに英語力はないですが、外人と話すのが好きで、海外に1人で行っては様々な国の人と仲良くなってご飯に行ったりするのが好きです。 私はどうするべきでしょうか。そのあとのことは考えずに留学を、すべきでしょうか?それとも、このクソみたいな銀行を続けるべきでしょうか?どうしても先のことを考えてしまう性格のせいで思い切ったことができずにいます。

有り難し有り難し 25
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