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hasunoha 問答検索結果 : 「家族 供養 」
検索結果: 1969件
2025/05/01

稽留流産と私の行動の因果関係

30歳男性です、妊娠していた妻と産婦人科に行き稽留流産の診断結果を聞きました。非常に悔しく、落ち込んでいます。妻も気丈に振る舞っていますが落ち込んでいます。 お医者様からも、ネットで検索してみても稽留流産の原因は胎児側のことがほとんどであり、気にすることはないと言われました。 医学的には、科学的にはそうなのかもしれませんが、私はどうしても自分の過去の良くない行動がこのような結果を起こしてしまったのではないかと思っていまいます。そんなことないだろうと思っていても、もう子供を授かることはできないのかと不安になってしまいます。 どうすればこの不安や過去にした良くない行動の罪悪感から脱することができるのでしょうか? 過去にした良くない行動は、大なり小なり様々で妻がいるのに裏切り夜のお店に行ったしまったことや嘘をついてしまったこと、子供時代に他人を理由なく罵倒し蔑んだりしてしまったこと。ここには書くことも憚れることも多数あります。本当に後悔し、反省しております。 妊娠が分かってから、できるだけ実家の仏壇やお墓、神社でこれまでの懺悔し妻とお腹の子の無事を祈りました。しかし、そのような私の浅ましい懺悔や祈りはやはり聞き入れてもらえることなく今回の流産となったのではないかと考えています。私はどうしても我が子を授かりたいと考えています、どうしたらいいのでしょうか。流産の可能性があると10日前に言われてから夜に寝られません。どうしたらいいのでしようか?怖く不安です。私のせいで、妻や今回流産してしまった子に祟りが向かないでしょうか。流産してしまった子は正しく葬送することできるでしょうか?

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不幸が重なり愛犬の死がいつまでも悲しい

長いです、申し訳ありません。 去年の10月まで母方の祖母、父方の祖父母が存命でした。親子犬2匹(10歳、5歳)飼っていました。 犬は5年前に保護犬を里親として引き取り、大事に育てて過ごしてきました。(親犬は当時から心臓が悪かった) 昨年の3月、4歳だった子の方の犬に悪性腫瘍が見つかり治療開始しました。治癒困難と言われていましたが半年かけて寛解しました。 同じ頃に父方の祖母の癌がみつかりこちらも手術しました。(がのちに再発) 昨年10月に祖父(97)が急死。 今年2月に長らく寝たきりだった母方の祖母(96)が無くなり、その10日ほど後に心臓病が悪化した親犬が亡くなりました。 5月に容態が急激に悪化した父方祖母が入院後1週間で亡くなりました。 1ヶ月後の6月に悪性腫瘍再発で治療中だった子の方の犬(5歳)が急死。前日まで元気に遊んでいたのでとても急に感じました。 半年の間に祖父母3人と犬2匹を失い、非常に落ち込みました。しかし祖父母は高齢であり、親犬も心臓が元々悪かったので悲しいながらも納得しています。 職業柄生死について考えることは多く、乱暴な言い方ですが死に抵抗はあまりありません。 死ぬことや病気にかかるという事は誰のせいでもなく、誰にもコントロールできることではなく、仕方のないことだと思っているのです。出来るだけのことはして、それ以上は人ではなす術もないと思っております。 しかし、若くして亡くなった犬の事を考えると未だに涙がとまりません。納得がいかないのです。なぜ普通若い犬がかからないような悪性の病気にかかってしまったのか。苦しまずに急に亡くなってよかったと思う反面、元気だったのに急に亡くなったことに心がついていかない。 でも本当はこうなることは病気が見つかった時からわかっていました。命が長くないこと。でももしかして治るかもしれないと、奇跡を信じて現実から目を背けてしまった。 日常生活はいつもと変わらず過ごしており、誰にもこの感情は話していません。 時間以外にこの悲しみを和らげるお言葉をいただければと思います。

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亡くなった父に会いたいです

先日ガンで父を亡くしました。55歳でした。 辛い闘病生活の後でしたのでそれなりに覚悟はありましたし、亡くなった直後は「やっと楽になれたね、良かったね」と思っていたのですが、 やはりとても寂しく辛い思いでいっぱいで、毎日遺影の前に座っては泣き、父の使っていた食器や布団を見ては泣き、父が好きだったテレビ番組を見ては泣いています。こうして文章を打っている今も涙が止まりません。 「いつまでも悲しんでいてはお父さんが成仏できないよ」とか、「乗り越えて強くなりなさい」とか、葬儀の時親戚の人に言われました。自分でもそんなことぐらいよく分かっているのです。 それでも、(こんな事を言うと怒られると思いますが)成仏なんかしないでいつまでも私と母の側にいてほしいとさえ思ってしまいます。 父も私も無口で口下手なため、元からお互い交わす会話は多くなく、私が働き始めてからは同じ家にこそ住んでいるものの関わりはあまりありませんでした。 そこにこのような出来事があり、私はこんなに父の事が好きだったのかと自覚しました。それならもっと話しておけば良かった、こんなことになるなんてとまた泣いてしまいます。 私も勿論辛いですが、最愛のパートナーを亡くした母はもっともっと辛そうで、私がいなければ後を追っていたかもしれないと思うほど悲しんでいました。そんな母を見ていると私も悲しくなってしまいます。 父の死を乗り越えるにはどうすれば良いでしょうか。時間が癒してくれるのを待つしかありませんか?

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法事の際に受けた説法が引っ掛かっています

先日、年忌法要の為に帰省したのですが、そこで受けた説法が今も引っ掛かっています。 その説法とは『身内葬で済ますのは不幸なこと』『親族の傲慢』といった内容で、 (忘れようとしているのか)細部まで記憶していませんが、とある事情から恥ずかしながら非常に怒りを覚えました。 その事情とは、年忌の前日に別の親族が亡くなり、事情から親族だけの葬儀にしていたからです。 つまり、その説法と亡くなられた親族が被ってしまい、 『なんて身勝手なことを言うのだろうか』という怒りがあったのだと愚考します。 ただ、親族の代表として向かった手前、怒りを堪えたものの、未だにお坊さんが唱えられた話が引っ掛かっています。 身内だけの葬儀は悪いことでしょうか?確かに親族や友人、知人を呼んで大きく葬式を行うのが一般的でしょう。とはいえ、それが絶対かというと腑に落ちません。 また、説法を行ったお坊さんとは今後も顔を合わせることになるでしょう。 その時にどう顔を合わせたものかと思うと、辛いものを感じます。 (今は説法に対する怒りの感情というより、疑問が凝り固まっているような状態です。) 不躾な文ではありますが、ご教示願えればと存じます。 余談ですが、出来れば浄土真宗本願寺派のお坊さんのアドバイスを頂ければ幸いです。 もちろん他宗の方のお話もお聞きしたいです。

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お坊さんを怒らせてしまった

お坊さんを怒らせてしまいました。 とある悩みについてお坊さんにメールしました。 悩みやすい性格であるため、何度もメールをしては、アドバイスをしてくれていた方でした。 その方から先日、アドバイスとともに、「1円でもよいから納めてください」「それかこれからも友だちでいてください」とメールがあったので、 私は「こちらこそ、これからも友達でお願いします」「いつもありがとうございます」と打ちました。 そしてしばらくして、新たな悩みについて相談したところ、 「なぜ1円も納めようとしないのか」というメールの返信が来ました。 「1円でもよいから納めてください」「それかこれからも友だちでいてください」の後者を選んだ理由は、 納め方がよくわからなかったからなのですが、これについてかなり怒っており、見た瞬間震えてきてしまい、メールを削除し、 今現在学業で忙しいから今度でよろしいでしょうか、と返信しました。 すると、この期に及んで言い訳するのか、とメールが来ました。 その前は、あなたの悩みやすいその性格が全ての原因だ、的なことも書いてありました。 それから返信はしていません。 ただ、信頼していた方だけにショックですし、納めることが義務だとは思いませんでした。 若干トラウマになりそうです。 この体験とどのように向き合えばよいでしょうか。

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何故戒名をもらったら仏教徒になるという認識は誤りなのですか?

お世話になっております。 柴田秋です。 以前、こちらで葬式をあげてほしくないという質問をいたしました。 戒名をもらった時点で仏教徒になるのが嫌という理由を上げましたが、それは誤りとの指摘がありました。 戒名とは法号のことであり授戒の証、すなわち仏門に入ることのはずですが、何故、戒名をもらうことが仏教徒になるということではないのですか? 少し長いですが、それでも、詳しい経緯をお知りになりたい方は下記をご参照下さい。 http://hasunoha.jp/questions/5942 予想される答えとしては「私はすでに仏教徒である」ということと思います。 一度も同意したことはありませんが… 私が嫌いなのは仏教だけではなく、宗教全般なので、特別仏教がどうのこうのというわけではないので、ご理解ください。 ただ、ガウタマ・シッダールタや、イエスや、ムハンマドなど、一人の人間の言葉の元に集まった集団が起源なのが特に嫌という感じはあります。 神道に言及しているのは、少なくとも私は宗教ではなく、神話扱いしているという理由です。 ギリシャ神話、ローマ神話、ゾロアスター教、それから、特に好きというわけではありませんが、エジプト神話あたりは、私に対して「無害」なので、別に嫌いというわけではありません。

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