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検索結果: 197件

親の死について

久しぶりに質問をさせていただきます。 転職と実家を売り引っ越してから約2年は過ぎました。 経済的自立と精神的自立を目指して1度は一人暮らしをと計画し親に打ち明け、まずは不動産屋にというところまで決まったのですが、ワクワクしていた筈なのに、寂しくて不安で仕方がありません。 少し距離を取りたいとまで思っていたのに、甘えて家族に依存し今が続けば良いと望んでいたのだと実感しました。 ですが不安はそれだけではなく、普段から考えない様にしていた親の死が急に身近に迫ってきました。祖母が死に、側にいたのが当たり前ではないと実感してから親の死について考え、気落ちし考えない様にと繰り返しながら先延ばしにしていた事が、家を出る為に動いた事で私の心を支配してしまいました。 一人暮らし計画を辞めてずっと家にいたい。でもそれは自身のためにはならない。親が存命のうちに試してみたい。でも離れる事が擬似的な死別に思えて怖くて仕方がありません。 未知の恐怖がそうさせるのでしょう。時間が解決すると思っていても胃の腑が冷えて体が震えて仕方がありません。布団から一歩も出れません。 心の調子を崩し不安感が常に付き纏う様になってから、前向きになる事が難しくなりました。考えも極端なものになってきました。 心をどのように保てば良いのでしょうか。ご教授頂ければ幸いです。

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親の死

母親の死で後悔というか懺悔したい事がありすぎて どうしたらいいか分からないです。 母は病気だったのですが 母が一番苦しんでいる時に寄り添ってあげなかった むしろ、私は母が一番不安な時に冷たかった・・ 断れなくて苦しんでいる母を置いて初詣に行ったり パソコンしたり・・ 母との最後の時間を大事にしなかった事、最後に優しくしなかった事 申し訳なくて懺悔の思いでいっぱいです。 どうしてか、寄り添えてあげなかったのか分からない・・ あんなに苦しんでたのに、危機感というかなくて、まだ大丈夫・・ 何を根拠に思ったのか、そう思ってました 結局、自分の用事を優先して、母の事を後回しにしてた 初詣もパソコンも母との時間に比べたら今となってはどうでもいい事で 私は何をしてたんだろう・・と 母は優しい人で、いつも私に負担がかからないよう、気遣ってくれて そんな母に恩返しどころか、冷たい態度をとって何もしなかった 自分が許せない日々が続いています。 結局、母が病気になってから寄り添ってたつもりだったけれど、振り返ってみると結局、私は自分を優先して母を後回しにしてたんだろうと思います だからこんな事になったんだろうと思います

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2023/10/08

親離れと親の死に対する恐怖心

通勤時間短縮や自立した生活をするために、数年前から一人暮らしをしている30代女性です。 両親とは仲が良いこと、実家も県内にあることから、月一回は帰省しているのですが、ここ最近、一人暮らしの家に帰る度に、寂しさと悲しさが込み上げてきます。 たまに、両親が一人暮らしの家まで送ってくれることがあるのですが、良い歳した大人が別れた後に泣いてしまうのです。 ひどい時は、車中で泣いてしまうことがあります(泣くと親を心配させるので、こっそり泣いています)。 また、両親に持病があることや、ここ数年で他の親族の死を何度か経験したことから、いつか来る両親の死のことを考えてしまうことが増えてしまいました。 命あるもの、必ず死が来ることは分かっているつもりですが、両親が亡くなったら、私はメンタルが保てないのではないかと、すでに恐怖を感じています。 実家から帰省後、悲しくなって泣いてしまうのは、親離れができていないせいだと思っているのですが、親離れをするためにはどうしたら良いでしょうか?やはり、帰省回数を減らす事が得策になるのでしょうか? また、いつかくる両親の死に対する恐怖にはどうしたら打ち勝つことができるのでしょうか? どうか、ご助言をいただけないでしょうか。

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死について

私は今年33歳になる社会人男です。 現在は今年61歳になる父と二人で借家に住んでいます。 兄弟はいません。 母は私が高校生の時に離婚しています。原因は母の借金です。 精神病を患っており、今は施設で過ごしています。 また離婚はしていますが月1回、父は母のもとを訪れて、食事をしたりしています。 私も3ヶ月に一回ほど、会っています。 そんな訳で、高校生くらいから父と二人で暮らしてきました。 父は母の借金を返しながら私のために、大学まで出してくれて、自分は家も買えませんでした。 食事も毎日お総菜などですが、買ってきてくれています。 最近は私がつくることで、少しでも楽をさせてあげたいと思っています。 昨年父と母が60歳になり、ふとテレビなどで70代で亡くなる方のお話を聞いていると後10年で70歳になってしまうのか・・・ 父や母がそんなに早くいなくなってしまったら、自分は一人で寂しくて辛いのだろうなと思ってしまいました。また、祖父が昨年90歳で亡くなってしまったことも、原因の一つであると考えています。 それからは毎日、そんなことを考えてしまいます。 仕方がないことだとわかってはいるのですが、どうしても考えてしまいます。 特に兄弟もおらず、悲しみを分かち合える人がいないことも原因のひとつです。 こんなことを親に話すわけにもいかず、どうしたらよいのかわかりません。 お坊様の方々にどのように考えるのがよいのか、お話をお伺いしたいと思い、質問致しました。 長くなってしまいましたが、よろしくお願い致します。

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「親が悲しむから死ねない」というのがわからない

「自分が死んだら親が悲しむから死ねない」という感情がわからないのです。 私は、もし自分が死んでも、たぶん親は悲しまないと思ってしまいます。 うちの親は「お金(教育費)をかけたのに無駄だった」とか「親孝行(介護)をアテにしていたのにいなくなった」と、私が死んで親が怒るイメージは想像できるんですが、親が悲しんでくれるイメージが想像できないのです。 だから、自殺を思い留まるときに「親が悲しむから」という理由が理解できないのです。 この事を、友人に話しをしたらドン引きされてしまいました。 なんで皆んなそんなに親が好きなんでしょうか? 親に恩返しをしたいんでしょうか?親に長生きして欲しいんでしょうか?私にはまったく理解できないんです。 「子供の頃にされたように親に恩を返す」という言葉を聞きますが、それならば自分は親に愛されていなかったんだろうか?と考えてしまいます。 自分は冷たい人間なのか、自分の考えはおかしいのか、と悩んでいます。 「自分が死んでも親は悲しまない」と思っている人は他にはいないのでしょうか?それはいけない事なのでしょうか? 大概人に話すとドン引きされてしまうので、軽々しく相談できるところが無くて困っています。 お坊さま、是非おたすけをお願いいたします。

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母の死

先日母が心不全で急死し、後悔、罪悪感、寂しさでいっぱいです。 とても優しく献身的で尊敬すべき母でした。自らの祖母の介護、結婚後は両親を含む家族の面倒、子供達の世話、子供達が巣立ってからは母の介護と看取り、夫の半介護と、生涯にわたって温かく献身的に家族を支えて来ました。 なのに私は、自ら家庭を持つことで改めて母の偉大さを感じ取ってはいたものの、晩年、特に半要介護状態となったいわゆる昭和の亭主関白な男である父との関係など色々と悩みを抱えていたことを知りつつも親身になって支えてあげるでもなく、また長年の家族への献身で体も疲れ切っていた母の状態に気づきもせず、近々訪れるであろう父の看取りが終わったらいよいよ母にたくさん親孝行しよう、などとボーッとした考えで、同居していないとはいえ母が限界に至る前に手を打つことができませんでした。 寿命を伸ばすことが出来たかは、多分出来たはずだとの思いが強いですがはっきりとは分かりません。ただ、早めに何らか少しでも手を打っていれば、少なくとも晩年辛く寂しい思いをさせずに済んだと思うと、自分の無能さ、薄情さが悔やまれてなりません。太陽のように明るく活動的で優しかった母の息子とは思えないほどに、優しさ、状況をしっかり感じ取る能力と行動力に欠けていました。自分の生活を維持することばかりに目が向いてしまっていました。 母の無念さを思うと涙が止まりません。 私自身が今取り返しのつかない後悔を抱え悲しい思いをしていること自体は、自業自得であり、一生向き合っていこうと思っています。 せめて母は、死によって全ての苦痛から解放されたのだと、今は天国で安らかに眠っているのだと信じて、母の供養をひたすらにし続けたいと思います。 質問になっておらず恐縮です、今からでも何か母のためにできることがありましたら、ご助言いただけましたら大変幸いです。

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娘を亡くした寂しさとの向き合い方

はじめまして。自分の心の中でまだ整理しきれずにいることを想いのままに書かせていただこうと思います。まとまりのない文章になってしまうかもしれませんが、どうぞよろしくお願いいたします。 昨年の年末、第4子となる私の可愛い可愛い娘が亡くなりました。生後3ヶ月でした。 娘は妊娠20週頃の検診で心臓に異常が見つかり、その重症度から「この子は生まれることが出来ない」と言われ中絶を勧められた子でした。 それでもお腹の中で元気に動く娘を私はどうしても諦めることができず、小児心臓の専門病院を受診。そちらで、生後すぐに手術が必要になるが元気になる可能性もある、との診断を頂き無事に出産することができました。昨年の9月のことです。 妊娠中に中絶を勧められた時のあの絶望感を、、、心臓に異常を抱えながらも、なんとか元気に生まれてきてくれた娘を抱きしめながら何度も思い出しては、何度も泣きました。 なんて重い、なんて尊い命なのだろうかと。 その後、生後2ヶ月の小さな小さな体で、3度の心臓手術を受け、懸命に闘ってくれたのですが、奇跡は続かず、生後3ヶ月と2日で娘は旅立ってしまいました。 1度目の手術から亡くなるまでの1ヶ月間はずっと眠っていたので、元気に動く娘と過ごせたのは2ヶ月間だけでした。 先にも書きました通り娘は第4子です。上の子たちにとっても妹の誕生は楽しみでしかなく、子どもたちが抱えた悲しみの大きさを思うと張り裂けそうです。 また主人もとても子供たちを大切にしてくれる人なのでその悲しみを思うと… ですが本当は、私自身の悲しみの感情がうまくコントロールできずにいるのです。 他の誰でもなく、こんな私を母として選んで来てくれた娘。10ヶ月間私のお腹の中で一緒に過ごし、一緒にお産を乗り越えて生まれてくれた娘。病気を抱えている事は分かっていたから、心のどこかでいつかはお別れが来るかも…と覚悟はしていたけれど、でもやっぱり寂しい。悔しい。会いたい。もっともっとたくさん抱っこしたかった。もっとずっと一緒にいたかった。成長する娘を見守りたかった。 上の子たちや主人の前で、いつまでも泣いてちゃダメだと、いつも気持ちに蓋をして、娘が亡くなった事さえも納得しているかのように振る舞ってしまいますが、本当は今でも寂しくて悲しくて、辛くて仕方がないのです。この気持ちとの向き合い方を教えて頂きたいです

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わが子への死の伝え方

こんばんは。お世話になります。 私には2人子どもがいます。今日は上の子(4歳)の子について、ちょっと助言を頂きたく… 一昨日の話なんですが、よく覚えて無いんですが上の子と寝る前に「死ぬこと」について話す流れになり… 私は「みんな最後はおじいちゃんやおばあちゃんになって、お空のお星様になるんだよ。」 「ママも◯◯くんが大人になって、おばあちゃんになったらいつかはお星様になるんだよ。でもママは◯◯くんが大きくなって、もう1人でも大丈夫って思えるまでは頑張って一緒にいるからね」みたいなことを話したような気がします。 すると昨日、寝る前になり急にワンワン泣き出し「ママがお月様になっちゃうの嫌だ~!みんなみんな居なくなるの嫌だ~(>_<)ぼく寂しい!!」と。 よくよく話を聞いたら一昨日の話を覚えていて、私や旦那、下の子や祖母と離れたくないと訴えてきました。 「大丈夫、ママはそんなに簡単にお星様にはならないから。それに今から◯◯くんがだんだん大きくなっていくとママ以外にももっとお友達やお嫁さん、大切な人がたくさん増えていくよ。だから寂しくなんかないよ。◯◯くんがもうママがいなくても平気だな、大丈夫だなって思えるまではずっとそばにいるからね」と話しました。 私的には何気なく話した話題だったのですが、涙をボロボロ流しながら長いこと泣いていたのでショックすぎたのかなと不安になり… ちょうど私が喘息にかかり、ここ2~3日ずっと咳をしてキツそうにしていたのもあるのかな…初めて「大丈夫?」と心配そうに背中をさすってくれました。 結構繊細な性格なので、またこのことを思い出したりするかもしれません。 もう少し大きくなって「死ぬ」ことが理解出来るまで流しておいても大丈夫なものかどうなのか… アドバイスをお願いします。

有り難し有り難し 46
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死と宗教について

私はキリスト教と仏教のもとで育ちました。 学校はキリスト教で、お葬式などは仏式が多かったです。 ハスノハは、非常に説得力がある意見もあり、頼っています。 仏教の話もキリスト教と同じかそれ以上好きです。 しかし、キリスト教的な祈りが一番馴染むのです。 古典的な宗教は、同じこと、人間の本能に従って考えつくされたもので、共通するものがたくさんあると思っています。 天の国を悟りと考えたいのかもしれません。 邪道と言われる方もいると思いますが、 父母もキリスト教を信じていた時期もあるので、 僕がキリスト教で育つことになったのですが、 今の両親は、無宗教に近いです。 既存宗教に疑念を感じ、個人の問題と考えている感じで、 ぼくも似ています。 しかし、葬式をどうするかという話がずいぶん前に出たのですが、 家族の意見ががバラバラだったのです。 親も老いてきて考えると、 仏教を信じて、「悟りの中に救われて」亡くなっていく人と、 キリスト教に肩入れしながら、天の父に迎えられると思いながら去っていくことが、 違うものであってほしくないと思ったのです。 母は、無宗教で、自然に返るかのように楽になりたいと思っています。 父も、曹洞宗に肩入れしてますが、似た感じだと思います。 キリスト教に肩入れしている自分だけべつな場所に行くような気がして非常に寂しいです。 これをどう思われますか? これからも続く人生、いつ死ぬかわかりません。 死んでも共にいられる・・・というような安心感が欲しいのかもしれません。 それは、宗教的な問題ではなく、日常で考えるべきことで、いま寂しいだけかもしれません。 考えて行こうと思いますが、 何度か考えたことなので、ご意見を伺ってみたいのです。 1人の凡夫として諭していただけたら 本望かと存じます。

有り難し有り難し 26
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友達の死について

とても仲の良い友達が3年前に交通事故で亡くなりました。仕事中に運転を過ってしまい、大型トラックの下敷きになるような形でその後ICUへ行って意識も戻らないまま7日目に亡くなりました。高校時代からの友達ですが、その彼女含む7人グループで社会人になってもご飯へ行ったりしていたし、個人的にもとても仲が良かったので、事故の知らせから死に至るまで信じられない気持ちでいっぱいでした。 彼女のお母さんは辛い気持ちを持ちながらもお通夜、お葬式、贈る会と気丈に振舞っていて、このような会を通してお母さんとも仲良くなれて私達とお母さんの繋がりを持てたのは不思議だと思いながらも、お母さんは私達にも良くしてくれています。 彼女が亡くなって3年、私達にはいろんなことがありました。 結婚や出産。彼女にはできなかったことでした。 お母さんはいつも「いつでも家に遊びにきてね!」と言ってくださり、グループメンバーでも何回か仏壇の彼女とお母さんに会いに家に行っています。そしてもてなしてもらっています。 メンバーは結婚で住まいが他県に散らばってしまい、彼女の為にも年に1回くらいは会いに行けたら!となってます。 彼女とお母さんには毎年花とお菓子を持っていくことしかできず。でもそれもみんなグループそれぞれ複雑な思いではあります。 家に行くごとに増えて行く家族。 子どもが5人いて、大きく増えゆく子どもに老いていく私達。 それを見てお母さんは複雑な心境じゃないかなと。いつも笑顔で、いつもまたおいでと言ってくださりますが… たまにメールでは今も寂しい、彼女がいてくれたら!と本音を出されています。私達も今でも寂しいけれど、子どもを持つ親になった私にも子どもを亡くすほど辛いことはないと断言できます。。 だから、お母さんはずっとこの気持ちを背負うのだとも思います。 お母さんに私達はどのようなことができますか?

有り難し有り難し 17
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母の死

何度もアドバイスお願いします。 今週始めに、実の母が亡くなりました。 80歳でした。 ここ、何年か前から認知症になっていて、でも 私が面会に行くと「〇〇来てくれたんか?」 って、分かってました。 施設に入ってたんで、 多分亡くなっても大して寂しくもない!!って 思ってました。 でも、やっぱり毎日が寂しくて、寂しくて、 でも、最期の顔が綺麗な本当に寝ている様な顔でした。 でも、母は私の息子の夢に出て来たり、息子の体を触ったりするのに、 私の前には、現れてくれません。 毎日、蝋燭とお線香炊いて母に話かけてるけど 母に逢いたくて、母の気配を感じたいのに 49日過ぎたらもぅ、逢えなくなるかもって思ったら、更に寂しく辛さが大きくなります。 ただ、母に逢ったら 「こんな、突然のお別れは嫌や、もっともっと 一緒にいたかったのに」って言いたい。 49日は、色々な人の所に行くって聞いたこと あるんですが、やっぱり 寂しいって言ってると来てくれないんですか? 今は、毎日自分の家の仏壇に手を合わせ 母が好きやった物をお供えして、 「もっと、ああして挙げたら良かった。こうすれば良かった。ごめんね」って話かけてます。 母の為に私はこれからどうして行ったら良いか どうか、アドバイス宜しくお願いします。

有り難し有り難し 5
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親が死ぬのが怖いです。

私は今大学4年生です。親や祖母がいつか死んでしまうという事実が恐ろしく、不安で仕方ありません。ずっと思っていたことなのですが、今日両親と会って余計にその思いが強く、辛くなって相談致しました。 親は高齢出産だったもので、平均まで生きたとしてもあと20数年です。しかし、母は大病をしていて、1年や2年で死んでしまうというわけではないのですが、そう長くも生きられない可能性が高いそうです。父も生活習慣の面から長生きは難しいだろう、という感じです。 私は両親が大好きで、心の支えであり、いなくなってしまうことを考えると涙が止まりません。祖母に関しても同じで、恐らく両親よりも早く死んでしまうのだと思うと悲しくて仕方がありません。最近は、「私を置いていかないで。一緒に連れて行って」とまで思ってしまったり、いずれ来る別れが辛く、もういっそ自殺してしまおうかとも考えるのですが、その考えが最も親不孝なのは分かってはいるのです。 大学4年生つまり22才で、良い大人になって何を言っているんだ、弱い奴だ。と思われるかもしれません。しかし恐ろしいものは恐ろしくて堪らないのです。どのように考えていけば良いのでしょうか。

有り難し有り難し 82
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