随分前から好きな教師がいます。 もちろん付き合ってるなどとんでもなく、たまにお悩み相談をしてくれるような関係です。この前その人が仏教徒であることを知りました。元々少し仏教の考え方には興味があったので、色々とその話をしてもらったり、自分から本を読んでみたりしました。そうやっていくうちに段々仏教の考え方が好きになってきました。私がその先生が好きだったのは先生が仏教の人だったからなのか、とも思っていました。しかし冷静に考えていくと、私と仏教との縁がその先生ではなく違う人からもたらされたものだったらここまで仏教に熱中しなかったはずで、全ての始まりが恋愛という煩悩から始まっていると思うのです。 このような状況をお寺の方々はどう思われますか? 私は自分が間違っているような気がします。
最近仏教関連の事柄を勉強しています。 大抵のことには首肯でき、今までの自分にない発想に心が洗われるような気持ちになりますが、イマイチ納得出来ない部分もあります。 それについてはまた別の質問で書かせていただきたいと思いますが、今回は、ここにいらっしゃるお坊さん達が、仏教の教えの中で、今の世相に合わないのではないかと思った部分、疑問を持っている部分などについて聞かせていただきたいと思います。 なぜこのような質問をしたいかと言いますと、例えばイスラム教では豚肉を食べてはいけないという教えがありますが、由来としては「乾燥した地域で、牧草でなく穀物を食べてしまう豚が忌避されたから」「伝染病の蔓延や寄生虫による被害の元になるから」などの説があり、この教えは現代ではほとんど有用性がないといえます。このような、現代社会に合わない教えというものが仏教にもあるのではないかと思ったからです。 なんだか衝突を巻き起こしそうな質問で申し訳ありません。 「ない」という回答でも結構です。 よろしくお願い致します。
私の妻が今まで困ったら相談をしていた神道を信仰している女性から「あなたの家の先祖の因縁のせいで自分の家族にも不幸が起きてしまった。重い因縁であり、神の世界ではもはや救うことができないので、仏の世界にすがり救ってもらう必要がある」と言われてしまいました。 妻は自分の家の因縁が重いと言われたことにショックを受けていますが、仏教における先祖の因縁とは一体どういうことを意味しているのでしょうか? また、妻は神道で救えず仏教にすがる必要があるといわれたことにもショックを受けているのですが、そもそも日本において仏教において神道はどういう位置づけなのでしょうか? 教えていただけると幸いです。
はじめまして。 最近、カトリック教徒の女性と結婚し、 仏教とキリスト教の違いについて考えるようになりました。 両者の比較について、わかりやすく解説している文献があれば、 教えていただけませんでしょうか。 雑学程度の内容よりは、もう少し思想的なところまで踏み込んだ解説があるとありがたいです。 (イメージ的には、雑学以上、学術未満といった感じでしょうか。わかりにくくてすみません。)
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