いつもお世話になっております。 私の通う病院の近くに、日蓮宗の寺院が あります。気になっていたのですが、 思い切って行ってみました。 寺庭さんも住職さんも、皆さん気さくで、 お堂も綺麗に整備されていました。 置いてあった勤行経典を読ませて 頂いたのですが、「提婆達多品」の 龍女成仏のクダリが気になりました。 女には、5つの穢れ、障りがあるとか…。 梵天、魔王、などと言われても、いまいち 理解できません。 女は菩提を得るのが困難、というのは、 何かの例えなのでしょうか? まあ確かに、男性より感情的になりやすい といわれていますが… だとしたら、化粧もせず、スカートも 履かずズボンスタイルでいると、 頻繁に男性と間違われる私は非常に 理想的と言えるかも… ご意見お待ちしております。
私は今イスラム教の国で留学中です。周りが熱心なので私も宗教について考えるようになりました。そこで現地人から神様について聞かれ「貴方は神様に何か頼んだり、願う時どの神様にしているの?」と言われました。はっきり言いますとその時の私は仏教についてがよく分かりませんでしたし、教えに今まで従っていたかも分かりません。なのでこの質問をされた時に戸惑ってしまいました。また、その時にイスラム教の教えを教えてくれましたが心は動かされませんでした。 そして最近インターネットで仏教の教えについて調べてみると仏教の教えは何となく救われた気分になり泣きそうになってしまいました。今まで全くもって宗教などに興味はありませんでしたが、もっと神様を信じたいと思いました。仏教をもっと信仰するにはどんなことから始めるのが良いですか?
突然の質問失礼致します。 お仏壇に亡くなった人の写真を飾っていいのですか? いろいろ自分なりに調べたのですが、意見がいろいろあり、分からなくなってしまいました。 あと、亡くなった人が好きだったタバコに火を付けて、線香立ての中に供えてもよろしいのですか? カテゴリー間違っていたらごめんなさい。
こんにちは。 お坊さんに質問したりお寺に行ったりしている中で思い出したのですが20数年前通っていた幼稚園がお寺(真言宗)が運営していました。 そこでやっていた行事をふと思い出しましてあれの名前は何だったのか知りたくて質問しました。 ・恐らくご本尊か弘法大師空海さんのお誕生日の時にあげられていた ・選抜された園児が綺麗な服を着て榊か何かの枝を持って音楽に合わせて舞いをした ・最後にご本尊に甘茶をかけていた うろ覚えなのですか、これは幼稚園独自の行事だったのかそれともこういった行事をするお寺はあるのでしょうか。 もし観に行けたら行きたいな~と思ったりしています。
自殺対策は仏教の最も得意とする分野ですが、現状の効果はNPOのそれと大差がないのがはがゆいです。 もし輪廻転生が否定されるなら、自殺対策は有害無益で、むしろ自殺を奨励すべきです。 釈尊も若い頃自殺しました。(般若心経の呪文、梵天勧請) 仏教の目的は、涅槃(解脱、心の死)ですから、輪廻転生が否定されれば死後が無いので心は死んでいます。 まさに涅槃状態です。死即涅槃と言えます。 輪廻転生が真実であっても、自殺は諸刃の剣です。 釈尊のように涅槃状態であれば、自殺は奨励されます。 「厭離穢土 欣求浄土」と言う佛教語もある位ですから。 我々も、釈尊に倣って寿命が尽きる前に自殺によって涅槃を得なければなりません。 寿命が尽きた瞬間では多分涅槃は無理だと思います。 私はその修行の厳しさに初めから諦めています。 「現世安穏 後生善処」ならばまだ希望が持てますので寿命が尽きるまで待ちます。 しかし通常の自殺は防止しなければなりません。 何故なら心が死んでいないからです。 六道輪廻で脅しをかけるのです。 それも真実の脅しですから遠慮はいりません。 この自殺対策は有効だと思います。 ちなみに自殺者と通常の死者との死後の風景は、丹波哲郎制作映画「大霊界2」で参考できます。劇場映画ですからフィクションや甘さはありますので、その点は考慮が必要です。 輪廻転生が普遍化している国の庶民の思考については、 NHK「世界ふれあい街歩き」の「チンプー」(ブータン)が参考になります。
何度かご相談させて頂いております。 特に、初めての時と2回目の時にご回答くださった教善寺の中田三恵様には、思っている事をズバリ言い当てられ、また、そう言って欲しかった!、というお答えを頂いて、本当に救われ感謝の気持ちでいっぱいです。 他のお坊様にもご回答を頂き、危ない処を助けて頂いたりもしましたし、考え方や気の持ち方というものを教えて頂きました。 数回相談させて頂いた事により、少しずつ精神的に落ち着いてきました。 ただ、また悪い癖が出て、スピリチュアル系のサイトを覗いてしまいます。 そこには必ず「潜在意識を書き換えれば人生は良くなる」とあり、そのためのセッションやセミナーへと誘います。 とても惹かれてしまうと同時にまた不安を抱えてしまうのです。 潜在意識を書き換えると人生が好転する、という考えはどうなんでしょうか? 仏教ではどういう教えに相当するものでしょうか? 昨年までは、「自分は気が強く、長女という立場であるからしっかりしている、しっかりしなくては!」という思いが知らない内に根付いていて、それは良くも悪くも作用しましたが強く生きてこられました。 それが今年に入ってから崩れて、後はご相談させて頂いた通りなかなか抜け出せず1年が過ぎようとしています。 そしてやっと11月の終わりに、胸の塊が無くなった感覚を久し振りに取り戻した処でした。 潜在意識云々という、自分で植え付けてしまった思い込みを消し去り、心平穏に過ごしたいと思っております。 どうすれば、このような思い込みを消し去る事が出来るでしょうか? スピリチュアル系のサイトはいくらでも目に入ってきてしまいます…
大忍貫道 様 ご回答を有難うございます。 追記を見落としまして失礼しました。 私は初期経典は全く知らず、大乗経典の一部だけの知識しかありません。 般若経に勝る初期経典とはどんな内容の経典でしょうか? 大変興味深いです。
厚かましく、非宗教説を続けます。 釈尊の言行については、立川武蔵先生の「ブッダをたずねて」の受け売りですから、皆様先刻ご承知と思いますが、信仰について言及したいと思います。 先ず釈尊は、偶像崇拝を禁止したとのことですが、釈尊の死後、舎利を分配して、早速信仰の対象にしました。 仏像も信仰の対象として作成され、祇園精舎での説教で済むところを、巨大な寺院を建築し、仏像を納めて 荘厳さを競いました。 これは中国の仏教を模倣したのでしょう。 釈尊の言行からはまったく不要なものであるはずです。 次に釈尊の死が近づいたときに、近隣の村人たちが釈尊の葬儀の支度を始めているのを見て、弟子にあそこに参加してはならないと戒めたそうです。 元々葬儀には無関係だったようです。 確か応仁の乱で加茂川に死体が放置されていたのを、僧侶が荼毘に付したのが始まりだったようです。 釈尊の言行に従って、これらの行事を無くせば、仏教はただ説教と修行に励むことだけが残ることにはなりませんか? 仏教は信仰とは無縁だと思います。これが非宗教説です。 蛇足ですが、通常寺院の参道に仁王門がありますが、これが参道の入り口ではなく中ほどに建てられいます。 これは参道が、輪廻転生を示したと考えられます。 参道の入り口は娑婆です。参詣者は参道を通って本堂に向かいます。 本堂は娑婆から切り離された死の世界です。 本堂に居続ければ平穏ですが、娑婆に還るときは仁王門で苦しめられます。 「チベットの死者の書」によれば、丁度3週目に怒りの神々に遭遇します。 仁王門が中途にあるのはそれを模したものと考えられます。 従って輪廻転生は仏教にとってそれ程重要なものです。 現在仁王門の像は参道を向いていて外敵を防ぐと言われていますが、参道の中途にあるのも不自然だしその必然性が考えられません。 像は本堂を向くべきだと思います。 さびれたお寺の仁王門がその向きになっているとの記事も見かけました。
(編集部より。利用規約により投稿の一部を編集しています。) はじめまして。この歳になってお恥ずかしい質問かと思われますがよろしくお願い致します。 仏教や、宗教を分かりやすく教えていただきたいです。 と、いうのも、義家族(親族含む)がある宗教を信仰しています。夫はそこまで深く信仰はしていませんが、心の奥には信仰心はあると思います。 私は、全くの無宗教です。 悪いイメージがあるとか人が悪いとも思った事はないですが、義両親には結婚当初入信して欲しいと言われました。実両親が、その宗教に対して良いイメージはないので入信を断わっています。 周りの友人、知り合い等からもイメージはあまりよくはありません。 先ずは、仏教と宗教を分かりやすく知りたいです。 よろしくお願い致します。
仏教は色々な宗派や教えが有りますが、本を読んでも調べてもイマイチ分かりません。 お寺にお話を伺う勇気も無く、大変失礼な質問で申し訳ないのですが、それぞれの仏教の宗の違いなど分かりやすく教えて頂けたら嬉しいです。 また、○○宗○○派など宗の中でも違いが有るようなのですが、その違いも教えて頂けたら嬉しいです。 先に似たような質問が有りましたら申し訳ございません。 他の宗派との教えの違い。 特色 お坊さんは何故、今の宗派で修行しようと決めたのですか? どうして今の宗派で勉強したいと思ったのですか? 何故この様な質問をしたかと申しますと、私の親は非常にだらしない大人で、先祖代々のお墓やご縁のあるお寺など有りませんし、当然、お墓まいりもしておりません。 将来、自分のお世話になるお寺もありませんので、それぞれの宗派を勉強して自分でお寺を探してお金を貯めて将来お願いしたいと思ってます。 仏教やお寺の事は何も分かりませんので、その為にも色々と勉強させて頂きたく思います。 大変失礼な質問とは思いますが、宜しくお願い致します。
12月5日付の新聞報道にアインシュタインの手紙が競売に付され高額で落札されたとの記事がありました。 その手紙に宗教の神に対する否定的な見解が示されていました。 仏教は神がいないことで、宗教ではないと言えます。 仏教の基本は真理と論理による宇宙の真実が語られています。 真実とは、宗教の信仰の有無や宗教の種別に関係なく、すべての人に等しく適用されるものです。 真実の中身は、宇宙のすべてが空で構成され(色即是空、諸法空相)、現実の世界は空が物質に変化したものである(空即是色、諸行無常)と説明しています。 そして論理(縁起の理法)により、身体はその構造が複雑で故障しやすく死に到りますが、構造の簡単な心は死ぬ要因ががなく、通常の心境ではいつまでも生き続けます(輪廻転生)。 涅槃(心を空に戻す)に依る以外に四苦から逃れることが出来ないと言う、瞑想から得た真実の悟りをすべての人に知ってもらう為に、仏教として広めたのです。 心境のレベルによって、涅槃を求める方法が多岐にわたるため、宗派が分かれたと思います。 アインシュタインも、深い洞察でその見解をえたのではないでしょうか?
お世話になります 叔母が亡くなってしまいました、病死です 私は不自由な心身なので医師の許可や人の手を借り、なんとかお見舞へいけました。 自分の思いと感謝は、意識のない叔母に伝わったと信じるしかないですよね。お見舞の翌朝逝ってしまった…悲しいです悲しいです お通夜告別式への参列は、医師の許可がでません…母が参列です。 そこで教えていただきたいのです 叔母は浄土真宗とのこと、母は禅宗との違い(マナーや作法•初七日や四十九日)を心配しております。教えてくださいお願いします
何故霊場を巡ると徳を頂けるのですか?
本当の意味で仏教に出会う人はとても少なく、出会わない方のほうが多いのはなぜですか? 又、仮に出会えたとしても 「魚の子は多けれども、魚となるは少し」という言葉のように、 本当に信心を持って仏教に触れ合うことができる方は極めて少ないのはなぜですか? 仏教が必要でない人たちばかりだということですか?
人生のなかで、本当の意味で仏教と出会う人はおよそどれくらいいると思われますか? 又、長い人生のなかで、本当の意味で仏教と出会うことがない人もいるのでしょうか?
いつもお世話になっております。 私は、いわゆる誹謗中傷に対して過剰に反応し、 「それは根本的に違うわ!基本的なことなのに、 どうしてわからないのかしら」「ルール守れやアホ!!」 と怒りが湧いてしまいます。 ですが、阿弥陀様やお不動様、つまり私の両親様だったら、 自らの信条や尊厳を著しく侵犯される内容の言動を受けたり、 また公道等で「バーカ!」「○ね!」「きもい!」などと 突然暴言を吐かれる、 また以前自分に暴言を吐いてきた相手と継続的に遭遇 しなければならないとき、どうなさると思いますか? シカトしますか?気分をさっぱり変えて即座にその場から 離脱し、別の仕事に当たりますか? ちなみに私は、応接間まで取って頂いて例の職員から 所属長代理、担当医、担当支援者まで同伴で 謝罪の場を設けて頂いたにも関わらず、 ムラムラと怒りが込み上げてきてしまうことがあります。 そのせいで最近は、例の職員にケンカを売って、 増えるはずだった通所日が減ってしまいました…泣 阿弥陀様やお不動様だったら、ルールを守れない人、 またどうしようもないアンポンタンに遭遇したら どうするんだろうな…と半分興味、半分真剣に気になりました。 ご意見お待ちしております。
こんばんは 今日は 私が いつも行っていることが 素朴に見えて独特のところがあると気づき書かせていただきます。私はなんと言うか 自分の 外側に 神 を作ってしまうのです。 例えば 先行きが不安になると 神社やお寺に行って爆祈りをしたり 占いの結果を信じ切って成功したり失敗したり 学生時代 強くなりたいと願い 格闘技に明け暮れたり そういった 外的要因にすがって 自分を保ってきました。ただ思いました こうやって外的要因にばかりすがって生きる姿勢は 仏教では どういった 煩悩に該当するのでしょうか?
いつもご教示ありがとうございます。先日相談させていただきました。 改宗についてですが、家族と話し合ったところ、近い将来に現在住んでいる近くの日蓮宗さんの寺院にお世話になるかもということになりました。 そこで質問、相談なのですが、我が家は先にも話しましたとおり、新興宗教を家族がやっておりまして、仏壇には新興宗教の本尊があり、私は日蓮宗さんにお世話になるのであれば、仏壇には大曼荼羅御本尊を安置したいと考えております。 今度、身延山久遠寺へ行くのですが、そこのお土産屋さんに大曼荼羅御本尊が売られているようです。こちらを日蓮宗さんの菩提寺にお世話になるまで私が個人的に読経するときのためなどに自室に安置してもいいものなのでしょうか? やはり、寺院で授与してもらい、開眼して頂いたほうがいいのでしょうか? 私一人が寺院に伺って檀家になりたいですとか、本尊授与をお願いしたいです、と勝手には言えないのですが、本尊はあったほうがいいと考えております。いかがなものでしょうか?ご教示いただけますと助かります。前置きが長くなってしまい申し訳ございませんでした。
所属寺を持たないといけませんか? 私の亡き祖父母、日蓮正宗。父母はノンポリ。私だけ真宗シンパだが正式に門徒かと言われると?です(築地本願寺護持会員ですが)。野良門徒です。築地または家からは遠い法話に熱心なお寺で聴聞しています。が、どのお寺に所属すべきなのかいまいち悩んでいます。近所の寺は門徒をこれ以上増やしたくないとのことですし。
キリスト教を、信仰してます。 12才の、時から孤独で、親にもあきらめられ、 酒と堕落の日々を、送って参りました。 22才ごろの時に、転機があり、山に籠り、神仏に、祈り始めました。 その後、数奇な、運命をたどりました。 仏教に興味があります。ハスノハ様の、お坊様には、アドバイスを、沢山頂きました。 悟りとは、なんですか? 真言、カルマ、神仏と言うもの、なんとなく、解ります。 キリスト教は祈りによって、解決します。 仏教が、あらゆる全ての、解らないもの、についての、答えがあるのでしょうか? 私は今公的扶助の、恩恵に預かってます。 仏教の、軽い本を、読みましたが、当たり前のことを当たり前にする事、が、一番納得できました。 放送大学を始めようと思います。仏教についてより良く、学ぶことは出来るのでしょうか? ご助言をおまちします。