hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

「仏教」を含む問答(Q&A)一覧

進行系の苦しみを減らしたい場合

生まれ持ったスペックの中で、いかに楽しく幸せに暮らしていくのか工夫して生きていこうとするのが仏教というアドバイスをいただきました。 私は、楽しむ事が出来ません。 またプラスでそのスペックのせいで苦しみが永続的に続いています。 それらは例えば価値観に対する苦しみもあります 価値観や考えを変えれば変わる価値観もあります、今の大半のハスノハの悩みはそうでしょう。 でも今現在を苦しめさせる何かでもあります。障がいとか、やりたくない仕事とか、仕事のストレス、後悔やら、攻撃的な人間関係やら(イジメとか)、身体の苦痛やら。 それらって楽しむとか以前に一緒に共存したりできないし価値観を変えても苦しいのは苦しく仏教でどうこう出来るものじゃないと思うのです。 そんな中でこういう苦しみは仏教的にはどうやって対処してるのですか? 思考を変えて身体の苦痛やらも改善できるほどのものなのですか? 貴方は選択ミスで、今からお坊さんを辞めて毎日ウンコ食べる仕事をしてくださいと言われてそれを永続的に繰り返さなきゃならないです、ウンコを食べる仕事は辛いです。 ウンコを食べる仕事は性格上向いてないです。 周りのウンコ食べてる同僚達はフルシカトで人間関係でも苦しんでいます、ウンコ食べる仕事はかっこ悪いし恋人もできないです、ウンコ食べる仕事をしていることに後悔を感じています、全部選択ミスで起きた仕事選択です。詰将棋の状況です。 ウンコ食べる仕事をするのに無駄に学歴が高いですあんなに勉強したのに、高い学費払ったのに。 辞めたら履歴書が汚れて、下痢を食べる仕事しか残ってないです。 私はウンコを毎日食べています。 価値観を変えたら幸せなのですか? そんな中で毎日価値観を変えるだけで幸福になるんですか?

有り難し有り難し 50
回答数回答 5

仏様に関してです。

家には立派なな仏壇がありました。そんなある日、父と母は喧嘩をし私以外の兄妹は家を出ていきました。元々喧嘩が絶えなく家を出るのも珍しくはなかったのですがあの日は父は自分の業で仏壇を破壊し何度も何度も仏なんぞいないなどの暴言を吐きまくりました。数年がたった頃私の母の叔母が亡くなり母は叔母が作った数個の仏様の木彫りなどを遺留品として持って帰ってきました。その遺留品の1つを仏壇の所に飾り仏飯するようになりました。 ある日、また、父と母は喧嘩をしました。そして父はまた暴言とともに仏壇(?)を暴言とともに破壊しました。 母は私と私からしたの姉妹を連れて家を出る。私から上の姉兄はバイトなどの事情で家にいて家にいる姉兄を使って帰ってきてくれなど言わし母は言わされてるのは分かっているけど姉兄が心配で家に戻るそれが何度も何年も続き今あるのは、首の折れた仏様の彫り物1つです。 何度も母は父と離婚をしようとしたのですが、父はその度に私達子供のことを出しては母を脅すのです。 人が一生懸命作った彫り物の仏様を何度も壊し暴言を吐き、少し日にちが経つと都合よくその事は忘れ、母が持って帰ってきた彫り物の仏壇に飾り都合よく仏様の事を語るのです。 そんな父に家族はうんざりしてます。 そんな家に仏様はいるのでしょうか。 どうしたらこんな人間と別れることが出来るのでしょうか。 最後に聞いていただきたいのですが、私の家は居酒屋をしています。が、今年の7月に父と母はまた喧嘩をして、8月まで私からしたの姉妹は母と共に家を出ていました。 父はその日を気に居酒屋を閉めたらしいです。それから私達が出ている間は、酒を飲んでは寝の繰り返しだだっそうです。家に戻る数日前にまた姉兄を使って電話をしてきたのです。当然母は言わされていると分かっていても姉兄が心配で私達は家に帰りました。今も居酒屋を閉めたままで家の収入はなく兄と姉の仕事のお金で今はしのいでいます。父は外にでて働く気はなく、母がパートを探すと言っても父はその間に家のことが出来るだろと言って働きに行かせてくれません。その癖俺はこの家のボスなどとほざくのです。この家を今支えてるのは誰かと考えて欲しいぐらいです。何かあることに都合よく逆ギレして暴言を吐く私はそんな父に疲れたんです。はっきり言って殺すか自分が死にたいぐらいです。長文と共にごめんなさい。これは私自身の愚痴です。

有り難し有り難し 13
回答数回答 2

謗法厳戒について

法華経には 他の仏典を修業している人を謗ったりしてはいけない とあるのに 日蓮大聖人の教えとして 他宗を折伏するのに 謗法は地獄だ 他のは邪宗で地獄だ 幸せにはならない と 言われるのですが 納得できません。   法華経の結経の 懺悔滅罪のために 法華経を読むのと 日蓮大聖人の曼荼羅を一念三千の法門として 明鏡とするのは 理解できます。 他宗は 他宗のやり方で成仏はあるし 私は 私で 成仏のあり方はあるだろうけど 他は 地獄だ だなんて 思えません。 とりあえず 方法論としての方便として 考えるべきか 思っていますが 本気で 相手が 地獄だと 御題目をおくってきたら 恐いです。 法華経が 緒経の王だ というのと 他は地獄だ というのが 気になって 今の御寺の信仰をしていますが あきらめるか やりすごして 勤行するか 悩みます。 教義と違うことを考えてたら信仰にならないのかなぁと思いつつ 法華経と 日蓮大聖人のお人柄だけは 信じてます。 煩悩即菩提が 相手に 題目を唱えさせることになるのでしょうか。 置き換えが 仏意につながるの信仰なのかもしれません。と 今 書きながら思いました。😄 地獄は 生きてる今の私の気持ちにあり どのように 抜けるかなのですが 聞いてほしくて他宗に頼ってはいけないのに ハスノハに頼ってしまいました。 御寺の御僧侶に聞いても 謗法厳戒と 折伏しか 言われないのだろうと 回りの信徒さんたちののりで わかりませんでした。 御意見が 聞きたいです。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

輪廻の主体

輪廻転生の事を考えると胸が痛くなります。何故仏教は命を一回限りとしないのでしょうか。 もちろん今ある生も今生限りのものですから人生が一回限りであることには変わりありません。 ただ殉教、殉死、心中等を遂げた歴史上の偉人の前世や来世が全く下らない物だったかもしれないと思うと胸が張り裂けそうになります。 自分の運命や人生を全面的に肯定して死に切ったとしても、過去世や来世の全く違う人生によって矛盾をきたしたものになるとしたらどうでしょうか。 「七度生まれ変わって朝敵どもを皆殺にしたい」と言って自決した楠木正成が果たして貧民街の子供に生まれ変わる事は無いと誰が言えましょう。 彼は生まれ変わりを願いましたが、あくまで自分の人生を貫き通す意思であり、運命愛に過ぎません。 生涯不犯を誓って異国で命を落とした宣教師達の前世がどこかの売春婦であると考えただけで吐きそうになります。 もしそれで良いのならこの世での清貧、忠義や誠意も全く無意味なものとなりますから。 ただ輪廻思想が広大無辺な仏教の歴史の中で偉大な説法者達に受け継がれてきたものである事は否定できませんし、 私は至らぬ凡夫ゆえ仏教の各宗派の前提とする輪廻の教義まで仔細には存じ上げません。 仏教では、特に自性を認めない中観派では何が輪廻するとされているのでしょうか? 水車を廻す水や携帯を動かす電気のように、「私」ではない、「私」の生み出す執着そのものが輪廻するのでしょうか? 執着が輪廻するのであれば悟りを得た=執着を滅した釈迦が解脱に入られたと解釈できるように思えますが。

有り難し有り難し 55
回答数回答 3