ふと死後の世界を考えて、疑問があったので質問させてください。 私は末っ子です。事故や病気にならずに健康体であれば、順番的に私は最後1人で死ぬ事となるでしょう。 結婚などをすればまた違うのでしょうが、結婚はしようとは思っていません。 もし一生独身で生涯に幕を閉じる場合です、天国でちゃんと家族と無事に合流というか、ちゃんと会えるのか心配です。 私の勝手な想像なのですが、死んだ後は 1人厚い雲の中をかき分けて、天国への階段を探し、天国へ目指すというような感じです。その間に道に迷って、天国に行けず、家族にも会えない、という事があるのでしょうか?それが心配です。 それか、死んだ後にちゃんと天国への道しるべがあってちゃんと合流できるようになっているのでしょうか? 死んだ後の事なので、そこに意識があるのかも分かりませんが、死んだ後はちゃんと迷わずに天国に行って家族に会いたいです。 また、私は幼少期には問題児で人に迷惑をかける事をしてしまいました。 私は地獄行きなのでしょうか? 死後の世界とはどういう風になっているのでしょうか?
私は女性で、仏教の考え(特に原始仏教に惹かれましたが、家は浄土真宗です)にとても興味を持ち自分なりにいろいろと勉強しています。 そんな中、仏教は女性蔑視をしているとの意見を目にしました。調べてみると、女性は女性であるというだけで地獄に落ちることが決まっていたり、またお釈迦様もスッタニパータなどの中で女性はひどい生き物だというようなことを言っておられたりするということがわかりました。今まで信じてきたものはなんだったのだろうと正直ショックです。私は仏様にいくら念仏をささげても救われないということでしょうか。死んだら地獄行きなのでしょうか。どうか本当のことを教えてください。
出釈迦寺の弘法大師(真魚)のことについて調べています。 以下伝説の内容です ------------------------- 弘法大師が真魚(まお)呼ばれていた7歳の時、我拝師山に登り 「将来仏門に入って、仏の教えを広め多くの人々を迷いから救いたい。この願いが叶うかどうか、お釈迦様の証をお示しください。もしもそれが叶わないなら、この身を諸仏に供養としてささげます。」 と願い、断崖絶壁から飛び降りました。 すると、紫色の雲が湧き、羽衣をまとった天女が舞い降り、雲の中で弘法大師を抱きとめました。 天女が真魚を飛び降りた場所に戻すのと同時に紫色の雲が湧き、釈迦如来が現れ「一生成仏」と宣し、彼の願いが成就されました。 -------------------------------------------------------- この 「釈迦如来が現れ「一生成仏」と宣し、彼の願いが成就されました。」 という意味がわかりません。 生きながらにして仏になったということですか? 空海さんは即身仏になる前から仏だったということでしょうか? 誰かわかりやすく教えて頂きたいです。 よろしくお願いいたします。
毎日お釈迦様や観音様へお経をあげ、灯明やお水、線香を炊いているのですが、父親から仏様を拝むのを縁起が悪いから辞めろと言われました。 ですが辞めたくありません、私はどうしたら良いのでしょうか。 家にあった仏像や仏画などは撤去されてしまい、どのように今後拝めばよいのか分かりません。 お坊様、助けてもらえませんでしょうか。
私は人の価値観や思想、行動に大きな影響を与える「宗教」に興味があり、その中でも仏教の思想が好きなので今まで仏さまを信仰してきました。 しかし、さまざまな意見を見聞きし、調べる中で、どの宗教も一長一短で私にとって良いなぁと思う面もあれば、あんまりだなぁと思う面もあります。そして、仏教にも少し不信感が芽生える時があり、悩んでいます。カルトや新興宗教のようなものは一旦おいておいて仏教について考えたとき、原始仏教は哲学のようですが、現在の仏教は極楽浄土や阿弥陀如来など空想上のものに頼りすぎている気がします。もちろんそれによって私も救われた時がありますし、救われる人も多いのだと思いますがどうしても信じきれません。 キリスト教においても私はイエスの存在を信じきることができずに合わないなぁと感じました。私に仏教は合わない宗教なのでしょうか。また、お坊さん方から見た仏教の良さを教えてください。
お釈迦様が入滅の前に弟子のアーナンダに自灯明、法灯明を教えましたが、私は今の世の中こそ、この教えをとても大切にする必要を感じてます。 私は、この、自らを灯とし、他者を拠り所にしないという教えを自分の人生に課しています。自分を理解した上で自らを律して、自分の力で立っていることをとても大切にしているつもりです。 しかしながら、社会の中で多くの人と関わりますが、情報がありふれて混迷するこの時代に、他者との関わり方も形を変えて複雑で多様になる為、自らをよりどころに自らを灯すことも難しく感じることがあります。 そこで、法灯明、法をよりどころに、仏様の教えを学ぼうと考えておりますが、仏教の教えに頼ることは、自らを拠り所にすることになるのでしょうか?法とは、どのようなことを指すのでしょうか? 私は人生で、困難や逆境を前にした時に、自分に自信がなくなり、生き方に、選択に迷いが生じることがあります。誰かに頼らず、自らの意思で乗り越えようと思うのですが、何かの道しるべがほしくなる時があります。 法灯明として仏様の教えに頼ることに、自分が考えることから逃避する恐れを感じるのですが、法灯明の法について教えて下さい。 何の教えを、どのように学び、どのように自分に取り込むべきでしょうか?また、その方法について、何かアドバイスがあれば教えて下さい。
いつもお世話になります。 実は、近ごろ気がついたことが、あります。 それは、人間の醜さです。 いじめ 殺人 盗み 性犯罪 子供の虐待 詐欺 セクハラ パワハラ 悪口 ネットの炎上 戦争 独裁者 カルト宗教 弱肉強食の世界 近ごろこんな事ばかりが、頭をよぎるようになりました。 正直 人間の醜さに嫌気がさしてしまいました。 そして人間は死後全員地獄に落ちて然るべきなのではないか?と考えてしまいました。 むしろ人間は、死んだら醜い人間として生まれた罪を背負うべきなのではないか?と考えてしまいました。 現に私のこの書き込みをみてバカにしたり蔑む人がいるかもしれない それが確かな例でしょう。 ちなみに私も醜い部分をたくさん持ってます。 仏教では、この人間の醜さとどう向き合うのでしょうか?
いつもお世話になっております。 私は最近、なかなか寝つけません。寝ようとすると「寝ている間に死んでしまったらどうしよう」とか「災害が起きたらどうしよう」といった考えや、過去に対する後悔や自己嫌悪などがぐるぐるして眠れません。 私は寝る前に神さまや仏さまに今日もありがとうございましたと言って寝るようにしています。そこで、お数珠をそのまま持って寝るといつもより安心感があって心配事もなく眠れました。 しかし、お数珠はお念仏を唱えた回数を数えるものだと聞きます。持ったまま眠ってしまっても大丈夫なのでしょうか。また、法事じゃなくても、なにか不安や心配事が出てきたときに持っていてもいいですか。いろいろなご意見、お待ちしております。
私の生まれた環境は複雑で、親戚の家で母と共に暮らしておりました。 親戚一家(男のみ)は浄土真宗と神道を深く信仰しておりました。 母屋には神棚が三つ、仏壇が二つ、もう一つ巨大な石が飾ってある棚がありました。 その一方で物凄い男尊女卑の家庭でもありました。 特に母と私は余所からきた居候という位置づけの為、人として扱われていなかったように感じます。 服や下着は全て親戚一家の男たちのお古でした、当然パンツもです。 「女に服を買い与えると我が儘になる」という理由でした。 汚いシミのついたパンツを履くのが嫌で裏返して履いていました。 大人の男の下着なのでブカブカでずり落ちそうでした。 靴下も穴が空いてゴミ箱に捨てられていたものを穴を縫って履いていました。 食べ物は親戚一家の食べ残ししか食べられませんでした。 「女が男と一緒に食事をとるのはおかしい」という理由です。 白ご飯は滅多に残らないので基本的にお漬物や賞味期限の切れたお惣菜を食べていました。 親戚一家が食べ終わらないと食事が出来ないので、朝は何も食べずに登校することもありました。 お風呂は「女が入った湯に男が浸かると穢れる」という理由で、親戚一家が全員入り終わった後にしか入れません。 シャワーだけでも駄目です。 しかし親戚一家は入浴時間がバラバラで私達が起きてる間に風呂に入るのは至難の業でした。 生理用品を買う為には親戚一家の長男に「穢れを垂れ流して申し訳御座いません」と言いながら土下座をしなければなりません。 親戚一家はもともと一人だけ女がいますが、その人は私たちがやってくる少し前に妊娠し、どこか違う家に連れて行かれたそうです。 私たちが居候になってから半年くらいたって母が急に妊娠し、数日後に自殺しました。 理由は分かっています。 警察に言っても証拠がないせいか全く信用してもらえず、親戚一家は罰せられないまま今も存続しています。 一体信心とはなんでしょう? これが浄土真宗や神道の教えなのですか?
いつもお世話になっております。 わが宗の法話などで時折お坊さんが 「念仏しない浄土宗以外は地獄行き」など と発言する事があります。 ✳︎ 信者さんなんかは、「病気なって薬師如来 真言かなんか唱えたら、今までの念仏功徳 みんなパァだからね(笑)」 とまで言う人もいます。 ✳︎ 私の祈願寺は真言宗智山派です。 でも、 お坊さんも修験者さんも皆さんいい方なので 地獄になど落ちて欲しくはありません。 万が一の時は、私がソッコーで六神通使っ て輪宝飛ばして救助に向かいたい程です。 勿論、往生してからになりますが。 ✳︎ 死んだおじちゃんも、真言宗豊山派です。 真言宗さんはこの辺りどうなんでしょうか? 少々心配です。ご教授頂きたく存じます。
先日母が亡くなり、とても綺麗な戒名を母にいただきました。 私達の魂は何回も生まれ変わり、いくつもこの世に生を受けては去っていっていると理解してます。そこで思ったのですが、生まれそして去るその度に戒名をいただくことになると、一つの魂にいくつもの名前が仏界にある、ということになるのではないでしょうか。 ふと、これが仏界ではどうなるのかと疑問を持ちました。一人にいくつもの名前があると想像すると、沢山の分身が仏界にいることになりますが…。 どんな感じなのでしょう。どうお考えですか。それともこういうものはこうなのだ、という教え(お話)でもあるのでしょうか。 よろしくお願いします。
数珠を入れを購入しました。 しかし、 外側はピンクや金など、カラフルな色で、 内側も金色です。 法事や葬儀などの場に持っていく場合など、色は大丈夫でしょうか? もし、良くなかったら、返品を考えています。 よろしくお願いします。
初めてまして。 優です。 曹洞宗の死後の世界について質問させてください。 仏教では人は亡くなった後、六道(天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)のうちの一つにたどり着くと聞きました。 そしてその中でも、餓鬼道に落ちてしまった方を救うには施食会を開けばその方々を餓鬼道から救うことができると聞きました。 そこで、他の道に落ちてしまった方、例えば地獄道に落ちてしまった方を救うことはできるのでしょうか? そもそも、曹洞宗には地獄、天国という概念がなく、亡くなった方の魂は仏様の元で修行をされるという方もいらっしゃいました。曹洞宗には天国、地獄の概念がないと言うのは本当なのでしょうか? もし曹洞宗に地獄があるとすれば、現世で犯してしまった罪(盗みや傷害、殺人など)をどのように懺悔すればよろしいでしょう? 私は今まで何度か人に迷惑をかけてきた分、懺悔したいと思っています。
初めて質問させて頂きます。 私は昔から仏教に関心があり、最近になって本格的に信仰していきたいと思い立ち我が家の宗派を尋ねたところ、祖父(存命)の菩提寺が浄土真宗だと言われました。 浄土真宗について調べた結果自分に合っていると感じたので信仰させて頂こうと決意し、近隣のお寺を探したり浄土真宗のお坊様がいらっしゃる学習講座に申し込んだりしました。 しかし先日、何気無く祖母の仏壇の掛軸を見たら大日如来様が描かれていることに気付きました。 祖母は特に信仰を持っていた人ではなく(正確には他宗教に“所属だけ”していました)菩提寺も無かったので、言い方は良くありませんが親戚に任せて急拵えで葬儀を行ったそうです。 私以外の家族全員宗教に疎く、祖母が実質的に真言宗式で祀られていることを把握していませんでした。 そして祖父の菩提寺について調べたところ、浄土真宗ではなく真言宗であったと発覚しました。このことも私が調べるまで誰も把握していなかったので祖母が真言宗式で祀られたのは偶然だったようです。 一連のことは大変ショックでしたが、真言宗や大日如来様に関して決して嫌な感情は抱いておらず、私が元々曼荼羅図が好きだったこともあり不思議な御縁を感じてしまいました。 しかし私にとって阿弥陀如来様や浄土真宗の教えは大きな心の支えとなっており今更鞍替えすることは考えられませんが、真言宗との御縁を無視してしまうのも辛く悩んでいます。 浅学の上とりとめもない質問で恥ずかしく思いますが、お坊様方のお考えを宗派問わずお聞かせ頂ければ幸いです。
真面目な質問ばかりの中、くだらない内容ですいません。 もしかしたら仏教の質問ですらないのかも知れませんが。 私は茨城県在住なのですが、車で1時間少々の距離に 不動明王様をご本尊とする、真言宗系の 有名な仏教寺院があります。(千葉県成田市) しかし最近、同僚から「あそこはカップルで行くと別れる。 家族で行くと夫婦仲が悪くなる」と聞きました。 何かと思ってネットで検索したら、入口付近に弁天堂があるので、 弁財天様がカップルに嫉妬して別れさせるのだそうです。 同じようなスポットは全国各地にあり、東京の某公園も弁財天様の からみで破局スポットとして有名です。 特に2人でボートに乗ったら別れるとか・・・ 俗信や迷信の類でしょうが、よく考えたら 弁財天様(サラスバティー)って、ヒンズー神話では梵天様(ブラフマン)の お妃様ではないのでしょうか? これ以上望めないような夫君が居るはずなのに、ネット情報曰く 「弁財天はいつも七福神達と一緒なので出会いが無く、 独り身の為にやきもちを焼く」との事。そんなバナナ。 吉祥天様(ラクシュミー)にしてもヒンズー神話では那羅延天様(ビシュヌ)の 妃のはずが、仏教(日本?)では毘沙門天様の妻君になってます。 インドでは優しい夫婦神なのに、仏教では武神の妻。 なにかしっくり来ません。 夫婦揃ってるのは大自在天様(シヴァ)と 妻の烏摩妃様(ウマー)くらいです。 もっとも、彼らは降三世明王様に踏みつけられる役ですが・・・ ヒンズー教と仏教で配偶神が変わっているのは、 何か教理的な意味があるのでしょうか? それとも、ヒンズーの神様と仏教の天部神様は 別人格(別神格)と考えるべきなのでしょうか?
一般素人がお経唱えても大丈夫ですか? 前にどこかで、般若心経を一般素人が唱えると幽霊が寄ってきて危険。みたいなのを聞いたんですが、本当ですか? また、除霊効果のあるお経や、霊感上げる効果のあるお経ってあるんですか? よろしくお願いします
現在海外に住んでいます。日本を離れて15年になります。日本にいた時は無神論者だった私ですが、海外に住み始めて仏教に関心のある外人さんに出会う機会がとても多く、簡単な質問に答えている間に次第に仏教への関心が高まってきて、改めていろんなことを学びたいと考えるようになりました。でも、ただ仏教と言ってもいろんな宗派があり、ここ海外ではチベット等他国の仏教もあります。ただ私としてはやはり日本の仏教に関心があります。私が現在住んでいるアイルランド(ヨーロッパ)では禅(曹洞宗)が一番盛んで、禅の集まりに度々参加してますが、どうも外人向けに脚色されているのと、英語で説法と聞いても、何か違った意味に聞こえどうもしっくりこないのです。やはり日本語で仏教を習いたいと思っています。でもここ海外で身近に日本人のお坊さんがいない中で何から始めたらいいのか??? 先ず宗派ですが。。。座禅や写経はとても興味がありますが、実家の先祖が代々お世話になっているお寺は浄土宗なので、浄土宗にも興味があります。それもあってこの2つの要素が組み合わされている黄檗宗にも興味があります。お経も自分で唱えられるように覚えたいです。 全く仏教の右も左もまだ解らない私ですが、取りあえず何から始めたらいいでしょうか?取りあえずはYoutube で般若心経を練習して意味を勉強していますが。。。。 また初心者向けの仏教をを勉強するお勧めの本があれば教えてもらいたいのですが? やはり、最初は宗派を決めた方がお経などは勉強しやすいでしょうか? 回答よろしくお願いします。
こんばんは。 明日、ひいお婆ちゃんのお葬式があります。 どうして人は死ななければいけないのか、 おばあちゃんや親族とと一緒にいた方が幸せなのに、どうして離れなければいけないのか、全部忘れてしまうのかと 死 についてずっと考えていました。 夜、ねれなくて、死後の世界について調べていると、天国や地獄も実際にあることを、臨死体験の方の証言で知りました。 証言によると、お釈迦様やイエス様の愛が心にある人は天国へ行き、守れなかった人は(宗教が心になかった人は)永遠に地獄で苦しんでいること。誰もが死の後、この裁きを受けこと。 急に全てが怖くなりました。 ひいおばあちゃんも裁きを受けるのか、天国で安らかに過ごしてほしいです。 そして自分も、今、23才ですが、不平不満を言ったり、自己中心的であったり、自分のことが嫌いだったり、正しい行いはできていません。これから正していけば、赦していただけるでしょうか。とても怖いです。 大切な家族や、友人や恋人も、 いつも宗教が心にあるわけではないと思います。 すごく熱心に宗教に精通している家族ではないので、、申し訳ありません。 お釈迦様、イエス様の教えに背いてしまったり、してしまうこともあったのかもしれません。(わたしよりはみんなとてもいい人たちなのですが、) それでも大切な人たちにはみんな天国で過ごしてほしいです。 明日のお別れが辛いこと、 そして今後、大切な人たちや、自分も裁きを受けることが不安で、 死への恐怖が、裁きへの恐怖が怖くてどうしたらいいかわかりません。 これから行きていく上での指針や、 自分がこれからできること、 わたしがこれから家族や大切な人たちの今後のためにできること 仏教の面から助言を頂けますと嬉しいです。 何卒よろしくお願いいたします。
設備管理の仕事をしてると、つい考えてしまう事です。 ポンプ、モーター、配管、電磁弁、ボイラー・・・等 毎日接してると何となく愛着みたいなものも湧いてくるし、 「所詮は機械だから」とも思えてくるし。 20代のころ、工場の中にびっしり張り巡らされてる 配管を見て、「まるで生き物みたいだ」と感心した事もあります。 虫や植物など、生物全般には仏性や魂はある、と考えるのが仏教の 基本的な姿勢だと思うのですが、(間違ってたらごめんなさい) では完全な人工物たる機械にも仏性、あるいは魂みたいなものが あるの・・・? お坊様方はどのようにお考えでしょうか?
こんにちは。 昔、芥川龍之介の書いた『蜘蛛の糸』という小説を読みました。 お釈迦様がガンダダが救おうとして結局救われないという話だったと思います。 しかし今思い返すとあの話は少し変だと思いました。 あの話ではお釈迦様は極楽浄土にいて、そこから糸を垂らしてガンダダを救おうとします。 しかし仏教では解脱したら輪廻が終わり、無に還るだけだと説いているので、浄土にお釈迦様がいるのは場違いです。 そして調べてみると極楽浄土というのは阿弥陀仏の浄土なのでお釈迦様がいるのはやはりおかしいそうです。 またお釈迦様が人を物理的に助けるというのもおかしな話です。 お釈迦様は神様ではありません。(仏教的には神さまよりも上の存在(?)) あくまで現世で弟子たちに教えを残しただけです。 この作品は日本人に誤った仏教感を植え付けていると思いませんか? もちろん作品の演出だと言えばそれまでですが、日本で古くから信仰されている宗教だからこそ日本人は仏教を正しく認識する必要があると思います。