寝ているときは 自分が消滅しているから、 悟ってる状態でしょうか。
坐禅を始めて2年ほどたちました。当初、気持ちいい、リフレッシュする程度で通っていたのですが、ある時、坐禅ってそんな程度じゃない気がして、仏教に強く興味を持ち始めました。 知識を得ることも行を行うことも大切だといわれます。そこで迷ってしまったのですが、仏教に関する書籍はすさまじい数だし、歴史もあるだけに書かれている内容も様々だし、知識を得るとしてもどこから手をつけていいのか分からなくなってしまいました。何冊か読んでみましたが、言葉が難しかったりで遅々として進みません。 行についても知りたいのですが、今回は知識を得る方法(+仏道)についてお尋ねします。 ・仏教に関する用語集等があるものなのでしょうか。古語辞典等も活用するものべきでしょうか。 ・書籍等より経文を理解すべきなのでしょうか。 ・現在曹洞宗のお寺に通っております。正法眼蔵を始めて読むには、どう手をつければよいでしょうか。 ・宗派にこだわらず、これは!というものがあればお教えください。 ・最後に、仏道とは結局どういうことでしょうか。心がけなのでしょうか。結果として名づけられるものなのでしょうか。 漠然としていて申し訳ありません。全く分かっていないことに改めて気づいて、何とか前進したいと思っています。何卒よろしくお願いいたします。
法話集を求めて 近くの書店へ行ったときに、 読んでみたいなぁと思う本がありましたので 購入してさっそく読んだのですが、 書かれている内容は、 なるほどなぁ、ありがたいなぁ、 これからはこういう風に 生きていきたいなぁと前向きになれたり、 仏教についても理解が深まったり、 素敵な本だったのですが、 亡くなった人は仏様になったのだから 食べ物に好き嫌いはありません 故人の好物をそなえるのは 供養とは真逆の行為です、 仏様になったということを 信じていないことになります。 とか 仏様になった故人に、 手紙を書いても声は届かないし読めない 故人との思い出を綴ることは良いが 手紙を書くのはすすめない、 と言う内容のことが書いてありました。 他の内容はとても素敵なのに 自分がしている行動と違うからか、 どうしてもこの2つが気になります。 著者の方の考え方を否定しているわけではありません。 仏教の中で、このように考えるのか、 それとも著者の方が、このように考えておられるのかがわからず、混乱しています。 日本語がおかしいですかね、すみません。 わたしの理解力が足りないのかもしれません、 失礼なことを申し上げているかもしれません。 ですが、このモヤモヤをはっきりさせたいです。何かお言葉をいただけたら、と思います。 未熟ですみません。
永平寺での参禅で非常に感慨を受け、また、日々躓いていたことに関しても少しではありますが良い方向を目指せるきっかけを頂きました。 仏教や曹洞宗についてもっと知りたく思い、帰ってから地元で坐禅を始めると共に、道元の著書や関連文献を読み始めました。 「正法眼蔵」と共に「正法眼蔵随聞記」も合わせて読んでいるのですが、その「随聞記」の八「無常迅速なり、生死事大なり」という文についてお訊きします。 たしか永平寺の山門の木版にもこの言葉が掲げられていたように思いますが、読んでいる水野弥穂子氏(ちくま学芸文庫)の現代語訳では「死の至ることは速やかである。生死を明らめることは重大である」となっています。 前半は理解できるのですが、後半の「生死を明らめる」の意味がいまひとつよくわかりません。 ご教示いただけましたら幸いです。
高校生です。よろしくお願いします。 最近般若心経というものに出会いました。意味を考えながら唱えると、嬉しい訳でも悲しい訳でも、苦しい訳でも無いのに、ただ涙を流して泣いてしまいます。 不思議な感じがして、よくわからないです。これは、どうしてでしょうか。私は、般若心経が伝えたかったことを理解できたということでしょうか。 よろしくお願いいたします。
昔から写経したかったです。 しかし、私は左利きです。 左利きなんですが 写経ってできますでしょうか? 写経って筆?で書きますよね? 左利きのひとはどうやって写経してますか? 昔から習字が苦手でした。 右で書かないとだから。 そもそも写経はイマココに神経を集中させるものだから ブツブツ言わないで そんなのどうでもいいですか。 写経したい理由は、 イマココを感じたいからです
私は京都に住んでいたことがあり、よく「ほ~~~~~(?)」と声を上げながら、数人というよりもっと大勢で托鉢(?)されているお坊さんをよく見かけました。 思い込みでてっきり禅宗の方かと思っていたのですが、浄土真宗の別院の近所に住んでいる知人は浄土真宗の方もされていると言います。 テレビでは密教の方も托鉢をなさるというのを見かけました。 私がいつも見ていたお坊さん方は、どの宗派の方だったのでしょうか? 当時の住まいは右京区でした。
お釈迦様の話しを聞きたいです
お地蔵様と閻魔様は、同一人物だと聞いたのですが本当ですか?本当だとしたら、お地蔵様も恐ろしいのでしょうか?
お釈迦様は誰にでも私にでも平等でしょうか
自死で彼が逝き1年3ケ月ほどが過ぎました。 当初ほどの焦燥感や不安定さはなくなりましたが、 自責・罪責はなかなか消えません。 苦諦と言う言葉がありますが、私は苦しみとともに生きていくしかできません。 坐禅にも取り組んでますが、終わったあとはとても苦しいです。 辛く悲しいものが湧き上がってくる感じなのです。 こんな私はどのようにして苦と向き合っていけばよいのでしょうか。 決して解放されたいとは望んでいないのです。 勝手に一人で苦しい、苦しいと言いながら生きてけばいいのでしょうが、ただ意識だけははっきりさせておきたいのです。 どうかするとすぐに死の世界に入ってしまいます。 私は本当に無知でした。何にも分かっていませんでした。 自殺は追い詰められた末の死だと言われますが、 間違いなく私が彼を追い詰めました。 もしかしたら生きる道を探していたかもしれない彼の邪魔をし、最後のスイッチをを入れる決断を促してしまったと思っています。 こんな私が生かされております。生きていなくてもいいのにです。
久々の質問です。 宿曜経には宿曜占星術が説かれていますが、仏教では占いは禁止ですよね?宿曜占星術は例外的に許容範囲なんでしょうか?
親から、自分が買った仏壇だし私が嫌いだから参るな、と言われました。 こういう事、どうしたら良いのでしょうか?
お世話になります。 今日、初めて仏教勉強会に参加させていただきました。 そこで、輪廻転生を教わったのですが、すんなりと『なるほど~』と思えれば良いのですが…。 私は、 *『死後の世界はないと考えたい自分』と、 今までの霊的体験や臨死体験から、 *『死後は、ちゃんとあの世に行ければ、それはそれは暖かくてまばゆい光に包まれる。だけれど成仏出来なければ霊魂としてこの世をさ迷うこともある…と感じている自分』がいて、 輪廻転生を、なるほどと受け入れることが出来ませんでした。 そういう「教え」を受け入れられなくて、南無阿弥陀仏をお唱えすることに矛盾を感じてしまいました。(仏教に対してではなく、自身への矛盾です)。 輪廻転生や、死後の世界、私の感じる矛盾について、どうお考えになられますか? 宜しくお願い致します。
仏教についてなるべく簡単にわかりやすく書いてある本が欲しいです。 仏教が成り立った経緯とかも知りたいなと思っています。 またはWebサイトでも良いところを知りたいです。 よろしくお願いします。
怒りを最小限にする、欲を少なくする実践がなかなか上手くいきません。 一年くらい前も坐禅や瞑想、掃除、料理などに励んでいたのですが、挫折してしまいました。 再び仏縁があって、今は仏教書をよんで実践しています。 始めた頃は落ち着いた感じで、安らぎも感じられますが、続けていくと何故か苦しくなってやめたくなります。 苦しみからは逃れられないのですか? また、実践を続けた方がいいですか?
亡くなったら阿弥陀様に救われると聞いたのですが、自殺した人は救われるのでしょうか?
タイトル通りです。 【悟り】を極めるには 孤独必須ですか?
不安障害で悩んでいますが、座禅は効果ありますか。 座禅のやり方を知りたいです。よろしくお願いいたします。
仏教で「心が穏やか」は、どういう状態ですか? 今まで教えて頂いた事と似ているご回答かな、と思うのですが教えて頂きたくて。 よろしくお願い致します。