仏教徒に対する疑問パート6
では回答率99.9パーセントのお坊様に質問です
前回の質問の答えに大慈様が言われた内容ですが
仏教では世界の始まりは「わからない」、「無始」、「無記」であると
これって原因である始まりを無視して結果であるこの世界だけを見てる
因を無視した果の法則ですよね
そして「蕎麦のレシピばかり論じる(原因)蕎麦がのびる(結果)とっとと食え(対策)」
「頭の中でこねくりまわすから(原因)迷いが続く(結果)頭の中でこねくりまわすのを止めましょう(対策)」
この対策こそが瞑想で悟りを開くことですよね
お釈迦様は生まれた時から瞑想すれば悟りを開けるなんて知らないですよね
ではお釈迦様に瞑想を教えた人は誰ですか?そしてその人にも教えたのは?そしてその人にも教えたのは?
仏教→バラモン→ヒンドゥー→ゾロアスターと土着信仰の融合→メソポタミア
こうやってどんどんどん突き止めると悟りを開く瞑想を教えたのは因を無視した果の法則ですよ
因を無視した果の法則が悟りの瞑想法を作り因果関係のシルクロードを渡って我々に瞑想を教えたというのに
瞑想で悟りを開けばこの因果関係や因を無視した果の法則からも解脱できるってぶっ飛びすぎてないですか
悟りの境地の空間ですら先に因を無視した果の法則が始まる前から終わった状態での結果として作られたと思うんです
そうすると煩悩と悟りは最初から二つの性質が同時に存在する量子力学みたいに共存してると思うんですが?
あと諸行無常の教えで全てのものは変化するなら
善業も悟りも幸せも形を変えただけの煩悩ではないんですか?
涅槃の境地で夜に眠り煩悩で朝に起きて
涅槃の境地で瞑想してて煩悩で仕事行かなきゃいけなくて
涅槃の境地のお釈迦様は煩悩の梵天に娑婆の世界行かされた様に
悟りと煩悩は共存してると思うんです もしくは形を変えただけか
良文様が言われたヴィトゲンシュタイン様の形而上学的な疑問は言葉で説明できないという話
最初から量子力学としてある言葉に出来る世界と言葉に出来ない世界
その言葉に出来ない世界のような概念のないような形而上学の世界に神ならまだしも人間がいけると思いますか?
たった6年の修行で・・・この6と言う数字・・・666
お釈迦様が実はフリーメーソンのメンバーで仏教をある理由で作ったとか思ったことないですか?
物事を理屈で考えさせない政治的プロパガンダのためとか

有り難し 160

回答 7