人の死に慣れるということ
医療福祉の仕事をしています
仕事柄お看取りの場も幾度となく経験してきました。
また お看取りの場には立ち会わなくても「また明日」が通用しない方々と多数接してきました。
通夜葬儀に参列する機会も同年代異職種の友人達よりは遥かに多い現状です。
いつからとも無く、どれ程深く関わっていた方であっても「死」という状態に接した時悲しい、寂しいという感情を失ったような気がします。
同僚等は通夜葬儀で涙を流して遺族の方と話をしています。
私にはそれが全く出来ないのです。
仕事で関わった方に対してだけなのかとも思っていましたが、親族のその場でも全く悲しい寂しいという感覚が沸かなくなっていた自分がいました。
居なくなること、いなくなったことに対して虚無感喪失感はそれとなく覚えるのですが、何故だか感情が何一つ湧いてこないのです。
感情が無くなったのか、それとも「死」というものに慣れすぎたのか。
通夜葬儀の場に行くたび、泣くことの出来ない自分に嫌気がさします。
こんな私でも仏前に手を合わせる資格はあるのでしょうか
有り難し 23
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