こちらの心が無くて、あちらの心が動くでしょうか?
いつもお世話になっております。
ゆうりです。
お坊さんの、一言というのは、何故こうも、身に染みるのか。
お坊さんは、話上手です。(この言い方は怒られてしまうでしょうか?すみません。)
気になりました。
タイトルは、以前の質問で頂いた、今、大切にしている言葉です。
私は、将来研究者になるにしても、農業高校の先生になるにしても、(ノンプロで噺家、漫才師、芸人になるにしても)喋るという行為は、不可欠で欠かせません。
特に先生というのは、人間をつくる(あえてひらがなです。)職業であり、また農業を通じて命を慈しむ力を育んでもらわないとなりません。
さらに、私が噺家もを目指すの理由というのも、弱い奴に立ち上がってほしいからです。社会の皺寄せは弱者に来ます。そういう人に、立ち上がってほしいからです。
さて、「こちらの心が無くて、あちらの心が動くでしょうか?」
この「心」という部分があるから、「周りの友達」ではなく「hasunoha」に救いを求めるのだと最近思いました。私もその一人です。
その熱い「心」はお坊さんの場合は、「修行」によって培われているのは言うまでもありません。
(私の場合は、理由が異端なだけに、「信念の強さ」で解決出来てしまうかもしれませんが・・・)
しかし、私たち質問者は、どのようにそれを鍛錬すればよいのでしょうか?
その「心」どうしたら磨かれるでしょうか?
自分磨きというものは「自分が自分をするのみ。」「自分が自分の行を行うのみ」
精神的な強さを得るためには、「自分が自分を学んでいくこと。」
そう、以前にお言葉を仰ぎました。
これの継続によって得られるものなのでしょうか?
また、これだとまだ何か、足りないでしょうか?
お手数をおかけしますが、お手おすきの時間がありましたら、回答の方を宜しくお願いします。

有り難し 72

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