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hasunoha 問答検索結果 : 「私 死 」
検索結果: 5451件

芸術家になれないなら死にたいです

3歳の頃からピアノを習っていました。その頃からいつだって私の一番は音楽でした。 しかし、同じ時から「音楽だけで食べていける人なんて一握りだから(私はそうではないから)」と自分と家族に言い続けていました。ピアノ教室にはその後十数年間は通いましたがプロを目指そうとしたことはありませんでした。どういう理由でそんなことを言い始めたのか自分でもわかりません。ただ時々、音楽家になれない自分の苦しみを家族のせいにしたくなった時は、「幼いながらに家庭の経済事情を慮ったからではないか」と考えます。 映画と美術品と文学も好きです。そして、それらを創作する人々にどうしようもなく憧れています。 この質問のタイトルの「芸術家」について、「創作活動と表現活動が生活の一番大きな部分を占める人」と私なりに定義してこの名称を使いました。私はそのような人ではありません。今は大学の勉強、卒業すれば(今のままならおそらく)会社勤めを中心とした生活を送り、趣味で芸術に触るだけの人になるのでしょう。 「音楽だけで食べていける人なんて一握りだから」という呪いを無意識に自分にかけ続けてきた。それが呪いだということにも今更気がついて、残っているのは後悔だけ。 そして現在は、「音楽だけでは食べてはいけていない人」を見つけては自分を慰めています。自分からその人たち世界に飛び込むこともしない。私は醜いです。 音楽を、映画・美術・文学に置き換えても同じです。毎日、毎分毎秒、芸術を追いかけて、新たな芸術に出会うたびにそれを愛して、同時に「自分には創り出せる代物じゃない」と泣き喚く。 悲しくて悔しくて恥ずかしくて苦しいです。しかし芸術への執着に折り合いをつけたい訳でもありません。 ただ、こんな無様でみっともない人生ならさっさと幕を下ろしたいです。 この質問を書き込んで、これからも芸術を一番に愛します。芸術家になりたいなりたい、なれないなれないとどうしようもない事柄を嘆き続けます。自殺に失敗するようなリスクは取れない臆病者のまま生きていきます。

有り難し有り難し 48
回答数回答 3
2022/04/24

ペットを殺してしまいました

私の不注意でペットを殺してしまいました。10年生きれるはずの命をわずか一年で奪ってしまいました。昔から動物が凄く好きで、一目惚れして飼った子だったのに。 最近始めた仕事が自分の気づかない内にキャパオーバーになってしまい、お世話ができなくなっておりお水がずっと空っぽだったことに気づかず脱水症状を起こし、朦朧とした意識の中頭を強く打ってしまい亡くなってしまいました。 凄く甘えん坊な子で亡くなる1週間くらい前からも構って構ってとずっと私に鳴いてきてたのに、疲れ切っていた私は無視し続けて構ってあげることすらもできなくなりました。 きちんと業者にお願いして埋葬する予定です。 こんな酷いことをした自分はもう動物が好き。と名乗る事は一切しないと心に誓っているのですが、この先どうやって生きていけばいいのか分かりません。自分が好きで飼ったはずの子の面倒も見れない私が生きている価値なんてあるのでしょうか。 今回のことが起こる前から希死念慮が強く薬も飲んでいたのですが、「罪を償ってその子の分まで幸せになる」って言葉を受け入れられません。奪ってしまった命はもう戻ってこないのだから...

有り難し有り難し 25
回答数回答 1
2024/02/11

亡くなった祖父と替わりたい

一昨日、祖父が亡くなりました。 数日前まで元気でした。肺に水が溜まって、救急入院しましたが、快方に向かっていました。 一昨日の午前までは退院の話も出ていたのに、午後に様態が急変して、そのまま亡くなりました。 多趣味で、とにかく元気で、じっとしているのを見たことがない人でした。 100歳まで生きると言っていましたし、100歳超えても元気でいるだろうと、母と話していました。 その一方で私は、生きるモチベーションがかなり低いです。 それなのに、何故祖父が亡くなって、私が生きているのかわかりません。年齢順とはいえ、納得できません。 仏様は何をお考えなのでしょうか。 祖父と替わりたいです。我が子である叔父の死を乗り越えた祖父なら、私の死も乗り越えると思います。でも、私に祖父の死は耐えられません。 他の身内が次に亡くなった時に、またこの様な思いをするのも嫌です。祖父がいない世界を生きていくのが辛いです。 心配かけてばかりで、恩返しも何も出来ませんでした。 お経を唱えたり、私の寿命を祖父にあげますからと、先に亡くなった叔父や仏様にお祈りしたりもしました。 もっと真剣にお祈りすれば、祖父は亡くならずに済んだのでしょうか。 大好きな三線や、ゲートボールや、畑仕事をもっと沢山やって、大好きなお肉をもっと沢山食べてほしかった。 恩返しがしたかった。大好きって伝えたかった。 祖父が元気に動き回る姿がまた見たい。 祖父と替わりたいです。 祖父に一緒に連れていってほしいです。

有り難し有り難し 2
回答数回答 1

父は最後に何を言いたかったのか?

父が昨年12月に83歳で他界しました。 認知症になって3年、亡くなる約1ヵ月前に肺炎になり回復することなく亡くなりました。 私は遠方に嫁いでおりましたので、年に数回帰っては父の様子を見ながら、自分なりに出来ることはしました。また認知症の知識も素人なりに勉強し、どう父と向き合ったらよいかを常に考えていました。 最後の一年くらいは、私のことを娘と理解しているのかもわからない状態でしたが、それでも普通に「お父さん」として接し、父も笑顔を見せてくれていたのでそれでよいと自分に言い聞かせ、父が少しでも現状維持で長生きしてくれることだけを願っていました。 入院する前の父は、症状は進んでいても食べることも歩くこともなんとか出来ましたが、入院してからは階段を転がり落ちるように症状が悪化し、あっという間でした。 入院したと聞いて、居てもたってもいられず、急遽帰省し4日間だけでしたが父の様子を見に行くことができました。亡くなる2週間くらい前でした。その間毎日病院に行っては父に話しかけました。もちろん父の反応は既に薄いものでしたが、目を合わせれば反応はしてくれました。 そして、一度だけ私に一生懸命何かを言おうとしたのです。こちらも一生懸命耳を傾けましたが、結局何を言いたかったのかは分かりませんでした。その時の父の顔が、病状のせいかもしれませんが、今まで見たことないような悲しいそうな泣きそうな顔でこちらを見ていました。 父が亡くなり、子供の頃から今に至るまでのことを思い出し、父には感謝の気持ちしかありません。大好きな父であり、父の子で生まれたことを誇りに思っています。元気な頃はたくさん話してたくさん遊びました。 父の死を少しずつ受け止めていこうとしていますが、どうしても最後の言葉や入院中の辛そうな顔を思い出すと、胸が苦しくなり、そこで立ち止まってしまう感覚になります。 父の最後の言葉をどう受け止めたら良いのでしょうか?

有り難し有り難し 43
回答数回答 2
2022/10/15

大事な人を助けられませんでした

配偶者の自死について。 経緯をプロフィールに書かせていただきました。 妻はここ数ヵ月調子もよく、手紙をくれました。「辛いときに寄り添ってくれてありがとう。何もできない私だったけどお陰でここまで成長できました。これからは二人で支えあって生きていきたいな。」という内容でした。 妻は繊細で人付き合いが苦手であまり仕事が長続きしませんでした。家事も、もう少し頑張れると思っていました。仕事のストレスもあり、家事のことやお金のことで文句を言いました。何もしないなら出て行ってくれてもいいんだよ?とまで言ってしまいました。 妻は逆に、辛いことがあるなら相談に乗るよと言ってくれましたが、謝ることができませんでした。 その後、新しい仕事がきっかけで妻の症状が悪化しました。私は、今回も時間が解決してくれるだろうと思い、仕事をセーブして様子を見ていました。ある日、携帯に20回くらい電話がありました。その時は仕事を優先してあまり電話に出ませんでした。翌日から在宅勤務で、今日乗り越えれば大丈夫と思っていました。早めに帰宅し心療内科へ行きました。医師に、消えてしまいたいと思うか聞かれ、妻は頷いていました。初めて抗精神病薬と頓服を処方されました。 帰宅後、妻は不安を口にしませんでした。親や友達に感謝の電話をしており、私に後ろから抱き着いてきました。私は、受診して落ち着いたのかなと思って少し安心していました。しかし、妻は結局薬を飲まずに行方不明となり、入水しました。 溺死は本当に苦しいと思います。それを選択したのがどうしても理解できず、辛くて苦しいです。 肺に水が入り息ができない苦しみの中、真っ暗な冷たい海の底に沈んでいきながら亡くなっていく様子を、夜寝る前や、ふとした瞬間に想像してしまいます。最後妻は何を思っていたのだろうと考えてしまいます。そのたびに苦しくなり、涙が出ます。 先日妻が受けようとしていた資格試験の受験票が家に届きました。最近は勉強が楽しくなってきたと言っていました。常に死にたいと思っていたわけではないはずです。症状が出てきたほんの数日さえフォローできていれば、防げたはずです。もっと優しくしてあげていれば症状がでることもなかったかもしれないです。行方不明から亡くなるまで2日あり、私が来るのをずっと待ってたのだと思うと本当に申し訳ないです。 妻は今楽になってるでしょうか?

有り難し有り難し 23
回答数回答 1
2022/08/06

死ぬことが怖い。

はじめまして、始めて投稿させていただきます。私は幼い頃から死ぬことに対して過剰なまでに恐怖を感じてしまうたちでした。 母親が死んだらどうしよう、弟が死んだらどうしよう。そんな事を母に伝えては不安で泣きだし暫く落ち込むような子供だったそうです。 大きくなってそれは少し収まってきたのですが、ここ数年理不尽に殺されると言うことにまた一段と恐怖を感じてしまいます。 具体的に言うと凄惨な事件、戦争などです。 現在大切な家族がいて美味しいご飯を食べれてお風呂や洗濯で清潔を保てて、布団で眠る。コロナ禍で友達とはなかなか会えませんが連絡を取るツールはあるし、片思いですが好きな人もいます。 仕事はお給料が安いし大変ですが自分でお金を稼いで微々たるものですが毎月貯金も出来、過剰な贅沢は出来ませんがたまに好きなものも買える。 お金持ちではありませんが幸せだと実感しています、感謝もしています。 たまにですが祖母の写真に手を合わせたり、気分を害してしまうかもしれませんが神様に祈ったりもしています。 でもその生活がある日不条理に突然無くなったら?通り魔に襲われてしまったら、戦争や侵略で酷い目にあって殺されてしまうのでは。 自分も含む私の大切な人たちが恐ろしい思い、痛い思いをして死んでしまうようなことがあったら? そんなことばかり考えて毎日不安と恐怖で眠れなくなり、震えてしまい、嘔吐してしまいます。 人間はいつか死ぬとわかっているのですが、それでも他者の手による理不尽な死というものが怖くて仕方ありません。 特に最近の社会情勢を見ていると不安でどうにかなってしまっています。 何かアドバイスを頂けたら嬉しいです。

有り難し有り難し 5
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死ぬことが頭から離れない

私は完璧主義者です。でも何事も完璧にやりきれるだけの能力はありません。 完璧な秩序のある生活や思ったことを完璧なやりきることへの執着心がとても強い人間です。だから一度のつまづきで全てを放棄したくなります。 ただ、現実に社会は混沌としています。それだけでなく、身の回りのことや仕事に完璧な秩序を保つことの能力が私には欠如しています。そのギャップにとても苦しめられています。自分で作ったルールを遵守できないこと、予想外のアクシデントで自分の計画が狂うこと、このようなことが本当に本当に苦痛です。 こんな混とんとした世界で生きることが果たして幸せなのか。娘や家族への情だってもちろんありますが、それを感じる主体がいなくなればすくなくとも私の気にすることではなくなります。おまけに私は利己的な人間です。考える私がいなくなればそれで残された人への想いも断ち切れます。 死んだら思考する私はいなくなります。苦痛を感じる器官もなくなります。それだけでこの世界を離脱することが大きな救いになると感じるのです。 死ぬことは怖いです。でもなぜ死んではいけないのか、よくわかりません。残された人は悲しむかもしれませんが、死んだ私にはそんなこと関係ないとも思うのです。 生きるか死ぬか、そのことが頭をぐるぐるしています。死んではいけないような気もしますが、とにかく死にたさが頭を覆って、でもそんな勇気はなくて、生きることに手がつきません。 死ぬことは果たして救済なのでしょうか。死後の世界については信じることはできません。それにこんな相談をするくらいですので生きたいという気持ちもないわけではないと思うのですが、この先もっと大きな挫折を味わった時、そのような自分を許すこともできないと思うのです。 この場でこんなことを質問していいかもわかりません。ただ、なんとか生きやすく生きていける方策があれば楽になれるとも思うのです。死と生について私なんかよりも深く考えておられるお坊さまに何か知恵をお借りできないかと考えています。 まとまらない文章で申し訳ありません。何卒よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 87
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