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hasunoha 問答検索結果 : 「私 宗派 」
検索結果: 2538件

十年間引きこもっています 依存について

自分は重度の自閉症スペクトラム障害で、人と上手くコミュニケーションがとれません。自分のこともままならないので、家族に迷惑をかけてしまっています。現在二十六歳です。 医者にはあなたは働けないと言われたので、障害年金を頂いて生活しています。読書が趣味なので、毎日哲学書や仏書を読んで生活しており、生活自体は満足しています。健康に気を遣いたいと思い、運動や瞑想を心がけています。 引きこもりの生活としては比較的、幸福だろうと思うのですが、孤独がどうしてもツラいです。母親は数年前に癌で亡くなり、兄弟は家を出て、父親は単身赴任をしているので、ほとんど家に一人です。田舎なので、外に出ても若い人がおらず、最寄駅も徒歩で三時間ほどかかるのも孤独に拍車をかけています。 ネットで友人や恋人を作ることが多いです。ネットから始まって、二回同棲したこともあります。けれど、孤独への恐怖からか、しがみつくような恋愛になってしまい、相手の体調や言動で心が不安定になってしまい、ツラいです。 コミュニティに所属しようと思ったことがあり、障害者支援の方と毎週話していたのですが、それもキツくてやめてしまいました。病気の特性なのか、一対一でしかコミュニケーションを取れず、コミュニティに所属するのは難しいです。 現在も遠距離恋愛をしている女性がいるのですが、連絡が取れなくなると病的に不安になります。俗にいう依存なのでしょうか。 浄土真宗を信仰していて、仏さまは心の拠り所になっていますが、それでも孤独と、それに付随する依存-不安がしんどいです。どうしたらいいでしょうか。

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赤ちゃんの戒名(位牌)について※長文です

初めて質問させていただきます。 3週間前に愛娘が病気で亡くなりました。生後6ヶ月の赤ちゃんです。悲しみに浸るまもなく、あれよあれよと葬儀を終え、来月四十九日の法要をする予定です。 本位牌を手配するため戒名の意味など調べておりました。 義実家の菩提寺は天台宗で、普段よりお付き合いは全くなく、私はこの度初めてそのお寺の存在を知りました。そちらで書いていただいた仮のお位牌 では「満6ヶ月」と「数貮歳」の2つの表記があり、私に数え年の知識が無かったものですから、「なぜ2歳なのか?」ととても気になりました。電話をかけてご住職に伺いましたところ、数え年について説明もいただき、本位牌には両方入れてもどちらかだけでも良いとの回答をいただきました。自分でも数え年についていろいろ調べ、2つ書いていただいた意味も理解できましたが、本位牌には「満6ヶ月」だけにしたいと思いました。なぜなら私の感覚では娘は0歳の赤ちゃんで、病気のため身体も新生児ほどの大きさしかなかったのに、2歳という言葉(年齢)はあまりに違和感があるからです。 さらに戒名自体については、主に1歳くらいまでの赤ちゃんには「嬰女」、2~3歳くらいには「孩女」という位号をつけることが多いと言われているそうですが、うちの子は「孩女」とつけていただいていました。おそらく数え年で2歳だからなのかと思ったのですが、ここでも物凄く違和感を感じてしまい、なんだかモヤモヤしています。一瞬、「嬰女」に変えていただきたいとすら思いましたが、再度お電話差し上げる勇気もないですし、つけていただいた戒名に難癖つけたいわけでもないです。ただ、数え年を使う意味やメリットには、宗教的な考えもあるでしょうが、昔の時代背景による簡便化といったことばかりが出てきて、この戒名にちっとも納得出来ません。私は無宗教ですし。数え年で戒名をつくることに、少しでもプラスに考えられるようなお話があれば是非お聞かせ願いたいです。「昔は面倒臭かったから」なんてことではない理由が知りたくて調べているのに、調べれば調べるほど墓穴を掘ります。2歳の戒名でも良いんだと思えるようなお話をお願いします。可愛い可愛い愛してやまない娘です。モヤモヤしたまま位牌は作れないです。どうぞよろしくお願いします。

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他界した祖父を思うと涙が止まりません

先日母方の祖父が突然亡くなりました。病死ではなく、一般的に事故死と呼ばれる亡くなり方でした。 母方の祖父なので一緒に過ごした日々は少ないし、ここ近年は正月盆に顔を合わせても会話もないような関係でした。 でも訃報を聞いた今、悲しくて悲しくて涙が止まりません。泣いて泣いて気付けば朝です。 最近流行しているコロナとは無関係のためお葬式はできるそうですが、感染拡大防止のため、離れて暮らしている私は葬儀には出席できません。お別れが出来ないことが悲しいです。 そして、訃報を伝えるために電話してきた母の涙を押し殺したような声が忘れられません。母にとっては父親ですし、いずれ死の瞬間を傍で看取ることを考えていたのでしょうから、1人で逝ってしまった祖父の最期を嘆くのは当然だとおもいます。そんな苦しい心境であろう母の傍にいてあげられないことも辛いです。 突然すぎで私自身祖父の死をどう受け入れたらいいのかわかりません。漠然と悲しい気持ちだけがあって涙が止まらないです。遠方の祖父の死を受け入れるためにはどうしたらいいのでしょう。 また、私が離れた地で祖父や母にしてあげられることは何かあるのでしょうか。 混乱していてお見苦しい文章になっていると思われますが、ご回答頂けますと幸いです。

有り難し有り難し 15
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無常に気付き忘れないためには出家しかないのでしょうか

回転寿司が大好きで毎週のように回転ずしを食べています。 左上のhasunohaのロゴがホッキ貝と緑の割れたスシ皿に見えてしまいます。 それは置いてといて、お寿司を食べているときに、こんなにお寿司が好きなのに何か月前から通っているのか忘れてしまいました。 その時の初めて食べたネタのおいしさや歯ごたえの感動も忘れてしまいました。 そして、苦しみの方はどうかと思い、(中途半端に過去の)5年6か月と3日前の苦しみを思い出そうとしましたが思い出せませんでした。 (中途半端に昔の)5年6か月と3日前に私は何かをしていて何かの感情があり何か悩みや苦しみ、もしくは楽しみがあった、でも思い出せないのです。 つまり記憶も感情も行動もまた移り行くものだから忘れてしまう。記憶や感情といえど常なるものは無し。 これも諸行無常で苦を滅する方法は、『無常に気付き、常に自分も無常であると忘れないようにする』ことであると、そこら辺は、↓にも最終的には同じ意味で書いた通りです。 https://hasunoha.jp/questions/19539 https://hasunoha.jp/questions/19556 https://hasunoha.jp/questions/19587 しかし、どんなに気を付けていても自分(や愛しいもの)も無常の中にいるという事を忘れてしまう事があり、またも過去と同じようなことで悩み苦しむ事がたまにあります。 このまま人生を歩んで行っても、全く苦が無い生活を行うことは難しいです。 こうなってくると、テーラワーダか禅宗に出家して苦を滅するための八正道を人生のすべてとして生きていくしかないような気がしてきました。 アジアの上座部仏教国だと、サードゥ(善き哉)サードゥ(善き哉)サードゥ(善き哉)なんて言われて出家できますが、ここは日本で日本での生活があります。それを捨ててまでの出家だと親が泣くかなと思うのですが、在家のまま苦を滅する方法はありますか? または苦を滅したいからという理由で出家された方いますか?

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精神疾患と共に生きること

初めて相談します。 私は精神疾患を抱えて7年目になります。 摂食障害の診断は受けてますが、当初拒食過食はあったものの最近は摂食に関して異常行動は見られず、鬱のような気分変調症状ばかりです。 . 人にどう思われるかばかりを気にしてしまい 病気になってから1年以上同じ場所(学校や仕事)で居続けられたことがありません。 嫌われてるのではないかと心のどこかで妄想しているのでしょう。 . 様々な場面でうまくいかなかったり、 運が悪かったり、行動が裏目に出たり…と 生きているのが本当に辛く、昨晩自殺をしようと思い用意までは完了しましたが結局勇気が出せず死ねませんでした。 自分意思ではなく病気で亡くなった祖父母やペットを思い出して涙が止まらずできませんでした。 . そこで、質問です。 ①精神の病を患うのには何か理由があるのですか? →使命とかそのようなものはあるのでしょうか?自分がこのようになり人生がひどく辛いですが納得ができません。なぜ私が?とも思います。 . ②辛さ苦しさからはいつか解放されるのか? →考え方や行動を変えたいと思い頑張ったりもしていますが、勇気を出してやったことも悪い方向に進むばかりで今後明るい未来も待ってない気がします。 . ③軽い気持ちで生きるのはどうやるんですか? →よくもっと気楽に生きようとか、気にしすぎないでとか自分を責めないでとか言われますけど、そんなことどうしてできるの?と疑問しかありません。そんなことできたらこんな風になってないのに…と。 . 以上です。長文になってしまいました。 回答ぜひともお待ちしてます。

有り難し有り難し 30
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お寺を継ぐべきか

初めまして。 わたくしは福岡県内にある、臨済宗のお寺の息子でございます。 私は、京都の大学を中退後、2年間地元で働きました。 京都では、本山内にある禅塾で生活を送り大学に通っておりました。 そこから、2年間働き その後 修行道場へ掛塔しました。 ですが、修行はやはりとてもつらくこの世のものとは思えないくらいでした。 そこから3か月目のことです。 ある日足が動かなくなり、病院へ行きました。 両足を疲労骨折しておりました。 それが一度目の逃げ(失敗)でした。 そしてその後、道場へ戻ったのですが。 何か月か外に出ていたら 周りの雲水との関係に亀裂が入っており それに耐えきれず 逃げ出してしまいました。 それが二度目の逃げ(失敗)です。 そしてその翌年の春 違う修行道場へ掛塔しました。 庭詰めが終わり旦過詰の途中で いきなりとんでもない恐怖心に襲われ 気が付けば倒れておりました。 そしてそのまま、気が付けば実家のお寺にいました。  三度目の失敗です。 そして今、パソコンに向かってこの相談を記入している状態です。 私は、昔から父親(師匠)毎晩毎晩 「お前は早く修行に行ってこの寺をついでもらわんといかん」と 口うるさく言われて育ってきました。 私は当時お坊さんには絶対になりたくないと思ってました。 大学も京都の花園大学(仏教の大学)へ行けといわれっておりましたが、京都の仏教大学ではない普通の大学へ進学 そこで、一人暮らしできるかと思いきや 京都のあるお寺にある学生寮に強制的に入れられました。 そこで、朝5時に起き朝課を行い掃除をして大学へ行き 17時(門限)までに帰宅し、掃除を行いというような 小僧のような生活を送りました。 その生活を2年間送り、嫌気がさし大学自体、独断で中退し 無理やり実家へ帰えりそこで、2年間仕事をしながら お寺のことを手伝いをしながら生活を送っておりました。 その後、修行へ行ったのですが3回も失敗し このような状態です。 正直、私はお坊さんに今はなりたいと考えています。 ですが、今はなりたくありません。 ほんとに今どうしていいか全くわかりません。 お寺のこと、家族のこと、自分のこと 何がしたいかもどうすればいいのかも わかりません。 ほんとに文章能力が全くなく申し訳ございません。

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