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検索結果: 239件
2021/06/05

この様な力は存在するのでしょうか。

10年以上前に亡くなった父方の祖母の話です。 若い頃から霊感が強いと言われていた人だったようで、父とその兄弟がまだ幼い頃には家の前の小径に向かって「狐が走り回る足音が煩い」と怒っていたり(祖母以外には見えていない)、電話で親類や知人の失せ物相談にぴしゃりと言い当てたりしていたそうです。 私も色々な事情があってこの祖母に7歳から10歳まで育てられましたが、私自身は虫封じをやってもらった事があります。筆で私の掌に文字を書きながら祖母がブツブツと何やら唱えると、私の指先から見えるか見えないかの細くて白い糸の様なものが何本ものたくりながら出てきました。祖母曰くこれが疳の虫だそうで。 またある時は私を抱っこしながら祖母が部屋の電気を消そうと紐を何度引っ張れど電気は消えず。「えぇい消えろ!」と強く言い放つと紐を引いてもいないのに電気が消えた事がありました。祖母曰く「霊的な何かがいたずらをしていた」そうで。 因みに祖母が写った写真の多くでは、祖母の体の一部が欠けて(後ろの景色は写っている)写っていました。 実の子供を男3人、それから孫を男5人、乳飲み子の時から大人になるまで一人で育て上げた祖母。毎日ひたすら家事をしている姿しか思い出せませんが、今は高野山に眠っています。 私は実の母を7歳の時に亡くしていますが、祖母にはよく「お母さんはずっと側で見守っていてくれてる」と言われていました。 今でも祖母を思い出せば、こうした不思議な力?の事も思い出されます。 いくつか祖母の力?を実体験として私も経験していますが、果たして本当にこの様な力や霊的な存在、姿の見えない狐などなど・・・これらは実在しているのでしょうか。 個人的に僧侶という職業は、本当にあるのならあの世に最も近しい立ち位置にあるように思います。なのでこうした力や霊的な存在の有無、または似たような話がお聞かせ頂ければと思い質問しました。 どうぞよろしくお願いいたします。

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乗り越え方

家族の死をどうやって乗り越えたらいいのでしょうか、、、 昨年、家族の病気が進行し、治す術もなく看取り優先での生活を告知され、そばで看取りをしました。 最後の瞬間まで看取り、人の死ぬまでのその一瞬も逃さず、他の家族と一緒に静かに見守り、泣きながらありがとうと伝えました。 私にとって一番の応援者であり、師であり、父であり、時には喧嘩相手でもありました。 看取りは母が一番そばで行っており、私は死が近づくのを見てられなくて父に対して素っ気ない態度で接したり、話さなかったりと酷いことをしてしまったなと後悔しています、、、 毎日、父とメッセージのやり取りをしていました。父は亡くなる前まで応援や励まし、アドバイス、いつもの冗談をメッセージに残して送ってくれていました。 私は、父に対して親孝行ができなかったと、かなり後悔しています。 結婚して子どもがいたら孫を見せられたかもしれない、花嫁姿なんて見てくれたかもしれない、母との食事のプレゼントもできたかもしれない、一緒に旅行もたくさん連れて行けたかもしれない、、、 そんなことばかり、頭に浮かびます。 最後まで心配させてしまったし、素っ気ない態度で話してしまったり、、、 もっと心温まる言葉とか、優しさとか、そういうのを以て対話していたらよかったのに、とずっと後悔ばかりです。 もう二度と、父からメッセージは来ないし、会話もできない、父が大好きだった旅行もできないし、二度とそういう時間は来ないのだと思うと、どうしていいのか分からない程の悲しみと虚無感と後悔とで苦しいです。 でも乗り越えなければならないし、家族を支えなければならないと自覚しています。その中で、一人にしないで、という残りの家族に対する自分自身の寂しさと甘えとが一気に上がってきます、、、 自分自身もいつかは死ぬというのは分かっているんですが、今目の前にあるこの虚無感と怖さとどう対峙すればいいのか、分からないのです。 お叱りでも大丈夫です、お忙しい中この文を見ていただいてありがとうございます。

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10年以上前に他殺された母親に会いたい。

 もうかなり前のことになりますが、身内の一家心中未遂により母親を亡くしました。  事件直後からしばらくは、心から尊敬していた、加害者となってしまった身内の変わり果てた姿と、思春期特有の衝突を乗り越えてようやく人間同士として関わり始めていた最愛の母との突然の別れに頭の中がぐしゃぐしゃになりました。  それでも、両親が応援してくれていた夢に向かい立ち止まるわけには行かない一心で、また、共に強いトラウマを受けた弟の頼れる兄であり親代わりになるべく、ガムシャラにここまで走り続け、仕事の面では今ではそれなりに少年時代に思い描いていた立場になりました。  しかし仕事の性質上、どうしても日常の中で考えてしまうのです。  最愛の両親を守れなかった自分が、他人様のために昼夜問わず身を粉にしている虚しさを。その場では必死にやりながらも、どこかその姿を冷めた目で俯瞰で見ている自分がいるのです。「お母さんを死なせたくせに。この道に進まなければきっとお母さんも今は生きていたのに。結局ここまでの道のりは全て単なる自己満足でしかないじゃないか。」と。  このような日々が続いて今更、30過ぎにもなって情けなくもお母さんに会いたくて仕方がないのです。自分の頑張りを親に認めてもらいたいという幼稚で卑しい願望から来ている気持ちである事は理解しているのですが。  自らも親となったことではじめて親の愛情の深さを知り、尚更今の自分の姿、孫の姿をどうしても見てもらいたくて寂しくて切なくてたまらないです。  どれだけ人様から見て成功して見えようとも、この後悔と自責の念を抱えてあと数十年生き続ける事が辛くて恐くてならないのです。  子供たちが誇りに思える父として、この先も前向きに走り続けるために、どのようにこの深い悲しみと向き合えば良いのでしょうか。

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仏花について

はじめまして。 人生の悩みとかではありませんが、 私の家は、経済的に厳しく、裕福な家ではありません。仏壇のお花も無いことがほとんどです。お供えものも、ないときがほとんどです。 おばあちゃんの家に行くと、常に綺麗なお花が飾られていて、お供えもののお菓子もいつもあります。おばあちゃんが、いつも一生懸命朝に仏様にお水をあげたり、畑で育てたお花をあげたり、尽くしているからです。 母も毎日、お水は取り替えております。ごはんも毎日とまではいきませんが、ごはんを炊いた日はあげております。 しかし、おばあちゃん家と比べると、家は、仏壇が寂しくてごめんねという気持ちになります。 そこで、おばあちゃんを見習い、さすがに土壌が違うので、菊などは植えられませんでしたが、庭にちょっとしたお花を植えました。 最近になり、植えたカスミ草が小さいけれど、花を咲かせました。 また、季節柄、昔から庭にある紫陽花も綺麗に咲いています。 仏壇用のお花は高くて買えないから、せめて庭に咲いているお花をと思い、調べたところ、紫陽花などは、いろいろな花の魂が宿っているから、仏壇にお供えするのにはふさわしくないと知りました。 季節のお花でも、仏花としてふさわしくないお花など他にあるものでしょうか? また、常にお花やお供えものがなくても良いものなのでしょうか? また、お花は、朝、昼、夜、いつお供えしたら良いとかありますか? ちなみに、おばあちゃんや母を見習い、私も、毎日仏壇に手を合わせるように心がけてはおりますが。 ご回答よろしくお願い致します。

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四十九日が済んでも気持ちが落ち着かない

お早うございます。 先月末、父の四十九日が終わり、一つの大きな区切りを迎えたはずなのに、どうしても、どんなに頑張っても、父が旅立った悲しみ、淋しさから抜け出せません。 四十九日を迎えて、もう気持ちの整理がつく頃なのに…。未だに夢にまで出て来て、気持ちの整理がつく所か、更に悲しみが増えました。父の生前と比べて、明らかに笑顔が激減しています。テレビを見ていて、「面白い」とは思っていても、笑う事も出来ず、ただ時間だけが過ぎて行きます。 道を行く車を見ていても、「昔お父さんが元気だった頃、車で色んな所に遊びに行ったよね」と思ったり、家の中のあらゆる物を見ては「これを買った日、お父さんと、こんな会話したよね」等々、どうしても父と結び付けてしまいます。 今でもまだ、ふとした瞬間に父が居そうな気がして、私が仕事から帰って来て、玄関を開けたら、そこに座っているんじゃ無いか、また母と些細な事で、言い争っているんじゃ無いか等々、考えるときりが有りません。毎日毎日、溜息ばかりです。 本膳も四十九日までは、初七日に始まり、1週間ごとにしていました。然し父は、煮物や漬物が大好きだったし、それ以前に食べる事が大好きだったので、今月からは毎月、月命日に本膳をたこうかと思うのですが、こんなに悲しいなら、止めといた方が良いのかな?とも思います。 本当に、どうしたら良いか判らず困っています。

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ひき殺しても尚

私の父親は、今71歳。最近、運転免許証の更新に行きました。 ゴールド免許です。 でも、父は64歳の時、仕事中に50代の女性をひき殺した過去があります。 法律上、父のせいではない、その女性が飛び出したのが事故死の原因である、ということに。 しかし、私にはどうしても父の心が分かりません。 父は悪くなかったのかも知れません、でも、1人の尊い命が失われたのは事実なのです。 それでも、今回は70歳を越えていましたので、高齢者の講習を受け、見事合格し、新しい免許証も手に出来ました。 それからです。父がやたらと赤信号で突っ走るようになりました。 私が「赤!赤!危ないでしょ!」と言っても、「ワシは国が認めた優良ドライバーなんや!ゴールドなんや!」と危ない運転を繰り返します。 父は、自分が人間を跳ね、ひき殺したときの「感覚」「感触」を忘れてしまったのでしょうか。恐怖に苛まれることはないのでしょうか。 ゴールド免許証になってから、スゴい自信過剰になっているように感じます。 はねて、ボンネットに乗り上げ、窓ガラスがバリバリに壊れる程のひき方をした、その時の「ドンときた生々しい音」「目の前で人が潰れた光景」…私なら怖くて、二度と運転出来なくなりそうですが…どうも父は違うようです。 いつかまた、人をひき殺すのではないか、という不安が頭をよぎります。 最近の荒々しい運転は、酷い。横暴過ぎます。 確かにゴールドです、運転するな!とは言いません。 でも、人の尊い命が1つ失われた(奪った)事実を認め、決して忘れないでいて欲しい。 お坊さま、どういう言葉をかけたら、父が「安全運転」をするようになると思われますか? 時には過去と向き合う必要があると、私は思うのですが… 何を言っても「ゴールド」を主張する父に、私から、あと何を言ってあげることが出来るのでしょうか?

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子供の名前について

こんばんわ。 今年の夏に結婚し、最近待望の第一子を授かりました。女の子です。家族親戚一同祝福ムードで大変嬉しく思っていたのですが、子供の名前を考えている時に少し一悶着がありました。 私は昔からもし自分に娘が産まれたら、実(みのり)という名前をつけようと考えていました。この実と言う名は私の妹の名前で、妹は生まれてすぐ亡くなってしまいました。 その時はただただ周りの雰囲気で、悲しいことが起きたのだと感じていましたが、時が経つにつれて、もし自分に娘が生まれるのなら、亡くなった妹の分まで幸せに生きて欲しいという願いを込めて実という名前をつけようと考えていました。 ですがこの話を家族親戚に話したところ、祖母や父はお前の自由だと言ってくれている中、母だけが縁起がよくない名前をつけて欲しくないと反対をしているのです。 確かに母の言いたい事もわかりますが、私も自分の意見を曲げる気は今のところありません。 そこでお坊さんにお聞きしたいのは、身内の故人の名前をつけるのは仏教的にいいのか、悪いのか。そして出来れば母を説得させたいのですが、どのように話したらよいのかです。 拙い文章になってしまいましたが、よろしくお願いします。

有り難し有り難し 24
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生き続ける

生きるとは何なんでしょうか。いつかは僕も死んでいきます。 そう考えると頑張ったり、努力しようという気が失せてきてしまいました。 つい最近祖母が息が苦しいということで入院しました。 家族、親族でお見舞いに行くと鼻にチューブを入れて息苦しそうにしていました。 「もう、こんな状態で…チューブ刺して生きとうない。もう年を取り過ぎた。楽に死にたい」と言いました。 でも家族や親族は「何言ってるんですか。生きてくれないと私たち悲しいですよ」とか「頑張って乗り越えていきましょう」とか言っているわけです。 でも僕は「もうこんなに息苦しそうにしてて、老衰でこれから改善していく可能性はほぼ0。楽にしてあげたらいいんじゃないか」って思ってしまいました。 祖父もチューブを鼻に刺して最後は本当に苦しそうにして死んでいったそうです。 僕も立ち会っていましたがあまりにも息苦しそうにしていたのでたまらず部屋を出てしまいました。 そういうことを考えると苦しまず楽に死なせてあげてはって思ってしまいます。 またそういうのを目の当たりにしていると先に述べた結局死が来て無になるんだし、頑張ったり努力したりしてもなって…なんかこう生きる活力的なのが一気に失せてしまいました。 こんなこと思うと虚無感がここ最近ひどい感じになってしまって…。 何かこう生きる意味だったりを教えて頂けないでしょうか。何をするにも虚しく感じているんです。 それと苦しくても生き続ける意味とかもあるのでしょうか。何か周りの気持ちだけで楽にしてあげるのを阻害している気がして祖母を可哀そうに思っています。 宜しくお願いします。

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2022/07/29

祖父が亡くなって一年が来ようとしています

私は母子家庭育ちです。なので母方の祖父母にとても良くしていただきました。産まれたときから、反抗期、高卒で県外へ出ていったときも。 都会は金がいるだろう、と祖父は祖母に内緒でアルバイトをして、私に毎月送金してくれていました。実際コロナの煽りの際はとても助かっていました。 コロナで延期延期になっていた私の成人式の日、一週間くらい喉風邪が治らないんだよねといつもの調子で笑っていました。 咽頭がんでした。 都会に出ている私を心配させまいと内緒に、はれの日だからと、がんのことを知ったのはとっくに地元から離れたときでした。 声帯を取るか、放射線治療、抗がん剤 どれを選んでも辛い治療を一つずつ試していきました。 私も稼ぎは多くないし、距離も遠いですが、何度も帰りました。顔を見れるだけで安心できたから。毎回祖父は言いました。 お前しっかり食べとるんか、しっかり寝とるんか、元気にしとるんか、全部私のことばっかり。私が何を聞いても俺は平気じゃと笑うので、わたしも本当に平気なんだと思っていました。 ガンが発覚して半年の闘病生活でした。 祖父が危ないと知らせを受けて会社を飛び出して新幹線に乗って、大丈夫大丈夫と暗示をかけていましたが、私が病室についた瞬間、仏様へなってしまいました。 苦しそうに天井を見つめて、私が部屋に来るのを頑張って待っていてくれた祖父。 私は、なにも、出来ませんでした。 父がいないので、父代わりのような祖父でした。 富士山の見える温泉に行きたいと言っていました。 まだ、70になったばかりでした。 あと十年はいるものだと勝手に思って、自分の稼ぎで温泉に連れていけたらと、呑気に思っていました。 自分が許せません。ずっと、ずっと、ずっとずっと悔しくて、悔しくて、まだ腹の中で自分への、憎悪が、呑気に現実から目をそらしてもっとできることをしてあげられなかった自分が、憎い。 祖父のことは一ミリたりとも忘れたくありません。ずっとずっと私だけのおじいちゃんです。 でも、でも。忘れたくなるくらいつらい… すごく心がしんどいです。些細な一つ一つに祖父がいるんです。 野球、好きな季節、好きな歌、お洋服、車 全部で祖父を思い出してしまいその度辛くなり立ち上がれないほど泣いてしまいます。 このままでは泣きすぎて溶けてしまいそうです。 心の持ちようをどうか、どうか教えてください

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

祖母との死別、これからの人生が不安

初めて投稿します。 私は一ヶ月ほど前に入院していた祖母を亡くしました、85才で老衰でした。 とてもショックでおばあちゃんがいないこれからの時間どうして生きていこうとか、変な話ですが今おばあちゃんは大丈夫なのかなとか、入院して、家で介護していた時のようにまだ心配をしてしまったりします。 元々私の人生はこじらせていて、私が人より神経が繊細らしく、鬱病気味になったり不登校や対人恐怖で集団に馴染めなかったりで、家で過ごす時間をすごく大切にしていて、おばあちゃんが拠り所のようになってました。 友達も作れない私で、美大で絵を勉強してますが必死に絵を描いても精神が安定して描けなくて、評価は良くなく、4月にはまた留年をしてしまいます、もうこんな人生はつらい、これから私が生きていける自信がない、私は若いから何十年もまだ生きて、他の家族を順番に看取るなんて耐えられないと思っています。 学校に行かないことが多かったので、独りで過ごす方が好きだと思ってたのに、私はこれからの人生孤独に耐えれそうにありません 精神病院に10年くらい通っているのもやるせなく、精神不安定な自分が恋愛や結婚もこの先難しいのではないかと思うと、私は後どれくらいひとりぼっちに耐えなきゃいけないのだろうと不安になります。 なぜ生まれてきて私は役立たずのまま、お金ばかり使うのだろう、親不孝なのだろうと思います。 いつの間にか笑ったりすることができなくなりました。 私は何度も幸せは何なのか考えてみますが、とても遠いもののように感じます。 仏教に頼ろうとしたことも幾度もありますが、私は救われるとはどういうことなのかまだ理解できません。 仏壇にお供えをしてもこれでおばあちゃんが喜んでくれてるのか分からないです。 私の人生が苦しいということだけ、はっきり思います。 学校で、苦しい思いをすることも、家でいることも辛く、ただただ淋しいです 文章にすると書けますが私はほとんど人前で話をすることがありません。 この先どうやって生きていけばいいかわかりません。親も心配していることでしょう。 お先真っ暗な心境なので、相談しました。 どうか助言を頂けたら有り難く思います。

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