検体になる(2)
前回「検体になる」で、臓器移植の話になり、お答えが、賛成派と反対派に割れました。お勧め頂いた本を読んでから、改めて、私の意見、意思をお伝えするということで、しばらくお時間頂くことに致しましたが…。
ところで、その前に、ちょっとお聞かせ願えますでしょうか。大谷派は「臓器移植反対」の立場にある、というのは分かりました。「臓器」を「移植」することに反対なのですね、では、「献血」や「輸血」は、仏教的にはいかがなのでしょうか?「輸血」は「移植の簡単バージョン」のようなものです。「輸血」も生きている人間からのご厚意で頂くようなもので、「輸血」させてもらえなければ、亡くなる可能性もあります。宗教的な理由で「輸血を拒否」する患者様もおられます。その場合は、「輸血」が必要になった際にどのような処置をとるのか、話し合い&説明する必要があるのですが、そのことを『エホバの証人』という名で資料ファイルしています。仏教の世界で、臓器移植に賛成、反対の意見があるのならば、中には「輸血拒否」を望む方もいらっしゃるのでしょうか?前もって手術等に備えて、自分の輸血用血液を採血しておく『自己血採血』という方法を選択することも出来ますが、緊急時には、他人の血液を「輸血」するしか方法がない場合もあります。もしも、「輸血を拒否」する方がおられるのでしたら、どうなさるのかなと…。それに、「献血」は生きている皆様のご厚意で成り立っていますが、その「献血」自体、若者の減少、高齢者の増加で危機的状況にあります。さらに言うと、特種な血液型の場合は、血液センターに登録され、自由に!ではなく、その血液型の血液を採血させて頂きたく為に、必要な時に呼ばれて「献血」となる人々もいます。ややこしい話になりますが、その辺りを踏まえた上で、ご説明頂ければと思い、再度、質問させて頂きたくことに致しました。お返事お待ちしております。
有り難し 87
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