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hasunoha 問答検索結果 : 「名前」
検索結果: 2519件

話を聞く時の心構え

話を聞く時の心構えについての質問です。よろしくおねがいします。 昔から仲良くしている友人の話です。 友人はよく心が弱っている時に連絡があります。 暮らしている場所がお互い離れているので、連絡手段はラインか電話です。 心が弱っている時連絡があるのは、かまいません。ウェルカムです。少しでも、気分が晴れて前向きになってくれたらなぁって思いながら話を聞きます。 しかし、自暴自棄になって私に向かって暴言を吐く・消えたい死にたいと発言すると言う行為は、返信する事に時間や気持ちが削られてしまい、私自身もしんどくなってしまいます。 ウェルカムと言っても、こう辛い連絡ばかりだと「たまには面白い話をしようとか、考えないのかな」と思ってしまいます。 友人の生活や顔は見えないし、私の私生活ももちろん友人には見えないのですが、友人の暴言一つでも、結構私生活にも響いてきます。ラインもよくよく考えて返すので、帰宅後ほとんど携帯をかまっている時もあります。 一つの事にしか集中できない性格なので、家事に支障が出る時もあります。 こんなのは私自身の判断で動いてるので仕方ないのですが、、、やはり同じ時間過ごすなら最終的にでも楽しく居たいなぁと思います。 最近、友人の辛い気持ちを汲む姿勢もなくなってきそうです。 どう心得て友人の話を聞くと、私までしんどくならずにいられるのでしょうか⁇ むしろ、↑こんな自己中心的な考えを持っているのでしんどくなってしまうんでしょうか? よろしくおねがいします。

有り難し有り難し 14
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友達の不誠実さに怒りを覚えてしまう自分が苦しい

友人にお金の執着がすごい人がいます。 「旦那の年収○○円だけどそっちは?」「貯金いくらある?」「3000万円貯まった」等、収入や貯金額の話しをしてきます。(私は濁しているので何回も聞かれます) 住宅ローンなのに「旦那の借金が嫌」とぼやき、銀行に内緒でマイホームを賃貸に出して、賃貸料でローン返済をしています。 実家で同居しているのですが、家にお金を入れていないみたいで、両親と喧嘩が絶えず、私に愚痴をこぼします。(両親は貯金0で年金生活) 最近は里子を受け入れてお金を得ようとしています。「育児する気力ないんだよね。旦那は育児やらなそうだし。親は大反対だけど無視してる」と言いつつ、承認の為の研修をしています。 「少しでも家にお金入れたら?」「里子の育児に前向きになるまで受け入れは保留にしたら?」と言ったら「結局はうらやましいだけでしょ」と言われてしまいました。 違法な事をしてまで、また人の人生に無責任な事をしようとしていることにも気がつかず、お金を得ようとする友達に怒りを覚えてしまいます。里子の事を考えると心が本当に痛みます。 余所のご家庭の事なので、放っておけばいいし、縁を切ればいいのですが、自分の心に折り合いをつけられず、友達にわかってもらいたい、何か言ってやりたいと思ってしまい、それに縛られていて苦しいです。 価値観や生き方が違うと割りきって、友達と縁を切りたいです。 どうしたら自分に折り合いをつけることが出来るでしょうか?

有り難し有り難し 30
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幸せになるにはどういう心持が必要ですか?

33歳で離婚し2年が経ちました。 1年目は、自己嫌悪と自責の念にかられ、2年目は自分の好きなことをはじめようやく離婚した自分を受け入れることができるようになりそして歩き始めることができたところです。 この2年間は、自分について、これからの人生について考える良いきっかけにはなりました。 そんな中、自分は死ぬときにまあまあ幸せだったなと思える人生にしたい。 離婚する時は、一人で生きていく覚悟で決断したのですが、いざ一人になりこのまま本当に一人で生きていて幸せだと思えるのかという不安がでてきました。 私が考えるまあまあ幸せだったと思える人生とは、生きた軌跡をしっかり残せたときなのかなと今は思っています。 一人で生きて幸せだったと思える人生にするには、国民に影響を与えるほどの大きな実績を残せる人になれればそうなれるような気がしますが、私にはそんな力量はありません。 そう考えたときに、私にとって子供をしっかり育てあげることが一番の幸せにつながるのかなと思います。 その次の幸せは、子供がいなくても一回目は築けなかった、次なるパートナーとお互い切磋琢磨して生きることだと考えています。 そんなことを考えていると、バツイチの私が再婚を望んでもいいのか、それを口にしてもいいのか、自分から好きになっても良いのか、そもそも再婚できるのかと元気になりかけていた気持ちがまた沈んでいきます。 それでも、前に進まないととは思うのですが‥ まだ離婚した自分を受け入れ、許してあげられていないのでしょうか? 自分でも分かりません。 人生が終着するとき、幸せだったと思えるようするにはどういう心持でいれば良いのでしょうか?

有り難し有り難し 33
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何故戒名をもらったら仏教徒になるという認識は誤りなのですか?

お世話になっております。 柴田秋です。 以前、こちらで葬式をあげてほしくないという質問をいたしました。 戒名をもらった時点で仏教徒になるのが嫌という理由を上げましたが、それは誤りとの指摘がありました。 戒名とは法号のことであり授戒の証、すなわち仏門に入ることのはずですが、何故、戒名をもらうことが仏教徒になるということではないのですか? 少し長いですが、それでも、詳しい経緯をお知りになりたい方は下記をご参照下さい。 http://hasunoha.jp/questions/5942 予想される答えとしては「私はすでに仏教徒である」ということと思います。 一度も同意したことはありませんが… 私が嫌いなのは仏教だけではなく、宗教全般なので、特別仏教がどうのこうのというわけではないので、ご理解ください。 ただ、ガウタマ・シッダールタや、イエスや、ムハンマドなど、一人の人間の言葉の元に集まった集団が起源なのが特に嫌という感じはあります。 神道に言及しているのは、少なくとも私は宗教ではなく、神話扱いしているという理由です。 ギリシャ神話、ローマ神話、ゾロアスター教、それから、特に好きというわけではありませんが、エジプト神話あたりは、私に対して「無害」なので、別に嫌いというわけではありません。

有り難し有り難し 40
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LGBT差別に腹を立てることも煩悩なのか?

私はゲイです。 最近、LGBTの存在が広く知られるようになったおかげで、楽しいことも増えましたが、同時に酷い差別も目だってきました。 もとい、差別は昔からありましたが、ネットの発達によって、いわゆるヘイトスピーチを目にする機会が増えてしまいました。 私もパートナー制度の実現を喜んだりしただけで、虹色のイベントへの参加報告をブログに書いただけで、見も知らぬ人から心ない言葉をぶつけられます。 またゲイとの交流が深まるにつれて、差別で辛い思いをしている人々の話しを沢山聞き、自分と同じ性指向だけに他人事のように考えることは出来なくなりました。 「差別」は他人様がされているのを見るだけでも非常に不愉快ですが、自分が差別されると、その不愉快さは何百倍もします。 だから少なくとも自分は、他の少数派や弱者の方々を差別しないように気をつけていますし、「ヘイトにヘイトで返してはいけない」と自重しています。 でもやはり内心では、はらわたが煮えくりかえります。 いわゆるヘイトをする人には、これを娯楽半分で面白がっている人が少なからずいます。こちらは切実な問題なのに・・・ でも「怒り」は煩悩ですよね。 私は自分を差別してくる人間に対し、菩薩のように接するのは無理です。 私がお不動さんに惹かれるのは、これも理由かもしれません(お不動さんの慈悲の怒りとはほど遠いですが)。 そこで質問なのですが、 仏教でも差別に対しては、「右の頬を打たれたなら、左の頬を向けてやる」べきなのでしょうか? それとも、非暴力、例えば言論等での抵抗はゆるされるのでしょうか? 差別に対する怒りも煩悩であり、消さなければならないのでしょうか? よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 84
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四十九日法要で導師を変えても良いですか

先日父が亡くなり、通夜と葬儀を葬儀社からの紹介である導師にお願いしました。 葬儀の直前、葬儀社の方からの連絡で導師の控え室に参りました時少しお話しさせて頂きました。導師からは供養の仕方やお寺の合同葬のパンフ等頂いたのですが、私がネガティブな言葉で導師の言葉を遮ったり話の腰を折ったとの事で導師から不愉快だと言われ、そのお言葉に総早々に退散致しました。 時間になり導師が控え室から出て来られ皆が着席し、導師は開口一番長女の方と言い合いになりましたと仰ったのです。私は耳を疑いました。導師と言い合いなんてする訳もないです。導師に不愉快と言われたので、それではと席を立ったのです。 家族や親戚には何も話していなかったので、誰も理解できず反応もなかったからでしょうか、導師はそれ以上は何も言わず読経をされました。 でも、終わってから家族にあの意味は何だと聞かれました。私は大切な父の葬儀の時に導師を不愉快にさせてしまったこと、読経の前に導師に言われてしまったことで葬儀を台無しにしてしまい亡き父にも本当に申し訳ない思いで一杯で悲しくて涙が止まりませんでした。 葬儀もせめてもの親孝行だと、金額は張りましたが大手の葬儀会社に手配を依頼して抜かりなく、気持ち良くと思っていたのに情けないです。 葬儀社とお寺の住職の奥様から、導師に何でもご相談下さいとのお言葉に甘えてしまい、結局は導師を不愉快にさせてしまった自分自身が情けなく、葬儀も気持ち良く満足にあげられなかったと後悔の日々です。 ご相談したいのは、戒名を頂いたお寺の導師だから当然四十九日も同じ導師にお願いするべきとの意見が家族にあります。一方、親族に非があっても、導師が葬儀の時に持ち出す言葉ではなかったのではないかとの意見もあります。 私にしても導師が何も仰らなければ水に流して四十九日もお願いするつもりでおりましたが、葬儀をぶち壊しにされたような思いは残りますし、不愉快と仰られたので四十九日に出席する勇気はないです。 今後は亡父の出身の地方のお寺に納骨する予定です。そのお寺に問い合わせましたら四十九日法要、開眼供養、納骨供養など引き受けてもらえるとのことです。 同じ導師にお願いして私は欠席するべきか、或いは納骨して頂く地方のお寺に四十九日法要をお願いするべきか、悩んでおります。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 40
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戒名 院号

祖父が現在危篤状態で、医師から伝えられた余命を過ぎても、奇跡的に生きている状態です。 祖父は昔ながらの仕立て職人で、孫の私に多くのことを残してくれています。 愛する祖父に院号をつけてやりたくて、ご相談です。 祖父が墓を建てたのですが、院号や大姉が多く、墓を建てた祖父に院号がついてないのはやはり気になってしまいます。 祖父が事前に申し込んだ葬儀のセットには、院号の料金は含まれておらず追加の支払いが必要です。 ①いつお坊さんに院号をつけて欲しいとお伝えすべきでしょうか? お坊さんにあってすぐにお願いすべきなのか、戒名をつける前なのか、戒名をつけた後なのかがわからなくて。 ②自分で自分の戒名をつける講習会などや、修行があると聞きました。 意識のない祖父に変わって、孫の私が代わりに参加することで、祖父に院号をつけることはできないのでしょうか? 祖父自身は、負担をかけたくないから院号はいらない!といっていました。 ホームページなどを見ると50万-100万ほどで院号をつけていただけると書いてありました。 学費のために貯めたお金を充てればなんとか工面してやれます。 私の進学を応援していてくれた祖父なので、自分のために貯金を切り崩すとなると、祖父への負担になるのではないかと心配しています。 そのため、なにか別の手が打てないかと考えています。 自分勝手な質問であると思いますが、お知恵をお貸しください。

有り難し有り難し 37
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お坊さんを蛸と掛け合わせて、笑いを取るような掛け軸について

どうしても意味・ユーモア感覚が分からないので、ここでお坊さんに直接質問をさせて頂きます。 いま私は、とある掛け軸について研究をしています。ですが、私は仏教の世界を深く知るようになったのは、つい最近になってからであり、そのせいで仏教世界のユーモアが分かりません。 研究している掛け軸には、掛け軸の下の方に、『十六羅漢のうち十人が水が足首らへんまでしか来ていない海(若しくは川)の浅瀬を渡って、上の方を見上げている』描写があり、左上の方に、『龍頭観音と思われる龍が一匹と、龍の口らへんに、モワモワした煙と共に、お花のような(?)ものを手に持っている着物を着た女性が一人立っている』描写があります。更に、この空の方へ登っている龍には、十六羅漢のうち六人が乗っており、そのうちの一人が釣り糸みたいなもので蛸を海から釣っています。 十六羅漢が川ではなく、海を渡っているのは、蛸が海にしか生息していないからという理由で、海だと推測しました。 この絵には漢詩が付いているのですが、以下のようなものです: 是秋釈子袿第響 無転十六蛸入道 為老先生博祭無事居楽 遊印には→星洲晩漁 と書いてあるはずなのですが(あまりきちんと読めませんでした)、漢詩の意味は全て分かりませんが、ここには蛸入道としっかり書いてあります。 以上のことから、私は、蛸とお坊さんの頭を掛け合わせて、笑いを取るような絵だと見受けました。 が、私の感性では、釈迦の弟子たちで笑いを取るという感覚が全く分からないのですが、ひと昔の日本では(明治・大正あたり)、このようなことはよく起こり得たのでしょうか?またこのような、ブラックユーモア的な掛け軸は、よくあったのですか? ちなみに、私の推測はあっていますでしょうか?(蛸とお坊さんの頭を掛け合わせることで、笑いをとるという感覚) 若しくは、他に何か意味があるのでしょうか? 漢詩の意味も分かりませんが、このセンスが本当に意味が分からなくて、大変困っております。どなたか詳しく説明して頂けますと幸いです。 掛け軸の絵を写真で添付できないので、絵そのもののイメージがし辛いと思いますが、どうぞ宜しくお願い申し上げます。 ちなみに、この掛け軸は、近代に描かれました。

有り難し有り難し 38
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ANESTHESIOLOGIST

麻酔科医の主な仕事は、「体の痛み」を取り除くこと。 お坊さまの主な仕事は、「心の痛み」を取り除くこと。 患者様に寄り添う仕事。 救いを求める人たちに寄り添う仕事。 ほぼ同じようなもの。 もし互いに協力し合えれば、もっとたくさんの人たちを救うことが出来るのではないでしょうか? でも、何だか今、非常に高い「壁」を感じています。 「どちらかだけの世界」として存在しているように感じています。 私は、そんな「偏った世界」や「無意味な壁」を取り除きたい。 「誰でもいらっしゃい!」と人を招いておきながら、互いの中に「分け隔てる壁」を持ってしまっているのではないでしょうか? 窮屈です。 息苦しいです。 全然、開放的ではない。 閉鎖的です。 この「壁」は、これからもずっとずーっと無くならないものなのでしょうか? それだと、せっかくの「ビハーラ活動」もなかなか広まらないのではないでしょうか? こっちはこっち、あっちはあっち。 そんな状態、良いとは思えません。 これは「喜怒哀楽」で言うならば、私にとって「怒」ではなく「哀」です。 このままだと、ここに私のいる意味など無くなってしまいそうです。 助け合いの精神とは…? 「助けたい」 これも「欲」の「煩悩」なのでしょうか? ここhasunohaに来て1か月が経ちました。 去るべきかどうか迷っています。 hasunohaは、とても心地よく素晴らしい場所です。 しかし、何だか… うまく言葉に出来ませんが… 迷っています… 消えた方がラクなのでしょうか…

有り難し有り難し 447
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