人間はなぜ修行しなければ悟れないのか?
ご質問させて頂きますハルソラと申します。
私は禅の思想に感銘を受け、座禅修行を念頭に日々の生活を送っております。
多数の書物やお話から理屈では「なるほど悟りとはこのようなものか」と理解しつつも、お坊さまはご存知の通り、頭の理解でどうにかなるものではなく悪戦苦闘の日々です。
そこで私はふと思いました。なぜ人間はこんなに修行しなければ悟れないのか?…と。
昔、文鳥を飼っていた事がありますが、文鳥は悟っていると思いました。
すべての行動が「作為なく自然体で、ありのまま」なのです。
例えば、指で突っつくと怒るのですが、次の瞬間に手のひらを差し出すと、怒っていた事はすっかり忘れて手のひらに乗って機嫌良くしているし、
晩年は羽の力も衰えて全く飛べなくなりましたが、そんな事を気にしたり落ち込んだりする様子もなく、シャカシャカと素早く走りいつも通りのご機嫌なのです。
動物植物などはそのように「ありのまま」生きている(…と思う私の推測ですが)のに何故に人間は長い間たくさんの修行をしてやっと悟れるか、あるいはそれでも悟れない、という言わば面倒な存在なのでしょうか?
お坊さま方もお忙しい中まことに恐縮ですが、ご教授よろしくお願い致します。
有り難し 42
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