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hasunoha 問答検索結果 : 「お経について」
検索結果: 2994件

男遊びがやめられません

このままで良いのか、 ご意見を伺いたくご相談申し上げます。 僧侶の妻ですが、男遊びがやめられません。 出会い系を利用して知り合い、 お付き合いは基本お一人の方とですが、 やりとりは数名おられてキープしているような状況です。 お相手には寺院の者であることは秘密にしています。 そもそもはセックスレスだったからなのですが、 そのほかにも寺院以外の事業展開のストレス、拡大に伴い夫である住職がほぼ不在、義母の入退院と介護、義妹との不仲などが同時にのしかかり、ある日プチンと切れてしまいました。 いろんな男性に刹那的にでも優しくしてもらえることで、精神のバランスをとっているような状態です。 うつになり死にたくなるよりはマシ、と正当化しています。 不邪婬戒を侵していることは自覚しています。 毎日の本堂でのご奉仕中に心が痛むこともあります。 それでも仏様はわたしを見ていてくださる、と思いながら、表の顔と裏の顔をそれぞれ生きています。 性欲を満たすために始めたことなので、 とてもやめる気持ちが起こりません。 夫は全く気づいておらず、わたしも積極的に夫とスキンシップはしています。 このようなわたしに、ご意見をいただけますでしょうか。 よろしくお願いします。

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オススメの仏教のお話ってありますか?

こんばんは 私は特に信じている宗教はありませんが高校大学と、キリスト教系の学校にいました。学びたいものがその学校にあっただけなので、別にキリスト教を学びたくて行ったわけではありません。 しかし、高校の時、聖書の授業を担当していた先生がとても面白い人でした。 旧約聖書の創世記の初めの「天地創造」の話をしていた時のことです。神が7日かけて世界を創造した、というものなのですが、生徒に向かって「皆さんはこの話を信じますか?僕は、ぶっちゃけ嘘臭いと思っています」と発言なさったのです。 牧師でもある先生がそんなこと言うなんて…と本当に驚くと同時に、「あぁ、宗教そのものや宗教を信じている人は今まで避けてきたけど、意外と身近で面白いのかもしれない」と感じました。 その後もその先生は、カトリックの修道院を体験しに行った話や、絵画とキリスト教の繋がりなど、一般人でも分かりやすいよう教えてくださいました。そこから、私のキリスト教への興味が開かれたのだと思っています。 すみません、ここまでが長い前置きです。 私が質問したかったのは、仏教の分かりやすい(出来れば面白い)お話が何かないかなとふと思ったので、みなさまにお聞きしたかったのです。 物語調のでも嬉しいですし、お釈迦様のこういう話があってね、というものでも嬉しいです。教えていただければ何でも嬉しいです。 お恥ずかしながら、私の仏教の知識は「聖おにいさん」を読んで知ってるレベルですが…。 キリスト教は少し学べたので、次は多くの日本人にとってとても身近な仏教のことも知ってみたいと思うのです。 なにぶん、何もわかりません。この質問もどう聞いたらいいか悩みに悩んで迷走しながら書いています。私が住んでいるのが、お寺が近くにない田舎でして…気軽に聞けるのはここのサイトなのです。 最近hasunohaを見ていて、高校の時の先生っぽいお坊さんがいるなあ、やっぱ宗教者といえど同じ人間、凄く面白いな、もっと話聞いてみたいなあと思いながら色んな問答を読んでいます。 すみません、だいぶ迷走しました。 もしよければ、回答お願いします。

有り難し有り難し 41
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不運続きは霊障でしょうか。

よろしくお願い致します。 プロフィールの300文字制限では正確に書ききれないですが、 詳しく書くと、知っている人は誰か判ってしまいますので・・・ 業界の頂点に登るために、方法を変えながら挑戦しております。 自身で行う代理店で約4年間、累計では5年目になります。 今年始まってから再始動したのですが、 なかなか知り合いやお客さんに会えないので、 新規開拓中心に行っていました。 新規開拓先は主に、お医者さんとお寺さんです(笑) で、やっとお客さんとコンタクトが取れて・・・ というところで、 ・お客さんの仕事がうまくいってなくて無期延期 ・クルマの事故で当面延期 ・契約成立が遅れて給与が減額 ・最短での強制廃業の危機 などなど不運続きで、好スタートが切れない状況です。 さらに、5年間うまくいってないこと等を理由に、 妻側の親族等により、このたび子連れ別居を強行されました。 それまでの期間は、家庭内別居でした。 なんのために頑張っているのか、 なんのために立て直そうとしているのか、 なぜ今この仕事にこだわっているのか全く理解されず、 (以前からの仕事でも理解されませんでしたが…) 孤立無援です。 周囲から理解されて応援されていたら、 当初からよいスタートができたと思います。 それは言ってもしょうがないです。 一般的に知ろうとしない人ばかりだからです。 社会的に意義のある仕事ですので、頑張っているのです。 今だからこそ、正しく知って持っておきたい道具なのです。 ですが、このような状況になってしまいますと、 生きている意義も見いだせず、 3度自殺しようとするのですが、苦しいばかりで…。 最近は、遠方での新たな相談者があり 気分的にも少し落ち着いてはいます。 以前からのお客さん(この方も遠方の方)も 同じ仕事をずっと続けてほしいと仰っていただけるほど、 私には合っている、私だから出来る仕事だと思っています。 身近なところに関してはあまりにも不運なので、 霊障でもあるのではないかと思うのです。 そういうことはありますでしょうか。 仕事さえ回れば、私が抱えている問題は、 基本的に全て解決できると思っています。 最近、気休めになるかと思って、 般若心経を読むようにしました。

有り難し有り難し 63
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女なのか、男なのか。

女なのか、男なのか、はたまた別の生き物なのか。 僕は女として生まれました。 幼い頃は女であることに疑問はありませんでした。 (と云うか、女とも男とも思ってなかったのかも?) 周りの女の子たちに生理がはじまり、胸の膨らみがあらわれるようになった頃です。 僕は僕に疑問を持つようになりました。 僕は女じゃない。 でも、男でもない。 定まらない性が、今も僕を苦しめます。 スカートもいつしか嫌いになっていました。 心の中で男っぽい服装の時は男装と言い、女っぽい服装の時は女装と言っていました。 女で生まれた以上、それを捨てることはできません。 胸も膨らんでいれば、生理もあります。 それがとてつもなく辛い。 胸を切り落とし、腹を切り裂いてやりたい。そう思うこともあります。 これが生きているのが辛い理由でもあります。 両親にはほぼ何でも話すので、このことも知っています。 一人称はその時によって違います。どれもしっくりしません。 僕、私、ウチ、おいら、自分、俺、色々ですが、まだ僕がマシなので今回は僕にしました。 一人称を定めたいという訳ではないです。 男とか女とか別にして、一人の人間として生きればいいというのは分かっています。 でも、この体でいるのが辛いのです。 何かアドバイスを頂けると嬉しいです。

有り難し有り難し 46
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彼が突然亡くなりました

初めてご相談させていただきます。 約1ヶ月半前に、3年間付き合ってた彼が、突然亡くなりました。 私たちは還暦を過ぎた熟年同士。 私は独身、彼には家庭があったため、そのことを私が知ったのは、亡くなった5日後でした。 彼とは、だいたい月1~2回会って、その間LINEのやりとりは頻繁にしていました。 そうこうしているうちに、ある日、LINEを送っても既読がつかず、翌日も翌々日も同じ。 今までそんなことは一度もなく、電話をかけるのも怖くて心配していたところ、共通の友人から、彼が急に心疾患で亡くなった、との連絡がありました。 最近の彼は、しんどいと、少し元気がなく、気になってました。 それなのに、私は何の力にもなれなかった。 彼が亡くなったなんて、私はまだまだ信じてないし、受け止めることもできません。 今は、しばらく会えない時期なんだと、たまたま連絡がつかないんだと、毎日泣きながらも、自分をごまかして、なんとか過ごしています。 私の一番大切な彼がもういない。悲しくて悲しくて、どうしようもなく辛いです。 仕事をしていても、笑うことができず、他の人とコミュニケーションがとれません。 ただ、私たちの関係を知ってる二人の友人に支えられています。 でも、励まされても、慰められても、友人は彼の代わりにはなりません。 私たち、ほんとに幸せで楽しい二人の時を過ごしていました。これからもずっと、この関係は幸せのまま続くはずでした。 彼に会いたい。彼に触れたい。声を聞きたい。抱き締めてほしい。 一日でも早く彼のところに、会いに行きたい。 今すぐ私も、彼と同じ病気で逝きたい。 夢ではなく、ほんとの彼にいつか会えるでしょうか? こんな関係でも、私が逝くときに、迎えに来てくれるでしょうか? 今、それが一番の気がかりです。 まだまだ彼とのことを、過去の思い出にはしたくありません。

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何か一つ人に誇れる事・自分らしさ

私は今までなんとなく生きてきました。なんとなく生きてきても何も思いませんでした。 しかし、最近(といっても半年前ですが)こんな人生でいいのかと感じるようになりました。 私は音楽が好きで、聞くのも、演奏するのもすきなのですが、ある日音楽を聴いていると、何か一つでもだれにも負けないものを持っておけ、といったような歌詞がありました。 私は今まで、なんとなく生きてきて、そんな事一つも考えた事がありませんでした。 大学の願書にも自分の特技を書く欄があり、その時は「楽器を演奏すること」、と書きました。しかし、大学に入り、より広い社会に出ると、やはり楽器を演奏することに対し、上には上がいて、どうしても越えられない壁がありました。その度に私は自信をなくし、本当に自分の特技なのか、人より誇れる事なのかと思ってしまうのです。 そう考えてしまうと、どんどん悪い方にばかり考えてしまい、自信がなくなります。 楽器を演奏することを生業としたいわけではないです。ただ、何か特技があっても上には上がいてそれを特技と呼べなくなってしまうのではないかと考えてしまう事にとても悲しくなってしまいます。 他の人にすごい人がいるから自分は必要とされないんだ、と思ってしまいます。 自分らしさってなんでしょうか、それが例えば何か一つ人に誇れるものであったならば、それを見つけるためにはどのようなことに気をつけていけばいいでしょうか?また、どのような考え方をしたら良いのでしょうか?教えてください。

有り難し有り難し 69
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動物虐待

こんにちは。 最近、未成年だから身元が割れないと思い未成年の子供達が力も無く生きる術も人間をたよわざる得ない小さな動物の虐待が増えて来ています。 今もSNSで安否確認して、レスキューしようとしている方が居ます。 絶対助けたい。 私は元々、動物が大好きで小さな頃から一緒に暮していました。 親達が 「犬は外!」 と捨て犬だった犬を庭に係留しようとした時に…。 私は家の中から、自分の枕とお気に入りの毛布を持って来ました。 「じゃあ、私も外!だって、この子は私の妹だもん!」 毒親の実父、初孫に甘い祖父、動物が好きではないが孫の言う事には従う祖母…絶句。 こんな行動を起こした物ですから、あの時代にミックス犬のお座敷犬になりました。 留守番が全く出来なかった私が、犬と一緒なら平気と留守番できるようになりました。 その犬も最後は、毒親の身勝手な再婚で何度も保健所行きになりましたが、私が全部阻止して親戚の叔母の家にお願いしました。 寿命を迎えて昇天してしまいましたが…。 今も私は沢山の犬猫、小動物に囲まれて暮らしております。 世話は大変ですが、それ以上に幸せと楽しみを浴びるように貰って居ます。 (たまに派手な悪戯されてしかる時も有りますが) 動物を虐待した愚者達の魂        と 動物を慈しみ可愛がり大事にして来た者の魂 これはどういう風になるのでしょうか? 天国と地獄、そんなありきたりな言葉では無く…。 詳細にどうなるかとか、魂の浄化?的な事はどうなるんでしょうか? 因果応報などと言う言葉も有るので、気になるんです。 私は動物保護(自分の出来る範囲)をしていますが、動物からの見返りなんて求めておりません。 一緒に居るだけで幸せです。 が、肉食をする人間と菜食主義の私。 色んなとこで、【殺生や虐待する他人】と違うはずと思ってお坊さんに質問を出させて頂きます。 宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 151
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無宗教に近い人間が仏像を作る事について

はじめまして。唐突ですがほぼ無宗教の人間が仏像を作る事は罰当たり、または仏様への失礼にあたりますか? 海外でアート関係の仕事をしており、締め切りやミスなどによってストレスを感じる事が多く、最近ふと机に仏様の優しいお顔があれば落ち着いて作業ができるのではと思いました。 ただ現地で購入できるのはア◯ゾンや得体のしれないウェブサイトでの仏様ばかりで、ほとんど信仰心のない私としても不安です。 それならばアーティストである自分で制作すればいいのではと思ったのですが、文頭の通り勝手に作るのは大丈夫なのだろうかと気がかりです。しかも素材が木ではなくプラスチックのような物になってしまいます。 また仏教や仏像がほぼ無知識だったため色々とハスノハを含めて調べさせていただいたところ、開眼の儀やそもそも偶像崇拝ではない事などを知り余計に「落ち着きのある顔」を求めて側に置くのはよくないのかなとも思っております。 また完全に無宗教とは言えないので亡くなった父や祖父を思ってたまに開眼供養していないのに拝んでしまうかもしれません。インテリアとして割り切る事は難しいと思います。 日本にいつか帰国した時にちゃんとした仏像を購入できるかもしれませんが、それはそれで魂の入った仏像をあまり拝まないのは申し訳ないです。 この質問が仏様や僧侶の方、仏教徒の方への失礼にあたらないといいのですが、もしそうでしたら申し訳ありません。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 15
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仏教における女性蔑視?はいつから?

毎度お世話になっております。 お坊さんと匿名でお話ができるというのがなかなかに楽しくてつい頻繁に利用してしまいます。 私は僧侶ではありませんが、仏教のことを、ちょこっとずつですが勉強するのが趣味なんです。この趣味がなかなか共感されないんですよ。 今回はちょっと学問的な質問を。 タイトル通りですが、仏教の教義では女性を蔑視、と言えるかどうかは分かりませんが、宗教的素質の低い存在であると見なしているということが、現在どうかはともかく、歴史上にあったことは間違いないと思います。 そのような考え方がいつから、どこから出てきたのかな?という質問です。 いわゆる初期仏教で既に宗教的素質に男女差はあったのでしょうか。 大乗仏教に入ってからなのでしょうか? 大乗からだとするとインドから? 中国から? そのあたりのことがちょっと知りたいです。 よく女性蔑視として挙げられる例として、たとえば五障とか変成男子とかいう言葉は、ウィキペディアを見る限りではお釈迦様の思想ではない、となっていますが、初期経典などに同じような考え方は全く見られないのでしょうか? 一応強調しておきますが、現在の仏教が女性差別に加担しているかどうかという話ではなく、また戒律の数や教団の違いといった現実的な差異ではなく、あくまで悟れるか悟れないのか、という宗教的な素質に関わるところの差が、どこからあったのかな? ということです。 詳しい方がいれば、ちょっとした参考でも教えてほしいです。

有り難し有り難し 86
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