hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
hasunoha 問答検索結果 : 「私 縁 後悔」
検索結果: 2460件

我が子を小さく産んでしまったことへの葛藤

見ていただきありがとうございます。 先日第一子の女の子を出産しました。 妊娠中はただただ幸せで、産まれてくる子のことを心待ちにしていたのですが、 妊娠後期に高血圧になってしまい、1ヶ月近く入院した上正産期前に破水し、産まれた子の出生体重は2000gを下回っていました。 赤ちゃんはNICUに入院することになりました。 産後の入院中は母子同室は叶わず、毎日違う担当の看護師さんに赤ちゃんが小さいから一緒に退院できませんね、残念でしたねという言葉をかけられ、悔しくて1人部屋で涙しました。 今は赤ちゃんも退院し、小さいながらも成長してくれており、とても可愛く愛おしいです。大好きです。 ただ、まだ標準の体型までは届かず、焦る気持ちもたまに顔を出してしまいます。 そんな時に、 体調の管理も自分なりにしていたのに、 妊娠初期からお墓参りも頻繁に行って守ってくださいとお願いしていたのに、何故我が子を普通に産んであげられなかったのか…なんでダメな母になってしまったのか… という疑問が頭から離れなくなってしまうことがあります。 家族や周りから、赤ちゃんが小さいことをフォローしてもらっても、自分が普通に産んであげられなかったと再確認するようで、その話題に触れないでほしいとムッとする気持ちにすらなってしまいます。 誰も悪くないことは重々承知しております。 気持ちの落とし所をつけたい時、どのようにすれば良いのでしょうか。 どうかご教示ください。 拙い文章で失礼致しました。

有り難し有り難し 26
回答数回答 3

突然死した魂の声

初めて投稿致します。 先月、職場での暴言・いじめに加え過労の挙句主人が 突然死しました。 医師が判断した死因は「心筋梗塞(虚血性心疾患)」でした。 朝6時半に家を出て帰りは午前様。 月~金の勤務に、土曜日出勤も加わり更に酷いと日曜日も 仕事をしていました。 仕事のミスはお前が悪いと罵倒される。 自分が手を動かすのではなく若手を使えと言われていましたが、 実際はその上司は若手全員をつれて毎晩飲みに 連れ歩いていたそうです。主人が指示を出そうとしても、 会議から戻れば職場に人はおらず、仕事のミスの責任だけ 押し付けられ長時間労働を強いられていました。 完全なパワハラで、罵倒・暴言が毎日数か月続き 私の想像を絶する精神的ストレスを抱えていたと想像しております。 亡くなる前日は25時半に就寝、4時半に起床。 睡眠時間3-4時間程度で出社しました。 当日の夜は送別会でした。 少し顔だしたら帰るよ、とメールがありましたが 恒常的な睡眠不足と過労のため少量のお酒で帰宅出来なくなり、 会社の寮に泊まった翌日に帰らぬ人となってしまいました。 主人の手帳には4月の予定が書きこまれており、主人の誕生日や 旅行へ行こうという約束もありました。 亡くなってしまうとは本人も思っていなかったと思っております。 数か月間、働き過ぎて肉体の限界が分からなくなるまで 精神的に追い込まれ挙句の果てに突然死してしまった主人の魂は、 どうしているのか知る方法はないのでしょうか。 毎日遺影に話しかけていますが気が狂いそうです。 数回夢に現れました。 昨日の夢は、過去に戻り(これから亡くなる事は言えないけど) 体が心配だから検査入院して!とお願いしたら 本人は「痛いじゃーん、怖いじゃーん」と笑顔で回答していました。 結婚してから単身赴任が2年以上続き、やっと自宅から 通える職場で新婚同様でした。 葬儀は済ませておりますが、まだ納骨もしていませんし 戒名もついておりません。本籍地で葬式を行う予定です。 主人と会話する事は出来ないと思いますが、 遺影に話しかけてる事や私の想いは通じるのでしょうか。 生きる意味すら分からなくなりそうです。 何かアドバイスがありましたら、お願い致します。

有り難し有り難し 32
回答数回答 2

世界が無くなれば良い

地球の寿命はあと50億年と天文学では言われています。 つまり今ある社会や生物等は全て無になります。無価値となります。 世界では毎日のように苦しい事が起きています。 それを否定してこの世界は楽しい!と言っても地球は消滅します。 世の中には嫌な事ばかりあります。 常に人類だけでなく昆虫も動物も生ある物全て絶滅すれば良いのにと思っていますがそれが50億年後には事実となります。 つまり無価値な世界で盲目的に何の目的もないままみんな生きて行動してるわけです。 私にはまだ寿命がありますが、この世界に貢献したい気持ちもありませんし、人に優しくする動機も気持ちも喪失しました。 何故かというと怒りがあるからと思います。 それは生まれてきたくなかったのに生まされてこの嫌な世界を嫌というほど体験してるからです。 でもそれは良くないという気持ちが出て苦しくなります。 それに他人に対して危害を加えても罪悪感が出るので全く他人には迷惑をかけずに生きてます。 しかし他人に危害を加えて儲けたり稼いだりする人が世の中には腐るほどいます、例えば不動○産業界とか人材派○遣等の企業は人を搾取したりしていますよね。他人を搾取して平気な人が世の中に腐るほど沢山いて、私は世界は滅びれば良いという気持ちがあるのに他人には危害を加える事すらできない弱者という気持ちがあり何にも他者に利益や貢献を与えられず危害を加えることも出来ずに生きて、この世界を恨んで怒りをあらわにしてるのが苦しいです。

有り難し有り難し 220
回答数回答 5

ターミネーターか人間のどっちかなのか

死刑制度についての質問をさせていただきます。 僕は死刑制度に賛成です。理由は一つで、犯罪への抑止力となっていることと、今までそれで社会が成り立っていたのだから急に廃止することで世の中が混乱するからです。 でも、このままでいいとは思っていません。僕が思う死刑によるデメリットは、 1.刑務官(死刑執行人)への精神的ダメージ(たぶん) 2.死ねば更生するチャンスは二度とない 3.死刑制度は国民の国家に対する甘え 4.死刑囚の国(?)への恨みは他の誰かが相続すること、 つまり殺意は死なないということ →3国家に対する甘えについては、国民が国家に殺してもらうだけでは誰も成長しないのではないかと思ったからです。結局は現状維持で、また同じ苦しみが繰り返されるから、殺人者に共感する能力が育たないまま。 そこで、死刑制度を新しくすることを考えてみました。2と4は変えられないので1と3について解決策を考察しました。 それは、「刑務官(死刑執行人)の仕事が減り、遺族または志願した者が死刑執行代理人となり国の代わりに死刑執行のボタンを押す。代理人は遺族を最優先とすること。死刑執行の一週間前までに5人を死刑執行代理人と決定し、決定してから覆せない」というものです。 つまり、『明らかな人の殺意によって死刑を執行する』という案です。 こう考えた理由は、 A.国に殺人を止める力は無いから。死刑制度は抑止力としてもう限界まで来ていると思う。 B.死刑囚は遺族の悔しさ、怒り、憎しみ、恨み、殺意を真正面から受け取るべきだと思ったからです。(理由は、なにより殺して欲しいと望んでいるのは遺族だから、その殺意が伝わればいずれ更生するための種になるかもしれないから。そもそも国に殺意は無いから。) 前回の問答の後、他の国と比べてみて考え 、死刑が無くても穏やかな国になるが一番いいのではないかと考えました。それに、今ある社会正義は必ず崩れ去るものだと思っています。 でもそんなこと出来やしないので、死刑囚の殺され方なら変えられるのではないかと思いました。僕はターミネーターか人間に殺されるなら人間を選びたいです。(笑) もう何が正しいのか分かりません。 いろいろ間違っているところもありますが、ご回答頂けたら幸いです。

有り難し有り難し 26
回答数回答 3

「生きていく」ことがとても長く感じてしまいます。

高校2年生です。 部活にも熱中していて、友達もたくさんいて、家族の仲も良く、勉学にも困っていないのに、最近「生きている」とは何なのかを考えてしまいます。 朝起きたときに「ああ、今日も生きているな」と考えるのですが、どちらかというとそれが生きていてうれしいという感情ではなく、この世界でまた生きていくんだなという、何となくの面倒さをもった考えのような気がするのです。 何にもやる気がないというのではありません。勉強や、もちろん趣味に対する努力も嫌いでなく、しっかりやってきたから今の自分があるのだと思います。 確かに大学受験のために予備校を考え始めていて、1年間しっかりやっていけるのだろうかということがストレスになっているのかもしれません。 自分はまだ両親の半分も生きていないのだと考えると、この先とても長い気がしてくるのです。 さらに、この先それが辛さに思えてしまい、自殺してしまうのではないかという気さえします。それが一番怖いです。 もともと好奇心旺盛で、この先やりたいこともたくさんあるのに。 楽しくやっているのに、頭の片隅でこういうことを考えて1日を過ごしてしまう自分を変えたいです。どうしたらよいでしょうか。

有り難し有り難し 53
回答数回答 5

報いについて

ずっと心に気になっていることがあり、お伺いします。よろしくお願いします。28年前に結婚し、マンションに野良猫がよく来ていたので、餌を与えていました。離れているぶんには逃げないのですが、手を出すと逃げていくような関係でした。でもある日、とても雨がひどい日のことでしたが、その猫が具合が悪いのか濡れそぼってやって来て、部屋に入りたがりました。今まではいくらこちらから近寄っていってもさっと逃げて行っていたのに、猫のほうから部屋に入れてと言うように鳴きながらやって来ました。私は長女を妊娠中で、お腹の子への影響を気にして(猫が持っている菌による奇形)可哀想と思いながらも入れてあげませんでした。猫はしばらく鳴いていましたが、どこかへ行ってしまいました。いくらお腹の子への影響が心配とはいえ、ひどいことをしてしまったと、この時のことが心から離れません。思い出すと、心が痛く、自責の念から逃れられません。長女はトラブルメーカーで何かと心配事を次から次へと起こし、実家を離れて一人暮らしをしている妹も姉の愚痴を聞くの嫌だから帰って来たくないと言います。長女がこのようなのは、あの時助けを求めていた猫を見捨てた報いなのでしょうか?

有り難し有り難し 29
回答数回答 3
2025/07/07

死んでしまいました…

父が、死んでしまいました。 あんなに元気だったのに、検査もしていたのに、病気が判明してからは、わずか2か月ちょっと。驚くほどあっという間でした。 こうなることが怖かったから、話をしようと言ってきました。でも、その言葉を正面から受け止めてくれることはありませんでした。 父は本当にすごい人ではありました。地域のボランティアもたくさんしてきました。父が始めたプロジェクトは今もたくさん残り、地域の絆も生まれました。こんなに地域の人がたくさん集まったご葬儀は初めてですと、葬儀場の方に驚かれました。お父さんには本当にお世話になったと、見知らぬ人から何度も声をかけられました。 父にあてた相談の電話を、子供の頃から何度も取り次ぎました。呆れるくらい、ずっと話を聞いてあげていました。 辛いとか苦しいとか、そういう愚痴めいた言葉はとうとう最後まで一度も聞いたことがありませんでした。もうかなり痛みがあると思いますと、お医者様にも何度も言われました。亡くなる直前まで、毎朝ぴしっと背筋を伸ばして起きてきて、自分で身支度をして、おはようと言って起きてきました。 体力を振り絞って、最後に庭にでた日にしたことは、花を植えることでした。この花が、春になるときれいに咲くよと笑っていたそうです。父が亡くなってから、きれいに咲き揃いました。 皆がもっとのびのびと仕事ができるようにと、父が改革をしたときは、現場からは大歓迎の声が上がりましたが、前任者の方には激しく罵倒されたそうです。周囲もかなりはらはらしたそうですが、父は最後まで見事なほど穏やかに対応したそうです。大丈夫だったの?と母が声を掛けたら、「俺はこんなことではくじけんよ」と、そう言って笑ったそうです。 昔、私が学校に行けなくなったことがありました。毎日の生活を何一つ変えない父でしたが、家に閉じこもる私を、黙って職場に連れて行ってくれました。仕事を黙々と手伝い、父の行きつけのお店でお昼を食べ、午後もまた仕事をして帰る、そんな毎日でした。特に何かを話したわけではないですが、あの時間だけは、ずっと感謝しています。 おれはじっとしていられる性格じゃないから、向こうでも、また何か新しいことを始めるよと、最後はそう言って旅立ちました。 もっともっと話がしたかったの。 そう……わたしはただ、あなたともっと話がしたかった。 なぜ、もういないのですか?

有り難し有り難し 44
回答数回答 4

哲学専攻の友達に論破されてしまいました。

 僕は日々陰鬱に生きていて、変わらなければならい節目を迎えた時、生きる意味について考えるキッカケを授かりました。生きる意味というか、今、生きているということに納得する理由がほしくて。僕はその理由をなんとなく自分の中に見出しました。  それは「人は善を為そうとし、真に為し得ない。優しくあろうとし、真に優しくあれない。愛そうとし、真に愛せない。」その善を為そうと、優しくあろうと、愛そうと努力することこそが生きる悦びだと、僕はそう納得していました。そしてその「生きる意味」を職業(カウンセラー、精神科医、臨床心理士、お坊さんなど)にしようと、大学を入り直すことさえ考えました。  しかし、その友達は、僕の生きる理由を「現実を決済する」こと、僕が信じる「美しいものを美しいものだと感じる心そのもの」を妄想と否定し、浄土、成仏の存在を真っ向から否定しました。  僕は、その友達の考えを否定することはできませんでした。かといって僕の本来持っていた考えを否定する気を起こそうとも思いませんでした。  またある人は「誰かがあなたに、本音や弱音を告白しているときに絶対に言ってはいけないことがある。正論です。」と言いました。  浄土、仏性、成仏は、そして仏教は、自己満足させるためだけの嘘なのでしょうか?美しいものを美しいものだと感じる僕のこの心は妄想でしかないのでしょうか?  それは僕が在る、と考えれば在る、のだと信じておりますが、僕はこの途方もないやるせない気持ちをどうにかしたいのです。  僕は恐らくこの(実存哲学?という)正論を信じると一生不幸だと思い、しかも僕はそれに対してどうしようとすることもできないのです。  僕は、仏様から授かった自分の寿命を全うするために死ぬまで生きようと思っておりましたが、その考えが不安定にならざるを得ないのです。  僕はこの儚い気持ちにどう向き合えば良いのでしょうか?お智慧をお貸しください。  長く稚拙な文章となってしまい申し訳ありません。また仏教思想を自分勝手な解釈で捉えております。それは違うというところ、誤解があれば、感謝と敬意をもってお説教を受け賜わります。 便宜的に、思想的に、僕はその人を友達だと書きましたが、本当はツイッター内において、フォローフォロワーの関係にすらなっていない、赤の他人です。 (´・ω・`)...

有り難し有り難し 82
回答数回答 4