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検索結果: 2520件
2021/07/24

不倫が終わった後の人生

先日、7ヶ月お付き合いしたW不倫の彼とお別れしました。 不倫は二度とする気はありません。 今は辛い気持ちも少しありますが、わりと元気に過ごしています。 相談したい内容なのですが、今、人生がとてもつまらないものに思えてきてしまいます。 ただ、普通の日常に戻るだけです。ずっと結婚生活10年歩いてきた道。 不倫をしていた七ヶ月間、苦しい時もあったのですが、毎日が幸せで仕事も子育ても夫に対しても本当に楽しくて色んなことが前向きにできていました。 彼と会ってない時間は家庭のことを全力でやろうという気になっていて、自分に関しても向上心がありました。夫にも、彼と会ってたときのほうが、この人を絶対に幸せにしようという気持ちでいっぱいになっていて、 今回別れて油断して夫に疑われてしまいました。ごまかして誤解だと納得させたのですが、夫の元気がなくなっています。結婚して10年本当に夫には酷いことをされ続けましたが、ずっと夫に全力を注いできましたが今は正直めんどくさいのです。好きには変わりないんですけど 子供は3人中2人が障害者。夫も発達障害です。 子供に関しては本当に将来どうなってしまうのだろう、この子はという思いです、毎日毎日。 七ヶ月間、楽しいことがあり、自分の好きなように生き、やることは全力でやろうと前向きに家庭のことに取り組んでいたのですが、 今は私の人生、やらなければならないことをのみする人生と思ってしまってます。 普通に過ごしてます。毎日やることこなしてますが、つまらない、これをこなしていってもなんになるのって。 勝手なこと言ってるのは分かってます。 でも、人生ずっとこんなんなんですかね。。 不倫前はこんなこと考えもしなかったです。 子どもたちや夫のこと私の理想があり、それに向けて毎日試行錯誤して自分は絶対に幸せになるんだって前向きに取り組んでました。 今は別れたばかりだからなのでしょうか。たんたんと日常を過ごしていたら元の自分に戻れますかね。

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僕に浄土宗檀信徒たる資格があるでしょうか

浄土宗を信仰していますが、先日ショックな文献に出会ってしまいました。 二祖・聖光房弁長上人の念仏名義集に 「臨終行儀と申すは一期の大事是に過たる無きたり。世の中の人の往生したるぞ、悪道に堕たるぞと申す事は、此の臨終にて知るなり。臨終の吉き人は往生したると知る、臨終の悪しきをば悪道に落ちたりと知るなり。」 とあります。 これはどうしても納得できません。日頃念仏をしているのにろくでもない死に方をした人が一人でもいたら、「念仏すれば阿弥陀仏は救ってくださる」という教えが崩れてしまいますし、現実的にそういう人が今までに一人もいないとは思えません。 念仏していたって死ぬ時に正念を保てるとは限らないし、保てていたとしてもこの目に来迎を見ることができるかはさらに自信がありません。来迎を見れなければ浄土に往けないと思うと、物凄い恐怖の中、死んでいかなければならないのではないでしょうか。 弁長さんなんでこんな暴言吐いちゃったの!?って気持ちです。 そんな疑問を抱えたまま時宗を勉強していたら、時宗では臨終とは死ぬ時だけを指すのではなく一瞬一瞬を臨終と心得、今この時に唱える平生の念仏がすなわち臨終の念仏である。 来迎が見えなくても三界虚妄のこと、惑障が邪魔をして見えないことだってあるが気にしなくていい。必ず往生できる。という教えに出会い、これだ!と思いました。 じゃあ時宗に改宗したらいいじゃんと言われそうですが、この弁長さんの発言以外は浄土宗が好きで、敬愛する徳川家康公と同じ宗派ということに魅力を感じています。時宗総本山清浄光寺より知恩院の方がずっと近くて行きやすいですし、何より近くに時宗の寺院がありません。 そこで、浄土宗檀信徒のまま、都合のいい所だけ弁長上人の言うことを無視して一遍上人の思想を取り入れるということをしてもいいでしょうか? それでも浄土宗檀信徒を名乗る資格があるでしょうか?

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お坊さんの戒律に関する質問です

僕は来年僧侶になる予定の高校生です。 お坊さんの戒律の現状に関して皆様の意見を教えてください。 明治以降、国の政策によってお坊さんは肉食、世帯、飲酒、その他諸々の戒律を守らなくてもよいことになりました。 そして国家の規定による持戒は戦後の信仰の自由の徹底化によって可能性はほぼ無くなりその状態は今現在も続いています。 以前こちらでも活躍されている大慈さんの配信で僧侶の肉食、世帯に関する質問をしたのですがその際に ・肉食は栄養の問題で必要だし仏教の教義としても問題ない ・世帯は無条件の良い事では無いが寺を継ぐ後継者を育てていくためにも必要 ・これらの問題は全てを解決できる答えが無いから考え続けることが大事 という様な答えを頂きました。 僕も大慈さんのお考えに感銘を受け、すぐに結論を出さすこの問題に向き合う事にしました。 しかしすぐに結論を出さないという事は問題に向き合う事に消極的になるという事では無く様々な意見、主張を聞き考え続けることだと思います。 そこでここにいらっしゃる僧侶の方々の肉食、世帯に関する意見をお聞かせください。 また、大慈さんは戒律の問題を一括りにはせず肉食と世帯を別の理由でもって語って下さいました。 確かに一つ一つ事情は異なっているので僕も個別に考えようと思います。 そこで肉食、世帯に加えて飲酒や金銭に関する問題もお伺いします。 今現在の僕の意見としては、しょうがない理由のある肉食や世帯と違い嗜好品としてのお酒やお寺を支えるため、生活するため、将来のための貯えを超えた過度な儲けと散財はある程度宗派、教団で規制してもいいんじゃないかと思うのですが皆様はどうお考えですか?

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