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検索結果: 973件

どうしても考えてしまう

前回も回答ありがとうございました。 今では前回よりもだいぶ前向きになれました。 私は今でも死ぬのが怖いです。 人はいずれ死ぬ。わかってます。理解もしてます。 できれば、おばあさんになるまで生きて今世に悔いがないように生きたいと思っています。 ですが、最近頭から離れないのは、災害での死です。 私は、東京に住んでいます。 いつ来るかもわからない、そもそも私が生きているときに来るかもわからない首都直下型の地震に怯えています。 今は建物もだいぶ強化されていて、被害は予想よりも少ないかもしれない。実際被害は予想より少ないかもしれない。 被害にあわれる方も、考え方が悪いかもしれませんが、一握りだけです。 最近は、その一握りに入らないように精一杯生きていこうと思っています。 ですが、もし建物が倒れてきてつぶされてしまったら、火災に巻き込まれて死んでしまったら、水害に巻き込まれて死んでしまったら、予想よりも被害が大きかったら。 最悪なケースしか考えられません。自分が生きている未来が見えません。 死んでも、死後で昔一緒に暮らしていた愛犬や愛猫、おじいちゃんたちが迎えてくれるかもしれない、そう考えると悪くないかなと考えることもあります。 でもやっぱり怖いものは怖いです。死ぬときのことを考えすぎて日々しんどいです。 想像するだけでも火災は熱いし、水災は苦しいし、潰されるのは嫌だし。 死について両親に言うと「考えるからだよ」「身近な人がいなくなると怖くなくなるよ」と言います。友人は「その時にならないと分からなくない?」と言います。言っていることはわかりますが、怖いものは怖いです。 一か月ほど前までは、周りの人と同じように楽しく暮らしていたのに、コロナで暇になった今、こういうことしか考えられなくなりました。 少しでも心を落ち着けるにはどうしたらいいでしょうか。前向きに生きたいです。 相変わらず読みにくい文章ですみません。

有り難し有り難し 21
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死ぬことを受け入れたい

度々いろんなお坊様のいろんなご意見を読んでは参考にさせていただいています。 一つ最初に私はあまり信心深くなく、こんな時だけお坊様や仏様の慈悲にすがる浅ましさをお許しください。 かれこれ15年、「死ぬのが怖い」発作に苦しんでいます。 きっかけは祖母の死でした。 当時中学生になりたての絶賛反抗期で、親ともうまくいかず、勉強もうまくできず、何をやってもむなしい、いいことも何もないし死にたいと思っている最中の出来事でした。 自分がいかに死を簡単に考えていたかを身に沁みて理解しました。 悲しみよりもずっと大きく、死んだらどうなるのかという恐怖と、自分が自分でなくなり消えていく恐怖が襲いました。 悲しみよりも我が身の可愛さが先に来た自分が情けなく思いましたが、その恐怖は今もなお私を苦しめます。 必死にその恐怖を押し込めて、忘れ去ろうとすることしかできません。 親には相談できませんでした。 当時の憔悴しきった様子から、自分が何か心配をかけるような真似はできないと思いました。反抗する回数も少し減ったと思います。 その時に適切に恐怖心を処理しなかった代償か、今もふとした瞬間に目の前が真っ暗になり、足元からさーっと冷気が這い上がるような恐怖で吐き気がすることがあります。 お風呂に入っているときが一番その発作が起こりやすく、全くお風呂が安らげる場ではなくなってしまいました。 かといって人間皆いずれは死ぬのに、怖がっていることが恥ずかしく、心療内科の先生(以前適応障害を患い通っていました)にもカウンセリングの先生にもうまく伝えることができませんでした。 とにかく自分が自分でなくなり、何もわからない世界に行ってしまうことが怖くてたまりません。 そして私がいなくなった後も永遠に時間が続き、地球が滅び、宇宙が滅んでいくと考えると、手足の先が氷のように冷たくなって正気を保てなくなります。 お坊様達のご意見が聞きたいです。 お坊様達の世界の捉え方、仏様の世界を知れば、この恐怖から解放され、無事に死んでいけるのでしょうか。 親(二人とも60前後でまだ元気ですが、)が死ぬことも最近は毎日のように頭をよぎり、人間が物言わぬモノになっていくことが悲しく苦しくてたまりません。 身勝手な相談で申し訳ありませんが、どうか少しでも死ぬまでに心やすらかに人生を送れるようなヒントを頂けますと幸いです。

有り難し有り難し 73
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無性に死にたくなります

はじめてこちらで質問をさせていただきます。 わたしは12歳の頃から死というものをよく意識するようになり、定期的に虚無感や死に対して憧れるようになり、今年29歳の年になりました。 両親健在で今の今まで不自由なく育てていただきました。社会人になり、一般的な生活は自身の給与で送れています。友人はとても少ないですし、恋人といえる人もいませんが、不自由はなく生きています。 ただ、無性に死にたくなります。 何故だか涙が出てくることが多々あります。 何故、人に嫌われ、迷惑をかけてまで働いて、生きていかなくてはならないのでしょうか。 何故、老後の生活を心配してまで、今お金を稼がなくてはならないのでしょうか。 何のために生きてるのでしょうか。 人並みなしあわせは感じられています。 でも、死んではいけない理由ではないと思います。 わたしが死ぬと悲しむ両親の顔は想像できます。が、わたしが死ぬことはいけないことなのでしょうか。両親には悲しんで欲しくないですが、わたしは消えてしまいたいです。 何故こんなに死に憧れるのかわかりません。 ただ、生きる意味というのがそもそもない気がしてなりません。 両親が亡くなったらすぐに死ねるのに、とさえ思うこともあります。 何故、生きているのか。 何故、死ぬことは悲しまれるのか。 何故、死んではいけないのか。 何故、死は魅力的なのか。 お考えを教えていただきたいです。

有り難し有り難し 9
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家族という呪い

自殺願望で多々ハスノハの皆様にお世話になったものです。これまでさまざまなお言葉を頂いた身で申し訳ないのですが、今一度お力添えを頂きたく存じます。 私はこれまで、「やることが思いつかない」「死ぬという恐怖にかまけることが嫌い」「社会貢献を盾に社会の一部分である個人を殺しうる今の日本の労動環境で生きたくない」といった言い訳をしながら、どうやって死の痛みや人情による自殺の意志のブレに立ち向かうか、ということばかり考えてきました。 希死観念が薄れてきた今、その理由を自分なりに分析したのですが、その結果「家族の不甲斐ない面に執着してきた」という結論に至り、その執着をどう払拭すべきか迷っています。 私の両親は自分が希死観念の悩みを打ち明けた時に「生きててよかった」と言ってくれる人情の持ち主ではあるのですが、父母ともに看過できない欠点があります。 まず、母は祖父母から戦争経験を言い聞かせられたことで過保護で心配性な面があり、食事を作りすぎる悪癖があります。私はそのせいで幼少期から肥満に悩まされたこともあって食事制限と運動を一年ほど続けて体重を10キロ落としたのですが、母はそのことを今も良く思っておらず、帰省時に私が食事を減らして欲しいという度に不機嫌になります。 父は、母よりは精神的に落ち着いてますが、山奥の集落育ちで地域の外との交流が浅かったためか度が過ぎる不器用を見せることがあり、父方の祖母の嫁いびりを咎められず母にトラウマを植え付けてしまったり、効率の悪い仕事ばかりして母を怒らせてしまったりすることがあります。 ただ、私が一番気に食わないのが、こうした問題点を咎める度に「仕事が忙しくてできない」「年のせいで上手くいかない」「人間はお前みたいに強くない」などと言い訳をして逃げ腰になる両親の姿勢でした。私の希死観念は、どうもそうした元来の人の弱さを克服したい、という克己心が暴走するあまり、死の恐怖すら克服しようとしたものではないか、と思っています。 私は、人の内発性を出来るだけ尊重したいと思ってるので、最近は両親に苦言を呈する事は無くなったのですが、こうした両親に対する諦観を野放しにすると、自身の反骨精神がまた暴走しかねないという不安も抱えています。 人道で悩むべきか。修羅道で戦い続けるか。今、選択支の瀬戸際で悩んでいます。

有り難し有り難し 5
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親が死ぬのが怖いです。

私は今大学4年生です。親や祖母がいつか死んでしまうという事実が恐ろしく、不安で仕方ありません。ずっと思っていたことなのですが、今日両親と会って余計にその思いが強く、辛くなって相談致しました。 親は高齢出産だったもので、平均まで生きたとしてもあと20数年です。しかし、母は大病をしていて、1年や2年で死んでしまうというわけではないのですが、そう長くも生きられない可能性が高いそうです。父も生活習慣の面から長生きは難しいだろう、という感じです。 私は両親が大好きで、心の支えであり、いなくなってしまうことを考えると涙が止まりません。祖母に関しても同じで、恐らく両親よりも早く死んでしまうのだと思うと悲しくて仕方がありません。最近は、「私を置いていかないで。一緒に連れて行って」とまで思ってしまったり、いずれ来る別れが辛く、もういっそ自殺してしまおうかとも考えるのですが、その考えが最も親不孝なのは分かってはいるのです。 大学4年生つまり22才で、良い大人になって何を言っているんだ、弱い奴だ。と思われるかもしれません。しかし恐ろしいものは恐ろしくて堪らないのです。どのように考えていけば良いのでしょうか。

有り難し有り難し 82
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死ぬことが怖くて夜も寝れません

閲覧有難う御座います、カテゴリ違いでしたら申し訳ないです。 私は、死ぬことが怖いです。「死」は全く未知の世界なので恐怖心でいっぱいになります。自分という存在が無くなる事、死に方によっては痛みを伴うこと。考えれば考える程、頭が混乱して嫌になります。 夜、寝る時も布団に入ると不意に「死ぬこと」を考えてしまい、寝れません。死ぬ事が怖くて、死にたくなくて、泣いて夜中まで起きている事が頻繁にあります。 死に繋がることも苦手です。地震が起きると身体の震えが止まらず震度3くらいの地震が起きたときは、それから暫くは地震が頭から離れすま身体が揺れてる感覚に襲われます。両親にも「お前の地震に対するビビり方は尋常じゃない」と言われます。 テレビ番組で特集を組まれる、戦争特集。地震特集、殺人事件。なども見ていて不安な気持ちに駆られ、その日の夜は眠れません。 死は、いつか来るもので受け入れなければならない事ですが、私は受け入れる事が出来ない状態です。 精神科で、気持ちを明るくする薬を出してもらうことも可能(?)だと思います。ですが、そうすると薬に頼らないと生きれなくなってしまいそうです。この状態を変えたいです。どうすれば良いでしょうか。

有り難し有り難し 186
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2021/09/30

私の家族関係と将来について

相談を見て下さり、ありがとうございます。久しぶりに質問失礼します。 私は両親が離婚していて今は義父と実母、弟と犬2匹と暮らしています。 また実の両親は7年前に離婚・別居しており、1年前に今の義父と再婚しております。 私と弟は成り行きで母に着いてきてくれたのですが義父と再婚するまでは小さなアパートで貧しいながらも女手一つで育ててもらいました。義父と再婚してからは義父が新しく建てた家で暮らさせてもらっています。義父と母には感謝しかありません。 また実父も離婚した原因(不倫と聞いています)の張本人ではあるものの、親子の縁は切る事が出来ずたまにパソコンの操作などを教えて貰いに行っております。また、実父の父親(私の祖父)には特に可愛がってもらっていたのでそういう面でも親しくしています。それに加えて父方の実家がかなり続いているらしく(自慢になりますが私で12代目らしいです)墓を守らなければならないのですが、それを私が途絶えさせるのも罪悪感でいっぱいです。 まぁこんな感じで幸せに暮らせればよかったんですが、私も大学生になり将来のことを考えなければならなくなってきたのですが実父、実母、義父の3人の介護や仕送りのような補助などのことを考えるととても不安になります。 それに、わたしにもし子供が出来た時、実父側と実母・義父側のどちらにつくかを選ばなくてはならないかと思います。実母・義父を選べば実父側の今までを潰すことになりますし、実父を選べば実母や義父を裏切ることになってしまいます。今も生きている父方の祖母、母方の祖父母に相談してもお互い、自分の方を選んで欲しいということになってしまいます。 私は弱気ですしこんな事で悩んでしまうのですが、弟にはこんなに心苦しい重荷を課せたくありません。 長文になってしまい、申し訳ないのですが、お坊さん方からの「第三者」として、そして「仏教視点」でのアドバイスや心構えを教えて頂きたいです。

有り難し有り難し 13
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#死ぬ事が怖い

小学生の頃より、ふとした瞬間に"死んだらどうなるのだろう"と考え始めた。 でも、当時は漠然とした考えで 中学生の頃も同じようにふとした瞬間に漠然と考える事はあったが、そこまでの恐怖はなかった。 高校〜大学の時に恐怖へのクオリティ?が上がり、特に両親が去ってしまうと考えた時に押し潰されるような不安に襲われ泣く事もありました。 しかし、泣いて翌日にはケロッと後に引く事はなかったが20代後半になり 1人の時や夜中にふと目が覚めて ・両親がいなくなったら孤独だ ・兄妹はいるけど順番で考えたら  私が最後か… ・結婚もせず独身、死ぬ時も孤独なのか ・どんどんと老化してきて何もできなくなって死ぬのかな、怖い。 ・日々の一瞬一瞬全てが無に戻る&無意味に思える、それが怖い。 色々な不安が頭にぶわぁーっと入り 今までと比べ物にならないぐらいの 死への恐怖の波がきます。 私自身がネガティブな状態で、それが原因なのかと思い携帯で検索してみると 同じような人がおり、安心するが 内容を読むと結婚していて子供がいてetc... いやいや、結婚もしている 子供もいる、"家族"がいる。 生きた証を未来に繋げれる地盤が あるのに…と、卑屈になってしまい 更に不安がこみ上げて泣いたり 不安で寝れなくなったりします。 両親や兄妹が去れば 私も終わりでいいかなって思うし 始まりがあれば終わりもある と理解しているけど グルグルと同じ事を考えてしまいます。 死への恐怖はどうしたら治りますか? とは伺いません…。 ただ、言葉では言い尽くせない この恐怖をどう乗り越えていくべきでしょうか? よろしくお願いします。

有り難し有り難し 27
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自殺に救いはないのですか

私自身精神疾患により、希死念慮に悩まされています。 ただ、幼少期に母親を病気で亡くしているので自傷、または自分から死へ向かうことは母に申し訳なくてできません。 (錯乱状態になったりした場合はわかりませんが。まずそうはならない疾患です) 長患いの中で、とても澄んだ心を持つ友達ができました。 彼女は自分だけを責めて、病気のせいなのに「こんなこともできない自分はダメだ」との思いを抱えて自ら旅立ちました。 私個人の考えでは彼女は自殺というより「病死」だと考えています。 身体的疾患での死は仕方ないととらえられますがやはり自死というのは公にするには憚れることもあるようで私が彼女の死を知ったのは旅立ってから3か月ほど後のことで、もちろんお葬式にもいっておりませんし、ご両親が特殊な宗教をなさっている関係からお墓参りもさせてもらえません。 「霊能者」というような人は「自殺した霊魂は救いがない」とか「ずっと真っ暗闇をさまようだけ」などと言う人が多いようです。 そんなのひどすぎる。あんなに苦しんだ挙句、誰も責めず自分だけを責めて、精神疾患による考え方の歪み・・あまりこの言葉使いたくありませんが・・もあっていってしまいました、あんなに苦しんだのにまだ苦しまねばならないなんて・・・ 自らいのちを絶つということをよしとしているわけではないのです。 ただ、精神疾患(心の病気≠精神疾患)によりこのような結果になった方々にも救いはないのでしょうか。 もう一度申し上げますが、彼女が生きていた頃を知っている私は 彼女のことは今でも「病死」ととらえています。

有り難し有り難し 39
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死にたくてたまらない

中学生の頃から既に35年以上、希死念慮と闘いながら生きています。子供の頃、母親から「お前なんて生まれてこなければ良かった。お前のせいで離婚できない。私が不幸なのだから、お前は幸せになる権利はない。」と言われました。両親が仲の良いところを一度も見たこともなく、二人は私が21歳の時、離婚しました。 工業高校しか出ていない父は、いつも学校でトップだった私を「生意気だ」と言い可愛がってくれませんでした。母からも、「お父さんは、お前を愛していないんだよ。だからお前は誰からも愛されない。」と言われ続けました。 両親から褒められたことは一度もありません。 自殺を何度も試みましたが、まだ成功しません。 30代前半で、家族から離れたくて、外国に留学しました。そこで、ある男性と出会い、彼は私の本当の家族の様な存在になりました。しかし、私の希死念慮は消えず、彼と付き合っている時も、自殺を計りました。その時、私を助けてくれた彼は、決して私を見捨てませんでしたが、とても悲しんでいました。そのことを知り、私は、彼の為に生きようと決心しました。それからは、一度も自殺未遂はしていません。 しかし、1年半前に、日本に来て私と暮らすはずだった彼は、突然死してしまいました。私は、現在、どの様に生きていいのかわからなくなってしまいました。 私が男性と付き合うたびに嫉妬してきた私の母は、今回の彼の死を喜んでいます。私はこの母を殺してやりたいと思いますが、犯罪者にはなりたくありません。この母に対する怒りを鎮めようとすると、鬱がひどくなり何もできなくなってしまいます。 今も死にたくてたまりません。精神科でもらう薬もほとんど効いていません。 私は残りの人生をどの様にまっとうすればいいのでしょうか。 助けて下さい。

有り難し有り難し 19
回答数回答 2

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