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hasunoha 問答検索結果 : 「お経について」
検索結果: 2994件

母と愛犬2匹相次いで亡くした

今年1月2日に実家の母が慢性心不全で亡くなり、2月5日に愛犬チョコが急死、2月14日にもう一匹の愛犬風太も病死と立て続けて最愛の母と愛犬を亡くしました。 母は91才で病気のこともあり、又、日帰り旅行や私が休みの日には近いこともあり昼食を一緒に食べたりとしてきたのでもっと長生きして欲しかったのですがある程度覚悟はしていたので比較的落ち着いていましたが、愛犬2匹は全く心の準備がないまま続けての急死、心身共に非常にしんどいです。 もっと早く病院に愛犬を連れて行っていたら、帰りたがっていたのに元気に帰って来ることを願い信じ入院治療し結果病院で2匹とも逝かせてしまいました。 2匹ともさみしくてお互い呼びあってしまったのかな… 風太は家族の都合と葬儀社の都合があわず、まだ自宅のいつもの場所でまるで生きてる時と同じように眠っています。 風太はまだまだ家に居たいのだと思います。 風太とチョコは一緒にいてさみしくないでしょうか?病気の辛さから解放され元気に2匹で走り回り生前の数日食べられなかったぶん美味しいもの、大好きなものをお腹いっぱい食べているのでしょうか? とにかく辛い辛いです。 長文乱文ですみません よろしくお願いします  

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疎遠だった父が孤独死しました。

はじめまして。 先日、二年前に母と離婚して以来疎遠だった父が危篤との連絡があり、その翌日に亡くなりました。 父は昔から怒りっぽく乱暴で、母と兄は大変な思いをしていました。 しかし末っ子長女の私にだけは甘く、私も小さいときはお父さんっ子でした。 しかし、大人になるにつれ、母と兄への当たりの強さに嫌気がさし 父とは離婚の三年前ほどから、ほとんど会話もしていませんでした。 その後離婚が決まり、父を家から追い出す形で疎遠となりました。 先日までずっと父を恨んでいました。 家族の人生をめちゃくちゃにした男だと。 父は大家族の末っ子でしたが、幼いときから家族に迫害され続け、家族と絶縁するために 母と結婚するときに婿養子となったそうです。 私や兄の父親として、母の夫としては未熟でした。 しかしそれは父の生まれ育った環境のせいだったのではないかと思います。 それでも先日までは、今までの恨みが消えず、死んでも何も思わないだろうと思っていました。 しかし病院で息絶えた父と再開し、主治医から二年間のことを聞いたとき、 なぜ生きているうちに会ってあげられなかったのか なぜ離婚前に父の苦悩を受け止めてあげられなかったのか 後悔が押し寄せてきました。 何度も涙が出てくるのです。 父はこの二年間、体も精神的にもぼろぼろで、働き口もなかったようで生活保護を受けていました。 私は一人、亡くなった当日に病院へ駆けつけ、父の身支度を手伝い、病院から直接葬儀場に送っていただくのを見送りました。 その時立ち会ってくださった看護師さんが父にかけた「娘さん来てくれて嬉しいね」の言葉が心に突き刺さり抜けません。 その感情が来てよかったの気持ちなのか、間に合わなかった後悔なのか、たった一人苦しんで旅立った父を哀れむ気持ちなのかわかりません。 数日後には火葬されるので、その日も行く予定です。 しかし遺骨などは色々な事情により引き取りができないため、父は無縁仏になります。 ずっと孤独に戦ってきたであろう父。 父は私を家族を恨んでいるでしょうか。 身寄りのない父を家から追い出したこと、 一度も連絡を取ることなく、死に目にも会えなかったこと、 死んでもなお一人にさせてしまうこと。 そして私は父の死とどう向き合っていけばよいのでしょうか。

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人を殺したいとき

初めて相談させていただきます。 大学生の女です。 わたしは最近、人を殺したいという衝動が強くあります。 殺したい相手は嫌いな教授だったり、昔のバイト先の人たちだったり、コンビニの店員だったり色々なので、特に決まった人がいるわけではないです。 コンビニの店員がこっちをジロジロ見てくるとか、同僚とひそひそ話しているとか、なにかあるたびにカーッとなって頭が真っ白になります。 夜になるとどうしようもなく不条理な世の中と、その世の中で平然と生きている人間への憎しみが沸き上がってきて苦しいです。 人を殺したいと思っていないときはたいてい自殺することを考えているので、年中憂鬱です。 刃物を買い集めたり、縄を買ってきて軽く首を吊ったりして毎日をやり過ごしてきました。 心療内科にも行ってみたのですが、病気というほどでもないので薬で治療しようがないと言われました。 カウンセリングにも通っているのですが、先ほど書いたような話をしていくうちに「困ったな」と呆れられてしまい、わたしの心は治らないのではないかと不安になりました。 わたしは小さい頃から神経質で、中学校で不登校をしたり、アルバイトを始めたらストレスで不眠になったり、社会に適合できずに生きてきました。 社会はわたしのような人間を受け入れるようにはできていないのだと最近になって気づき、絶望を感じました。 今の社会には80万人ものニートがいて、その数字を見れば社会で生きていけない人間が一定数いることはわかります。 しかし、それが自分だと気づくと抵抗もしたくなります。 わたしは自分の人生に手を抜かずに、真っ当に生きてきたつもりです。 しかし、どこに行っても同じような人間、同じような環境、同じような世の中がわたしの行く先々に回り込んできて、なにも変わらないような閉塞感があります。 わたしはこれからどうしたらいいんでしょうか。 下手な文で長々と失礼いたしました。

有り難し有り難し 73
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自分が原因で相手に迷惑をかけた後悔

私はこれまでの人生の中で、私が原因で相手に迷惑をかけたことが何度もあります。 やらなくてはいけないことを惰性でやらなかったり、言い訳を作って逃げたりしていました。そのせいで、いろんな人から嫌われ、孤独になりました。最近、頻繁にフラッシュバックを起こし、何であの時ああしなかったんだろう、あの人は今も私を恨んでいるに違いない……と、どんどんネガティヴな感情を起こしてしまいます。 他人の悩みを聞くたびに、どこかで「でも、私なんかよりこの人はましだ…」なんて思ってしまうどうしようもない自分がいます。その人達はちょっとずつでも前を向いて生きているのに、私はそれができません。本当につらいです。「これから反省を生かして生きていけばいい」と言われると「でも、私はいろんな人に恨まれ嫌われるようなことをした。私がこの失敗を乗り越え、上手く楽しく生きていくことをきっと彼らは許さないだろう」と思ってしまいます。自分でも卑屈な考えだと頭では思うのですが、どれだけ頑張ってもこの気持ちが拭えません…。 私は、こんなにも人に嫌われながら、これからの人生を歩んでも良いのでしょうか? 何度も後悔しましたが、後悔から先に進むことができません。他人の私に対する目が気になってたまらないのです。それでも、変わりたいと思って、このサイトで質問させて頂くことにしました。どんなことでも構いませんので、ぜひ、アドバイスをよろしくお願い致します。

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最低な自分

私は過去20年間、人を傷つけて生きてきました。 もともとひねくれた性格だったので自分が正しいと疑わず、周りの気持ちを考えようとしていませんでした。 そのことに気づいたのは2年前です。 同時に、自分が最低な人間であること、してきたことの罪深さを実感しました。 それから私は今後一生自分のしてきた罪を償うつもりで生きていこうと決めました。 傷つけられても何も言い返さずに飲み込んだり、他人に積極的に奉仕したりしました。 またかつての恋人にもひどいことをしてしまったので、自分は恋愛をしてはいけない人間であり幸せになってはいけないと強く思っています。 しかし辛いことがあると、「自分は最低な人間だから」「好き勝手生きてきた報い」などと考えて激しく自己嫌悪してしまいます。 その度に布団に潜って落ち込んで、死ぬときの妄想などしています。ちなみに自殺願望はありませんが、いつ死んでもいいとは思っています。 最低な自分を知られたくないのでこんなこと誰にも言えません 私がお聞きしたいのは ・自己嫌悪に陥ったときどうすればよいのか ・以上のような生き方、考え方をどう思うか ・相談相手がいないときどうすればよいか です。 未熟な若造の悩みですがお付き合いいただけたら幸いです。

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六波羅蜜の1つ、「忍辱」とは?

 いつもお世話になっております。  忍辱行とはどんなお行なのでしょうか?辞書や仏典によると、 「つらいことがあっても耐え忍ぶこと」とあります。  これは危険な目にあっても、たとえばいわゆるイレギュラー な事態、突然の誹謗中傷やその他の犯罪に繋がりうる行為を 受けた場合であろうとその行為を笑って受け入れろ、 ということでしょうか?  それとも、その行為を受けることによって高ぶってしまう 自分の感情を落ち着け、落ち着いて距離を取りなさい。 という教えでしょうか?  後者が当てはまるとすれば、  例のお嬢様の件。最近は私が時間をずらし、彼女はしばらく 堂内にいるので接触しないよう待機、  立ち去ったら私は私のお参りに入ります。  ほかには、レストランの入れ込みで不快な会話をしている 一団が隣になってしまい、我慢してそれを聞きづけるのではなく 席を変えていただき、食べ終わって下げてくれたら店員さんに 「お手数をおかけしてしまってすみません。 おいしくいただきました。ごちそうさまです(^^)」 と言ってお支払いをしてお店を出た…とか…  いまだにこの点が理解できておりません。お知恵をお貸し いただきたく存じます。よろしくお願いいたします。

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浄土とは何か

お世話になっています。浄土真宗についての質問ですが、浄土というのは死後の世界だと解釈しているのですが、どうも死後の世界ではないと解釈している人もいるようです。浄土真宗は、この「浄土」というのが大前提の教えなので、この「浄土」が分からなければ教えが根底から変わってしまうのですね。そこが悩みところです。 浄土真宗の教義について僕の一連の解釈を書きます。 1本願に疑い無くなるのが信心 2しかし、本願を信じられない 3信じられないのは煩悩があるからだ 4阿弥陀仏は煩悩ある者こそ救う 5そこで、「自分にできることはなかった」と自覚する(機) 6阿弥陀仏の浄土に救うという「働き」(本願)のみがある(法) これが一連の僕の理解です。僕は「異安心」なのでしょうか?すごく不安です。これはあくまで「死後」を前提にした解釈です。 浄土真宗の救いは、「自分の姿が明らかになることだけだ」と言う人もいますが、それだけだと何のメリットもなく、ただただ自分に失望するだけだと思うのです。しかし、自分の姿を知り、「だからこそ、死後、阿弥陀仏に救われるのだ」と解釈すれば、煩悩を受け入れることができ、様々なメリットがあると思うのです。 僕が浄土を死後の世界と解釈する理由は、浄土が死後の世界じゃないと、死後の解決にはなりませんよね。 自然の理法(仮の阿弥陀仏の解釈)におまかせするのも、解決になるのではないかとも考えましたが、それは「死の解決」であって「死後の解決」にはなりません。だいいち、自然は何をするのか分かりません。地震を起こしたり、コロナを起こしたり、そんな自然におまかせするのは、余計恐怖でしかないように思います。 ただ、死後の解決には死後の世界は必要なのですが、仏教には「無記」というものがありますよね。死後があるのかないのかは人間には分からないから、今を生きなさい。という内容だと解釈していますが、これも一理あると思っていて、浄土の教えは死後を説いているのか、いないのか、どちらでもないのか、分からないのです。これは、浄土真宗の一番重要なものだと思うのです。皆さんは「浄土」をどのように解釈しているのか気になって書きました。詳しい方、回答していただけると有難いです。 南無阿弥陀仏

有り難し有り難し 23
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このまま将来社会へ出るということを考えるだけで怖いです

自分は正直、社会へ出たくないです。出ると考えただけでも辛さで心が痛いです。(自分の思う社会へ出るという事は、就職したりすることで社会の役に立つことを始めると考えています) 自分ではとりあえず今をどうするかだけを考えることである程度精神状態を保っていますが、学校の先生や祖母は将来どうするのかとかをしつこいまでに聞いてくるので、最近苦痛に感じています(それを伝えても祖母は聞くことをやめてくれません) また、自分のやってることは逃げだと言われましたが、なぜ逃げてはいけないのでしょうか?選択肢としてある以上は問題無いのに。 こんな自分に嫌気がさしたりすることもあります。でも、自分の何かを変えたいと思う自分と、変えたくないと恐怖し、拒絶する自分がいつもいます。 そもそも、自分が仮に働こうという意思ができたとしても、会社や雇い主が雇ってくれるとは限りませんし、そもそも自分は他人の役に立つという行為そのものが苦手です。 また、ニートになろうと割り切ることもできません。親が死んだ場合にどうすればいいかを考えると眠れず、気がつけば夜中に無我夢中に飯を貪ってしまいます。 家ではパソコンしてるか寝てるか食ってるかしかしてないような気がします。それでよくないと考えても、何時間かしたら別のことで頭のなかはいっぱいいっぱい。 失敗することが怖いです。失敗を恐れては何もできないのは確かですが、今の社会はその失敗を許してはくれません。ニート叩きなんかそうでしょう。そういうこともニートになろうと割り切れない理由の一つです。 死にたいと思うこともあります。でも、死んだら死んだで迷惑でしょう。 よく誰かに助けてほしいと思いますが、そもそも何から助けて欲しいのか、どう助けて欲しいのかがわかりません。 具体的な答えばかりを求めすぎている気がします。自分はそれが悪いとは思いませんが。 また、普通であることが羨ましいし、それと同時に普通の人、特に自分が普通だと思い込んでる人達が怖いですし、そんな人達が構成する社会が怖いです。 とにかく、辛いと思うことを書くのも億劫になってしまいます。 自分だけがとは言いません。それでも、なぜこんなつらい目に遭わなくてはいけないのでしょうか? こんな自分でも改心して社会の一員になれるでしょうか? この辛さ、苦しみから開放されるにはどうすればいいのでしょうか?

有り難し有り難し 136
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宗教や宗派ってそんなに重要ですか?

宗派のラベリングに重要性が見いだせず、むしろ弊害を感じることが多いです。 (800文字と長めです。) 以前とある牧師さんに教わりました。「キリスト教は浄土宗とソックリだ。日本向けのローカライズのために、あえて仏教に化けて広めた可能性を疑う研究者すらいる(笑)」 真偽はさておき、個人的には同感です。核心部たる念仏などは酷似しており、言葉が違うだけで内容はほぼ一致かと(素人目には)感じています。となると、キリスト教と浄土宗の本質的な違いは何でしょうか?人智を超えた神仏を※※教だけが独占できると見なす構造にも疑問があります。 ここからが本題です。その違い(ラベリング)は、諸々の軋轢を覚悟してまで保つべき、重要な違いなのでしょうか? 些細な見解の差で派閥や宗派が分かれていき、しまいには宗教戦争が起こるのだとしたら、単なるセクショナリズムと何か違うのでしょうか?5%の違いのせいで協力できず、残り95%の共通点を捨てているように見えます。ましてや同じ宗派や寺院の所属でも、個人ごとに意見はバラバラだというのに。宗派の上納金制度?などを聞いても、宗派はいわゆるビジネス上の"のれん"に過ぎないのでは?との現実的な疑問も浮かびます。 問いの対象は浄土宗だけではなく、宗教と道徳の境界線についてです。話がそれますが、中東問題などを理解する上でも避けて通れないテーマです。奇譚のないご意見を頂けると嬉しいです。 問を整理します。 「学べば学ぶ程に、宗教や宗派のラベリングに重要性が見いだせません。むしろなぜ拘るのかわかりません。私に欠けている視点を、どうかお聞かせください」 以下は補足です。 私はキング牧師やガンジーを尊敬しています。彼らは別々の信仰を持ちつつも、※※教徒のためではなく、社会全体の差別撤廃のために活動しました。それでいて、全ては信仰に基づくと明言しています。このスタイルに敬意を持つ反面、宗教宗派のラベリングに違和感を持つということは、何かを見落としているのでしょうか? 宗教とか宗派に拘りがなく、人に言われるまで気づきもしないのはダメなのでしょうか?

有り難し有り難し 61
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風俗経営者の息子として

父親が風俗を経営しており、その金で暮らし、高校を卒業し、大学に入りました。 そのことを知ったのは大学に入ってからで、それまでは父親に職業を隠されていました(ほとんど別居状態でしたが、自分も能天気だったと思います)。大変ショックを受け、親と縁を切ろうと家出をしました。しかし内臓の病気と精神疾患を患っており、信念を貫くことはかないませんでした。 その後大学を中退し、今は障害との付き合い方を模索しつつアルバイトをしています。中退の理由には、「女性が身体を売った金でこれ以上大学に行くわけにはいかない」というのは一つとしてあります。 恥ずかしながら、性欲と寂しさに負けて風俗を利用した経験はあります。そこでは良い思いもしましたし、生き生きと働いてるように見える女性も見受けられました。しかし世の中には性産業の悲惨な裏側の情報が飛び交っており、父親に何も話してもらえない私は、何を信じればいいのかわかりません。 私は搾取構造にもたれかかる卑怯な罪人なのかもしれない。そう自らに何年も問い続けて、性風俗の歴史について調べたり、社会構造について考えたりし続けました。しかし一人で考え続けても暗闇が広がるばかりで、途方に暮れてしまいました。あまりにも辛く、苦しい自問自答です。 過去、カウンセラーや社会学の教授にも相談したことがありました。それで返ってきたのは「風俗は犯罪じゃないから気にする必要はない」というものでした。しかしその答えに甘えてよいのでしょうか? 仏の道を歩んでらっしゃる皆様の智恵をお貸し願いたいです。風俗の存在に加担することは罪悪でしょうか?それが罪悪ならば、罪人の庇護に甘んじた私もまた罪人でしょうか? 何卒、お答え願いたく存じます

有り難し有り難し 47
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お肉についてお坊さんに聞くのが怖いのですが…

勇気を持って質問します。 世界の人達は対象である生き物を殺してお肉を食べています。 仏教のお坊さんは、生き物を殺さずベジタリアン派で生活をしていますよね。 勿論、生き物を殺す事を殺生と言います。 私は必ず虫を殺さないようにしています、ティッシュ等で虫を優しく乗せて外に逃がしています。 勇気を持って……ここからが本題です。 世界でお肉を食べる理由は幾つかあるのですが、まず人口増加です。 世界には爆発的に人口が増えて国際で問題になっています。となると、菜食だけで食べる事は難しそうです。 次に、伝統です。 世界には伝統があって伝統を守り、お肉を使う事があります。 次は、アマゾン川の部族です。 海外にあるアマゾン川のどこかに部族がいます。その部族の生活は菜食は勿論、生き物を殺してお肉を食べています。どうしようもない部族です。 他にもまだあるのですが、世界にはどうしてもお肉を食べないと生活が出来ないようになっています。 この事をお坊さんはどう考えていますか? 聞くのが怖いです… 私はお肉を食べる時は、食前に「申し訳ありません、その命を頂きます。」と言うようにしてから食べています。

有り難し有り難し 77
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