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hasunoha 問答検索結果 : 「 依存 」
検索結果: 2708件

SNSについて

お坊さんはSNSをどう思いますか? 私は昔から、寂しがり屋なところがありました。でも、コミュニケーションの障害があることもあって、人付き合いは苦手でした。孤独から逃れるために、ブログを始めました。それから、インターネット上での人付き合いが欠かせなくなりました。今は、ツイッター、その他のSNSをやっています。 自分の投稿した文章に反応が返ってくると嬉しいです。「いいね」とか「拍手」がもらえると安心します。たくさんもらえると嬉しいと思います。いつも「いいね」してくれる人が「いいね」してくれると、ほとんど口を利いたことのない相手なのに友人のような親しみを感じます。 文章を投稿してから何か反応があるまで、パソコンの前を離れられないこともあります。そういう時は、そのせいで時間を浪費しているような気がします。でも、SNSがなければないで、何もせず寂しい気持ちでだらだらとしてしまいそうな気もします。 最近、ようやく現実の人付き合いが増えてきて、現実とインターネットは違うなあ、としみじみと思っています。 私は実生活ではほとんど友人と言える人はいませんが、仕事を始めたので、職場の人とはそれなりに言葉をやり取りするようになりました。 他には障害の支援員さんなどと関わりを持っています。 ・・・まとまりのない文章になりましたが、無理やり質問にまとめます。 お坊さんは、SNSについてどう思っていますか? お坊さんは、SNSとどう付き合っていますか? 以上の文章を読んで、お坊さんから、私に何かアドバイスのようなものはありますか? どれか一つについてでもご回答頂けると幸いです。

有り難し有り難し 134
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坊さんなのにこれからの将来が見えない

実家が寺で、仏教系の大学に通っている僧侶見習いです。 僧侶が社会システムにおいて必要とされる意義が「人に仮初の夢を見せて心のケアをする」以外しか見いだせなくてこれからの将来に絶望しています。 僧侶は、昔みたいに医者の代わりや教員の代わりをする訳でもなく、月回向や葬儀関連で人々の心を慰めるくらいしかしていません。 僧侶が利益(りえき)を得ることを人々は否定します。実際、聖職であるが故に本来は金銭を対価に何かをするというのはあまりに俗に塗れているような気がします。布施はそれ自体が神聖なものであることは分かっています。 しかし結局のところ、(観光という商売をしている寺は除いて)寺やそこにある僧侶という存在は「嘘をついて金を檀家さんや信者さんから貰う」ものに過ぎないのではないか?と思ってしまっているのです。 道徳を説くならそれはカウンセラーでも哲学者でも構わないわけです。 では僧侶が持つ他とは違うアイデンティティとは何かと言ってしまえば「仏教という仏になる為の指針」なのですが、結局のところ今の今まで人の身で完全に釈尊(応身)と同じステージに立った者もいない訳で。 本当に仏となることが出来るかも分からない教え、しかも数多の偽典があるであろう経典の内容を引いてきて、悩める人々に滔々とそれを説く。自分の中ではこれから自分がなる僧侶という職は、そんなもののように思えてしまいます。 私よりも遥かに経験を積み、たくさんの経典を読んだここにいらっしゃるお坊さんの方々に、私の悩みをただ、聞いて欲しいです。そして願わくは、自分の中の仏教に対する、僧侶に対する悪感情を解く何かを教えて欲しいです。 散文的になってしまい、申し訳ありません。宜しくお願いします。

有り難し有り難し 116
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『処女幻想』に執着するあまり恋愛できません!!

初めまして 私は40代の男です 突然ですが私は女性にモテます!! しかし 女性の【過去の男遍歴】を勝手に想像してしまい ア〜こんなカワイイ女性でも男に唾液や精液をカケレテしまってんだろうな〜〜 その後に俺がそれを舐めんのはイヤだな〜〜〜 などと空想してしまい 恋愛が出来ません もっと言うと!! 【女性憎悪】!! なんてフシダラな女なんだ!! こんな汚い身体を俺に舐めさせんのか??!! などとイラヌ因縁!!チョッカイでさえ空想します!! タイトルに『処女幻想』などと難しく書いてしまいましたが 本当の『処女』もまた嫌いです!! 開発もされてないだろうし・・ 扱いも面倒くさそうだし・・ 冒頭に 女にモテます!! などと書いてしまいましたが 別に 挿入 してる訳ではないので モテてる わけでは実際ないのですが 挿入したいです!! モテたいです!! こんな女性に対して清純でいてもらいたい しかし 現実にはそう居ない だけど舐めたい・・ だけど舐めたくない・・ 自身でいまだに『女性』『恋愛』に対してこんがらがっている自分がいます このような私は正常なのでしょうか?? そして モテるようになるにはどうすればよいのでしょうか???

有り難し有り難し 342
回答数回答 6

イライラしないコツ

子育てや、他人の身勝手な発言にイライラしてしまいます。 昔から自分は短気な方なんですが、イライラする私に夫が『イライラしない本』 みたいな自己啓発本を勧めてきたので読みました。 本についてざっくり説明すると、『人生は選択の連続だから、今起こった事は自分が選択して招いた結果だ。つまりそれは自分のせいと考えるとイライラしないだろう。』と書いてあったので、自分のせいだと思うようにしました。 例えば、長男の出産の時、かかりつけの産婦人科の担当医師や看護婦がとても冷たく人手不足な病院で、怒られ放置され、出産は散々な目にあいました。ずっとそれがトラウマです。 そして産後は母乳が出ず、周りから、母乳はなんで飲ませてないの?なんで出ないの?うちは完母だよ?ミルク高いでしょう?みたいな言葉の嵐。 あぁ、病院が最悪だったのも自分が決めた病院だし、よく調べなかった私が悪い。 母乳が出ないのも私の体が悪いせい。 子供が泣くのも私が悪い。何もかも自分が悪い。 そうやって気づいたらどんどん追い詰められ夜中に暗い部屋で1人泣いていました。 子育てに限った事ではないですが、こうやってイライラした時はやはり自分のせいと思うべきなんでしょうか?お坊さんはイライラしますか?イライラしたらどうやって気持ちを抑えているのですか?木魚を強めに叩いたりするのでしょうか?

有り難し有り難し 173
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空についての理解

2回目のご質問になります。前回も真摯なご回答を ありがとうございました。 尚、今回のご質問も優先ではありませんので、深刻な ご相談を優先させて下さい。 仏教を学ぶ上で「空」の概念が定まりませんので、 ご教示頂ければ幸いです。 世俗諦としての表現でしか質問できませんので、 質問の意味も理解されるのか心配でもあります。 これまでの仏教の学習から、全ての物事は「現象」 であり、その瞬間の状態であり続ける「実体」は なく、全て川のように流れていくものだと理解し ました。=無常・無我 →この理解で正しいでしょうか? 物事が「ある」でもなければ「ない」でもない。=空? この意味が正直、理解に苦しんでいます。 「空」(から)という世俗諦としての言葉のイメージ だと、「からっぽ」のように感じます。 でも、何もないと定義すると六根センサが何も作動 しないと思います。 「見えた」「聞こえた」・・・は、実際にあります。 私の理解したことは、 全ての物は「地水火風」の構成のされ方で、現象 としての現れ方が異なる。 →物質、人、動物、植物・・等々 全ての物は、エネルギーと言えるのではと、感じました。 エネルギーという表現が適切かわかりませんが。 物質には、質量というエネルギーがある。 生命にも質量もありますが、心があり、生存欲求や色々 な欲求がある。これらをエネルギーと表現しました。 このエネルギーが他のエネルギーとぶつかりあって変化 を生み、因果法則によって、現象として常に変化し続ける。 物質も空気に触れ、物質と空気のエネルギーのぶつかり 合いで酸化し、そのもの自体も変化し続ける。 自分の心(本当は自分という実体はないのでしょうが)も 六境が六根センサにぶつかり、物事を認識し(エネルギー がぶつかる瞬間)、六識で心が何らかの反応をする。 ぶつかるという表現より影響し合う方が適切かも しれません。 ですから、「空」とは、ある/ない(虚無)ではなく、 あるエネルギーが他のエネルギーとぶつかり(影響)、 因果法則によって変化し続ける現象と理解するのは 誤りでしょうか? 空=無常=無我と感じられます。 以上、初歩的な質問で恐縮ですが、宜しくお願いします。

有り難し有り難し 51
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霊魂の存在を否定されるお坊さまへのご質問

 こんにちは。先日は私の拙い質問にご回答頂き、誠にありがとうございました。また、こちらで何度もご質問させて頂いておりますが、その度毎に丁寧なご回答を頂いておりまして、大変感謝しております。本日は、多少突っ込んだ質問になってしまいますが、自分の中でどうしても整理がつかない点があり、それを質問できるような場が他にありませんでしたので、この場を借りて質問させて頂きたいと思います。どうぞよろしくお願いします。  こちらのサイトを拝見しておりますと、「霊は存在しない」と回答しておられるお坊さまが何人かいらっしゃいます。お坊さまの中でも意見が分かれる問題なのだと思いますが、私は霊魂の存在を信じており、また輪廻転生もあるのではないかと考えております。霊魂の存在を否定されるお坊さまは、霊感商法やカルト教団への対応など、現実的な対策の観点から、またお坊さま個人の世界認識から、そのような発言をされているのだと思います。しかし、素人の私から見ると「悟り」や「阿弥陀仏の救い」を前提としてお話をされているお坊さまが、「霊魂」の存在を否定されることが、どうしても理解できないのです。  素人の私から見ると、「悟り」も「阿弥陀仏の救い」も、それが一体何であるのか分かりません。そのため、お坊さまが「悟り」や「阿弥陀仏の救い」をお話されることは、「霊魂」や「輪廻転生」のお話をされることと同じくらい荒唐無稽なもののように感じてしまうのです。唯物論者の方が霊魂の存在を否定されるのは理解できるのですが、お坊さまが否定されることは、私にはどうしても理解できません。霊魂の存在については、「分からない」とおっしゃることが最も妥当なのではないでしょうか。  実際に、現代には様々な宗教がありますが「霊魂」や「輪廻転生」の存在などを説いている宗教も数多くあります。もし、お坊さまが霊魂は存在しないと考えておられるのであれば、それらの宗教についてはどう理解されているのでしょうか。  このような突っ込んだ質問をして、誠に申し訳ありませんが、霊魂を否定されるお坊さまのお考えをどうしても伺いたいと思いました。ご回答頂ければ幸いです。どうぞよろしくお願いします。

有り難し有り難し 168
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