自分を知りたいという執着
これまでの人生で、自分というものを無自覚に蔑ろにしてきたのではないかと思っており、今更ながら自分は何者で、何が好きで何が得意なのか、といったことをあらためて見つめなおす必要があると考えています。
というのも、特に仕事において、他人に自分の努力を認めてもらいたい、という強い欲求が自分のなかにあり、自分への評価を他人に委ねてしまっていることに気づいたからです。
自分の軸とも言うべきものがもっとしっかりしていれば、自分への評価を他人に委ねることもなく、そのことによって生じる煩悩も小さくなるのではないか、と思っています。
しかし一方で、仏教の教えに「無常」「縁起」「無我」というものがあり、「あらゆるものは常に移り変わっていき」、また「あらゆるものは関係性のなかで成り立っており」、それゆえに「永遠不変な自分というものも存在しない」と理解しています。ゆえに、自分という、常に移り変わっていくものに執着しすぎると、それは煩悩に変わり、人生が苦しくなってくる、というのも実感としてあります。
自分のことをもっとよく知りたい、必要以上に他人に依存しすぎない自分になりたい、という執着は、仏教の教えに反するものではないでしょうか。もしそうした思いが煩悩になるとしたら、そうならないための知恵をいただけると助かります。
有り難し 22
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