愚者は存在に値するか否か
私は永遠に変わらないものが欲しいのだと思います。
歪な家庭環境、失ってしまった友情、恋、きっと寄せ集めればありふれたことばかりかもしれません。
しかし、私の人生において、あるべきものが足りない、手に入らないことがあまりにも多すぎました。私自信の力で手に入れるべきものはもちろん、自分ではどうしようもないことも含めて、欠けてばかりの半端者です。
いつまでも変わらない何かがほしい。
けれど、そんなものはどこにもありませんでした。
始まりがあれば終わりがある、そんな言葉通り、永遠という普遍的で小綺麗な存在は、この世界には一つも存在しないと、成人を越えて幾年、ようやく気が付きました。
きっと私は愛されたいのだと思います。生まれた時からずっと愛を求めて生きてきました。手に入ったとしても、それはマヤカシでした。恋情も友情も、いつの間にか遠く、手の届かないところに離れていきます。たぶん、私の方から。
好意を向けられることもなく、向けられたとしても逃げてしまう。そんな感情は知らないから。怖くてたまらないのです。
そして、一人寂しいとセンチに浸り、流せなくなった涙を求めて思いを馳せるのです。
太宰治ではありませんが、きっと私は人間失格なのでしょう。
我が儘で、愚かで醜く、卑劣で傲慢な人間擬きの私に、一体全体生きる資格があるというのでしょうか。
有り難し 25
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