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hasunoha 問答検索結果 : 「 執着 」
検索結果: 3214件

信ずるものの矛盾について

前置きとして、私は仏教に深く関心し、このサイトでも別の質問をさせて頂き有難い回答も頂いております。 お気持ちを害するかもしれませんが純粋な質問として受け止めて頂ければ幸いです。 私の現状はご指摘もしてもらいましたが煩悩により、自らを囚え振り回されている状況です。 まず、仏への道として宗派は道程であり、すべからく目的は苦からの脱却、解脱であると勝手に認識しています。事実、それぞれの教えから自己満足の範囲でいろいろ学ばせてもらいました。 煩悩を拭いひたすらに。 しかし、人を救いたい、苦から解放されたいと願うことこそ人智を超えた最大の煩悩の気がしてきてしまいました。だからこその仏様でしょうか。 これが一つ目の問いになります。 心の有り様。全てはここに集約されているのかも知れませんし、因果や縁、前世、今世、来世の繋がりも頭では理解していますが、私個人として、苦がなければ生ではないと強く根底にあります。 苦しみこそが人を最大限に無意識のうちにでも足掻かせ、思考を巡らし、結果が悪かったとしてもその後も全力を尽くした経験値として忘れることがないものと思うのです。好きなことより回避したいことの方が望む望まないに関わらず人は本気を出せると思うのです。出さざるを得ないという方が多いですかね。 往々にして心が弱いですから。 それが成長の種になると。 纏めますと、私は己の弱さ故につまらない選択肢と隣り合わせな苦しい日々が続いていますが、この苦しみから解放され 楽しい、安楽なことだけになることも怖いのです。 弱い心が解放も囚われも恐れるのです。 一つだけ身を投げ打ってでも生きる意味として手に入れたいものがあります。 これは教えに反していますよね。 また、その対価としてというわけではないですが苦難を望んでいる自分がいるのはおかしいですかね。 宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 18
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生きることについて

現在、うつ病で通院しています。かれこれ発病から10年以上経つでしょうか。 現在はかなり症状も落ち着き、パートという立場ですが、仕事に就くこともできています。上司も病気のことは理解してくれていて、それとなく気を遣ってくれたりもします。恵まれた環境で、今は幸せです。 ですが、ここまで来るのは本当に大変でした。病気の症状ももちろん苦しかったのですが、それ以上に世間のこころの病気に対する差別と偏見の目に苦しみました。たとえば、アルバイトの面接などでも、病気のことは絶対に話せません。 「うつ病の人を採用するわけにはいかない」 病気のことを正直に話すと、そんな言葉が返ってくることもありました。そのせいで激しい人間不信に陥り、よけいに病気が悪くなる。・・・そんな時期もありました。 その時期のトラウマなのでしょうか。今でもふと人間について、生きることについて考えることがあります。いくら法の下の平等を叫んでも、差別はある。人生、どこでつまづいてしまうかわからない。・・・そういったことを思うと、何だか人間や人生というものが、とてつもなく怖いものに思えるのです。 正直、人間として今ここにいることを後悔する時もあります。なぜ、僕は生まれて来なければならなかったか。死にたい、とまではさすがに思いませんが、生きることが怖い、というのが正直な気持ちなのです。 なぜ、こんな恐怖を感じながら生きなければならないのでしょう? 生きることが苦しいのは、やはり当たり前のことなのでしょうか? よろしければ、ご回答の程よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 23
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夢を叶えたいのに矛盾した自分が憎いです。

わたしにはクリエイティブデザイナーになるとゆう大きな夢があります。社会人になり5年が経ち、広告代理店で4年、自己のスキルアップとして企業のデザイナーへ転職し、1年になります。 日々自分のベストを尽くす姿勢で挑むことを決め、死ぬ気で働いてきました。ですが、頑張った報いは、他者からあったか、なかったか、半分半分だったように思います。自分の中では、いい経験だったと思うことがほとんどで感謝の気持ちが多くあります。わたしの夢ですから、他者からの報酬は望んでおりませんが、他者評価が必要な窮屈な世界だと都度悩んでしまいます。 また、頑張った分だけ、信じた分だけ、絶望があるように思います。その時が次へ行け、とゆう知らせなのかとも思っています。 夢を叶えるまで、後何回絶望するのだろう、と毎日緊張しています。 考えるのに疲れたのか、最近では、バッテリーが切れたかのように、自分はだれだろうと問いかけることが多いです。 現在、仕事ではリーダー職をしているため、自分の心を押さえつけること、未来への不安、が多く、消えてしまいたい、でもわたしは叶えたい夢がある、と不安定な日々が苦しいです。 周りには夢があっていいな、だったり向上心がある、どうしてそんなに頑張れる?と言われます。また、今の職場に入社できて、早速立場をいただけたことに両親は喜んでおり、親孝行できたかなと思いながらも、心は晴れません。 頑張れたのは、転職直後の周りからの軽いパワハラもあり、負けられないと食いしばってきました。前の会社での経験と同僚や上司のがんばれの声も、わたしの原動力になりました。大学の時に亡くなった祖母を想うと後悔が多く、わたしの今を祖母に知らせることはできませんが、デザイナーになり、高校からの変わらない夢を叶えたよ、と伝えたい、とゆうのもわたしの原動力になっています。 今、わたしは圧力とプレッシャーも重くのしかかっています。 夢を叶えるには多くの試練があり、乗り越えなければなりません。わかっているのに、自分の甘えなのか、つかれているのか、わからずまた優等生と言われる作った自分で日々過ごします。 矛盾な気持ちで真っ暗な細い道を踏み外さないように、歩き続けています。 だれにも言えない苦しさを、ここに書かせていただきました。具体的な相談になっておりませんが、お言葉いただけたら、幸いです。

有り難し有り難し 12
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整形の大後悔。昔に戻りたい。

27歳です。 2年前同僚と美容の話になったときに、 思わず「私の顔どこ直したらいいかな」と聞いてしまいました。 ずっと生きてきた自分の顔に不満はありませんでした。 同僚に「鼻と歯」といわれ、鼻と歯がどんどんコンプレックスになってしまい整形と矯正をしてしまいました。 歯並びも前歯が少し傾いていただけで、そこまで悪かったわけではありません。 非抜歯で探していましたが、焦りの気持ちなどから複数のカウンセリングに行かず、すぐに歯医者を決めてしまいました。 先生の方針のもと抜歯で矯正をしてしまいました。 鼻の整形もモニターで行ったため、反対に鼻が大きくなって失敗してしまいました。 歯を抜いて矯正したため口元がスッキリしすぎてしまいましたし、鼻も大きくなって、もう自分の顔に思えないのです。 前は沢山、人から可愛いと言われていたのに、めっきり言われなくなりました。 同僚も、私に意見をしたことを忘れていて、挙げ句「最近歯医者になった知り合いが抜歯矯正はだめって言ってたよ」と助言されました。 そして鼻と歯にコンプレックスがあるのは、同僚本人でした。 本人のコンプレックスを、わたしに転換しただけと判明しました。 私はあの時自信がなかったのでしょうか。なぜ人生でずっと付き合うかもわからない同僚のアドバイスを鵜呑みにしてしまったのか分かりません。 自分の顔が本当は好きだったのに、顔を変えたいと思い込み、本当にバカです。自分が大嫌いです。 昔から一緒にいてくれている親友に「あなたはどこも顔を治す必要なんかないって言い続けたのに悔しい」と言われました。 親友も家族も「変わらないよ。今も可愛いよ。」と言ってくれますが信じれません。鼻は信用できるお医者様をやっと見つけたので、修正手術はします。 毎日2年前に戻りたいと思っています。楽しい気持ちになりません。 見た目以外にも、歯を抜いたことで人より劣ってると感じます。人より4本歯が少ないため、歯を大事にしないとと思うことすら劣等感を感じます。 精神科に通って薬をもらいましたが精神を操作するのが怖くて飲めません。 自力で心を治すか、スイスでお金を払って安楽死するしかないと思います。 私はどうすればいいのでしょうか。まだ30前なのに時間とお金をかけて歯をなくし不細工になり…どう生きたらいいかわかりません。他にお金を使うべきとこもあったはずでした。

有り難し有り難し 61
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過去に犯した罪と罪悪感

33歳の会社員、男です。 私は13年ほど前、ある犯罪を犯しました。3年経って、罪悪感に耐えられなくなった私は警察署に相談し、警察官の方からは被害届などなく、この内容では捜査はできない、今から頑張って生きれば良いとのお言葉を頂きました。このことは両親や今の妻など誰にも話していません。 その後しばらく精神的に苦しい時期が続きましたが、大学を卒業して就職し、日々忙しく過ごす中で、次第にこのことを封印し前向きに生きられるようになりました。 過重労働に疲れたこともありましたが、頂いた人生と開き直って乗り越えることができ、今では仕事の能力を周囲に褒めていただけることもあります。 そして妻と出会い、心から笑える日々もあり、結婚して今妻は第一子を妊娠中です。 妻は妊娠初期入院を繰り返していたので私にできる支えをし、妻からはあなたのおかげで乗り越えられた、と言ってもらえました。この時ほど生きていて良かったと思えたことはありません。 しかし今、3ヶ月ほど前にドラマであるシーンを見たことをきっかけに、当時の罪悪感が再び心を覆うようになりました。毎日起きている間はそのことを考え苦しく、仕事中も上の空で呼吸も荒くなり、妻にも不調を疑われています。 そもそも仕事に取り組んだり、妻を支えたり、良い人、良い夫と映っているかもしれない私は、本当の私ではありません。本当は罪を背負った汚い、社会から生きていることを望まれていない存在です。死ぬのが怖いから、それを隠して生きているに過ぎません。 そんな私が結婚し、ましてや人の親になろうとしているなんて許されるのでしょうか。人として最低限のルールを守れなかった私が、子どもに何を教えられるというのでしょうか。 今、好きなことをしても、どう過ごしても心から楽しいと思えるときはありません。叶うことなら一度きりの人生、罪と無縁に、自分を誇りに思って生きたかったですが、取り返しはつきません。寿命を迎えるその日まで罪悪感に苛まれる惨めな最期を迎えるのであれば、早めに終わらせてしまう方がまだましでしょうか。 以前に義母の3回忌でお会いしたあるご住職の包み込むようなお人柄を思い出し、お坊様であればどのようにお聞きくださるのだろうと思い、こちらで投稿させて頂きました。今書きながら、涙が止まりません。見つけてくだされば幸いです。

有り難し有り難し 48
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