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検索結果: 311件

詐欺に遭いました どうすれば前向きに生きていけますか?

長年、メンターと尊敬していた人物が詐欺師でした。 母と私の合わせて70年分の貯金を全て騙し盗られました。 パワハラで会社を辞めたい時期に、「お母さんと3人で株の運用会社を作ろう」という話になり、設立後3年もたってから、詐欺師が一円のお金も出していないことが判明しました。その後、会社は勝手に解散しています。 何度も相談した警察には「詐欺師が有能すぎて、刑事事件にできない」と言われました。 弁護士も変え、「民事で訴えることができる」という先生に出会いましたが、費用がまず200万必要で、ためらっています。 死にたいほど後悔している事は、「娘には絶対に老後の迷惑をかけない」と決めて、人生を楽しむこともなく貯金した母のお金のほとんどを、馬鹿な私の為に盗られたことです。 何とか生活は出来ていますし、母に弁済もしていますが、「あのお金があったら、母はもっと豊かな生活が出来ている。あそこにも行けて、あれも買えて・・・」と、いつも、いつも苦しいです。 母は強い人で「お金は心の安心につながっていた。でも無くなったものは仕方ない。人に相談するのも恥ずかしいことなので、もうあきらめよう」と、言ってくれています。責められることもありません。 私に万が一の事があった場合の生命保険の金額も、母の生活が何とかなる金額になりました。支払いに回していたお金を、母との楽しみに使いたいと思っていますが、弁済よりも母の老化は早く悲しいです。 弁護士料に200万は使えません。あれば、それは母の為に使いたいです。しかし、弁護士に払えたら、無念が晴れそうです。 詐欺師がされて嫌なことを逡巡し、「いつか、孫に取り返しのつかない重傷を負わせ、嘆き苦しむ息子の姿を見て苦しめ!」と思います。 私の母の苦労を知りながら、赤子の手をひねるように騙した詐欺師が許せないのです。(私は詐欺師と男女関係ではありません) 私が無知で馬鹿で浅はかだったために詐欺に遭い、母に心労をかけているにも関わらず、時折、母に優しくなれない自分がいます。情けなくて消えてしまいたくなりますが、母を置いては死ねません。 前を向いて、仕事をして、時々母と旅行もして楽しく暮らそうと思いながら、「民事で訴えたい・もう立ち直れない・一人身になったら、孫に重傷を負わせたい」と思います。 心をどう持てばよろしいでしょうか?お願いします。

有り難し有り難し 188
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2021/09/14

住職の方から傷付くことを言われました

初めまして。 お寺のこと、お坊さんのこと、あまり詳しくないため的外れなことを書いていたら申し訳ございません。 今年の1月に祖父が亡くなりました。 百か日法要の際、親族が集まる中、元気にハキハキとお坊さんはこう仰いました。 「いやー妹さんは美人でスラッとしてる!お姉さんはー…残念だけども!」 この言葉を聞いた時、私は呆気に取られてしまいました。 ただ目の前のお坊さんは楽しそうにそう仰っていたので、つい愛想笑いで返してしまいました。 私は間違いなく怒るべきでした。 その場の雰囲気に流されて愛想笑いをしてしまったため、お坊さんもそれが悪いことと分からず今後も同じことを繰り返すのだと思います。 残念と言われた事がずっと頭から離れません。 かといって綺麗になるため頑張ろう!と思っても、次にそのお坊さんに会った時「自分の一言で変わった」と思わせるのも癪です。 次は一周忌でそのお坊さんと会うことになります。 また見た目をからかわれるかと思うと、行きたくないと心から思います。 またそ思ってしまうことを祖父に対して申し訳なくも思います。 こういうお坊さんにお灸を据えるにはビシッと言うしかないですよね。 ただ今後付き合っていく親族に対してお坊さんからのあたりが強くなっても困るし…でも私は傷付いたし…と考えがまとまりません。 私一人が我慢し続ければ丸く収まるのだなという考えに悲しくもなります。 私はどうしたら良いのでしょうか。

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逢ってはいけない人に逢いたい

ぼくには逢ってはいけない人が居ます。 その人は前の彼女で別れた後、彼女に酷い事をしてしまいました。 酷い事をしてしまった理由は、彼女が別れた後物凄く笑顔で生活をしていたからです。 自分はこんなに辛く悲しい思いをしているのに向こうは、そんな感情が無いかのように毎日を過ごしていたため、その事が許せず酷い事をしてしまいました。 そのせいで、彼女は僕を怖がり避けるようになりました。 避けられていることに気づき、僕の方から彼女に迷惑をこれ以上かけないように遠ざかりました。 彼女の事を忘れようと必死に頑張りました。 ですが、全然忘れられません。一年以上顔を合わせて居ないのですが、忘れる事が出来ずに居ます。 最近、逢いたいと思うようになってしまいました。 彼女はまだ自分のことを怖がっているかもしれない、また迷惑をかけてしまうかもしれない、逢わない事は、彼女へのしてしまった事の罪滅ぼしで有り自分への罰だと頭の中では分かっているのですが、どうしても逢いたい、顔が見たい、笑顔が見たい、出来れば話してもみたいなどと思うようになってしまいました。 逢ってはいけないと分かっていても逢いたいと思ってでも逢えなくて心が痛みます。 この感情をどうやって抑えればいいですか?

有り難し有り難し 38
回答数回答 3

ある僧侶の死

前回の質問時に生じた質問です。 もう何年前のことだか正確に覚えていませんが・・・ある日のこと、前途ある若き僧侶が殺害されました。夜間、路上で危険行為をしていた青少年らを注意したところ、逆上した彼らに暴行され、その末に息を引き取ったそうです。 当時、この報道を偶然テレビで観ていた私はとてもショックを受けました。僧侶という特殊な立場の人が犠牲になったことや、私個人のそれまでの想いや経験とも重なったのでしょう。暫く、忘れられませんでした。けれども、年を経るごとに少しずつ忘れ、思い出すこともなくなりました。しかし、数年前にお坊さんが書いたあるエッセイを読んだ時、一気に思い出したのです。 そこには偶然にも、あの事件のことが書かれていました。もちろん、実名などの記載はありませんでしたが、私はフラッシュバックのように、当時、テレビに映し出されていた事件現場を思い出しました。どこにでもありそうな人気もまばらな夜間の風景、暗い夜道と街頭、街頭に照らされた白いガードレール、記事を読む女性アナウンサーの声。 筆者と被害者の男性は、修行道場で先輩・後輩の関係で、男性は修行を終えて実家のお寺に帰った後に急死。彼の父親であり、師匠でもある住職は、葬儀の挨拶の中で、こう述べたそうです。 「それでも、許さないといけないのでしょうかね・・・」 仏教の教えでも、何であっても、人は皆平等で、言動には大なり小なり理由があります。加害者となった青少年らにも、殺意があったかどうかはともかく、腹立ち紛れに暴力をふるった原因や理由がそれぞれあるでしょう。しかし、だからと言って許せるかどうかは、また別の話。けれど、許すか諦めるかしなければ、生きている限り、苦しみ続けなければならない。また、こういったことが二度と起こらないように、暴力事件の被害者の方々が活動しておられますが、その活動は別として、果たして、彼らに救いはあったのでしょうか。 「許す」って何なんでしょう。諦めたら救われるのか・・・ただ、どうしようもない「ままならぬのが人の世だ」と分かっただけではないのか・・・「救い」って一体、何なのでしょうか。

有り難し有り難し 69
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