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hasunoha 問答検索結果 : 「 煩悩 」
検索結果: 3760件

実家依存の妻

実家依存症という言葉を最近知りました。 その傾向がある妻との生活について相談したいと思います。私の妻は一人っ子で、とても大切に育てられてきたようです。7年前に結婚して私の家で私の実母と同居していました。子供もできて、しばらくは普通に生活していましたが、私と私の実母が職場に行っている間は自分の実家に子供を連れて戻り、夕方に帰ってくる生活になりました。私の実母の退職後は、自分の実家近くの幼稚園に子供をいれ(私もそれでいいよと許してしまっていました)、ますます実家に行くようになりました。 いわゆる嫁姑問題もあって、妻も私の母の言動全てをいちいち悪くとってしまっているので(実母にもきつい面が確かにありますが‥)、私のうちにいたくなかったのでしょう。実母に対する愚痴も嫌になるくらい聞かされて、夫婦喧嘩も何度もしました。夫にも話を聞いてもらえないと思ったのか、子供を連れて出て行ってしまいました。 その後、子供のことを考えて私も家を出ました。夫婦と子供の三人の生活が始まりましたが、やはり妻が頼るのは実家と自分の親類です。私は別居先から職場へ仕事に行き、時々実家へ行っていますが、妻は別居後も、自分の親類にだけ子供を預けて用を足したりしています。妻の、自分の親族とだけ上手くやって、うちの親類とは絶縁状態になっても構わないというような生活ぶりにものすごく嫌な感じを受けるのです。 実家は寺院なので、私がいないと困ってしまいますから、いずれは寺で生活できればと思っていますが、妻も「私も一人っ子だから実家は私しか頼る人がいない」と言って、実家に行っては、楽しく過ごしているようですし、実家のことをしてる時の妻は本当に生き生きしています。私の仕事のことや寺を守って行くことを考えてくれている様子はないようです。 子供を第一に考えてこの生活を選びましたが、このままでは私の気持ちが萎えていってしまい、いずれ最悪のことになってしまって子供にかわいそうな思いをさせてしまうことにはなりはしないかと案じています。

有り難し有り難し 38
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悩みとは

年代別によって 悩みって色々変わりますが 悩みが無かった時なんてあるのかなと思います 子供時代は 震災など テレビ中継を 何となく見てましたが 大人になって 災害などで 崩れた家や 建物など 洪水などで 失われた 町の状況など 見てると 何故こんな試練ばかり 起きるのかと 見ている側も 辛くなります。 いつの時代も色々な事で 皆んなで協力して 生きる力を 養われてきたと思いますが 戦争などなく 自然災害などなく 平穏で穏やかな 日は来るのでしょうか?本当に今このIT時代になって 色々な事が便利になってますが 今この時代だからこそ 手を合わせていく事が 大事だと 気づくべきなのではと思います。 人の勝手で 戦争など 大気汚染など 人の手で 地球を 大地を破壊して きてます。 人が豊かに暮らせるようになり犠牲になってる事もあるという 実感を持って 自然を 壊し 動物を殺して生きている それは人が生きていくうえで仕方ない事かもしれないですが 謝って生きていかないといけないとも 思うからです。 あの世があって 神様仏様がおられて この世をみてられて 皆様が 手を合わせていく そういう 心を持つ事が この悩みを無くす事に繋がる気もします。 お寺様に足を運ぶ心を持つ事が 苦しみを無くす事に 繋がってるんでしょうか? 仏様と向かい合う事が 心穏やかになる事に繋がるのでしょうか? 私の先生が 布施行の事を よく話されるのですが 私は、正直 ケチだったんですが お寺様に 護摩木を購入したり 瓦の奉納をさせて頂いた事によって 心清らかになっていると思うんです。 布施行は 心の汚れを無くす事に繋がるのでしょうか? 何せ お寺様に行く行動を起こす事が 悩みを無くす事に繋がるのでしょうか?

有り難し有り難し 24
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「人生」という長期的な考え方が出来ません。

自己紹介欄にも書いたのですが… 「人生をどう長期的に考えたらいいのか」が、これまでもずっと分かりません。 大切な人を悲しませないため、自分の本当にやりたいことをやるため、自分の感謝の気持ちを恵まれていない人に奉仕するため…など色々あるかと思いますが、どれも私には響いてこないのです。 これまでどれだけの時間を懸命に生きるために考え、実行してきたかは分かりません。 どれだけの本を読み、精神科に行って相談し、服薬し、友達に相談し、瞑想をしてみたり、自殺未遂をしたり…。 でもどれもこれも、「人生」という長期志向に至るための答えを与えてはくれませんでした。 「空の思想」も知っていますし、自分がどういう存在であるかという確証を持たずとも、誰かの気持ちの媒体となるような存在であることもいいのかもしれません。 ただやっぱり私としては、生きる目的や価値観など、一定の不動なものがないと、生きていく意味が分からず苦しいだけなんです。 不安定な感情に自分が振り回され、それを自分の大切な人に影響したりすることは、これこそ絶対に許せないこと。 自分の傾向として、「絶対という思想」「二元論的な考え方」「一人称の思考」「リラックスという感覚の欠如」「思考・行動でのバランス感覚の欠如」があります。 これらにはそれ相応の対応や生活の改善を行っていますが、それでも根源的な答えには結びつかず…という状態です。 友達からは、「結局いつも同じ所(同じ悩みや考え)に帰ってきてるよ」と言われますが、本人としてはそれが理解できていません。 それに、「深く考えすぎる」「(周りに対して)緊張している/頑張ってる」ともよく言われますが、深く考えない方がおかしいのではないかという考えは変わりませんし、緊張している云々は単に「警戒心」なんです。 結局は、人を信頼できていないことが原因と思いますし、父親との確執による自分の半分の遺伝子への嫌悪や、母親の共依存傾向への反発など、家庭環境が今の自分を構成させていることも分かっています。 でももうこれ以上、そこに原因を求めて被害者意識でいるのはうんざりなんです。 御託を並べているように感じられるかもしれませんが、上記のような状態をなるべく緩和出来るような教え・ご意見を頂けないでしょうか? わがまま・独りよがりかも知れませんが、宜しくお願い致します!!

有り難し有り難し 32
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遺品の処分について

この間から、お墓や納骨のことで何度も質問させていただいております。次々と申し訳ありません。 亡くなって7ヶ月、私と母の二人暮らしでした。四十九日を過ぎた頃、亡くなった母の遺品といっていいのかも分かりませんが、二人兄弟の兄に遺品分けをするといったところ、要らないと。姪たちは洋服等を持ち帰りました。特に高価な物や資産も無いためそのままにしていましたが、生前は誰かが訪問して家に上がることもなく、夜に突然病院に運び、私が付き添っていたので母の部屋も布団を畳んだだけで、何の整理もしていなかったのですが、母の他界後、何かと人の出入りが多くなり、(私が鬱になったことから、医師に早く片付けろと言われたこともあり)仏壇も母の部屋にあるため、ある程度大きな物は整理をし、業者に頼み処分しました。 長らく二人暮らしだったので、家中に細々した母の物があり、大切にしていたものを残し、少しづつ処分しているのですが、飲み薬や目薬等、病気であったため常に使っていた薬品があります。 あの世で苦痛があっては可愛そうと思い、納棺時に入れようとした時、葬儀業者さんが入れないようにと。亡くなってもう苦痛はないからと言われました。 今日ももう捨てようと思いましたが、どうしても捨てられず、またいつも保管していた所へ、いつでもつかえるようにと戻しました。 いつまでも置いていると、母はいつまでも苦痛から解き放たれないのでしょうか?亡くなると仏様となり、すべての苦痛から解かれるのですか?早く捨てないといつまでも苦しませることになりますか? 病院から葬儀社へ運び、顔に掛けた布をめくると、病院で鼻からチューブを抜いて時間が経っていなかったためか、血液が流れており、拭いてやったのですが、亡くなってもなお苦しむのかと思い、目薬を入れ、唇が荒れ、いつもリップクリームを塗っていたのでリップも塗ってあげました。 長文になってしまい申し訳ありません。

有り難し有り難し 34
回答数回答 3
2024/04/27

他人に心を開けずひとりぼっちです

人に妬まれることに不安を感じます。 それゆえに他人との会話でどこまで自分を出せばいいかわからずいつも聞き手になってしまい、自分のことがわからなくなりました。 私はある分野で能力があると認められ周りから褒められる機会が沢山ありました。 元々自信がないタイプなため自分が褒められているのを第3者視点で見て他人から妬まれていると思ってしまい、自分を出すことに引け目を感じます。 他人と会話する時自分のことを話すと自慢と捉えられるかも、と思ったりナルシストだと思われたくなくて自分のことを話すのが極端に苦手です。 そのため自分のやっている分野、活動に自信が持てません。 他人が自分を攻撃する人のように見えてしまったり自分の殻に篭りがちになり、自己開示できなかったり対人関係をどのように築けばいいかわからなくなってしまったみたいです。 これから1人で生きていく時に誰とも関われずひとりぼっちになってしまう予感がしています。それがとても怖いけれど他人との関わりも怖く堂々巡りです。挑戦も怖いです。最近はもうこんな人生辞めたいとまで思ってしまっています…もっと自信があればもっと活動的になれて友達もできるんだと思います。 本当は自分の能力を正しく認めたいのですが、注目されるとものすごく怖くなってしまい、謙虚なのか卑下なのかわからない状態になり、自己アピールも難しいです。 会話の時はひたすら聞き手になっています。 聞き続けるのが辛いと思う時もあり、自分を出せたら違うのかなと思う時もあります。 長々と申し訳ございません。 このような質問はお坊様から見るととてもくだらないものかと思いますが、お坊様が考える正しい人間関係はどのようなものでしょうか? そしてこれは疑問なのですが妬まれることが怖いのは傲慢なのでしょうか。 またこのような私が自分をどの程度出せば良いと思いますか?

有り難し有り難し 13
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2022/11/19

怨憎会苦 これからの人生どう向き合うか

以前にも相談させていただきました。定年をまじかに迎えいい年齢かつ、20年以上も前のことですが、心がいまだに揺れ、かき乱されます。アドバイスも何度も読ませていただきましたが、相談させてください。 20年近く前に親族と争い(法的)になりました。耐え難い苦しみ、憎しみの末、争いは決着しましたが、残念な事にその後両親が亡くなりました。死との因果関係は分かりませんが私としては心労が原因となったと思っています。 争い後、親族とは断絶し、自分も家族を持ち月並みな暮らしをしています。親族は健在のようです。顔も見たくありませんが、近隣に住んでいることもありまれにみることもあります。心がみだれます。 既に長い年月が経過しこの間自分も色々な人生経験をしてきました。妻子供と普通の暮らしをしていますが、ふと当時の事を思い出す事もあり、まだ親族に対する憎しみが消えません。亡き両親は、憎しみは雪解けのように時間が解決するといっていましたが、そうでもないようです。怨憎会苦、それほど長くない残りの人生このまま憎みを抱きながら行くのでしょうか。許せると思う日は来るのでしょうか。亡くなった両親はどう思っているのでしょうか。引っ越すのは現実的ではありません。自分の人生に意識を向けようと努力はしておりますが、「心構え」についてアドバイスをいただければと思います。

有り難し有り難し 40
回答数回答 2