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hasunoha 問答検索結果 : 「 煩悩 」
検索結果: 3775件

自分の本心が分からない

未来に希望がみえません。全部、自業自得で自分のせいなのは分かっています。 何をやっても満足できないのです。以前の仕事を辞め、やりたいと思っていた職に就けたもののやはり難しく。上手くはいきません。 普通、始めたばかりの頃はもっとやる気に溢れているものですよね。明日も頑張ろう!みたいな。 それが無いんです。行きたくないと思ってしまいます。 自分がやりたいと思って選んだものなのに。しかもそれに就けたんだから恵まれていますよね。なのにどうしてこんなに満たされずにやる気もないのでしょうか。 最近これからのことを思うとすごく死にたいと思うのです。ならば未来の事を考えなければいいと言いますが未来のために今があり、どう足掻いても未来に行くのだからやっぱり考えてしまいます。 私はきっとこのまま孤独に終わっていくのだろうと思います。 死にたい、消えたいのは確かです。具体的に方法を考えたりネット検索したりもしています。 ですが、自分の心が矛盾していることに気付いたのです。 地震があれば逃げようとするし車を運転すれば事故を起こさないようにと気を張るし。 自分のこと、庇ってるじゃん!と、死にたいんじゃなかったのかよ!と思って。 どっちなんだろう?と考え込んでいくと訳が分からなくなって泣きたくなってくるし。私が死んだら家族が悲しむかもしれない…でも生きていたくないし。 でも死ぬ勇気がないなら生きるしかないんですよね? そう思ったらすごく気持ちが重くなり絶望感を感じます。 私はどうしたいのでしょうか?何がそんなに気に入らないのでしょうか?どうしてこんなに寂しいのでしょうか? 死にたいとか消えたいとか仕事に行きたくないとかどうしてこんなに甘えたがりなんでしょうか? 本当に嫌になります。大嫌いです自分も何もかも。

有り難し有り難し 23
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あなた、霊が二人憑いてますよと…

とても悩んでいます、よろしくお願いします。 子供達の保育園で少しお話をするようになったママさんが、急に親しげになり、こちらが距離を取る間もないくらい家に誘われたり、お菓子や野菜を家にまで持ってくるようになりました。 貰わないのも失礼なので「もう要りません」と毎回断りながらも押し付けるように置いていく物を返せないまま貰っていました。 そんな中、そのママさんがまたうちにいらして言ったのです。 「最近疲れてない?私、占いもできるのよ、ハッキリ言うけど、あなた、霊が二人憑いてますよ、私がしてるこのネックレスとてもいいからお勧めしたいわ」と。 私は、霊とかそういうものが憑くなどよくわからないので(みえないので)この人は何を言っているんだろうと絶句してしまい、戸惑いながらもその日はなんとか追い返しました。 その後、“あの人は私がそのネックレスを買うとでも思っているのか”と怒りが湧き上がりました。 と、同時に、もしかして本当に霊が憑いているのでは…?とか、このイライラは、もしかして霊が…などと考えるようにもなってしまったのです…。 ネックレスを売りつけるために近づいたのだとは思います。 だけど、もしかしたら本当に憑いていて教えてくれたのかも… わからなくなってしまって、怖くて怖くて仕方がないです。 お寺で除霊などしていただいた方がいいのでしょうか… そもそも、お寺で除霊などしていただけるのでしょうか? 費用なども気になり、もし可能なら教えていただきたいです。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 106
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2025/05/14

今の平和は嘘。だから何もかも虚しい

例え何かを為そうとしても、何か努力をしようとしても、自分の人生を生きようとしても、いずれ戦争ですべて奪われます。だから、何を感じるのも苦しい。ずっと泣きながら生きています。 そして、死んでもまたこの世界に生まれてしまいます。自我とは物質的肉体に付随するものでしかありませんし、極楽浄土なんてフィクションの産物にしかすぎません。確かなものは死と絶望と残酷な営みだけです。もしも極楽浄土が本当に存在するならば、この世界中で起こっているありとあらゆる残酷な環境の中に生み出される命に説明がつきません。どうして、戦地や過酷な独裁国家の中に、まだ人は生まれ続けるのでしょう。いつかの自分がファーストペンギンとしてシャチに食い殺される可能性は、この世界が終わるまで永遠に付きまとい続けます。 だから、この人生も、今の平和も、「人類」という営みも、何もかも束の間の嘘でしかありません。この世界の本質は、破壊と暴力と残酷な営みだけです。私達は死んだ後、更に過酷な環境の中に産み落とされる覚悟をしなければなりません。そして、強制的にもたらされる死はもう目前にまで迫っています。 存在しているのが辛い。物質的存在から逃れられない自我が辛い。脳科学的に言えば極楽浄土なんて信じるのも難しい。なぜなら、超常的上位存在なんて本当は居ないからです。あるのは残酷な物質的営みだけ。 ・物質的世界や自我や人類の営みなどといったものは、全てが偶然の産物でしかない ・必然性や何かの意図が介入していないということは、どこまでも無秩序で残酷になるということ ・それでいながら、結局は物質世界から逃れることなどできない。死んでもまた他の生き物の感覚器官が「自分」になるだけ だから、ありとあらゆる平和や慈悲やぬくもりが嘘のように感じられ、「どうしてこんな世界じゃないんだ」と苦しくなります。愚かにも、嘘っぱちな温かいものを望み、「これらが尊ばれる世界であるべき」などと思ってしまいます。その度に、残酷な真実との落差に苦しくなります。何を為すのも、希望を持つのも苦しい。死ぬことで物質的世界から「本当に」解放されるなら、安心して生きられるのに。 どうして極楽浄土を信じられるのですか。こんな残酷な世界で。私は悪くない。世界が悪い。だってこの世界は本当に残酷だから。慈悲や幸福よりも破壊や暴力や不幸の方がずっと大きくて強い世界。

有り難し有り難し 19
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来年は良い年にしたい。自分にできることはありますか?

2016年は自分にとってさんざんな一年でした。前回の質問の通り、株で大損してしまったこともありますし、仕事でもクビになってもおかしくないくらいの失敗を犯してしまいました。職場での信頼も完全に失ってしまいうつ一歩手前までなってしまいました。休みも全然取れず、生きがいの旅行も全く行けず 、厄年ではないのにお祓いに行こうかとさえ思ったくらい、最悪の一年でした。 一方で家族や身内には、ハッピーなことが次々に起こった一年でした。まるで自分が犠牲になって周りを幸せにしているようでした。大切な家族・身内には幸せが来ているのに、自分が不幸なせいで素直に一緒に喜べず、そんな自分にも嫌気がさします。 思えば今年の初詣で買ったお守りを早々に紛失したところから自分の今年一年の不幸が始まったのかもしれません。また、今年から初詣の方法を少し変えたのですが(参拝順路を変えたり、お守りの種類を変えたり)それが身内には良かったが、自身には仇となったのではと思っています。 もう少しで2016年も終わりますが、こんなにも今年が早く終わってほしいと思ったことはありません。どうか2017年は心から笑える年にしたいのですが、どのような心持ちでいると、自分には幸せが訪れるのでしょうか。

有り難し有り難し 67
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復讐心が芽生えぬ方法

悩みがとても膨大なのですが、その中でも急速に解決したい問題のひとつである「復讐心」について相談させてください。 複雑かつ長くなるので、経緯は省かせて頂きますが、元彼(今も連絡は取り合うけれど向こうに気持ちはなさそう)への復讐心が止められなくなりそうなときがあります。彼は悪い人ではありません。 その復讐心はふとしたきっかけで起こります。 例えば、スーツ姿の人を見かけたり、街中でカップルを見かけたり、1人でご飯を食べていて寂しさを感じたとき、幸せだった頃にふたりで行った場所へ行ったときなど、日常に転がっている小さな小さなきっかけが、大きな炎を燃やすんです。 なんとかこの復讐心を抑えようと、臨床心理の本を読んだり、カウンセリングに通ったり、仕事以外のほぼすべての時間を費やして、努力しています。 復讐心は他者に責任がある考えからくるものだということも学びました。 これは紛れもなく自分自身の為の努力にも関わらず、怒りのスイッチが入ると、なぜわたしだけがこんなに苦しい思いをしているんだ!あいつは今頃のほほんと楽しんでいるのに…と湧き上がる怒りに心は汚染され、どうやって相手を苦しめようかばかり考えてしまいます。 ささいなことから、犯罪に至ることまで頭の中は相手を苦めるアイデア、でいっぱいになります。 この、「復讐心」が浮かばないようにすることは可能なのでしょうか?それとも、この復讐心とこの先ずっと付き合っていかなければならないのでしょうか? 復讐心をありのまま受け入れて、流す。なども考えたのですが、自分がとても嫌な人間に思えて仕方ありません。わたしはよりよい人間でありたいです。 どうか、『復讐心が一生芽生えぬ方法』を教えてください。 下記実践済み ・忙しくする ・とにかく寝まくる ・相手の幸せを考える ・自己責任自己責任…と唱える

有り難し有り難し 56
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自殺をします。

いろいろ疲れました。 きっと僕は、首を吊って死ぬでしょう。 恋人もできず、このまま孤独である未来も、たとえ伴侶ができたとしても養わなければならない未来も苦痛しか感じません。 仕事も忙しい日々で、趣味の面では自分で決めた目標も達成できず、虚無感、無力感に苛まれます。 人から変なやつと言われ続け、今までは受け入れてくれる人もいましたが、やはりからかわれると屈辱を感じます。 なんというか、そもそも人間は攻撃的で利己的なのに、コミュニティの中でしか生きられないな生き物で、その中でなんだかんだ競争に勝ってきた者の末裔が現代人なのであって、それ故に自殺しようがなんだろうが、負けた結果でありそれはとても自然なことと考えます。 前置きが長くなり、すみません。 質問は、下記です。 不自由で不遇な人生を生き切ることが尊いことなのでしょうか? 偉いことでしょうか? 負け犬が生き延びたところで、なにがメリットとなるのでしょうか? 以上です。 好きな僧侶の言葉に、人は意味の次元に生きていないという言葉があります。 全くもってその通りと考えます。 故に自殺も同じく、等しく無意味な一般的な事象手間あると考えます。

有り難し有り難し 60
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怒ると「罰を与える」という思考になる旦那

結婚後、旦那が人を許さず、他人にすぐ罰を与える人だと気づきました。 例えば、旦那が私に対して嫌な事をして、私がそれに対して話し合いをしようとすると旦那が激昂し、怒鳴り、物も投げるので、今回は冷静にラインでやりとりをしたいから、今日は帰らず距離を置いてラインでやりとりをしたい。という旨を伝えると「嫌がらせをするなら俺もやり返す。たとえ俺が原因でも」と言います。 「ハンムラビ法典。やられたらそれ以上に相手が黙るまで殴り返す。」「犬だって噛んできたらなぐって躾する。」と言います。 また、私が夜に友達と会う、と旦那には伝えており、当日に「晩ご飯は?」と聞かれたので、「冷蔵庫にあるよ」と伝えた途端に「もう家に1円も金を入れない!」と怒り出します。 事前に俺とご飯を一緒に食べれないと伝えない思いやりのない人間に俺の金を渡したくない、と言います。 私が説明不足だったと反省し、謝りました。 ただ、こういったちょっとした事でさえ「罰を与える」という発想になり、お金をいれない等を言い出すのが、恐怖感と絶望感を抱きます。 なぜ旦那はこのような思考になるのでしょうか? 何か私の方でできる事はありますか? こういう事がよくあるので「そうやって私が困る事を宣言する事で、私は折れないといけない状況になる。それは話し合いでもなく、コントロールになっているからやめてほしい。傷ついたなら謝るから、攻撃する前に伝えてほしい。」と言うと、「わかった、ごめん」と落ち着いたら言ってくれます。 しかし何度もこのやりとりを繰り返しています。 私も失敗や不快にする事はいろんな人に与えてしまってると思います。 そして、指摘された事がすぐ治らないのは仕方ない事だとも思っています。 だからこそ、改善しようとしている旦那に対して、どこまで私は受け入れたらいいのかで悩んでいます。 私は「失敗なんて誰にでもあるし、仕方ない。」と基本許しのスタンスですが限界です。 なるべく冷静に対応はしているのですが、今後旦那は治るのか?もう無理なのか?と許した後に不安になります でも1年半で暴言や暴力の頻度が減ってきているのも事実で、改善するのかな、と希望も抱いてしまっています 私はどうしたらいいんでしょうか? 順風満帆な人生はない、と言い聞かせていますが、これは私はどこまで耐えるべき事なんでしょうか?

有り難し有り難し 84
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